最後の夜
ゆりかは、最初は何が起こったのかわからず、しばらく目の前の群衆を、ただぽかんとながめていた。 おどろいたのは、ゆりかだけではない。 ゆりかと同じくらいあっけにとられていた群衆も、つぎの瞬間、割れんばかりの拍手と歓声で、王女のこの宣言を受け入れた。 「王女さま、万歳! ユリイカ王女、万歳!」 「万歳! 万歳!」 「万歳! 万歳!」 「早く門を閉めさせて、お父さま!」 「おまえたち、急いで門を閉めよ!」 まだよく事情を飲み込めない王さまが、兵士たちに命じた。おどろきの冷めやらぬゆりかの目の前で、大きな城門が音を立てて閉じた。 王女は塔から駆け下りて来て、かんぬきがはめられたのを見て、ふうっとため息をついた。 「やれやれ! これで一安心ね!」 「ロデリア姫! 今のあれは、どういうことなの?」 「ゆりか、しばらく待ってよ! 体中の力が、いっぺんに抜けてしまったみたいなのよ! 少し息をさせてよ!」 「そんなこと、どうだっていいわよ! あなたが今、言っていたことは、あれは一体、どういうわけなの? わたしがプンデルカンドにお嫁に行くだなんて、あなた、気でも違ったんじゃないの?」 それを聞いたとたん、王女さまは、 「あはははははは」 と、愉快そうに笑い出した。 ゆりかはかがんでいた王女に近寄ると、その横っ面を思いきり張り飛ばした。 「どう、少しは思い知った? あなたみたいな、情け知らずの嘘つきは、いっそ死んでしまえばいいのよ! あのかわいそうな、門番のおじいさんのかわりにね!」 「待って!」 立ち去ろうとしたゆりかが、またもふり返ると、王女さまは、顔を押さえてうつむいたが、その頬の赤みは、怒りのためではないらしかった。 「さっきの門番のかわりって―― まさか、あの人は―― 」 「そうよ! さっきのおじいさんは、かわいそうに、死んでしまったわ!」 「嘘ばっかり!」 「まだ死んではいないと思うけど、本当に死にそうなんだから! さっき、イパメルたちが来て、おじいさんを運んで行ったんだもの! あの人は、あなたみたいな思いやりのない王女さまのために、無理をして、本当に死んでしまうんだわ! あなたみたいな自分勝手な、いやな人のためにね!」 「そうだったの・・・ご・・・ごめんなさいね・・・。私は、あなたのことを笑ったんじゃないのよ・・・私が笑ったのは、自分のことなの。あんなに高い塔の上から、みんなに向かって、あんなに大きな声で訴えかけたのは、初めてだったから。あなたが言うように、私はさだめし気が違ったように見えたでしょうね。でも、安心して。私は正気よ」 「だったら、なんであんなことを言ったのよ! 私がかわりにお嫁に行くだなんて! わたしはそんなつもりは、全然ないわよ!」 「もちろんよ。わかっているわ、ゆりか」 ロデリアは、むっとして自分を見つめているゆりかに近づくと、 「あの場は、ああ言うよりほかに手立てがなかったのよ。ああ言ってごまかす以外に、みんなの心を静める方法がなかったから。聞いて、ゆりか。あの人たちの声を」 その時、ひときわ大きな叫び声が、ゆりかと王女の耳に達すると―― 「王女さま、万歳! ユリイカ王女、万歳! 万歳! 万歳!」 王女はしばらく耳を傾けていたが、やおら、ゆりかに向き直った。 「ゆりか。あの人たちは、私のことを、心底、愛してくれているのよ。もしも、あの人たちの気持ちに背いて、私が明日、プンデルカンドにお嫁に行くと知ったら、あの人たちのことですもの、きっととんでもない方法に出て、王国を滅亡させることでしょうね」 「だからかわりに、私がお嫁に行かなくちゃいけないって言うのね?」 「いいえ。お嫁にはやはり、私が行きます。