結婚式
予定よりも、四時間ほど遅れて始まったその式は、全体が二つの部分から成り立っていた。一つは、花婿花嫁の〈誓いと固めの儀式〉、そして二つ目は披露宴だ。ラフレシア大公は、この二つの式を利用して、プンデルカンドの支配者としての自分の地位と、息子アヨングの権威とを、いっそう確かなものにするつもりでいた。 本来ならば、プンデルカンドの結婚式とは、由緒正しい大寺院の奥まった祭壇部屋で、ひっそりと執り行われるのがならわしだったのだが、それでは、この結婚式の大々的な見せびらかしにならないので、こうして大勢の招待客の前で形ばかり執り行い、神前への報告は、あとで日をあらためて、またくり返される手はずになっていた。 大公は、式の会場である宮殿の大庭園の、誓約台の真ん前にしつらえられた特別席の座布団に陣取って、花婿と花嫁の入場を、今や遅しと待ちかまえていた。目の前では、先ほどのロデリア姫のあやしい仕草がちらついていたが、しいて考えないように、頭をふって追い払った。数千の招待客たちも、地位や身分やそれぞれの出身国の大小によって、割り当てられた座布団を占め、今や遅しと、式の開始を待ちかまえている。 タルトンテップや、ラル・シンをはじめ、宮廷の主だった面々が、大公の後ろの位置に座を占めると、だしぬけに、青銅製の巨大な銅鑼が何回も鳴り響いて、付き添いの兵士に手を引かれたアヨング・オキが、広場の隅から、誓約台の前まで、たどたどしい足どりで近づいて来た。 おぼつかない足取りのその姿は、父親の大公ですら正視できないほど、痛々しいながめだった。 アヨング・オキが誓約台の前までやって来ると、茶色いすそ長の衣をまとったプンデルカンドの大神官が、台の奥から進み出て来て、不思議な身ぶりで若者を祝福した。続いて、プンデルカンドの兵士につきそわれたロデリア姫が、アヨングとは正反対の方角からやって来ると、いいなずけの若者の隣に、おとなしくひざまづいた。 大神官が祈祷台の上の巨大な祈祷書をひもといて、天に向かってお祈りを始めると、白い衣の僧侶たちが、しずしずと列を作って近づいて来た。台の脇にひかえていた子供たちの合唱隊が、喜びと誓いの歌を高らかに唱和して、僧侶たちが、手にした鈴やほうきやバケツ、熊手やブラシなどの日用品や家庭道具を、二人の若者の頭上で、はでにふり回した。それがプンデルカンドに名高い、〈人生の門出を祝う、祝福の清めの儀式〉なのだった。 客席の後ろの一角で、突如叫び声が上がり、あたりが騒然となった。人々が立ち上がってふり返ると、軍楽隊の服装をして、手に抜き身の剣を持った一人の兵士が、遠まわりに特別席の大公に近づいて来て、その耳もとに何かをささやいた。 「あいわかった。手はず通りにいたせよ」 大公は、おどろいてこっちを見ていた神官や僧侶たちに、手で合図を送ると、兵士には小声で何ごとかを命令し、僧侶たちにふたたび手をふって、儀式を続けるようにと命じた。 「一体、何ごとなので?」 タルトンテップが身を乗り出して、前の座布団のラフレシア大公の、肩越しにたずねた。 「何でもない。ただの謀反(むほん)だ」 「た、ただの―― む、謀反!」 「さよう。今日、兵士たちの中にしめしあわせて、わしとせがれの命をなきものにしようと、たくらんでおった者がいたのだ。なあに、幸い、わが方に内通する者があって、こちらも待ち受けておったのだがな。張本人が誰かも、ちゃんとわかっておるのだぞ。 そやつは滑稽にも、わしがこの国の正当な支配者ではないことを恨み、このわしを成敗するとか、称しておったそうだが―― のう、ラル・シンよ? おまえは、そやつのことをどう思う? おや、震えているのか? いかがいたした、ラル・シンよ?」 「い、いいえ―― め、めっそうも―― ござ―― ございません―― は、腹のぐあいが―― 少々―― お、おそらくは―― ひ、昼ごはんの食べあわせが―― お、お、お、おかしかった―― せ、せ、せ、せいでしょうかな―― し、失礼して―― ちょ、ちょっくら―― か、か、か、かわやの―― かわやの方へ―― 」 「待て、待て。