恐るべし! 〈天球院〉
〈天球院〉は、なだらかな灰色の岩盤の上に建つ、小高くて白い、お椀を伏せたような半球状のキューポラ(ドーム)で、入り口にたどり着くまでには、岩のあいだを掘り進めた細い階段状の道を、どこまでも登らなければならなかった。ゆりかが近づくと砂ぼこりが巻き上がり、わざとのように、顔に吹きつけてきた。 ようやく目ざす〈天球院〉の入り口に到着すると、ゆりかは胸のペンダントを握りしめて、こわごわと玄関ホールの中をうかがった。ぴーんと張りつめた、おごそかな空気が、タイル張りの白い床に、影まで落としている気がする。 「あのう、ちょっといいですか・・・」 ゆりかは、入り口を入ったすぐのところにある、大理石のテーブルに、ただ一人で座って本を読んでいた、あごひげを生やした、恐ろしいほどの年寄りに声をかけた。 「はい、何でしょうかな?」 年寄りは、読んでいた本から顔を上げて、ゆっくりとゆりかを見た。 「あのう、間違っていたら、ごめんなさい。ここは〈天球院〉ですか?」 老人は開いた本の、開いたページを下にして置き、年齢の割りにはおそろしく張りのある大声で言った。 「いかにも、おおせの通りですわい。お役に立てることでも、ありますのかな?」 「あの、ごめいわくでなかったら、〈天球院〉て何をするところか、教えていただけませんか?」 おじいさんは目をパチクリとした。 「ほうか! ほうか! あんたは、たぶん“ゆりかさん”なんじゃな。今日の〈訪問客リスト〉の中で、あんたはいっとう、風変わりな経歴の持ち主じゃからのう!」 「そうよ。わたし、天堂ゆりかです。わたしのことを、ごぞんじなんですか?」 「知っとるも何も、あんたがここへおいでくださることは、おおよそ二万七千年も前から、決まっておったことですわい」 「そんな―― そんな大昔には、わたし、まだ生まれていません。わたしが生まれていないのに、そんなことが、前もって決まっているわけがないわ」 おじいさんは、ほがらかに笑い出した。 「ほほう。そう言いきれますかな? まあ、よいよい。あんたは特別じゃて、入って来なされよ。あんたには、〈天球院〉をくまなく案内するよう、上人さまからも、言いつかっておりますでな」 「しょうにんさまって、何ですか?」 ゆりかの質問には答えずに、老人はテーブルの角をまわってくると、ゆりかの手をとって、ホールの奥まったところにある、もう一つの金属製のぴかぴかした扉の前に、ゆりかを引っぱって行った。老人は、青い五芒星のたくさんちりばめられた、あっさりしたバスローブのような服を着て、ひも状の細い帯で、腰をまとめていた。 「あああっ!」 ゆりかはその扉の奥に一歩踏みこんで、はしたないほどの大声を上げた。 そこには機械仕掛けの、同心円状の巨大な輪っかが、いくつもいくつも回転していたのだ。 見たところ、複雑な仕組みを持つ、渾天儀のようだった(渾天儀とは、天球の姿をかたどった模型で、天体の位置を測定する器械。天球儀とも言う)。装置の周囲をとりまく金属製の手すりに囲まれて、装置自体に近づくことはとてもできなかったが、輪は、それぞれが異なる速度で、中心にある天球儀のまわりを回っている。 金属製の輪の直径は、中心に近づくほど小さくなり、反対に外側の輪は、これはもうどこまで大きいのか、入り口からではとても想像がつかなかった。 「おほん。ここは〈時の羅針儀の間〉なのじゃよ。はるかな大昔から、未来永劫の永きにわたって、星々の運行をつかさどっておる部屋なのですわい。星も銀河も星雲も、はたまた、微細な原子の運行にいたるまで、ここで測られ、統べられておるのですぞ。ここはあまたの世界の扉を開く鍵にして、あまたの世界の死のあぎと(顎)を閉ざす、その棺の蓋なのですからな。あまたの世界―― あまたの王国―― 生きとし生けるすべてのものが、ここにある〈時の羅針儀〉の指図には、従わざるをえないのじゃよ。見よ、ゆりか! そなたの幻を! そなたに定められし運命を!」 