ちょっぴり長めのエピローグ
「その真っ黒い、煙みたいなこわい生き物が、私の替え玉になったマデリンをあやつって、あのプンデルカンドにお輿入れをさせようとした、というわけなのね? 何だって、そんなややこしいことをしたの?」 ロデリア姫が訊いた。 「プンデルカンドを支配したいからだって、パピリカはそう言っていたけどね。まず、マデリンをあやつって、あのプンデルカンドを手に入れ、つぎにはこのカンバーランド王国を―― ううん、いずれはこのバルト世界全体を、自分の物にするつもりだったんだろうって」 「パピリカが、そう言っていたわけね?」 お姫さまが先回りをして訊いた。 ゆりかがうなずくと、お姫さまはため息をついて、 「ふうん、恐ろしいわねえ。パピリカがそいつを追いはらってくれて、本当によかったわ!」 「だけど、完全に追いはらったわけじゃないのよ。あいつは、いっとき姿をくらませただけで、いつかまた機会があれば、姿を現わすだろうってよ」 「まあ、大変! それじゃあ、こんなところで、のんびりしていられないじゃないの! 早く木の実を摘んで、退散しなきゃね!」 お姫さまが可愛らしく、うめき声を上げた。 そこは王宮にあるこぎれいな果樹園の一角で、事件のあくる日、早くもショックから回復した二人の女の子が、護衛についた兵士の目をぬすんで、木いちご摘みに夢中になっていると、小さな木戸が開いて、侍女のイパメルに案内された王さまとお妃さまが、その場に現われた。 王と王妃が、くちびるのまわりを赤く染めた、可愛らしい略奪者たちの姿に、にこにこすると、二人の方ではばつが悪くなったと見えて、あわてて後ずさりをして、ひざをかがめた。 「よいよい。そのまま、そのままじゃ」 王さまは手をふって笑うと、 「どうじゃな、少しは気持ちが落ち着いたかな?」 二人の女の子たちは、顔を見あわせてうなずいた。 「どれどれ、わしも一つ、味わってみるとするか」 王さまは一本の木に近づくと、よく熟れていそうな実を一つつまんで、口に入れた。 「うはっ、しょっぱいな! まだ、よく熟していなかったと見えるわい!」 王さまは木の実の汁を、その場で吐き出してしまった。 「あなた!」 王妃さまがとがめるように言ったが、すぐに笑い出した。 木蔦が揺れる、さやさやという、かすれるような音がして、王さまやお妃さまが現われたのとは反対の方角から、人間の女の格好で、パピリカ・パピリトゥスがやって来た。パピリカは、偽物のゆりかが持っていた、あの銀色の曲がりくねった長い杖を、大事そうにかかえていたが、その場に王と王妃がいるのに気づくと、とまどった様子で立ちすくんだ。 「よい、よい、宮廷大魔法使いよ。そなたはよう働いてくれた。わしはそなたに礼と―― それから、わびとを言わねばならんようだな」 「そんな、めっそうもございませんですわ、国王陛下。わたくしの方こそ、姫ぎみさまを守りきれず、あやかしにまんまとしてやられましたわ。このうえはいかなるお裁きも、受ける覚悟はできておりますわ」 「これこれ。そのようなやくたいもないことを言い、せっかくの気分をぶちこわすものではないぞ。こうして姫も無事に戻って来たのじゃ。いらぬ気づかいはなしにいたせ。のう、パピリカ・パピリトゥスよ」 「ははっ。もったいない陛下のお言葉、このパピリカ・パピリトゥス、たとえ、鉄の首輪にこの身をつながれまして、両のつばさをもがれ、トチーゼの実を投げつけられて、王国を追放される日が来ましたとしても、生涯、忘れはいたしませんですわ」 「これこれ、パピリカよ。何を言い出すのじゃ。そなたを追放するなどと、誰が申した? ざれごとを申すでないわい」 「陛下、お忘れではございますまい。不肖パピリカ・パピリトゥス、王宮に仕えるという、身にあまる栄誉をたまわりながら、ここにおわします姫ぎみさまをば、異世界へとかどわかし、王国と宮廷を、かつてない存亡の危機にさらしましてございます。お雇い主であられる国王陛下への反逆は、“死または追放”をもってつぐなうことが、この際、〈魔法組合〉の規則に照らして、妥当かとぞんじまする」 しばらく一同は黙りこくっていた。 「いやよ、私、パピリカを罰するなんて、いや! 私、追放も死刑も、どっちもいやよ! 