よいではないか。おまえの腹におさめたものは、あとで兵士たちが、一つ残らず剣で取り出してくれようぞ、おまえのその胴体をかっさばいてな」 いつの間に現われたのか、二人の屈強な兵士たちが、両側からラル・シンの腕をつかんで、立ち上がりかけたラル・シンを、無理やり座布団に着かせた。 「小人は小人らしく、おとなしくしておればよいものを、おのれの器量をあやまり頼み、とんだ考え違いをしたな、ラル・シンよ? おまえにとっては、この世で見る最後の晴れ舞台だ。わがせがれアヨングの姿を、とくとごろうじろ。そのあとは、どこへなりと行くがよいぞ」 「―― お、お、お、おおせ・・・ご、ご、ご、ごもっともかと・・・」 騒ぎの起こった一角では、軍楽隊に扮した兵士たちが、鎖かたびらで武装した別の兵士たちの一団を取り囲んで、力づくで広場の外へと、連れ出して行くのが見えた。 それから何ごともなく、式は続き、とうとう〈腕輪の誓い〉の番がきた。それはこの儀式のクライマックスで、若い二人の男女が、おたがいの両手首に、特別に作らせた銀の腕輪をはめあうと、それで二人は永久に、結ばれたことになるのだ。これは私たちの世界でいうところの、結婚指輪の交換にあたるもので、プンデルカンドの神話に名高い、火の神エンゲと水の女神エステルの、悲しい駆け落ちと死の渡りに由来していた。 正装した二人の男の小姓が、黄金の小箱に入れた二つの銀の腕輪を、台の前にぬかづいた若い二人の男女の前に差し出すと、アヨングが手探りで、銀の腕輪を箱からつまみ出し、王女が右手首を差し出した、まさにその時―― 天がにわかにかき曇り、どす黒いしみのような雲が、宮殿の上空を見る見る覆った。激しい雷鳴がとどろくと、あやしい風が吹き始めた。 二すじのみどり色の光の矢が、突然、ぎらぎら光りながら、一直線に会場めがけて飛んで来た。 「何ごとぞ!」 光の矢は、誓約台すれすれの地面に突き立ち、黒いフードつきのマント姿のあやしい老婆と、同じく黒いマントをはおった、小柄な女の子の姿に変わった。 「おお! 皆の者、用心しろ! 宮殿魔法使いは、どこにおるのだ!」 「お待ちください、大公さま! 私たちは、あやしい者ではありませんわ! あなたさまが、プンデルカンドのご領主、ラフレシア大公さまですのね?」 謎の老婆が、不思議に張りのある大声で叫んだ。 「ううむ! いかにもその通りだ! して、その方らは?」 「ご無礼の段、ひらにご容赦! てまえどもは、カンバーランドの王宮から、まいりし者!」 「何、カンバーランドから? まさか天の一角から、このたびの儀式に、参列しようとしたのではあるまいな?」 「いかにも、そうではありませんことよ!」 謎の老婆が説明しかけた時、二人の侵入者の前に、ピンク色のつばさをばたつかせて、あのピンク色のフラミンゴ、ペヨルカ・ペヨルスカが飛んで来た。 「大公さま、先ほどの謀反人の始末に、少々手こずりましたわ!」 「おお、ペヨルカじゃありませんか! ずいぶんお久しぶりですわね!」 ペヨルカはいぶかしげに、謎の老婆を見た。 「わたくしですよ。あなたの従姉妹の、パピリカ・パピリトゥスですよ。気がつきませんか?」 言うが早いか、謎の老婆の姿は一瞬にして、みどり色のクジャクに早変わりした。 「おお、パピリカ! 私の従姉妹だったのね!」 「そうか! そちにゆかりの者であったのか! だが、なにゆえに、このような出現を? 返答しだいでは、容赦はせぬぞ!」 「大公さま、そうやって威張っていられるのも、今のうちですよ! そこにいる、そのお姫さまの正体を、お知りになりたくはないですか?」 パピリカが、誓約台の後ろで震えていたロデリア姫を、冷たいまなざしでふり返った。クジャクがみどり色の光線を目から放ち、光に打たれてロデリア姫の姿がかき消えると、かわって現われたのは―― 「マ―― マデリン!」 パピリカのそばにいた女の子が叫んだ。 ゆりかに名前を告げられて、若い魔女はぎょっとなったが、すかさず両手から稲妻を発すると、近くにいた十数人の招待客たちが、いっせいになぎ倒された。 