それが〈天球院〉とかわした約束だから。ただ、みんなには、あなたが行くと思わせて、今だけ、かれらを安心させるつもりでいたのよ」 「―― そんな―― そんな―― だけど―― そんなことを―― しても―― すぐにみんなは―― だまされたことに―― すぐに―― 気がつくわ―― だって―― だって―― そうでしょう?―― 今は―― だませても―― すぐに―― だまされたことに―― みんな―― すぐに―― 気がつくわ―― そんなの―― あの人たちを―― かえって―― 怒らせてしまうんじゃ―― ないの?」 「その時には、国民には、私から説明するつもりよ。それに、あきらめてくれるわよ、私がいったんお嫁に行ってしまえばね。とにかく今は未来のことよりも、明日のことを心配しなくてはね。もしもカンバーランドが、プンデルカンドと戦争にでもなったら、カンバーランドはあっという間に滅ぼされてしまうわ。だから―― だから―― ほんの少しのあいだだけでも―― 国民をあざむいてでも、戦争の危険は避けなければならないのよ。わかるでしょう、ゆりか? さっき、あなたにネックレスをあげようとした時も、実はそのことを、お願いするつもりでいたのよ。 ゆりか、この国を救うために、私にいっときだけ、力を貸してください。そして、私がお嫁入りをするあいだだけでも、あなたに身代わりになっていただきたいの。私は花嫁の付き添いとして、あなたといっしょにプンデルカンドにまいります。それからあとのことは、私が責任をもって、あなたに危害がおよばないよう、取り計らいます。だから―― だから―― ねえ?―― 」 「わしからもお願いいたす、お客人」 いつの間にか、そばに来ていた王さまが、ゆりかに向かって頭を下げた。 ゆりかがおどろいていると、 とつくに 「外国からみえた、大切なお客人。そなたには申しわけないが、ここしばらくのあいだ、そなたのことを家来どもに見張らせておったのだよ。その結果、そなたが嘘いつわりのない、姫のまことの、心からの友だちだということが、あいわかったのだ。そなたがこれの“魂のふたご”とあいなったのも、きっと〈運命の導き〉というものに違いない。 だからして、あい頼む。国王からのたっての望み。明日だけは姫の身代わりになって、花嫁のふりをして、この城を発ってくだされい。そして、カンバーランド王国を滅亡から救うため、しばらくのあいだはこれの言うなりに、これの替え玉のつとめをはたしてはくれまいか? のう、お客人。この通りじゃ」 王さまはその場にひざまづいて、ゆりかを拝み始めた。 いつの間にか、ゆりかのまわりに集まっていた兵隊たちも、ひざを折って、ゆりかを拝んだ。 「ねえ、いいでしょう? かまわないわよねえ? ねえ? ねえ? ねえ?」 ロデリア姫の言葉を、ゆりかは黙って聞いていた。 「―― いいわ。ただし条件があるの。それを聞いてくれなきゃ、言う通りにはできないわ」 「して、その条件とは何なのじゃ?」 「王さま、パピリカをゆるしてください。今すぐに、あの人を牢屋から出すの。そして、あの人の罪を、なかったことにしてあげてください」 ロデリア姫が息を飲んだ。 王さまは、 「ううむ」 と、うなったきり、しばらく押し黙ってしまった。 「―― どうしたの? できないんなら、あたしも協力しないけど」 「―― ううむ―― それは―― しかし―― ううむ―― パピリカの犯した罪は、ゆるしがたい王室への反逆じゃ。それをなかったことにしろ、と申すのか?」 「そうです、王さま」 「裁判も起訴も、何もかもなしでか?」 