私、パピリカを追放するというんなら―― 冥(くら)いハデスの野辺に送るというんなら、私、パピリカといっしょについて行きます! ええ、喜んでついて行きます! こんなくだらない王国とは、永久にさよならをしてね!」 「ロデリア、黙っておれ。お客人、そなたのお考えはどうじゃな。わしは、そなたはなりは小さくとも、自分なりの考えも分別もそなえておると見た。そなたの知恵を借りたい。こんな時、どう裁きますかな?」 「そうですねえ。そういう難しいことは、わたしにはわかりません。でも、王さまは、わたしと約束をしたんです。パピリカを助けるし、死刑も裁判もしないって。約束はきちんとはたしてください、王さまなんだから」 「ううむ、一本取られたようだな」 「それに言っちゃあなんですけど、王女さまは、いったん言い出したらきかない、とても頑固でわがままな人ですよ。もしも、王さまがわたしとの約束をやぶって、パピリカを追放か死刑なんかにしたら、この人は、きっとまた逃げますよ。そうなったら、わたしはあなたの味方はしないし、パピリカも味方はできないし、誰もあなたの味方をしないはずです。それでもいいんですか、王さまは?」 「ううむ、四面楚歌というわけか」 「それにもしも、そんなことにでもなれば―― 」 と、ゆりかは夢中になって、まだ続けた。 「―― きっとまた国中の人たちがお城に押しかけて、今度こそ王国は、本当に滅びるかもしれませんよ」 「なるほど、カンバーランド王国が滅亡するかもしれんとな。そんな危険を、みすみす二度もくり返すことはないというわけじゃな? ようわかった。ようわかった。このお客人の言うた通りじゃ。そのような次第によって、国王の権限により、パピリカ・パピリトゥスの罪は永久にゆるされ、反逆への罰は一切帳消しじゃ。 すべての行いは、王国の繁栄と姫の幸福とを願ってやまない、まことの忠誠心から出たことじゃ。行き過ぎもあるにはあったが、それをつぐなってあまりある、今回の功績に免じて、すべてをゆるす、すべてをゆるす。かくて〈糸車は回りぬ〉じゃ。それでよかろう、パピリカ・パピリトゥスよ。今、そなたが聞いた通りでよいかな?」 「すべては、陛下のみこころのままですわ」 パピリカ・パピリトゥスが深々と一礼をした。ロデリア姫が拍手をし、顔を上げたパピリカの視線が、ゆりかのそれと、ばっちりと出会った。ゆりかがウインクをすると、パピリカはえもいわれぬぐあいにくちびるをゆがめ、ぱちぱちと、二、三度まばたきをした。 「そうと決まれば、早い方がいい。さっそく議会を開いて、大臣どもと、このことを協議せねばなるまいな。何しろ大臣どもときたら、わしが一人で決めたとなると、いもの皮のむき方にまで、反対をしかねん連中だからな」 「また、その反対を、かならずしも無駄には終わらせない方ですものね、あなたという方も」 王妃さまが口をはさみ、ゆりかとパピリカは、思わず吹き出してしまった。 王さまは、王妃さまをふり返ると、 「のう、奥や。わしの裁きは、これでよかったろうかのう? おまえは今回は、賛成をしてくれような?」 みんなの目が、王妃さまに向けられた。王妃さまはその場に来て初めて、自分の意見を申し述べた。 「わたくしには、国のまつりごとに、口出しをする権限はありませんわ。ですが、もとはといえば、今度のことは、すべて、あなたが隣国の支配者とかわした、くだらない賭けごとから、生じたことなのですわ。それゆえ、もしも万が一、陛下がパピリカを、追放か死刑にでもするとお決めあそばされた、あかつきには―― もしも、そうお決めあそばされた時には、あなたがパピリカを罰する前に、わたくしがあなたを罰したことでしょうよ。わたくしに与えられた、妻の権限を使ってね。わたくしには、あなたを罰するのに、大臣たちの承認など、必要ありませんものね」 「ごもっとも。それでこそ、わしの奥だよ」 王妃やイパメルをともなって、果樹園を出て行く時、王さまの背中は、ずいぶんと丸くなり、体も小さくなって見えた。 王と王妃がいなくなると、ゆりかとロデリア姫とパピリカの三人が、その場にとり残された。 パピリカがゆりかの方に、意を決したように歩んで来ると、 「ゆりかさん―― お礼を申し上げなくてはなりませんわね。私を助けてくださったお礼を。ゆりかさん、本当にありがとうございましたわ。このご恩は、わたくし生涯、忘れはいたしませんですわ」 「そんなこと、いいのよ! わたくしの方こそ、お礼を言わなきゃね! 