「こ、こやつ! カンバーランドの姫では、なかったのか!」 「本物のロデリア姫は、ここへ来る途中、あやかしの魔法にかけられて、ある場所へ閉じ込められたのですわ! 取り巻きの兵士たちもいっしょにです! 私とこの子は、からくも脱出して来たのですわ!」 「そ、そうか! さようであったのか!」 パピリカは震えているマデリンをふり返った。 「マデリン! どうせ、このたびの計略は、おまえの頭から出たものではあるまい! 言いなさい! 誰がおまえをあやつっているのですか? おまえの後ろにいて、私たちをたぶらかせているのは、一体、誰なのですか?」 マデリンはうちひしがれたように動けなくなって、パピリカとゆりかを見つめていたが、突然、一同の心に、黒い魔法が流れ込んできた。 「いけません! あの目を見つめてはいけませんわ!」 そのとたんに、にせのお姫さまに付き添っていた、あの奇妙な白い小動物が、マデリンの前に、ちょろちょろと走り出て来ると、 「マデリンさま! ここはひとまず、安全な場所へお逃げください!」 白い動物は叫んで、つぎの瞬間、イゴールに変わった。 イゴールはたちまち、巨大な三つ首の竜の化身に変身すると、竜の大いなるつばさのはばたきが、地上のあらゆる人々と椅子と装飾品をなぎ倒して、根こそぎ上空に吹き上げた。 「ペヨルカ! この子を頼みましたわよ!」 パピリカがゆりかを従姉妹の方に突きとばしてから、みどり色の光を発して、とてつもなく巨大な一頭のグリフォーンに変わった。グリフォーンはイゴールの竜めがけて、すごい勢いで食らいついていった。 背中に鳥のつばさと、ヘビの尻尾を持った、巨大なライオンとワシの合成動物であるグリフォーンは、イゴールの変身した三つ首の竜ののどくびたちをめがけて、しきりと噛みつきに行ったが、そうはさせじとイゴールの竜も、長い尻尾でグリフォーンの背中を打ち、すごい速さで回転し始めた。 二匹の怪物はすさまじい咆哮とともに、プンデルカンドの上空を死に物狂いで暴れ回り始めた。二匹のつばさが突風を巻き起こし、恐ろしい笞となって、大地を吹き荒れた。 「あんた! こんなところにいたら、吹き飛ばされちまうよ! 安全なところへ、早くお逃げ!」 「う、うん! わかったわ!」 ペヨルカにつばさの先でこづかれたゆりかの目が、誓約台のそばで震えていたアヨング・オキの姿をとらえた。かわいそうに、アヨングは何が起こっているのか、わからないらしく、突然吹き荒れた強風の中で、必死に誓約台にしがみついている。 ゆりかは、自分でもよくそんなことができたなと思うくらい、無我夢中になって風の中をアヨングに駆け寄り、うむを言わさず、わかぎみを安全な場所まで引きずって行った。 アヨングの父のラフレシア大公も、ほうほうの態で逃げていた。 突然、大公はするどい痛みを、わき腹に感じて、体がほてってくるのに気がついた。 見下ろすと、大公の晴れ着のわき腹のところから、血にまみれた、見なれない剣の切っ先が飛び出している。 ゆっくりとふり返ると、刀のつかを握りしめたラル・シンが、震えながら立っていた。 ラル・シンの真剣な表情に、大公はつい、おかしくなって吹き出した。 そのとたん、ごふごふごふと血を吐き出すと、ラフレシア大公はその場にあおむけに倒れて、死んだ。ラル・シンは大公のわき腹から刀を引き抜こうとして、そんなことをしても無駄だと悟ると、死体をその場にうっちゃって、逃げて行った・・・。 上空では、三つ首の竜とグリフォーンの死闘が、あいかわらずの激しさで続いていた。 三つ首の竜は、両手と両足をいっぱいに伸ばして、背中のグリフォーンをふりほどこうと、懸命になってもがいたが、そのたびに相手は、イゴールの竜にあらためて馬乗りになると、三つある竜ののどくびに順番にかぶりついて、容赦なく精気を吸いとっていく。 水色のもやもやした精気が、傷口から流れ出ていくたび、イゴールの竜は見る見るおとなしくなった。 やがて、尻尾がだらんと垂れ下がると、三つ首の竜の巨大な体が透明になり、イゴールの竜は消滅した。
グフォルルル―― ―― ―― │ン!
