イゴールの竜対大ムカデ
「し、始末をつけるって―― こ、殺すの?」 「どうかしたのですか? この女はまだまだ未熟ながら、油断のならない魔法使いですわ。今は本に化けたことを逆手にとって、ここに閉じ込めてはおりますが、すきを見せれば、すぐにも襲いかかってくるでしょうよ。さあさあ、ゆりかさん、早く始末をつけてくださいな」 「た、助けてあげて」 「はっ?」 「お願い! 助けてあげて!」 パピリカはしばらく考えていたが、 「いいえ、お断わりいたしますわ。この女は、王女さまと私にあだなす強敵。ここで逃がしたりしたら、別の方法で、また仕返しに来るに決まっていますからね。それにこの女は、あなたのことも、私をおびき出す罠に使おうとしたのですよ。お忘れですか?」 「わかっているわ。でも、た、助けてあげて。わたし、お願いします!」 「いいえ。駄目だと言ったら、駄目です」 「待って、パピリカさん。一つ聞きたいことがあるんだけど―― 」 「何ですか、急に?」 「あのねえ、おぼえてる? このあいだ、あたしが王女さまに会った時、王女さまはこのあたしのことを、確か“魂のふたご”にしてくれるって、言ってたわよね?」 「ええ、おぼえていますとも。それが何か?」 「だったら、わたし、王女さまの“魂のふたご”として、あなたに命令します! この人を、今すぐに自由にしてあげて! そして、二度と悪いことをしないって、約束させてから、この人を、元の世界に帰してあげて!」 「ほ、本気で言っているのですか、ゆりかさん? 正気のお言葉とは、とても思えませんけれどね」 「もちろん、本気よ」 「あなたは、ご自分が何を言っているのか、まるでおわかりになってはいないのですわ」 「もちろん、よーくわかっているわよ!」 「ああ! あなた方〈ニンゲン〉というのは! 私たちの世界は、あなた方の世界とは、成り立ちも仕組みも異なるのですよ。そんなつまらない同情は、かえって、身を滅ぼすもとなのですわ」 「それでもいいの。この人を助けてあげて。この人、悪い人じゃないと思うわ。わたしをここへ連れて来た時にも、わたしを心配してくれてたもの」 「それも、あなたを利用するため、あなたの協力を得たいがためです!」 「でも、もし、お姫さまがここにいたら、やっぱり、マデリンさんを助けてあげてって、言うと思うけどな。優しそうな人だったしな」 パピリカは返答につまってしまった。 「わかりましたわ。本当は承知したわけではありませんけれどね。お姫さまの“魂のふたご”の方のご命令とあっては、いたしかたありませんわね。ですが、後悔なさいますよ。魔法の世界の住人の心をあなどると、本当に痛い目にあいますよ」 「いいの。マデリンさんを助けてあげて」 「わかりました。おおせの通りにいたしますわ」 パピリカは、空中に浮かんでいる本に向き直った。 「マデリン、とんだ命拾いをおしだね。せいぜい、ゆりかさんに感謝をなさい。助けるのは、本当にいやだけど―― 」 その時だ。屋敷が恐ろしい音を立てて崩れ出し、壁や天井が、がらがらと落ちてきた。ゆりかが悲鳴を上げてふり返ると、崩れ去った屋根の向こうに、一匹の巨大な竜が、こっちを見下ろして立っていた! 「ああっ! お姫さまっ!」 竜の口には、小さな女の子が、ちょうど牙と牙にはさまれるように、上手にくわえられていた。 「よくやった、イゴール! どうだい、パピリカ! 勝ったのはどっちだい? 本当に未熟な魔法使いは、果たしてどっちだろうね? ごらんよ、ロデリア姫はこっちのものだ! あっはははははっ!」 マデリンは、本から人間の女の姿に戻った。 「どうだい? このマデリンさまを甘く見ると、こういう目にあうんだ! これでわかっただろうが? あたいを、こんなちっぽけなところに閉じ込めて、してやったりと思ってたんだろうが、ところがどっこい、ざまあみろだ! あんたが、このあたしにかまけているあいだに、あたしの手下が、ストロンボリ火山の噴火口まで、ちょいと出かけて、あっさりとお姫さまを、かっさらってやったんだ! さあ、ごらんよ、パピリカばあさん! よく見ろって言うんだ! 勝ったのはどっちだい? あたしか、あんたか? どっちが、優秀な魔法使いだろうねえ? 何とか言ってみろ!」 マデリンは、ひきつったように笑い続けた。 竜の口の中のお姫さまは、どうやら気を失っているらしく、身じろぎ一つしていない。怪物イゴールの竜が、その気になりさえすれば、王女さまをチョコレートみたいに噛み砕くか、ぱくっと一口に飲み込むことなど、たやすいことに思われた。 (くそう、マデリンの奴! このあたしが魔法が使えたら、たった今この場であんたを、八つ裂きにしてやるのになあ!) 「ゆりかさん、すぐに面白い見世物が始まりますわよ。ほら! あれをごらんなさい!」 パピリカの言葉に、ゆりかはふり返り、そして見た。 