「裁判もなし、牢屋もなし、ついでに死刑もなしです、王さま」 「ううむ・・・しかし・・・ううむ・・・ううむむむ・・・」 「どうなんですか、王さま? パピリカを死刑にするのと、カンバーランド王国を助けるのと、どっちが大切か、考えるまでもないと思いますけど―― 」 「それは―― さよう―― 確かに―― もっともな―― 話じゃよ―― しかし―― わしの―― いちぞんでは―― それは―― そのう―― 決められん―― のじゃよ―― あやつの身分は―― あやつは―― パピリカは―― わが王国に―― やとわれてはおるが―― 高等魔法使いである―― あやつの身分は―― あくまでも―― 〈バルド魔法結社〉という―― 魔法組合に―― ぞ―― 属しておるのだからしてな―― だが、あいわかった―― なんとかして―― はかってみよう。あやつが無罪放免されるように、国王の威厳にかけて、内閣と議会と〈魔法結社〉とに、働きかけてみよう」 「ついでに、この約束を、〈天球院〉へも届けたら、お父さま?」 「いや、そればかりはかんべん願おう、ロデリア」 国王のざれごとに、まわりにいた兵隊たちが笑ったが、すぐに笑いやんだ。 「そうとわかれば、話は決まった。全員、退却じゃ!」 王さまの命令で、兵隊たちが、その場を引き上げて行った。
* * *
群衆はしばらくのあいだ騒いでいたが、軍隊に追いはらわれると、三々五々、家路に着いた。 その夜、王女さまにつきそわれて、ゆりかはお城の勉強部屋におもむき、明日の式次第について、式部大臣と侍従頭から、長ったらしくて退屈な講義を受けた。王女はすでに何度もその講義を受けていたらしく、細部にいたるまでが、頭に入っているようだったが、ゆりかは、生まれて初めて耳にすることばかりだったので、すっかりまごついてしまった。 「明日は、私がそばにいて、あなたに教えてあげる。あなたは私の言う通りに動いて、それらしくふるまえばいいのよ」 王女の言葉に、ゆりかはほっと一安心してうなずいた。 授業がすむと、衣装合わせが始まった。それは講義よりも、ある意味でもっと大変だった。十数人のお針子係たちが、目まぐるしく寸法をとっているあいだ中、ゆりかは鏡に映った自分の姿にうっとりすると、身代わりであることも、しばし忘れていた。 もしも王女さまが、 「そのドレスをあげるから、本当に私のかわりにお嫁に行かない?」 と訊いたら、ゆりかは引き受けたかもわからない。 王女さまは、明日の結婚式のことを少しでも忘れたいらしく、お針子係たちにあれこれと指図をして、とうとう癇癪を起こしたお針子頭から、 「あんまりうるさくなされますと、そのお口を縫ってさしあげますわよ!」 と、怒られてしまった。 やんごとない王女さまとゆりかが、〈仮縫いの間〉で時をすごしていると、国王の使いが二人を呼びに来た。 「晩餐のお支度が、あい整いましてございます。国王陛下もお妃さまも、〈神聖孔雀の間〉にてお待ちかねです。それと、異世界からのお客さまもごいっしょするようにとの、国王陛下からのお達しにございます」 白髪の召使頭は、ゆりかに向かっても、うやうやしく頭を下げた。 召使頭が出て行こうとした。 「お待ちなさい」 召使頭が戻って来た。 「あなたには、これまでにも、いろいろと手を焼かせましたね。あなたを困らせたことも、一度や二度ではありませんでした。そら―― これを持ってお行き。私の思い出になさい」 王女は、腰に巻いた極上のサッシュベルトをほどいて、おそばに控えていた宮廷女官に差し出した。女官からサッシュベルトを受け取った召使頭は、にこりともせずに一礼して、部屋を出て行った。その召使頭は、たぶん皆が寝静まったあとで、サッシュベルトを手に、さめざめと泣くのだろう。 