その声にゆりかが見上げると―― おお! あれは―― ! 〈時の羅針儀〉の上方に、巨大な卵型の物体が現われて、銀色にキラキラと輝きながら、ゆりかの頭上へと、舞い降りて来たではないか! ゆりかが背伸びをするように見上げると、卵型の物体の中からも、お化けのようにゆがんだ顔で、誰かがこちらをのぞき込んでいるのが見えた。 「なあんだ、鏡じゃないの!」 のぞき込んでいるのは、ゆりか自身の姿だった。 その物体は、差し渡しが五メートルはあろうかという、卵型の鏡で、表面はこれ以上はないほどぴかぴかに磨き上げられ、ドームの丸天井から射し込んでくる光線を、その身いっぱいに反射している。 「見よ、その鏡を! じっと目をこらして―― 見よ!―― 見よ!―― 見よ!―― 」 老人の声が、どこからともなく聞こえてきた。 かたわらをふり返ると、そこにはあの老人は、もういなかった。 「見よ、ゆりか! じっと、目をこらして―― 見よ! 見よ! 見よ!」 ゆりかが卵型の鏡に目を戻すと、表面に薄ぼんやりと白いもやがかかって、どこかの山の頂きらしい、岩だらけの光景が映し出された。岩棚の細い道を歩いて来るのは、どことなく見おぼえのある女の子だった。 おどろくなかれ、それはゆりか本人だったのだ! 鏡の中のゆりかは、あたりを一心に見まわしていたが、その目がふと、横にある何かに吸い寄せられて、その方に向かって歩き出した。 鏡の中のゆりかが見つけたのは、〈天球院〉のありかを示す、あの粗末な木の看板だった。鏡の中のゆりかは、看板の文字を熱心に読んでいたが、その顔に強い決意の表情を浮かべると、またしてもまっしぐらに小道を歩き始めた。 もう、おわかりだろう。卵型の鏡に映し出されたのは、つい先ほど〈天球院〉を探しあてた、ゆりか自身の姿だったのだ。 「見よ、見よ、ゆりか! ゆりか! 見よ! 見よ! 見よ!」 ゆりかは背筋がゾクゾクとしてきた。 鏡の場面が切り替わり、どこかの受け付けらしいホールが映ると、さっきの老人と出くわしたゆりかが、何ごとかを話し合った末に、さらに建物の奥へと導かれて行くのが映った。 突然、鏡の表面に、まばたきしたように、白いまぶしい閃光が現われて、今まさに、ゆりかの立っているこの大広間の情景が、はっきり、くっきりと映し出された。ゆりかはこわくなって、震え出した。入り口をふり返ってみたいのだが、その勇気が出てこない。やがて、鏡の中のドームの丸天井から、卵型の物体が輝きながら下りてくると、鏡の中のゆりかがそれをのぞき込んで、はっと顔色を変えたのが見えた。 卵型の鏡のその奥の鏡に、もう一つ別の光景が映し出されたのだ。 そこには、もう一人のゆりかが、また別のゆりかが〈天球院〉へとやって来る光景を、熱心に見守っている姿が映し出されたのだ。 そのゆりかが、何をのぞき込んでいるのかというと、その鏡の奥の別の鏡に、さらにもう一つ別の卵型の鏡があって、その奥に、もう一つの別の卵型の鏡を見つめている、もう一人の別のゆりかの姿があって、そのゆりかが見つめている卵型の鏡の奥に、もう一つ別の卵型の鏡を見つめている、もう一人の別のゆりかの姿があって、その奥に、さらにもう一つ別の卵型の鏡を見つめている、もう一人の別のゆりかの姿があって、その奥に、さらにもう一つ別の卵型の鏡を見つめている、もう一人の別のゆりかの姿があって、その奥に、さらにもう一つ別の卵型の鏡を見つめている、もう一人の別のゆりかの姿があって、その奥に、さらにもう一つ別の卵型の鏡を見つめている、もう一人の別のゆりかの姿があって―― ―― ゆりかは悲鳴を上げた。 そのとたん、どんづまりの鏡に映った、卵型の鏡の奥で、さらに、その奥の卵型の鏡を見つめていたゆりかが、はっとしてこちらをふり返ったのが見えた。 それを見たゆりかが、はっとしてこちらをふり返ると、それを見たゆりかが、もう一つ手前のゆりかをふり返り、それを見たゆりかが、はっとしてこちらをふり返ると、それを見たゆりかが、ふり返ったのを見たゆりかが、ふり返ったのを見たゆりかが、ふり返ったのを見たゆりかが、ふり返ったのを見たゆりかが、ふり返ったのを見たゆりかが、ふり返ったのを見たゆりかが・・・ふり返ったのを見たゆりかが、ふり返ったのを見た。 