嫁ぐ日
そうしてついに、お輿入れの当日になったのだった! その日は朝から、てんてこ舞いの忙しさで、大臣から侍従頭、新しい門番からうまや番まで、上を下への大騒ぎ。あらかじめ何をするのか、決まっていたはずなのに、あれはどうしたの、これは違うの、ついにはまるっきり予定を変更して、一からやり直さなくてはならないことも出てきた。それでも、どうにかこうにか準備が整うと、あとはお姫さまをお見送りするばかりになった。 ゆりかと王女は早々に目を覚まし、おはようのあいさつもかわさないうちから、待ちかまえていた女官と侍女たちの大群につかまり、無理やりお城の王家専用の浴室へ連れて行かれると、頭からきつい香りのする香料入りのお風呂にひたされた。 ツキノヒカリバナやラベンダー、その他、幾種類もの花びらがお湯に浮かべられ、二人の少女は頭のてっぺんからつま先まで、念入りにみがき上げられた。それが幾度かくり返されると、さしものゆりかも妖精のように、花の香りにつつまれた。二人は、いい匂いのするタオルでくるまれ、宮廷女官長の手で〈着つけの間〉へと運ばれた。大きな姿見が二つ用意されたその部屋で、二人の着つけが開始されると、ゆりかとロデリア姫は生まれたままの丸裸にされ、ゆりかは恥ずかしくて死にそうになったが、王女は前や後を隠そうともせず、平然と鏡の中を見つめている。侍女たちは、王女とゆりかの髪を幾度も長い櫛ですいて、さらさらした風のようになるまでとかしつけると、見るからに高価そうな下着で、二人をあっという間にくるみ込み、二人の少女を見映えのするレディーへと仕立て上げた。それがすむと、ゆりかはあつらえたばかりのきれいな花嫁衣装をまとわされた。 すその広がった、吊り鐘型の花嫁ドレスは、ブルーとラベンダー色が織りなす、肩のこらない優雅な生地で織られている。たった一晩で仕上げたとは思えない、優美なそのシルエットは、腰のところで幾重にも巻いた帯が、ゆりかのウエストを締められるだけ締め上げる工夫が必要で、ゆりかは着つけが終わる頃には、すっかり息苦しくなったほどだった。王女はゆりかにくらべて、はるかに見劣りのする、付き添い用の地味なドレスを身につけている。ゆりかが王女に、ドレスがきつくないか訊こうとした時、ドアが開いて、侍従頭に引き連れられた、首相と国務大臣の一行が入って来た。女官と侍女たちが後ずさりをすると、高官たち一同は、うやうやしく二人の少女に近づいて、まずは王女に、続いてゆりかにも、同じだけていねいにあいさつをした。王女が答礼を終えると、侍従頭はゆりかを見た。 「・・・あ・・・あの・・・あの・・・ど・・・どうも・・・ご・・・ごていねいに・・・どうも・・・です・・・」 侍従頭はそれに対して、すこぶるていねいにおじぎをした。吹き出す者は誰もいない。 首相や式部大臣やほかの大臣一同が、お祝いのあいさつをかわるがわる申し述べ、二人のプリンセスたちが答礼のあいさつを申し述べると、長ったらしい儀式にも似た時間は終わり、二人の少女は侍従頭を先頭に、〈着つけの間〉を後にした。女官と侍女たちはその場にひざまづいて、ゆりかと王女をお見送りした。 二人の少女と大臣たちとお役人の一行は、城の長い廊下を一列になって歩き、曲がり角を幾度も曲がって、〈謁見の間〉に到着した。 隣の〈玉座の間〉に入る前に、もう一度うやうやしく、侍従頭と大臣一同は、王女とゆりかにおじぎをした。侍従頭は、二人の少女をともなって、王と王妃の待つ〈玉座の間〉に入った。 「待ちかねたぞ、侍従頭」 立ち上がりかけたものの、威厳をそこなわぬ程度に、王は落ち着いたそぶりで、玉座に座り直した。 「そなたら、支度はあい整ったのだな?」 「はい。姫ぎみさまにおかれましては、つつがなくお支度をば、あい整えられまして―― 」 「よいよい、侍従頭。まわりくどいあいさつは抜きじゃ。その方は外で待っておれ。悪くは思うなよ。姫たちには、わしと妃から話があるものでな」 侍従頭は、王の心中を察してか、うやうやしくおじぎをして、後ずさりをして出て行った。 「おお、ロデリア! ロデリア! わたしの可愛い、いとしい娘―― !」 お妃は真っ青な顔で椅子から立ち上がると、盲いた人が歩くように、前のめりに近づいて来た。 それよりも早く飛び出したのは、ロデリア姫の方だった。 