召使頭が去ると、王女はゆりかをともなって、〈仮縫いの間〉を出、晩餐のために、めいめいの部屋に着がえに行った。 二人が〈神聖孔雀の宴の間〉に向かった時には、国王さまとお妃さまは、とっくにテーブルに着いていて、入って来た二人を、わざわざ立ち上がって出迎えてくれた。 〈神聖孔雀の宴の間〉は、全体がみどり色がかった色調で、上品な螺鈿細工の屏風や、落ち着いた数々の陶器の置物に囲まれた、気持ちのいい王家の家族たち専用の小部屋だった。つばさを広げた神聖孔雀の〈百眼のアルゴス〉のレリーフが壁にあしらわれ、ぴかぴかに磨かれた大理石の床には、この世のものではない花園を描いた天井のフレスコ画が、鏡に映し出されたように、さかさまに浮かんでいる。 ロデリア姫とゆりかがひざを折って、国王と王妃におじぎをすると、二人のあいさつに王と王妃がうなずいた。給仕頭が二人の女の子の椅子を引くと、王女とゆりかは、木製の小さなテーブルに着いた。食事が始まり、一同は、ただ、もくもくとごちそうを口に運んだ。四人とも何とかしゃべろうとするのだが、のどに固まりがつかえてしまって、何も言い出せない。 食事がすむと、王さまとお妃さまは、ロデリア姫と積もる話があるだろうからと、ゆりかは気をきかせて、〈神聖孔雀の宴の間〉を引き取った。 城をあちこちと歩きまわり、ようやく門番のおじいさんの入った病室を探しあてると、 「どなたですか? 安静にしていなけりゃ、いかんのだがね」 王室の主治医のドクター・キンバエが、ベッドの枕もとの椅子から顔を上げた。 「あの・・・あの・・・ご・・・ごめん・・・なさい・・・おじいさんの様子は・・・どんなですか?」 ドクターの顔つきにおどろきながらも、ゆりかは小声でたずねた。 ドクター・キンバエは、この異世界からやって来た、珍しいお客の顔は知っていたから、ゆりかを追い出すことはしなかった。 「ああ、あなたでしたかね。この人はどっちみち、年なんだろうね。引退すべき時が来ていたんですよ」 ベッドで眠っていたおじいさんが、うわごとのように何かをつぶやいた。 「かわいそうに。あたしとロデリア姫に、騒ぎのことを知らせようとして、無理に走ったりするからだわ」 「そのようですな。ことの次第は、さっき宮廷女官長から聞きましたよ。どっちにせよ、いつかはこうなっていたでしょうね、この人の場合はね」 ゆりかはベッドの老人を、しばらく見つめていた。 「ねえ、先生、人が年をとるって、すごくいやなことですよね。わたし、おとぎの国では、人は年なんかとらないんだって思っていました」 「おとぎの国では、人は年などとらないのかもしれませんよ。あなたのいた世界では、人は年をとったりはするのですか?」 「もちろんします。年もとるし―― 病気になったり―― それに―― 最後には―― 『死ぬ』んです」 「グゲゲゲゲ。それでは、私どもの住んでいる世界とは、なんら変わるところはないわけだ。ええと、ユゲルさんでしたかな?―― 失礼、『ゆりかさん』と。メモしておきましょうかね」 医者は手近のメモ用紙に、ゆりかの名前を書きつけていたが、あいかわらず眠ったままでいる老人に、ガマガエルの顔を向けた。 「先生、この世界の人は、どうして魔法が使えるんですか? 魔法って一体、何ですか、先生?」 「はたして、命とは何でしょう、ゆりかさん? どちらか一つの質問に答えられれば、もう一つの質問にも、答えられる気がするのですがね。しかし、私にはわからない」 「わたしにもわかりません、そんなこと」 「人はどうして、生まれてくるのか?」 「―― 姿を消したり―― 現われたり―― 」 「やがては『死』に直面する。消える」 「透明にもなれるんですよ、先生?」 