そのとたん、天井のどこかで悲鳴が上がり、ゆりかはぎょっとしてふり返ったが、そこには何も見つからない。 前方の鏡に目を戻したとたん、ゆりかはその悲鳴が、ほかならぬ自分の声に似ていたのに、気がついたのだ。 「見よ、ゆりか! そこに映し出されたものを! 見よ! 見よ! 見よ!」 どこからともなく、さっきの老人の声が、また聞こえた。 ゆりかが卵型の鏡の奥の光景に、じっと目をこらしていると、そこには、ゆりかが鏡の前を離れてから起こるだろうことが、そして、ゆりかのこれからの一生のすべてが、あまさず映し出された。 それらをすべて見せると、鏡はたちまち砕け散り、それと同時に、ゆりかの頭から、いましがた見せられた光景が、きれいさっぱりと抜け落ちた。 後ろで衣ずれの音がして、白いあごひげを生やした、青い衣をまとったくだんの老人が、ゆったりとした足どりで近づいて来るのが、ふり返ったゆりかの目に入った。 「あ・・・あの・・・おじいさんは・・・さっきの・・・」 「〈天球院〉へようこそ、ゆりか」 ゆりかを案内してくれた、あの受け付けのおじいさんだった。 おじいさんは、細長くて青い三角の帽子をかぶり、青いローブのすそを長く引きずって、今では威厳のようなものさえ、漂わせていた。 「はてさて、わしはここを治める管理人なのですわい。人はわしのことを〈時の永劫の翁〉とも、はたまた、〈上人さま〉とも呼んでおりますですわい。今も昔も未来永劫、変わることなく、そう呼ばれておりますわい。 ゆりかさん。おまえさんがここを訪れた理由は、わしにはとうにわかっておりましたわい。おまえさんは、あのククラット山の洞窟にある、あまたの書物を集めた〈世紀の書庫〉にも見出せない答を見出すために、ここを訪れたのでありましょう。何なりと訊くがよろしい。この年寄りが、答えてしんぜますほどにな」 ゆりかはつばきを飲み込むと、恐る恐る質問をした。 「あのう―― カンバーランドとプンデルカンドの―― あのう―― 結婚式のことですが―― あれを―― 『なし』にすることは―― そのう―― できないんですか?」 「できんことも、ないのですがのう。それには、約束をかわした当人同士が、それをとりやめにまいられる必要があるのですよ。この場合は、カンバーランドの国王と、プンデルカンドの支配者のお二人が、そろって誓いの取り消しを求めに来なければならんわけですかな。そうではないと、当方としても、誓いの変更や取り消しには、一切、応ずるわけにはいかんのでしてな」 「あのう―― だけど結婚って―― 二人が―― 『好き』じゃなきゃ―― できないんでしょう?―― そういうものなんでしょう?―― わたしのパパとママは―― そうでしたけど・・・」 「おまえさんの、パパとママはそうじゃっただろう。だが、好きあっているから、結婚するというのであれば、きらいになったら、それっきりですよ。それに、そういう考え方をするのは、この広い宇宙の中では、常識というよりも、むしろ例外なのですじゃ。おまえさんのいた世界にだって、べつだん、当人同士は好きでも何でもなくっても、親が決めた相手だから結婚するという連中は、ごくあたりまえにいたはずですよ」 「知っています。そういうのって、『いいなずけ』とか『おみあい』とかって、言うんでしょう? でも、それって昔の話ですよ。そんなこと、まわりが勝手に決めるのは、おかしいと思うな」 「わはははははは。それは、その人間が持っておる、〈星々の導き〉によるのですよ。これをごらんなさい」 老人が上を指さすと、今、ドーム型の丸天井がゆっくりと開いて、満天に星をちりばめた暗黒の宇宙空間が現われた。 ゆりかが息を飲んでいると、 「あれらは、まことの星々にはあらず。