不吉な花嫁
「遅い! 遅いぞ! あやつらは何をしておるのだ! ひょっとしたら、この期におよんで、俺を裏切るつもりではあるまいな?」 プンデルカンドの支配者にして、わかぎみアヨング・オキの父親、“黒イノシシ”とあだ名された、ラフレシア・フリギア・ヨニモオオキナ大公は、落ち着かぬげに司令官部屋の中を行きつ戻りつしつつ、壁に掛かった金細工製の大時計を、ちらちらと見上げた。 「ええい、誰かある! 俺付きの従者はどうしたのだ? 誰かいないのか?」 大公は、今朝早く隣国から届いたスパイの報告で、昨日、カンバーランドの首都で暴動に近い騒ぎが起き、かの国の国王が、夜中から早朝にかけて、国中に軍隊を配置したことを、すでに知っていた。 ふに落ちないのはつぎの報告で、プンデルカンドに嫁ぐのはロデリア姫ではなく、異国から呼び寄せたという、見たことも聞いたこともない名前の姫ぎみだとのことだった。 (ロデリア姫を渡したくない、カンバーランドのたくらみか? はたまた、新しい秘密兵器のことか? 何しろ異国には、そらすさまじい威力の、火薬や爆発物を生み出す、恐ろしいばかりの知恵者がおるそうな。聞くところでは、その賢さでは、われらの国の学者たちも遠くおよばないらしいぞ。魔法とあやかしとで、骨の髄までたぶらかされた、われら内陸の民とは異なり、海ぞいの国々では、『科学』とか『数学』とか称する“新しき名前の知恵”がもてはやされているそうだが、よもやカンバーランドの連中、そういった国々の一つと取り引きをして、何らかの武器を、手に入れたのではあるまいな?) 大公は、緞帳のそばに垂れ下がった呼び鈴のひもを引き、大公付きの家来を呼ぼうとした。 だが、考えを変えると、またさいぜんのように、行きつ戻りつをくり返した。 真紅のだっぷりとした礼服を頭からかぶった、油断のならない人相のあごひげの小男が、うかがうように、入り口の垂れ幕の下から姿を現わした。 小男はしばらく、もじもじしていたが、 「おお、ラル・シンか? 何の用なのだ?」 皆さんは、この小男の大臣をおぼえているだろうか? アヨング・オキに、ロデリア姫の手紙を取り次ぎ、二人を会わせるきっかけを作った、あのプンデルカンドの小ねずみのような大臣を。 「あやつらが着いたのか?」 「いいえ、まだにございます、陛下」 ラル・シンはまごつきながらも、小腰をかがめて、もみ手をせんばかりに、くどいほどのおじぎをくり返した。 ラル・シンがぺこぺこしているのを見て、大公の心に、意地悪な考えがふとわき起こった。 「祝いの酒だ。やるがよいぞ」 大公はグラスを取り出すと、入り口でかしこまっていた大臣に、棚から取り出したマール酒のびんの中味をついで、差し出してやった。 「おお、これはこれは。かたじけのうぞんじます、陛下。ご遠慮なく、ちょうだいつかまつります」 小男の大臣は舌なめずりをすると、両手でグラスをおしいただき、ちびちびと火のように熱い、血の色をした酒を飲み始めた。 大公はさりげなく切り出した。 「のう、ラル・シンよ。そなたはわが息子の嫁となる、カンバーランドの王女を、いかが見るか?」 ラル・シンはグラスをいったん放すと、なでるようにくちもとを、しんちょうに指先でぬぐった。 「さようですなあ。わが輩、しかとはお答えいたしかねますですなあ。何しろ、わが輩、カンバーランドの王宮には、つてもゆかりもございませぬもので、くだんの王女がいかなる人物か、皆目、見当もつきかねますものでしてなあ」 「したが、うわさぐらいは、耳にしておろうがのう」 「うわさなど、下賎のやからのすることですな。わが輩、うわさと賭けごとに関しては、とんと興味がありませぬものでして」 「ふふん、上品なことだな! そうは言っても、カンバーランドの王国から、手紙の一本くらいは、受けとったことがあるであろう、なあ、ラル・シンよ?」 ラル・シンはふたたび含んでいたグラスの酒を吹き出し、あわててくちもとをぬぐった。大公がにやりと笑うと、おかっぱ頭の小姓が入って来て、 「陛下―― (大公は宮殿では、自分のことをそう呼ばせていた)―― ただ今、峠の守備隊から、早駆けの伝令がまいりました」 「そうか! やつらがやって来たのか!」 「いいえ。伝令が申すのには、王女の一行は、まだ現われないとのことにございます」 「ええい! 連中は何をやっておるのだ! このわしに恥をかかせる気か! 峠の守備隊に使いを出せ! 国境を越えて、王女を迎えに行くようにとな!」 「な、なりませぬ! なりませぬ、大公さま! そんなことをすれば、国境侵犯になりまする! 相手にむざむざ、戦争の口実をくれてやるようなものでして!」 「馬鹿め、ラル・シン! 言われいでもわかっておるわい! まったく、今日がいかなる日か、奴ばらめも、承知せぬはずはあるまいに!」 