「本当に、謎だ」 「謎ですよね、先生?」 二人は腕組みをしたまま、しばらく考えごとにふけっていたが、 「ややっ。もう、こんな時間ですか。あなたは部屋に引き取って、休まなければならないのではないのですか? あなたは明日、プンデルカンドに、お嫁入りをするのではなかったのですかね?」 ドクターはふところから取り出した懐中時計を見て、びっくりして叫んだ。 ドクターはロデリア姫の門前での宣言を、真に受けている一人のようだった。 「おじいさんのことを、よろしくお願いします、先生」 ゆりかは説明するのが面倒だったので、それだけ言って、病室を出て行った。 ゆりかが出しなにふり返ると、さっき、ゆりかの名前を書いた紙の余白に、ドクターが何かを夢中で書きつけていた・・・。
*
ゆりかは部屋に引き取ったあとも、しばらくはドクター・キンバエとの会話の印象が強くて、なかなか寝つくことができなかった。 「ゆりか、何をしているの?」 「きゃああああっ!―― あっ、なんだ、ロデリアか!」 「『なんだ、ロデリアか』は、ないんじゃないの? 〈タチ・カチ〉の実よ。ゆりかと食べようと思って、厨房から持ってきたのよ。何を考えていたの? また、私を出し抜く計略?」 「え、出し抜くだなんて―― ええっ、何のこと?」 「ゆりか、あなたの欠点はねえ、真面目すぎることよ。もっと堅苦しさを、なくさなけりゃ駄目よ。やい、ゆりか。魔法で、もっと不真面目ちゃんになりなさい!」 「ロデリア。あなた、なんだか変よ。酔っているみたいよ」 「酔っている? そうかもね。私、酔っぱらったのかもしれないわね。ただし、お酒にではなく、この夜にね」 ロデリア姫は夢見心地でつぶやいて、かたわらの窓に近寄り、部屋を開け放った。 「夜風がとっても気持ちがいい! ねえ、あなたもこっちに来ない、ゆりか?」 その時ロデリア姫は、片手には灯心の長いガラス製の、ホタルブクロの花の形をした、明かり取り用の手提げランプをささげ持ち、真っ青な絹製のナイトガウンを着て、頭には菱形の紺の帯模様を染め抜いた、可愛いナイトキャップをかぶっていた。青いナイトキャップからあふれた、波打つ金髪が、きゃしゃなお姫さまの肩先を、つつましくもあでやかにいろどり、あわいランプの炎が、その横顔をほの赤く照らしている。 「どうかしたの? 私がこわいの?」 「ううん、そうじゃないけど・・・」 「だったら、こっちへ来なさいよ」 ゆりかはベッドから離れて、ロデリア姫に恐る恐る近寄った。 「お、王女さま―― 」 「なあに、ゆりか?」 「あの―― 今日のこと―― ほ―― 本当に―― 本当に―― ご―― ごめん―― なさい!―― あなたのことをひっぱたいて、『死んでしまえばいい!』って、叫んだことだけど―― 」 「ああ、あのことね」 王女は急に何かを思い出して、にっこりとした。 「いいのよ、気にしなくても。本当はちょっぴり、痛かったですけどね。あなたの言う通り、私の方こそ、思いやりに欠けていたし、あなたに、こんないやな役目を、結果的には押しつけてしまったのだもの、ぶたれて当然よ」 「そんなこと―― ちっとも―― 全然―― ないです―― 」 「ねえ、ゆりか。私たちが初めて会った、あの夜のことをおぼえている? あれから幾百晩も経ったけれど、あなたにはとうとう最後まで、私は迷惑をかけ通しだったわ。ゆるしてくださいね」 「そんな、ゆるすだなんて―― 」 ゆりかは、かたわらにいる王女さまを見上げた。 年若い王女は体つきもふっくらして、ゆりかが初めて会った時とは、まるっきりの別人のようだった。 それでも、そこに立っていたのは、まごうかたないゆりかの“魂のふたご”―― 時空を超越して結ばれた、あの異世界の美しい友なのだった。 