昨日、あやうく山で殺されそうになった時、パピリカさんが助けてくれなかったら、わたし、本当に死んじゃってたかも!」 「ですが、わたくしはあの体を―― もう一人のあなたさまのお体を、破壊してしまいましたわ―― あれがなければ、元の世界に帰れなくなってしまうと、わかっていながら―― 」 いっとき、気まずい沈黙が降りた。 ロデリア姫が咳ばらいをして、 「私も助けてくださったお礼を、あなたとパピリカに言わなければ。ありがとう、ゆりか。ありがとう、パピリカ。これで私たち三人は、永久に“魂のふたご”よ。これからも末長く、仲良くしてくださいね」 「もちろんよ! もちろんよ! もちろんよ! わたしはずっと、ずっと、ここにいて―― と、とにかく、わたしはあなたのお友だちよ、永久にね」 ゆりかの言葉に、ぎこちない沈黙がさらに続いた。 三人が何を言い出そうか、迷っていると、パピリカがいるのとは反対側の生け垣を、ごそごそとかき分ける音が聞こえ、ぴったりした黒の衣装に身をつつんだ、ポニーテールの若い女が、果樹園のすぐ外に、忍び寄るように現われた。 「マ―― マデリン!」 ゆりかの叫びに、マデリンはふり返った三人分の視線をあびて、ぎこちない笑みを浮かべたが、その目が、パピリカのそれと出くわした時には、恐怖に震え出していた。 「おや? あなたは何の用で来たのかしらね? あなたはてっきり牢獄にいるか、雲隠れしたのかと思っていましたわ」 マデリンは、パピリカの言葉に、すっかり縮こまってしまった。 昨日、キクニート山脈の山頂で、パピリカが謎の怪しい敵を追いはらったとたん、マデリンや王女さまを封じ込めていた、あやかしの魔法がすべて解けて、シドンの森の中で消えた婚礼の馬車の一行は、そっくりそのまま、ふたたび森の中に姿を現わしたのだった。ゆりかはペンダントの守護の力で、魔法にたぶらかされずにすんでいたし、パピリカは自力で脱出することができたから、二人は魔法をかけられたすぐあとでも、プンデルカンドの宮殿に、すぐさま駆けつけることができたのだった。 森の小道に現われた婚礼の一行は、その場に現われたパピリカとゆりかの口から、ことの真相を聞かされると、かなりのパニックにおちいった。一行は、パピリカの魔法で、カンバーランドの王宮に飛んで帰った。途中で王国の群衆に見つかってしまえば、あらたな面倒が起きないとも、限らなかったからだ。 マデリンはといえば、パピリカが山頂で謎の敵を打ち負かしたとたん、たちまち魔法円陣の中でわれに返ったが、パピリカとの再会をゆりかがよろこんでいるすきに、シャクトリムシに姿を変えて、こそこそと逃げ出してしまったのだった。 そんなマデリンが果樹園に姿を見せたので、パピリカは皮肉をおさえることができなかったのだった。 「あなたは、あやつられていたみたいだけど、もう、どこも何ともないの?」 マデリンは、パピリカの方は見ないようにして、ゆりかにうなずいた。 「ありがとう。親切な人だね、あんたは―― あんたにあやまりに来たんだよ。あんたと、お姫さまと―― そこにいる―― パピリカとにね」 「何ですって? さっぱり聞こえませんよ!」 「いいのよ。あの人のことは気にしなくても。それより、あやまりたいって、一体、何をなの?」 「もちろん、あなたや私を苦しめたことをでしょうよ! たいした苦しみでは、ありませんでしたけれどね!」 「パピリカ、少し黙ってて。お姫さまやわたしを、あっちの世界まで追いかけて来たことなら、あれはマデリンさんが悪いんじゃないわ。あれは王さまの命令でやったんだし、もとはと言えば、パピリカがしでかしたことが原因なんだから、あなたには何の責任もないもの―― ねえ、パピリカ?」 「まあ、向こうに咲いている、あのきれいな花は一体、何の花かしら? 本当にきれい!」 「いいや、そのことじゃないんだよ。あの―― 化け物―― あんたになりすましていたとかいう―― あの化け物―― あれは―― ひょっとしたら―― ひょっとしたら―― あ―― あたしが―― この世界に―― 呼び出しちまったんじゃ―― ないかと―― 思うんだよ―― ま―― 魔法の―― ち―― 力でね―― 」 「ほうれ、ごらん! ほうれ、ごらん! 私が長いあいだ、言ってきた通りになった! 『魔法(タルパ)をもてあそぶ者は、魔法(タルパ)に泣く』。 