グリフォーンは勝ちほこったようにいなないて、ゆっくりとつばさを折りたたんで、宮殿の中庭に着地した。 その姿が一瞬で、みどり色のクジャクに戻った。 「パ、パピリカさん!」 ゆりかと、ペヨルカと、ゆりかに手を引かれたアヨングが、おっかなびっくり近づいて行くと、 「みなさん、ご無事で何よりでしたわね」 「あ・・・ありがとう、パピリカ。こ、こ、こ、この人も・・・ぶ、ぶ、ぶ、無事よ・・・」 ゆりかはしどろもどろに、アヨングを指さした。 若者はいずれ事情を知るのだろうが、今は何が起きているのかわからないらしく、途方に暮れたように、立ちつくしている。 「見てよ! あの女が変身して、逃げて行くよ!」 ゆりかが上空を指さして、叫んだ。 巨大なつばさを持った一羽の鳥が、北の方角をめがけて飛んで行くのが、大空を背景にくっきりと見えていた。 「ゆりかさん、私の背中にお乗りください! あなたをここへは、置いていけない! 追跡しますよ!」 「ええっ、あなたの背中に乗るの、パピリカさん!? わかったわ! これでいい?―― けど、お姫さまや、ここの兵隊たちはどうするの?」 「それはあとの心配です! ペヨルカ、あなたも来てくださいますね? 味方は大勢いた方が、心強いですわ!」 「ああ、いいとも! いっしょに行くとも! と言ってやりたいところだけど、あいにく、私はここに残らなきゃ。わかぎみ一人を、置いていくわけにはいかないからね!」 「ペヨルカ、おまえも行くのだ! 行って、おまえのつとめを果たせ!」 アヨングが盲いた目をあらぬ方角に向けて叫んだ。 (この人は、なんて勇敢な人なんだろう!) ゆりかはアヨングの言葉に、心の底からの感動をおぼえた。 「それではお言葉に甘えまして、わたくしのつとめを、果たさせていただきとうぞんじますわ、殿下」 ペヨルカがくちばしの先で、アヨングの礼服のそでを、無理に引っぱった。 「な、何をするのだ!」 「ごめんね、パピリカ。あたしはこの方を、危険にはさらせないんだよ。何しろ、このありさまを見てごらんよ」 ペヨルカはそこかしこでうめき声をあげている、僧侶や招待客や大勢の兵隊たちを、くちばしで指し示した。 「わかったわ! 私たちだけで行きましょう! パピリカ! 早く! 早く! 早く!」 「承知いたしましたわ、ゆりかさん!」 つばさを広げて、パピリカがふわりと浮き上がると、 「気をつけてよね! 相手はなかなか手ごわそうだから! あやかしになんか、たぶらかされないでよね!」 アヨング・オキの、滅茶苦茶にふり回すこぶしをよけつつ、ペヨルカが上空の二人に向かって、大声を張り上げた。
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