大臣のラル・シンは気をきかせて、ラフレシア大公の手から酒びんをもぎ取ると、自分のグラスにそそいで、大公に差し出した。大公はグラスを受け取り、中味を一気にあおったが、そのとたんに、ひどくむせかえった。ラル・シンは大あわてで、大公の部屋を飛び出して行った。 しばらく急ぎ足で回廊を行くと、礼服姿のアヨングと、同じく正装した太っちょ大臣のタルトンテップが、ひそひそ話をしているのに出くわした。 ラル・シンはすり寄るように、近づいて行くと、 「おお、これはこれは、わかぎみさま。このたびはおめでとうござりまする」 「おお、その声は、ラル・シンかい。先ほど外を通りかかったら、父上はひどくご機嫌が悪かったようだが、カンバーランドのご一行は、まだ到着されないそうだな。今、タルトンテップとも話しておったのだが、王女は、もはや来られないのではあるまいか。今日の結婚式は、くり延べにしたらどうだ。そちはどう思う?」 「くり延べとは、これは気の早いこと。先方さまが遅れているのは、ちょっとした手違いがあってのことでしょう。うら若い乙女御のことでもあれば、存外、衣裳合わせに手間どっておられるのではありますまいか?」 「ふうむ。そういうものであろうのかのう?」 ラル・シンは、落ち着かなげに、見えない目であたりを見まわしているわかぎみに、ふと意味ありげな笑みをもらした。それから、うやうやしくおじぎをすると、静かにその場を離れて行った・・・。 ラル・シンが長い長い回廊を幾度も曲がって、広い庭園の一角にある、こぎれいな水盤のほとりに出ると、あちこちで叫び声があがり、ロデリア姫の到着を知らせる、大銅鑼の音が響き渡った。ラル・シンは水盤の水で手を洗うと、結婚式の大会場のある庭園広場の方角へ、そそくさと走り出して行った・・・。
* * *
「大公さま、遅れましてあいすみませぬですわ。先導役が道をあやまり、半時かそれ以上ものあいだ、シドンの森の中を、さまようておりましたものですから」 カンバーランド王国の姫ぎみロデリア・ユキノームは、たった一人、ラフレシア大公の司令官部屋に通されると、大公の前にうやうやしくひざをついて、おじぎをしながら言った。 「よい、よい。あやまちは人の常だわい。先導役には、むちを食らわせればすむこと、すむこと。それよりも、即刻、式を執り行いたいものだがのう、姫や」 「もとより、この私に、何のさしつかえのあろうはずも、ございませぬですわ、大公さま」 ロデリア姫は、長椅子に腰かけたラフレシア大公を、まっすぐに見上げた。姫の体は、薄紫色のヴェールでできた花嫁衣装に包まれ、あでやかな中にも、この世のものとは思われぬ、薄気味悪い妖気を漂わせている。 (こやつ、まことに隣国の王女であろうのかのう? 俺は夢かまぼろしを、見せつけられているのではあるまいか?) 大公はふと、窓の外に視線をそらした。姫のむっちりした手が伸びてきて、礼服の下からのぞいている、大公のむきだした、ごつごつしたたくましいひざに触れると、大公はぎょっとして、王女を見下ろした。 姫の足もとにいた、四つ足の白い、イタチのような小動物が、聞きなれない、奇妙な鳴き声を上げた。 ラフレシア大公は、巨大なあごと丸太のような首、がっちりしまった厚い胸に、たくましい太ももをした、見るからに凶暴そうな巨漢だった。しかし、大公が力に頼るだけのでくのぼうだと思ったら、大間違いだ。実際、大公のごつごつした外見は、すぐれた頭脳の働きをごまかす、かっこうの隠れ蓑になっていたのだ。 大公はあらためて、今日から義理の娘になるロデリア姫の、あまりの底知れぬ美しい横顔に見入った。 そこにいたのはあでやかな、不吉な香りのする、ひとつまみの花だった。 暗い真珠色の空の下、地下迷宮の奥にひっそりと咲く、たわわな半透明のつぼみ。 あまやかな吐息にも似た、そのやわらかい花弁が、ふるえがちにわななきつつ、今、開こうとしている。 大公はその花びらを思いきって、むしり取りたい衝動にかられた。 だが、それとは反対に、大公の心に、ある打ち消しがたい、おぞましい声がささやいた。 この世界はあたしの物だよ。 あたしが全部、全部、いただくからね。 全部、全部、あたしの物なんだよ。 大公があらためて、ぎょっとして姫を見つめていると、さいぜんの赤いタイツの小姓がまた入って来て、王女の供の者が見えなくなったことと、式の準備が整ったことを、大公に告げた。 「供の者は、こちらに着きしだい、帰ることになっておりましたわ」 「そうか、そうか、姫。聞いた通りじゃ。式の用意をいたせよ」 大公が深い深い眠りから覚めたように、椅子の背に置いた、高価な赤いローブをはおると、ロデリア姫は薄気味悪い笑みを浮かべて、こくんとうなずいた。 あの姫の足もとの白い小動物が、とがった鼻を、くーんくーんと、二度鳴らした。
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