あれは、われらの心の天空―― 〈星の兄弟姉妹たち〉なのですよ」 「星の―― 兄弟姉妹たち?」 「そうなのですじゃ。人はみな生まれながらに、心の奥深くに、導く星を秘めておるものなのです。そうして、その星本来の輝きを生かせるかどうかについては、当人の自覚と、運のめぐりあわせとが、大きくかかわってくるものなのですな。内なる星々の導きに気がつき、その星々の輝きを、みずから助くるのもよし。自己の天分をひた隠しに隠して、まわりにふり回されて一生を終えるのも、また一興。 あれらの星々たちは、天の御座(みくら)にかかる、運命の織りなす一編の織物。して、当人たちも、おのれがいかなる織り模様の一部かは、とんとわからずじまいなのですわい。 おまえさんの星も、あの中にありますぞ、ゆりか」 「ええっ? ど、どこに?」 「ほれ、ここじゃ。おまえさんの中ですわい」 老人は謎めいた微笑を浮かべて、ゆりかの胸のあたりを指さした。 「―― ところでと、おまえさんは気がついていましたかな、おまえさんの内側に眠る、導く星の輝きに?」 「いいえ、全然」 ゆりかは、おじいさんが何を言おうとしているのか、半分もわからない。 老人はにこにこと笑い出すと、 「先ほどのそなたの質問に、答えるならばですじゃ、あの中にある、ある星は、自己の運命に背いて、しゃにむに、おのれの欲するように生きようとしますし、またある星は、自己の運命の命ずるままに、じゅんじゅんと終生、従おうとします。どちらもままならぬ、星の一生なのですじゃ。かけがえのないことに、変わりはないのですわい。 おまえさんなら、どちらを選びますかな? あらかじめ定められた運命を、唯々諾々と迎えるのか? それとも、自己の運命にあらがい逆らい、おのれの欲するところを、無理にでも押し通しますのかな?」 「あのう―― わたしなら―― したいように―― すると思いますけど―― たぶん―― ですけど―― その方が―― あとで―― きっと―― 後悔しないと―― たぶん―― 思うからです―― 」 「ふうむ、ふうむ。なかなか思慮にとんだお答じゃな。だが、おまえさんは、自分の好き放題したいようにして、あとで悔やまなかったためしは、ないのですかね?」 「あ、あります。前にママとの約束をわざと破って、あとで、やらなきゃよかったって、思いました」 「そうじゃろう、そうじゃろう。なぜ前もって、その時、考え抜かなかったのですかな? そっちを選べば、後悔するだろうと、なにゆえに、前もって考え抜かなかったのですかな?」 「そんな―― だって無理です、そんなこと―― 未来のことは、まだわからないから。そんなことをすれば、こうなるだろうって―― 誰にも先のことは、わからないから」 「ほほう。なぜ、わからんのかな?」 「なぜって、未来のことがわかるわけはないじゃないの! 未来はまだ起こっていないからです! そんなこと、常識です!」 「ふうむ。『未来はまだ起こっていない』、『常識です』か?」 老人は意味ありげに笑ったが、しばらくのあいだ、何も言わなかった。 「ところで、と。こんな話を知っておりますかな? 昔々、あるところに、一羽のめんどり母さんがおってな、その母さんどりには、六羽のひなどりがおって、いつも、いつもピーピーうるさく鳴きわめいては、母さんどりに、えさをねだっておったのですわい。 ある時、いつものように、母さんどりが、朝食のえさを探しに出かけている留守に、おっかないオオカミがやって来て、六羽のひなどりを、ぐはっと飲み干そうとしましたと思いなさい。ぐはっとな。じゃが、運よく戻って来た母さんどりが、乱暴オオカミに、えいやっとばかりに飛びかかり、逆にあっさりと食われてしもうたのですわい。この母さんどりは、不幸じゃったろうかね?」 「そりゃあ、そうよ。食べられてしまったんですものね」 「それでは、この母さんどりは、黙ってひなどりたちが食べられるところを、ながめておればよかったというというわけですかな?」 もちろん違うわと言おうとして、ゆりかは黙ってしまった。 