「おお―― お―― お―― お母さま!―― お母さま!」 ロデリア姫はお妃の腕の中に飛び込むと、まるで赤ん坊のように、声を上げて泣きじゃくり始めた。 「―― おお!―― おお!―― 私の―― お腹を痛めて生んだ―― 可愛い―― いとしい娘!―― どうか―― どうか―― ゆるしておくれ!―― おまえをこんな―― ぜひもない窮地に追い込んでおいて―― 何一つ―― 手助けしてやることもできない―― 無力で―― 愚かな―― 私たちのことを―― !」 「―― いいえ!―― いいえ!―― そんなことは―― そんなことは―― ありませんわ!―― 私はこの―― カンバーランド王国の―― お世継ぎに―― 生まれて来られて―― こんなに―― こんなに―― 幸せなことは―― ありませんでしたわ!―― お父さまと―― お母さまの娘に―― 生まれて―― 生まれて―― 来られて―― 私は―― 私は―― 私は―― 本当に―― 本当に―― し―― 幸せ者でしたわ!―― もしも―― もしも―― この世に―― もしも―― 生まれ変わりということが―― もしも―― あるならば―― 私はかならず―― かならず―― かならず―― お父さまと―― お母さまの娘に―― 娘に―― 娘に―― 娘に―― きっと―― きっと―― また―― かならず―― かならず―― かならず―― 生まれ変わって―― まいりますわ!」 「おお! よう言うた、姫や!」 涙で声をうるませ、精一杯の威厳を込めて、王さまはうなずいた。 「それでこそ、まことにわが王国の受け継ぎじゃよ。わしと妃の生んだ、まことの子供だわい。行っておいで。おまえの勇気と知恵と明るさとで、かの国に、わが王国の威厳と栄光と不屈と忍耐とを、見せつけてやるのじゃよ」 それを聞いて、ロデリア姫は涙をふき、あごを上げ、国王と王妃に力強くうなずいた。 「そなたにも、迷惑をかけますね、お客人」 王妃が突然、ゆりかをふり返ると、ゆりかはしどろもどろに、 「い、いいえ―― そんな―― と―― とんでもない―― こと―― ことです―― はい」 「そなたのことも、忘れたわけではないぞ。今日一日の辛抱じゃ。がまんして、務めを果たしてくれい。そなたの分けち身をとり返すという約束は、かならず、かならず果たすぞ。国王の威厳と名誉と王権と、この冠とにかけてな」 「そんな―― そんな―― わたしは―― そんな―― 」 ゆりかは言いたいことが山ほどあって、何を言っていいのかわからなかった。 ただ王さまと王妃さまに、黙ってうなずいてみせた。 「姫たちを、あい頼む」 手にした笏を叩きつけて、侍従頭を呼ぶと、国王は低い声で、侍従頭に言い渡した。 「くれぐれも体に気をつけて。それだけは頼みましたよ。向こうへ着いたら、あちらの殿下の言うことをよく聞いて、あなたにゆだねられた義務を、全身全霊で果たすのですよ。あなたがこの国の出身なのだということを、片時も忘れないでね」 王妃の言葉に、ロデリア姫は子供じみた仕草でうなずくと、涙の残りしずくをぬぐいながら、 「向こうへ着いたら手紙を書きます。毎日、毎晩、毎昼ごとに」 「そうじゃ。嫁ぐと言っても、たかが隣国。案ずるより、産むが易しじゃよ」 侍従頭に付き添われて、ゆりかと王女が部屋を出て行く時、ゆりかは玉座の方をふり返ったが、ロデリア姫はこわい顔をして、一度も玉座をふり返らない。 王宮にある至聖礼拝所に、一行はおもむくと、クジャクの神さま、聖アルゴスをまつった巨大な木の祭壇の前に二人の少女はぬかづいて、至聖大祭司と律法祭司長とから、祝福と守護のまじないを、それぞれに受けた。それがすむと、あとは出発を待つばかりとなった。ゆりかはパピリカに会いたいと願ったが、首から下がった〈みどりのしずく石〉のペンダントを握りしめるのが、今は精一杯だった。 ゆりかと王女を乗せるための、屋根のない、向かい合わせの座席のついた、黒い四輪馬車が、お城の中庭に横づけされていた。 きれいな銀色のぴかぴか光る鈴でかざられた、十六頭仕立てのユニコーンたちにつながれたその儀装馬車は、宝石をちりばめた螺鈿細工の千花模様に、車体全体がいろどられ、目もくらむようなきらびやかさだった。