「ねえ、あ、あなた、とってもきれいよ、ロデリア。とっても素敵。泣きたくなるくらい」 「ありがとう。あなただって素敵よ、ゆりか」 ゆりかは息を飲んだ。 そんなことは、全然、今まで誰にも、言われたことはなかったのだ。 ゆりかが目をぱちくりさせていると、ロデリア姫は笑い出した。 つられて、ゆりかも笑い返した。 二人の少女は、笑って、笑って、しばしのあいだ笑い続けて、解き放たれたように、笑いに笑い転げた。 あれは何という花だろうか? けし粒ほどの赤い木の実が、庭のそこかしこで、ぼうっと輝いているところは、暗黒の宇宙に浮かぶバラ星雲のようだった。 ゆりかは見下ろしているうちに、ふっとつぶやいた。 「まるで〈宇宙の瞳〉だわ・・・」 「まあ、何と言ったの?」 「〈宇宙の瞳〉って言ったのよ。ううん、思いついたんじゃないわ。最初から、そういう名前だったのね」 ロデリア姫はしげしげと、ゆりかをながめ直した。 「あなたって―― あなたって、本当に不思議な人よねえ。あの〈水晶の実占い〉のおばあさんが、話していた通りだわ。不思議な天命を持っているのかもねえ」 ロデリア姫は〈水晶の婆〉の口真似をしてみせ、二人の乙女は、しばし爆笑した。 ふいにゆりかが叫ぶように、 「わたし、この世界に来る前に、あれこれと空想をしていたのよ。あなたの住んでいた世界って、一体どんなところなんだろうって」 「空想していた通りだった? それとも失望させた?」 「ううん、想像していたよりも、ずっとずっと、素敵なところよ。私が生まれたところからは、想像もつかないくらい、何倍も何倍も、素晴らしい世界。ううん、何億倍も、何兆倍もね。だから、わたし、ついこのあいだまでは、元の世界に帰りたくないなって、本気で思っていたほどよ―― 。 ねえ、ロデリア姫。人は死ぬと、どこへ行くんだと思う? 人は死ぬと、どうなるのかしら? ただ消えて、なくなるの? それとも、本当に天国のような場所があって、死んだらそこへ行くのだと思う?」 「まあ。どうして、そんなことをきくの? あなた、本当に死にたくなったの? お嫁入りのせい?」 「わからない―― 。あなたは、そんなことを考えたことはない? それとも、魔法がある世界の人には、そんなこと、どっちだっていいのかな?」 「今夜のあなたは、どうかしているわよ。きっと、あんまりいろいろと講義を受けたせいで、疲れてしまったのね」 「そうかもしれないわ」 「それより、今度こそ、これを受けとってくれるでしょう? さもないと、私は一生の心残りができてしまうわ」 そう言って、ロデリア姫が差し出したのは、昼間、争う原因にもなった、あの〈薔薇真珠のネックレス〉の一束なのだった。 「さっきみたいに、こばんだりはしないでよ。あなたがこれを受けとってくれないと、私は安心して、プンデルカンドにお嫁に行けなくなるわ」 ロデリア姫が、ゆりかの手にネックレスを押しつけて、強い口調で言った。 ゆりかが宝石の輝きごしに、ロデリア姫を見上げると、姫の方でもゆりかのことを、じっと見つめ返してくる。 「わかったわ! きれいだな! わあ! どうもありがとう!」 それから二人はおたがいに見つめあい、同じことをした。 二人はずいぶん長いことくちづけをしていたが、それはほんのわずかな、しかし異なる世界の乙女たちにとっては、永遠とも思える一瞬だった。 「うっぷ! あはあっ! 苦しくなかった、ゆりか?」 「ううん、全然―― ちっとも」 「あーあ。私は明日の今頃は、プンデルカンドで、アヨング・オキのお嫁さんになっているのね。