マデリン! あなたにはこれまでにも、私はさんざん忠告し、何度も何度も苦言を呈してきたはずよ! それをあなたは聞こうともしなかった! そして、とうとう、その報いを受けることになったのよ! お言い! この場で、お姫さまとゆりかさんに! あなたが不潔きわまりない、あなたのお城の地下室で、一体どんなよこしまな魔法を働いてきたのかを! そしてその結果、あなたがこの王国とこの世界とに、一体どんな災いの種をもたらしたのかを! さあ、言いなさい、マデリン! 命令よ! 今ここで、はっきりとおっしゃい! 言えないんなら、この私が言ってやろう! この娘は―― この尻軽の―― あばずれの―― 性悪の―― 役立たずの―― 能無しの―― ふぬけの―― まぬけの―― 馬鹿な―― 救いようのない―― 畜生の小娘は―― 自分の城の地下室に、秘密の祭壇と、ありもしない魔神の像をまつって、夜ごと日ごと、暗黒の儀式にふけったのです。 その結果、コトダマによる思いが高じて、この娘の馬鹿げた祈りが、いつしかタルパとなり―― すなわち“命ある想念”となって―― この次元をさまよい出し、私たちの知らない―― また知る必要のない―― 不可知の領域の、暗黒の霊の眠りをさまたげ、そこにいたある種の生き物に、ふたたび邪悪な生命とでも呼ぶべきものを、さずけてしまったのですわ。 マデリン、あなたはどうするおつもりですか? 何かこの事態をおさめる、いい手立てがあって?」 「そんなに言ったら、マデリンさんがかわいそうよ。マデリンだって、あやまっているんだし、それにあいつなら、パピリカさんが追いはらったんだから、もういいじゃないの?」 「そうはまいりませんわ、ゆりかさん。あなたさまのもう一つのお体のこともありますしね。マデリン、あなたはゆりかさんの分身を、どうやって始末をつけるおつもりなのですか? ゆりかさんが、元の世界に帰るためには、あの分身がどうしても必要なのですよ。ゆりかさんのいた世界は、こことは違うのよ。どうなの、マデリン?」 「あれなら、別の場所に、ちゃんとしまってあるよ」 マデリンが半べそをかきながら言った。 パピリカと、ゆりかが同時に叫んだ。 「何ですって!」 「今、何と言ったの?」 「だからさ、あんたの分身は、ちゃんと無事なんだよ。あいつが乗っ取ったのは、偽物のあんたの分身さ。本物の方は、イタケーの洞窟の奥に、ちゃーんとしまってあるんだよ。さっき確かめておいたもの。 あたしの城の中で、あんたをつかまえて二つにわけた時、パピリカがあんたを取り返しに来ただろう? あのすぐあとで、王さまの使いが、あたしを呼びに来たんだけどさ、パピリカがもう一つのあんたも、取り戻しに来るといけないから、念のため、ハシバミの汁とキノコの煮汁とを煮つめて、偽物のあんたを、急ごしらえしておいたんだよ」 「ああ、ピミリガンね!」 「そうさ、ピミリガンさ。本物のあんたの分身は、魔法で凍らせたあと、お城の井戸からイタケーの洞窟に飛ばして、そこにある横穴の一つに、しまっておいたんだよ。あそこには、あたしの魔法に使う、何やかやの道具を入れる、貯蔵庫が置いてあるんでね。 あいつは―― あの亡霊みたいな奴は、もう一つのあんたがピミリガンとも知らずに、中にとりついていたんだよ。きっと容れ物になる体が、どうしてもほしかったんだろうねえ。 あたしが、本物のあんたの分身を洞窟に飛ばして、祭壇部屋に戻って来た時、礼拝所の中にあいつがいたんだよ。こーんなにでっかい、ヘビの魔神の姿でさ! あたしは魔法で抵抗するひまもありゃしなかったよ。あっという間に城ごと乗っ取られて、全員どこかの空間へと、さらわれて行っちまったんだよ。あとは、みんなも知っての通りさ。あーあ、あたしの可愛いピミリガンたちは、今頃どうしているのかなあ」 「あきれた」 しばらくして、パピリカがつぶやいた。 「あんたって子は、どこまでが本気で、どこまでが冗談なんだか、さっぱりわからないわ。一体、どういう了見なんだろう。あんたは誰に似て、こうなっちまったんだろう?」 「あんたに似ちまったんじゃないのかい? 娘は結局、母親に似てくるって言うし、父さんが会うたんびに、そうこぼしているんだもの。 『おまえはだんだん、あのクジャク女に似てくるな。