御者は、銀糸で幅広のえりの縁を縫いとった、黒いビロード仕立ての上等な礼服を着て、黒いしゃれた羽根飾りのついた、黒いビロードのつば広の礼装用帽子をかぶり、黒いビロードのつやつやした礼装用手袋をはめ、黒い手綱を真面目くさった顔つきで、固く握りしめている。 ゆりかと王女が、侍従頭と見送りの大臣たちにともなわれて、その場に姿を現わすと、盛大にファンファーレが鳴り響き、御者は帽子をとって、二人の公女たちに、深々とおじぎをした。 短くも厳粛なセレモニーが執り行われ、王宮につかえる人々の涙を誘った。 「ロデリア姫さま、ユリイカ姫さま、ご出立!」 式部大臣の叫び声に、軍楽隊がマーチをかなで、義杖兵がサーベルを抜いて、王女とゆりかに敬礼をすると、並みいる兵士たちが、気をつけの姿勢をとった。 御者が馬車のドアを開けて、大臣や家臣たちが、これ以上は曲げられないほどに、深々とおじぎをした時―― 「待っとくれようっ! 待っとくれえっ! あたしも乗るんだからさあっ! 置いてきぼりにせんどくれようっ!」 黒いフードつきのマントを着た、大柄な老婆が一人、あわてふためいて、転がるように儀装馬車に駆け寄って来た。 「年はとりたくないもんだねえ。あやうく寝過ごしちまうところだったよ。ニヒヒヒヒ」 歯のない口でにたにたっと笑い、ゆりかとロデリア姫に、なれなれしくウインクをした。御者がしかめ面でドアを押さえつけてやると、侍従頭とロデリア姫とで、しわくちゃのそのおばあさんを、手で押し込むように儀装馬車に乗せ、ロデリア姫が、続いてゆりかと侍従頭が乗り込んだ。 (このおばあさんは、誰かしら? どこかで会った気がするけど―― 。ああっ、そうか! お姫さまが〈出会いの井戸〉に来た時、お姫さまと一緒にいたおばあさんだわ!) 〈出会いの井戸〉のほこらに近く、ロデリア姫を乗せた駕篭が到着すると、このおばあさんがどこからともなく急に現われて、うやうやしくロデリア姫に手を貸す場面が、ゆりかの脳裏によみがえった。 (へえ。今までいっぺんも会わなかったけど、この人は誰かしら? ロデリア姫の乳母か何かかな?) お姫さまが外国にお輿入れをする時、お姫さまを育てた乳母が、よく一緒について行くことがあるのを、ゆりかは本で読んで知っていた。 ゆりかが黙ってロデリア姫を見ると、王女はひざに置いた手をきつく、きつく握りしめ、ぎゅっとくちびるをかみしめている。 (いよいよだわ! いよいよ、大芝居の始まり、始まりぃ! 神さま、仏さま、イエスさま、アラーの神さま! どうかお助けください!) 先導役の騎馬兵たちが、隊列を組んで行進し始めると、馬車がいきなり動き出した。ゆりかはペンダントを、固く固く握りしめた。 馬車が城門を出たとたん、広場にあつまっていた群衆から、わあっというどよめきが起こった。群衆は本当に王女さまが結婚する意志がないのか確かめるため、門前の広場にやって来ていたのだ。 馬車の中にロデリア姫を見つけて、人々は息を飲んだ。 が、その隣にゆりかを認めて、ほっとした様子で、さらなる歓声を上げた。 「手をふってください! 手を! 手を!」 侍従頭の声に、ゆりかがあわてて、両わきの群衆に手をふると、 「ユリイカ姫さま、万歳! 万歳!」 「万歳!」 「万歳!」 「万歳!」 「万歳!」 群衆が口々にわめき声を上げた。 馬車は目抜き通りを抜けて、ユニコーンの鼻先を左へと向けた。そこから三十路里ばかり東へ行くと、町はずれの有名な、とある木橋にたどり着く。かぐわしい花の季節にもなると、その木橋の下を流れるすみきった小川には、風車そっくりの形をした色とりどりの花々が、いくつもいくつも上流から流れてくるのだ。人々はその花をピグル(巡礼花)と呼んで、部屋の飾りにしたり、押し花にして、手紙にはさんで送りあったりしていた。 「もっと早く走ってくれないかな。手が痛くなっちゃう」 ゆりかがつぶやいたとたん、手のしびれがぴたりと取れた。 馬車はがたがた揺れる田舎道を、ゆっくりと国境の森をめがけて登り始めていた。 カンバーランド王国は、周囲を森に囲まれた、みどりの小王国だった。馬車は取り巻きの木立ちのあいだを通り抜ける、一本の舗装されていない小道を、ユニコーンに引かれて遠慮がちに進んで行く・・・。
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