それでも、私の一番目か二番目に大切なものは、あの人には、あげられずに終わったわけねえ」 ゆりかがきょとんとしていると、ロデリア姫が、にっこりと微笑みかけた。 「ねえ、ゆりか。今夜はここで、あなたといっしょに寝てはいけないかしら? わたし、いろいろとお話をしたいことがあるし、お父さまやお母さまには、ないしょなのだけれど、そんなこと、ちっともかまわないわよねえ。だって、わたしたちの最後の夜ですもの」 そうだ! 今夜は、最後の夜なのだ! 明日、ロデリア姫はプンデルカンドにお嫁入りをしてしまい、今後永久に、カンバーランド王国とは、さよならをしてしまうのだから! ゆりかは、たまらない気持ちに襲われて、胸の中がしめつけられるように、きゅうんと痛くなった。 王女が、ゆりかの首にネックレスを二重に回してかけると、〈薔薇真珠のネックレス〉はあつらえたように、ゆりかのひらべったい胸に、ぴったりと似あうのだった。 「わかったわ。うん、そうするわ」 ロデリア姫は、会心の笑みで顔を崩した。 二人の女の子は、心ゆくまでおしゃべりをするために、二人で力を合わせて、ベッドを窓ぎわに動かした。もともと寝台の脚柱には、移動用のばね仕掛けの車輪がついていたので、押したり引いたりをくり返すと、ベッドは難なく移動した。 その晩、二人が何をしゃべったのかは、星たちだけが知っていた・・・。
* * *
その夜、カンバーランド王国で、遅くまで起きていた人々は、各地で異様な光景を目撃した。 昼間、群衆がお城の門前の広場に押しかけての、大騒ぎが一段落したあとで、王さまの命令で城の警備の兵隊の数が、ふだんの三倍に増やされた。 そればかりではない。あちこちの広場や辻々には、武器を持った見張りの兵隊たちが立ち、夜になるとその人数が増していった。 つい数刻前、広場で勇ましく「戦争」を叫んでいた者たちほど、その様子に臆病風にとりつかれた。かれらは舗装された小道を行く兵隊の靴音や、がちゃがちゃ鳴るサーベルの音に、心の中でお祈りを唱えながら、びくつく始末だった。 その夜、王国の軍隊の三分の一が動員され、国のあちこちに配置された。かれらは皆、当然だが武装していた。兵隊たちは昼間の暴動が夜になって、本物の反乱に発展したら、即座に武器を使って群衆を鎮めるよう、ロデリア姫の父ぎみである国王から、じきじきに言い渡されていたのだった。 「降れば土砂降り。雲のかけらを見たら、嵐が来るのを覚悟せよ、だな」 ロデリア姫や、ゆりかとのなごやかな会食がすんだあとで、王さまは、居並ぶ大臣たちや将軍たちを前に、カンバーランドで言い古されたことわざを申し渡した。 「そして、嵐を起こすつもりがあるならば、だ、傘の一本くらいは、当然、用意しないといけないのだろうな」 と、王さまはつけくわえた。 兵隊たちの中には、かえって、王女を隣国に渡すくらいなら、民衆と同じように、思いきって戦争を仕掛けようと考える者もいたので、王さまは万一の場合に備えて、軍隊の残りの半分近くを、王宮と首都の周辺に配置した。真夜中すぎには、王国の軍隊のすべてが国の守りに動員され、明日の備えは万全になったように見えた。 ただ一つ、気がかりといえば、ブルガマデリン城における、あの奇妙な集団蒸発事件があるばかりだった。皆さんはとうに忘れているだろうが、お城の中から、マデリンやイゴールやゆりかの分身が消え失せた、あの事件のことだ。 お城のみんなは、お輿入れと民衆の動きに気をとられて、このことに心をめぐらせる余裕が、まるでなかった。 だが、すぐにもわかることだが、これは重大なあやまちだったのだ。
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