あいつに瓜二つの、へそ曲がりの強情っぱりの、ねじくれたキュウリみたいな、根性曲がりの意地悪ばばあになりつつあるぞ』って」 「お黙り! あんなろくでなしの、元・宿六亭主の言うことなんか、聞きたくもないわ。さっさと行って、ゆりかさんの体を、ここへ運んで来てさしあげなさいな。おわびを言うのは、それからですよ。私もこれから、この杖を、安全な場所に捨てに行きます。それがすんだら、おまえのことは、きっと厳しく罰しますからね。わかったの? 覚悟しておおき!」 マデリンはおとなしくうなずいて、その場を離れて行った。 マデリンの姿が果樹園の外に見えなくなると、パピリカは長々とため息をついた。 「ゆりかさん。黙っていて、本当に申しわけがありませんでしたわ。 いいえ! 隠すつもりはなかったのです! あの子をかばうつもりも、甘やかすつもりも、金輪際なかったのですわ! 本当なら、八つ裂きにしてもあきたらない、馬鹿な小娘ですし、私もあの娘のことは、とうの昔にあきらめていましたからね。器量の方は私に似て、まあ、なんとか見られますけれども、口は悪いし、気も短いし、勝ち気でわがまま、無神経。おまけに、うぬぼれの強い、馬鹿な、見栄っぱりの小悪党ですもの。このまま生かしておいては、あの子のためにならない、この手羽の先で始末した方が、あの子のためだと、何度思ったか知れやしません。本当に手数のかかる、しようのない子ですわ。 まったく、あの娘の出来が悪いのは、あの子の生まれつきのせいなのです。私はあんな小娘のことなど、ちっとも可愛いとは思っていませんし、本当に、本当に、聖アルゴスのつばさのたっとき眼状模様にかけて、これっぽっちの愛情も、かけらほども感じてはいません。そのことは、あの子にも、ちゃーんと言ってありますしね。ああら、どうかしまして?」 ゆりかは笑い出したいのを、懸命にこらえていたが、とうとう大きな声で笑い出してしまった。 「いいのよ。あなたとマデリンが、親子かもしれないってこと、ずっと、ずっと前から、わかっていたのよ。だって―― 」 あなたとマデリンは、誰が見てもそっくりよ、と言いたいのをこらえると、ゆりかはお腹の中に飲み込んでしまった。 「ねえ、パピリカ・パピリトゥス?」 「はい、なんでございましょう、ゆりかさん?」 「お願い、マデリンに優しくしてあげて。あの人は―― マデリンさんは―― 本当はとってもいい人なのよ―― 本当に―― 本当に―― そうなんだから」 パピリカは目をぱちくりとさせていたが、 「―― ええ。そうかもしれませんわね。実はずうっと以前から、わたくし、わかってはおりましたわ。 そうそう、忘れるところでした。つい先ほど、私の従姉妹のペヨルカ・ペヨルスカから、正式の伝書猫便が届いて、隣国のプンデルカンドの様子を知らせてまいりましたのよ。それによると、かの国の支配者のラフレシア大公が、何者かに暗殺されてしまい、目下、下手人と思われる大臣を、兵隊たちが探しているそうですわ。それから、大公殿下のご子息、アヨング・オキさまは―― 本日、神官団と大臣たちが立会いのもと、正式にプンデルカンドのお世継ぎとして、ご即位あそばされる、ご予定だそうですわ」 「まあ、アヨングがお世継ぎに―― 」 「はい、ロデリアさま。ただ、このような事態を受け、アヨングさまのお気持ちの準備が整っていないだろうこともあり、ここ当分は、プンデルカンドのまつりごとに関しては、国務大臣たちが協力して、あたっていくことに決まったそうですわ。本日のお昼すぎにも、プンデルカンドからの正式のお使者が、その旨を伝えにまいられるでしょう、とのこと」 「そうなのね。よかったじゃないの―― 」 「はい、お姫さま。あちらにいる従姉妹のペヨルカ・ペヨルスカの書いて寄こしたことには、お姫さまとアヨング・オキさまとのご婚礼の件も、一方の当事者で、約束をかわされたご当人でもあるラフレシア大公殿下の突然の死により、おそらくは、一時的に条文が破棄されることになるであろうと。そうなれば、わが国王陛下が、あらたにお世継ぎのアヨング・オキさまと、同じ約束をとり結ばぬ限り、例の条文そのものが無効になり、従ってお姫さまは、プンデルカンドへお輿入れする必要は、永久になくなりそう、とのことですわ」 「うわあ! おめでとう、王女さま! おめでとう、パピリカ! 王さまとアヨングが、もう一度同じ約束をするわけは、絶対ないわよ! これで、すべてが丸くおさまったじゃない? “終わりよければ、すべてよし”っていうわけよ!」 