敵が現われた
それから、二、三日のあいだは、何ごとも起こらなかった。
ゆりかが、とある恐ろしい敵の存在に気づいたのは、パピリカと出会ってから四日目の、土曜日のお昼すぎ、近くの街の大きな駅ビルのデパートに、買い物に行った時のことだった。 ゆりかは、外国製の高価なミルク飲み人形を買うために、そのデパートのおもちゃ売り場に出かけたのだが、人形の置いてあるコーナーにはわざと行かず、いろいろのおもちゃを見て回ると、ようやく、お目当てのミルク飲み人形の売り場に近づいた。 そこに先客が待っていたのだ。 若い、美しい、背の高い、外国人みたいな顔立ちの女が、腰まで伸ばした亜麻色の長い長い髪の毛を、ポニーテール風にまとめ、ミルク飲み人形の棚に、覆いかぶさるように立っていたのだ。 「ああっ、パ、パピリカさん!? 」 女はパピリカではなかったが、ゆりかを肩ごしにふり返ると、にやりと笑いかけた。 なんと人間離れした、こわい顔だったのだろう。女はにわとりの卵ほどもある両の目を、糸のように細めると、ふふんと鼻をそびやかせて、行ってしまった。 ない! ない! ないわ! わたしのミルク飲み人形が、なくなっちゃったわ! 「あのう、どうかしたの?」 太めの女の店員さんが近づいて来て、優しく声をかけてくれると、ゆりかは泣きそうな顔で、 「わたしのミルク飲み人形、なくなった・・・」 「ええ、ミルク飲み人形? ああ、わかったわ。ちょっと待っててね」 女の店員さんが、すぐに戻って来ると、 「変ねえ。ああ、ちょっと、関口君。さっきまでここにあった、マルテ社のミルク飲み人形、もう全部売れちゃったの?」 「ええっ? あ、あれは今朝、棚にいっぱい置いておきましたけど―― あれれ? 変だなあ。さっき見た時は、まだたっぷりあったのに。ちょっと倉庫を見てきますね」 五分ほど経って、関口君は戻って来ると、 「おっかしいなあ。まだ十分、あったはずなのになあ」 「あのう、わたし、また来ます」 「そうお? ごめんなさいね。今度来てくれた時には、ちゃんと仕入れておくからね。ごめんね」 ゆりかが立ち去る後ろ姿に、店員さん同士のひそひそ声が、 「なんで洗いざらい、なくなっちゃったのかしらね。まるで魔法みたいね」 (ま、魔法!? さっきのあの女の人が、とったのかもしれないな。でも、あんな大人がミルク飲み人形なんか、ほしがるわけないわよね。ほかの物を買ったら、ママ、怒るかな?) 物思いにふけっていたゆりかは、誰かに体当たりを食らわされた。 「まあ、さっきのちびじゃないの? 人形が買えなくて、お気の毒さま。よそのおもちゃ屋さんを探してみたら? さようなら、ちびの気どり屋さん」 ゆりかにぶつかって来た、さっきのポニーテールの若い女が、目の前のエレベーターに、さっさと乗り込んでしまった。 (な、何よ? 何かわたしに、う、うらみでもあるわけ?) ゆりかはびっくりして、口もきけなかったが、ふいに、お出かけ用のポーチにしのばせた〈みどりのしずく石のペンダント〉のことが気にかかると、急いでフロアの奥のトイレに駆け込み、個室の一つに入って、中からドアを閉めた。 ゆりかが恐る恐るポーチをのぞくと、ペンダントは無事だった。 ゆりかはため息をつき、使ってもいないトイレの水を流してから、個室の外に出た。 洗面台の鏡をのぞくと、さっきの女がにやにや笑いながら、ゆりかを見ていた。 ゆりかはびっくりして、後ろをふり返った。 もう一度、鏡をのぞくと、やはり女はいなかった。 「どうしたい? あごの閉じ方を忘れちまったのかい?」 ゆりかは飛び上がった。 さっきの女がトイレの一番奥にいて、にやにや笑いながら、ゆりかを見ていたのだ。 ゆりかは、 「きゃあああ!」 と、悲鳴を上げて、トイレの外へと駆け出して行った。 トイレの外はなかった。 ゆりかの足は、あるはずのデパートの床を踏みそこない、果てしのない真っ暗やみの空間を、まっさかさまに落ちて行った。
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