「のう、ゆりかさんとやら、ようくお聞きや。人には、それぞれに、〈導く星〉というものがあるものなんだよ。〈内なる自己〉の輝くところに、その者本来の〈幸せ〉があるというわけなんじゃな。 じゃが、そうは言っても、世の大半の者たちは、その星の輝きを知らず、また知ろうともせず、また、ある者たちは、その存在に気づいても、それをいさぎよく認めようとはせずに、ただただ、いたずらに日々を過ごしておるばかりなのですわい。 ゆりか。おまえさんは、見せかけにあざむかれてはなりませんぞ。見せかけにまどわされて、おのれの真実の姿を、見失うてはならんのですわい。じゃがまあ、星の導きというやつには、往々にして、世間の常識とはえらくかけ離れたものもありますでな。それに従うことには、勇気がともなうのですよ。 先ほどのおまえさんの質問に、答えるならばですな、ロデリア姫とアヨング・オキとの結婚には、当人同士のあずかり知らぬ、天の意志、天帝の意志というものが、強く働いておるのですよ。 そして、いうなればすべての出会い、すべての結婚、すべての別れと、すべての死とには、それぞれに当人同士のついぞ知らぬ、秘密の理由と目的とがあるものなのですな。 人は、おのれがいかなる色の、いかなる柄模様を織りなす糸か、ついぞ知らずに、一生を終えます。ただ、〈天の御座(みくら)〉にかかった、一枚の織物をつむぐ、大いなる御手だけが、その織りなす模様の何たるかを知り、一つの全きお顔がすべてを見下ろして、ただ、にっこりと微笑むばかりなのですわい。 ゆりか、そなたに話せることは、すべて話しましたぞ。わしの言いたいことは、これで終わったのです」 「待ってください。その手って、一体、誰の手なんですか? 見下ろしているのは、一体、誰の顔なんですか?」 「わしの話は、これで終わりましたぞ。そなたの質問には、すべて答えましたわい」 老人はくるりとふり返り、その場を立ち去ろうとした。 「あっ、待って! 行っちゃわないで! あの約束を守らなかったら、カンバーランドはどうなっちゃうんですか? みんなどうして、〈天球院〉をあんなにこわがるんですか? 教えてください! 教えてください! ねえ、教えてください! 教えてくださいったら!」 老人―― 〈時の永劫の翁〉はいなくなり、あたりは急に暗くかげった。 突然、蜃気楼のようなまぼろしが、部屋の中央に立ちのぼった。 それが、カンバーランド王国のお城の幻影であることに、ゆりかは気がついた。 ゆりかがドキドキしながら見つめていると、突然、幻のカンバーランド王国の上空から、白く輝く炎の矢が飛んで来て、赤く灼熱する巨大な火の玉となって、まぼろしの王国を炎につつんだ・・・。 気がつくと、ゆりかは〈三角山〉の頂上に、たった一人で立ちつくしていた。風がびゅうびゅうと吹きつける中、いつの間に現われたのか、かたわらにペン子が立っていて、食い入るようにゆりかを見つめている。 「・・・まあ・・・ペン子・・・ちゃん・・・?」 「はい。ゆりかさん、大丈夫ですか? お顔の色が、ふつうじゃありませんわ」 「大丈夫よ・・・ありがとう。あなたも・・・無事だったのね。わたし、どうしてたの?」 「わたしにも、よくわかりません。わたし、ワシになって、ゆりかさんをここのてっぺんにお運びしてから、そのあとの記憶がまるでないんです。気がついたら、この姿に戻っていて、そこにゆりかさんが、幽霊を見たみたいな顔で、立っていらしたんです」 「・・・まあ・・・幽霊を・・・見たみたいな顔で・・・?」 「はい。やっぱりここへは、来てはいけなかったんですわ。早く帰りましょう。早く帰りましょう」 ペン子はいやに熱心に言った。 岩棚を通り抜ける、あの細い道のてっぺんに立った時、どんよりとした灰色の空の下、さっきまであったはずの、あの白い〈天球院〉の建物は、どこにも見えなかった。
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