「おやおや? あなたの世界のことわざですか? ずいぶん、しゃれたことを言いますのね。あなたの世界のあれこれについては、私も、もっともっと、勉強しなければなりませんかしらね」 そんなゆりかとパピリカの、さんざめくおしゃべりも、王女ロデリアの耳もとを、ただ、いたずらに通り過ぎていくばかりだった。風に吹かれた木蔦の葉のしげりにも似て、ロデリア姫の心は千々にみだれ、生まれてこのかた味わったことのない感情に、年若い王女は襲われていたのだった。 「かわいそうなアヨング―― 。友もなく、親兄弟も、親戚もなく、ただ一人、暗やみの世界に、置き去りにされているのだわ」 そのとたん、激しいあわれみの念が、王女の胸に、ぐはっとばかりに押し寄せてきた。その思いの強烈さに、ロデリア姫は、あえぎたくなるのをこらえたほどだった。 ロデリア姫は、〈出会いの井戸〉で二人きりで会った時の、アヨング・オキの姿を思い出していた。ガラスみたいなうつろな瞳に、ランプの炎の明かりが照りはえて、若者の目は、なんと素敵に、きれいに輝いていたことだろう! そして、ロデリア姫が握りしめた時、若者の手はいかにおどおどと、小鳥のように震えたことだろう! ロデリア姫は、泣きたくなるのをかろうじてこらえると、心の底から湧き上がってくる、ある狂おしい感情に、静かに身をゆだねた。 その時、ロデリア姫の物思いは、ある人物の声にさえぎられた。はっとして前方を見ると、パピリカと見知らぬ女の子とが、自分をながめているのに、ロデリア姫は気がついた。 「どうしたの、ロデリア? 顔色が悪いようだけど、気分でも悪いんじゃないの?」 「いいえ。何でもないわ、ゆりか」 ロデリア姫は、かすかに微笑んで首をふった。その女の子がゆりかであることを、ロデリア姫はようやく思い出したのだった。 「本当に、だといいのですけれどね。お姫さまの今のその目つきは、どこか遠いところをながめている目つきでしたわ。家出の決心を打ち明けてくだすった時が、ちょうどそんな風な目つきでしたわ」 「本当に何でもないったら。パピリカ、おまえ、少し気を回しすぎよ」 「はい、申し訳ございません、お姫さま」 「それより、ゆりかのペンダントの精は、もう元に戻ったの? 確か、ペン子ちゃんとかいうんでしたかしらね? 彼女は無事に、生き返ることができまして?」 「どうなの、パピリカ? 治りそう?」 ゆりかがたずねると、パピリカは深刻そうに首をふり、 「嘘をついても始まりませんからね、ゆりかさん。ペン子は今、計り知れないダメージを受けていますわ。これから全力を上げて、〈復活の儀式〉を執り行うつもりですが、はたして元のペンダントに戻せるかどうか。希望は捨てずに、取り組んでみるつもりですが、ゆりかさんも、どうかお気を落とさずに―― 。 私はこの杖を、人目につかない場所に、捨ててまいりますわ。では、のちほどお会いいたしましょう。お二人とも、失礼―― 」
* * *
それからあとは、かくべつ変わったことも起こらなかった。ただカンバーランド王国の群衆が―― プンデルカンドの変事について、うわさを聞きつけたのだろう―― 王宮の門前の広場に、ぞろぞろと集まって来ると、 「王女さまには、何一つお変わりもなく、王家のご一同は、つつがなくお暮らしあそばされている」 と知らされると、みんなは安心して引き上げて行った。王女さまのプンデルカンドへのお輿入れが、正式にとりやめになったという知らせは、後日、宮廷から国民へ、大々的に発表される予定だった。 その夜、お城の一室で、ささやかな宴が催された。 宴の主賓は申すまでもなく、ゆりかその人だった。 ゆりかのたっての希望もあって、宴に集まったのは、国王夫妻とゆりかとロデリア姫、宮廷大魔法使いのパピリカ・パピリトゥス、そしてごく少数の、王宮に働く人々だけだった。 その中には、あのゆりか付きの侍女のイパメルや、ゆりかの手紙をパピリカに届けてくれた、親切な兵隊のバンカーロさんの姿もまじっていた。バンカーロさんは家族のおみやげにするための、別に取り分けたごちそうの包みを持たされ、満面に笑みを浮かべている。 その場でとりかわされた、熱に浮かされた、とりとめのないやりとりや、この上なく楽しい場面の数々を、いちいちつまびらかにする必要もないだろう。 