竜の口にくわえられていたロデリア姫が、顔や手足や全身から、白い触手のようなものを、にょきにょきと生やした。 「ああっ!」 とマデリンが叫んで、飛びのこうとした時、それよりも、一瞬早く伸びてきた一本の触手が、あっという間にマデリンをつかみとり、うごめく触手のかたまりの中に飲み込んだ。マデリンの悲鳴が、どこからか聞こえてきた。 さっきまでお姫さまだったそのものは、今ではすっかり形を変えて、無数のへびの固まりのように、いやらしく身もだえていたが、やおら一匹の大ムカデに変わると、体中に生やしたクシの歯のような節足をうごめかせて、ゆうに三百メートルは越す胴体を、巨大な竜に巻きつけていった。竜はつばさをばたつかせて、懸命に逃れようとしたが、ばねのきいた白い胴体を、ムカデが恐ろしい勢いで締めつけてくるので、さしものイゴールの竜も、あわれなうめき声を上げて、口から二、三度、炎を吹き上げた。 骨と関節の砕ける音が聞こえ、竜の全身が、見る見るうちに押しつぶされた。竜はけんめいのあがきを示すように、巨大なかぎづめをふり回して、むき出した牙を、ムカデの胴体に突き立てた。ムカデは、白い肉の盛り上がった、小山のような巨体をうごめかせて―― ああ、なんということだろう!―― 生きたジューサー・ミキサーのように、イゴールの竜を、すりつぶしにかかっているではないか! イゴールの竜は、大ムカデのいましめをふりほどこうと、けんめいに身もだえし―― もがき―― 吠え―― つめをふりたて―― ああ!―― 小さくなる!―― 小さくなる!―― 弱々しく―― 小さくなる―― だんだんと―― 小さくなって―― 「ああ! あんなに、ちいちゃくなっちゃったわ!」 イゴールの竜は、今では愛くるしい、トカゲくらいの大きさになって、尻尾をぴたぴたと床に叩きつけ、声を限りに泣いていた。 「キニタ・クリクリ! キニタ!」 パピリカが叫ぶと、大ムカデはパピリカを見下ろして、ぴょこんとおじぎをした。 その姿が、突然、無数の蝶々の大群に変わると、虫の群れはどこへともなく、飛び去って行った。 「マデリン、そんなところに隠れていないで、こちらへ出ておいでなさいな」 マデリンは、さっきの大ムカデの大攻勢の真っ最中に、魔法の力で、からくも脱出したのだろう、ソファのかげで、震えながらパピリカを見ていたが、どこにも怪我をした様子はなかった。 「さてと、マデリン。勝ったのは、どちらかしらねえ? あなたは、優秀なのはどちらだと言ったのかしらねえ?」 マデリンは何も言わなかった。 「お行きなさい!!!」 マデリンはビクッとしたが、ひとかたまりの青い炎の玉に変わると、あっという間に、どこかへと飛び去ってしまった。 「おけがはございませんでしたか、ゆりかさん?」 ゆりかがパピリカをふり返った。 「ええ、ご、ごめんなさい・・・。あなたの言った通りだったわね。あの女、ひどい奴だったわ・・・。それにしても、あの怪物ときたら、すごいのなんの・・・それでどうするの、あのちびのドラゴンちゃんは?」 ゆりかは床の上で泣きわめいている、イゴールの竜の、なれの果てを指さした。 「あなたが飼ってみませんか?」 「まさか!」 「それじゃあ、仕方がありませんわね」 パピリカはくちびるの端で薄く笑うと、人間の女からクジャクの姿に戻った。 パピリカが目から虹色の光線を放ち、イゴールの竜に浴びせかけた。イゴールの竜が、ひときわ小さくなると、パピリカはあっと言う間もなく竜に近づいて、ぱくっと竜を一口にくわえ込んでしまった。パピリカはしばらく、もぐもぐとやっていたが、口から何かの固まりを吹き出すと、それは水色の小さな肉団子になった、イゴールの竜だった。イゴールの竜は、どこかへと転がって見えなくなった。 「すごいのねえ、パピリカさんて・・・」 「こんなことくらい、たやすいことですわよ。あなたもご無事で、何よりでしたわねえ。 『さっきの―― あのムカデ―― あれも全部、パピリカさんが仕組んだことなのね? 初めから何もかも、偽物だと知っていたのね』 ですって? もちろんですとも。いくらあなたさまのおたずねでも、そうはたやすく、王女さまのいどころを、お教えするわけにはまいりませんわ。あのマデリンという女は、本当に、油断もすきもない女ですからね」 「知ってるの、マデリンのこと?」 「ええ、まあ、多少はね・・・。あなたが、何かの呪文にあやつられていたのは、この部屋に来て、すぐにわかりましたしね」 「ええっ? 何かにあやつられていた?」 「思い出せないのですか。あなたはマデリンにあやつられていたのですわ。そして、私をおびき寄せる役目を、果たしていたのですわ。もっとも、私はすぐに気がつきましたけれどね、この部屋に入った瞬間に―― 。あれですわ」 パピリカが、マントルピースの上の離ればなれの二つのつぼを、目でさし示した。 ゆりかがあっけにとられていると、 「あのつぼは、私にこう告げたのですわ。心ならずも、あなたが二つにわけられてしまい、それを誰にも伝えるすべがないのだ、と。 わたしはてっきり、 『これはゆりかさんが、わたしに残した伝言だ』 と、すぐに気がつきましたわ。あとはチャンスを見て、あなたにかけられた魔法の呪文を、何とかすればいいだけの話でしたわ」 「ふうん。よく、そんなことがわかるわねえ、つぼを二つ見ただけでさ」 「ああ、わかりますとも。ふだんは表に現われない〈大きい方のあなた〉が、魔法の力を借りて、〈小さい方のあなた〉を、押し出してしまったのですわ。それはそうと、ゆりかさん、今日のところはお帰りくださいな。遅くなると、おうちの方が心配なされますよ」 「でも、パピリカさんは、どうするの?」 「わたくしには、もう二、三、片づける用事がありますもので、せっかくですけれど、ここで失礼させていただきたいですわ」 「そんな・・・だって・・・もしも、あのマデリンとかいう女が、また現われたら? あの女が今度は・・・家に来たら?」 「あれほど、こっぴどくやっつけたのですからね、当分は現われないでしょうよ。おやおや、震えているのですか? こわいのですか? だったら、いかなる魔法力も、あなたとご家族に手出しができないよう、あなたに〈災い封じ〉の呪文を、かけておいてさしあげましょうね。しばしのあいだだけですけれど、あなたとあなたのご家族に、危害がおよばぬようにね」 パピリカは口の中で、何かを唱えていたが、 「やれやれ! わたしともあろうものが、ニンゲンの子供に、呪文をかけるはめになろうとはね!」 「もう、すんだのね? これでもう、本当に大丈夫なの、パピリカおばさん?」 「わたくしの魔法に関して、そんな無礼な口をきく者は、わたくしの世界には、一人たりともおりませんわね、さすがに」 「まあ、そうなんですか。ごめんなさい」 「あちらに、こちらの世界からの出口がありますわ。わたくしが送ってさしあげますわ」 パピリカが先に立って、ゆりかを案内したが、その途中ずっと感心したように、屋敷の残骸のあちこちを見回していた。 「この玄関を抜ければ、元の世界へと続く庭へ出られますわ。小道へ出たら、何があっても後ろをふり返らないこと。お一人で行けますわね?」 「うん、うん、平気よ。本当にどうもありがとう、パピリカおばさん」 「わたくしのことを『おばさん』と呼ばなければ、よろこんでごほうびをさしあげようと思っていたのですが―― いいでしょう。信念を曲げて、これをさしあげますわ」 パピリカが巨大なつばさの下から、何かの箱を取り出した。 「どうぞ。中を開けてごらんなさいな」 「わあ、ミルク飲み人形だわ!」 そこに入っていたのは、マルテ社のミルク飲み人形なんかよりも、はるかにはるかに立派な、いいえ、あれとはくらべものにならない、はるかに豪華なミルク飲み人形だった。 「これ、どうしたの、パピリカおばさん?」 「わたくしからあなたに、今日の冒険の記念ですわ。せんだって、あなたさまの魔法を解いたおりに、ちょいと失礼して、あなたの心の中を、のぞかせていただきましたのよ。お気に入っていただけまして?」 「そんな―― 気に入るだなんて! 最高よ! 最高のプレゼントよ! あっ、でも、わたし、これ、もらっちゃってかまわないの? お金をはらってないのに」 「かまいませんとも。あなたには、これを受けとる資格は、十分にあると思いますわ。これはまちがっても、ムカデや竜に変身する気づかいはありませんのよ、少なくとも、あなたの世界にいるあいだはね。さあ、おしゃべりはこれくらいにしましょう。一日で味わうには、多すぎるくらいのスリルと冒険でしたからね。扉を開けますよ」 「あ・・・ちょ、ちょっと待って。これを受け取ってよ」 ゆりかは、あわててポーチから折りたたんだお札を取り出すと、パピリカに差し出した。 「それじゃあ、さようなら、パピリカおばさん。わたし、行きますね」 ゆりかは、人形の箱をこわきにかかえ、ドアを開けた。 屋敷の外は思わぬ日ざしで、ゆりかがこれまで嗅いだことがない、異国風のかぐわしい花々の香りが、強烈にあたりの空気を満たしている。 ゆりかが小道を歩き出し、角を曲がったとたん、目の前の風景がぼやけて――
―― ゆりかは、駅ビルのデパートの、あのトイレの中にいた。 突然ドアが開いて、見知らぬ女のお客が入って来ると、ゆりかははじかれたように、外へ駆け出して行った。 その晩、ゆりかは寝床に入ってからも、目がさえて、なかなか寝つかれなかった。 (しまった! 王女さまがどこにいるのかを、パピリカさんに訊かなかった!) でも、たとえ質問しても、パピリカは決して答えないだろうという気が、ゆりかにはしていた。
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