宴がすんだあとで、ゆりかはパピリカに、外の廊下で耳打ちされた。 「あちらに素敵な贈り物がありますのよ。私のあとについていらっしゃい」 パピリカは先に立って、王宮の廊下を幾度も曲がり、やがて、ゆりかがついぞ足を踏み入れたことのない、王宮の一角の小暗い一室に、ゆりかを連れてきた。そこは一見して魔法使いの物とわかる、あやしげな道具に囲まれた小部屋だった。続き部屋にはかがり火がたかれ、明々と燃える炎のすぐそばでは、黒っぽい人影がうごめいているのが、扉のすき間からのぞけた。 「あなたを待ち受けているものが、あの中にありますのよ。さあ、どうぞ中へ」 パピリカは、その隣にある〈儀式の間〉に、ゆりかを案内した。そこはだだっ広いばかりの、がらんとした空間で、壁には〈永久たいまつ〉の消えずの炎がともされ、部屋のみかげ石造りの床の真ん中ら辺には、円や三角形や四角形を組み合わせた奇怪な図形が、色とりどりの粉チョークを使って、中途まで描かれていた。 血の気を失った、素っ裸のゆりかの分身が、中央の輪の中ほどに、横たえられていた。 ―― ちょうどよかったよ。もう少しで、描き終えるところだったのさ―― 部屋にいた人影が、ゆりかをふり返った。それは、儀式用の黒くて長い魔法マントをまとった、マデリンその人だった。 マデリンは、パピリカと〈魔法組合〉とから、かわるがわるきつく責め立てられ、厳しくお灸をすえられていた。 本来なら、異次元の邪悪な生命を召喚した罪で、ハデスの野辺送りになっても、文句は言えないのだが、そこはパピリカとカンバーランド国王のとりなしもあり、また一つには、まだ若くて、魔法使いとして未熟な面があったことを考慮されて、パピリカが厳しく監督し、教育し直すという条件つきで、最下級の地位に格下げされただけですんだのだった。〈魔法組合〉としても、不始末はパピリカの件だけで十分だったうえ、これ以上、組合所属の魔法使いのしくじりを表沙汰にして、ことをあらだてる気にはならなかったようだ。 マデリンが砂絵を描く、根気のいる作業を終えると、ゆりかはパピリカに手まねきされて、〈儀式の間〉に入った。 「これより、あなたと、あなたの分身の、〈複合・修正・合体作業〉を執り行い、あなたを再合体することにします。儀式を執り行うのは、この私、パピリカ・パピリトゥスと、 ひら ここなる平方士、マデリカ・マデリヌゥスの二人です」 パピリカの言葉に、マデリンがうやうやしくおじぎをした。 「ゆりかさん、どうか固くならずに、こちらの輪の中に入ってください。そうです。ここに立って。どうかしたのですか? こわいのですか?」 「いいえ。大丈夫よ、パピリカ」 ゆりかは歯を鳴らさないように、くちびるをかみしめた。 パピリカとマデリンは、ゆりかの分身が横たわる、すぐ隣の魔法円陣にゆりかを立たせると、まずマデリンが持っていた棒杖を打ち捨てて、白い動物に変身した。それはいつだったか、わかば団地の近くの神社の境内で、ゆりかのペンダントを狙った、あのキツネとイタチの合いの子のような、不思議な格好の生き物だった。 ゆりかが目を見張っていると、パピリカのいたわるような、優しい声が聞こえてきた。 「おどろかなくてもいいんですのよ。私たちタルパの魔法使いは、いつでも好きなように、自分自身を作り変えられるのですからね」 ゆりかがふり返ると、あの人間の大きさのみどり色のクジャクが、ゆりかを見つめて立っていた。 「これからあなたを、元のあなたに戻しますが、心配するにはおよびませんことよ。目を閉じて、ふたたび開いた時には、あなたは元のご自分を、取り戻しているのですからね」 ゆりかは安心して、全身の力を解放した。 パピリカとマデリンが、魔法円陣のまわりをぐるぐると踊り始め、不思議な神聖呪文の魔法歌を歌い出すと、眠気を催させる、とらえどころのない、不思議なメロディーは、たちまちゆりかを、黒い眠りの世界に引きずり込んだ。 ゆりかははっとして、目を覚ました。ゆりかは冷たい石の床に、横たわっていた。まわりでは、炎のはぜる音が、ぱちぱちと聞こえている。 「どうです、一つにあわさったご気分は? どこかご不快なところは、ございませんか?」 「わからない。前と同じ気分よ、パピリカ」 ゆりかは立ち上がりかけ、悲鳴を上げた。 ゆりかは、まったくの丸裸だったのだ。 マデリンが素早くマントを脱いで、ゆりかにかけてくれた。 「お誕生日おめでとう、というところですかしらね」 パピリカがにこりともせずに、ゆりかに言った。 こうしてゆりかは、元の一つのゆりかに、無事戻ることができたのだった。
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とうとう、ゆりかの出発する日がやって来た。 「ここはあなたの住む世界ではありませんからね。あなたのいるべき世界は、ちゃんとよそにあるのですわ。いつまでもあなたがここにいては、あなたの一部はここで腐り果てて、元のあなたの世界へは、永久に戻れなくなりますからね」 まだまだ帰りたくないと言い張ったゆりかに、パピリカはきっぱりと言いきかせた。 よく晴れた、ある朝のことだ。ゆりかとパピリカ、ロデリア姫と国王夫妻が、あの木戸のある中庭の一隅に集まっていた。 ゆりかと一つベッドにくるまって、夕べ、さんざんに泣き明かした王女の目は、ふちまでが赤く腫れ上がっていた。 それはゆりかも同じだった。 一同は、例の怪獣の頭飾りのある木戸の前で立ちつくすと、誰からともなく、顔を見あわせた。 「本当に、国民には知らせなくともよいのかね? 国をあげて盛大に、そなたを見送ってもよいのじゃよ」 ゆりかは、王さまの申し出に首をふると、丁重に礼を言った。 「あなたのことは、生涯、忘れはいたしませんよ。あなたのいた世界に戻ったとしても、あなたは私どもの、大切な、大切な、家族の一員なのですよ」 親切な王妃さまの言葉に、ゆりかは心の底から感激した。 「ああ! 私もゆりかについて行きたい!」 突然、ロデリア姫が叫んで、ゆりかに飛びついて来た。 二人の女の子は、固く固く抱きあい、別れのキスをかわした。 「急ぎませんと、絶好のタイミングを逃してしまいますわよ。ゆりかさんの元いた世界に戻るためには、空中にできる〈光の壁〉を、急いで、急いで、通り抜けなければならないのですわ。早くしないと、絶好のチャンスを、逃してしまいますわよ」 「そうだったわね。今、行く」 ゆりかは、こみ上げてくる涙を手でぬぐうと、ロデリア姫の方は見ないようにして、クジャクの背にまたがった。 パピリカが、首だけをゆりかに向けて、ささやいた。 「マデリンはお見送りには来ませんけれど、どうかゆるしてやってくださいね。あの子は、あれで気に病むところがあって、今度のことでは、心の底からあなたにすまないと思い、あなたに会わせる顔がないとまで、言っていましたもの」 「いいのよ。マデリンにも、気にしないでって、そう伝えてね」 (なんと言っても、最初にこの世界にわたしを連れて来てくれたのは、あの人だもんね) 「出発!」 パピリカがさえずった。 ゆりかは一同をふり返った。 王さまとお妃さまが、ゆりかにうなずいた。 王女さまは今にも泣きそうな顔で、ゆりかをじーっと見つめている。 ゆりかが小さく手をふると、王女さまもゆりかに手をふり返した。 パピリカが、ふわりと浮き上がった。 これ以上は見ていられなかったのだろう、お姫さまは王妃さまに抱きついて、声を上げて泣きじゃくり始めている。 手入れの行き届いた庭園が、あっという間に遠ざかり、みるみるうちに、三人の姿が見えなくなった。 「ああっ、しまった! しまった! わたし、忘れ物をしてきちゃったわ! 王女さまにもらった、大切な〈薔薇真珠のネックレス〉―― あれ、引き出しに入っているはずよ! 取りに戻れない?」 「今からでは、とても無理ですわ! もう間もなく、〈光の壁〉に突入しまああす!」 ゆりかとパピリカは、〈あの夜〉をめがけて飛んで行くところだった。箱根の保養所で、パピリカに化けたマデリンが、ゆりかをだまして連れ去った、あの直前の時刻に。そして、首尾よく戻ることができたなら、ゆりかと入れかわった、替え玉のゆりかを、即刻、退治しなければならないのだ。 パピリカが、空中に現われた光のヴェールに飛び込む寸前、ゆりかは下を見た。 「ああ! もうあんなに小さくなっちゃったわ! もう二度とここには、帰って来られないんだろうなあ!」 ゆりかは、はるか地平線の片隅に、遠くカンバーランドの王城が、灰色にかすんで見えたような気がして、思わずため息をついた。
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