作戦会議
部屋の中は静まり返り、しばらく口をきく者は、誰一人いない。 「それだけか?」 「はい。さようでございます、わかぎみさま」 「ふうむ。ロデリア姫が、それがしに会いたいとな。これは困ったぞ。その手紙、そちはどう思うか、ラル・シンよ?」 「さようですなあ。このお手紙、本心から出たものでは、ないかもしれませぬですなあ。ご用心されるにこしたことは、ございませぬですなあ」 「この手紙、いつわりだと申すのか?」 「いかにも、さようでござりまするわい」 ラル・シンは、たっぷりした衣のたもとから、いやに大きな天眼鏡を取り出すと、芝居じみた仕草で、巻物の裏表をあらためていたが、 「てまえが今、拝見せしところ、このお手紙についている封蝋の印璽は、間違いなくカンバーランド王国が、王家の紋章。女人のしたためし文字にして、あきらかに高貴なる家柄の、高い教育を受けたお方の筆跡と、うかがい知れまする。お手紙のあちこちには、汚れやかすれが見受けられまするが、まだ十分には乾いていない。急いでしたためたためにできたとおぼしいですな。察するにこのお手紙は、最近ロデリア姫おんみずからが、筆をとって、急いでしたためた物と、考えられまするな」 「ならば、問題がないではないか」 「そうとばかりは申せませぬぞ。殿下におかせられましては、女人の気性の、はなはだしく不可解にして、その言に裏表のあることを、ごぞんじですかな?」 (要するに、女というものがわかりにくくて、口で言うことと考えていることが、逆な場合があることを知っているのか、と訊いているのだ) 「これは異なことを。おまえは、かかる貴き身分の女性(にょしょう)が、本気で災いをもたらすと思うのか?」 「身分の高低(たかひく)に関係なく、女人(にょにん)はおしなべて、おのこの災いの種、苦の種でござりまするぞ。いにしえの賢者も申しておりまする。『この世に女のなかりせば、おのこは神々のように、生きられるものを』と」 「はっはっはっはっ。さすれば、おまえと私は、とっくに神々の仲間入りというわけだな。ところで、おまえは、こういうことわざを聞いたことはないかな? 『この世に女のなかりせば、おのこも光も生まれずじまい』」 「ははあ、まあ・・・ごもっともかと・・・」 「その言葉は、実は私のものなのだぞ。おまえもかくいうこの私も、『母』という女の胎内から、生まれてきたのだぞ。そうではないか? あまたの生きとし生けるものは、なべて女の腹からこそ、生まれて来たのだ」 「残念ながら、その通りですかな。殿下のお優しいお心には、大地も空も、めぐみ深き雷鳴すらも、自然という大いなるたらちね(母親)の、かんばせ(顔)の顕われとおぼしめされているご様子ですな。さりながら―― 」 と、ラル・シンは、わざとらしい仕草で、また巻物に目を戻すと、 「このお手紙に関していえば、ロデリア姫は、まだ母でもなく、女ですらなく、また、あなたさまも、あの姫ぎみの息子ではござりませぬゆえに、このお手紙がいかなる思惑とたくらみとをもって書かれたものなのか、この文字の一つ一つのしみに、いかなる願いと野望とが込められているものなのか、ちと定かではありませぬ。ゆめゆめ、ご用心おこたりなきように」 「そなたは、この手紙が、私を陥れる罠だと申すのだな?」 「いかにも、ありそうなことでござりまするわい」 「そんなことをして、ロデリア姫に、一体どんな得があるのだ?」 「あなたさまを宮殿の外におびき出して、あやめてしまうおつもりかもしれませぬぞ」 「ま、まさか!」 「あるいは、宮殿の外に連れ出して、かどわかそうとたくらんでおるのやもしれませぬ」 「馬鹿な! それこそ、考えられぬことだ! そんな無謀なことをして、カンバーランドの国人に、一体どのような益がもたらされる! かかる無益な謀りごとは、よもや考えられまい!」 「とつくにびとのことゆえ、しかとは量りかねまするぞ。かれらは、おそれおおくも殿下を人質にとり、今回のこのご結婚の儀を、強引になきものにしようと、たくらんでおるのではありますまいか」 「浅はかな。たとえ、そう図ったにしても、かの〈天球院〉が黙ってはおるまい! それがわからぬ愚か者らではあるまい、カンバーランドの国人は!」 「おおせ、確かにその通りかとぞんじまする。しかしながら、いざ窮地に追いつめられますると、人間というものは、理性があざ笑う行いに、ついつい走ってしまうものでございますよ。それが人間というものの、悲しい性(さが)にござりまするな」 「ふうむ。あい、わかった。この手紙の申し出、受けるとしよう」 「なんと! およろしいので?」 「かまわぬ。罠かどうか、行ってこの目で、しかと確かめようぞ。古人のことわざにも言うではないか、『虎穴にいらずんば、虎児を得ず』とな。よーし、ラル・シン、お膳立てをいたせ。このことを、誰にも悟られるではないぞ」 「ははあっ。しからば、日取りと刻限と場所は、いかがいたしましょうか? このお手紙には、殿下がお決めあそばされるようにと、ありますが」 「ふうむ、そこだな。いかがいたそうか、ラル・シンよ?」 ラル・シンはしばらく、しかめ面で考えていたが、 「〈出会いの井戸〉ではいかがでございましょうか? あそこならば、こぎれいなあずまやもありますし、まわりは木立ちに囲まれておりますゆえ、人目にたつ心配もありませぬ。何より、名前がこの場合に似つかわしく、散文的でございますしね。あそこは、わが国とカンバーランドとの、ちょうど国ざかいに位置しておりますれば、双方にとっても、この際、公平な場所かとぞんじまする」 「ふうむ、〈出会いの井戸〉か。うまいぞ、ラル・シン。じゃじゃ馬姫と、不幸者が出会うのに、これ以上にふさわしい場所は、またとはあるまい! 時刻は―― 明晩、光滅ののち、三カンドルがよいぞ。さっそく、使いの者に返事を持たせよ。文面はそちにまかせる。くれぐれも遺漏なきよう、万事とりはからうのだ。よいな?」 「おおせ、かしこまりましてございまする。万事、ラル・シンめが、都合よく取り計らってごらんにいれましょう。さっそく大臣詰め所に引き取りまして、逢瀬の日時と場所についてのご返事を、さささっと、したためてまいりまする。カンバーランドのお使者には、みどもから、ご返事をお手渡ししておきまするが、それでおよろしいですかな?―― 結構、結構。諸事万端、整いましたれば、お知らせかたがた、まかりこしまして、そのあとのご相談も、いずれその時にいたしましょうぞ」 「あいわかった。父上にはくれぐれも、悟られるでない。それから、逢瀬ではないぞ、会談だ。間違えるな」 「心得ましてござりまする。お姫さまのお手紙は、これ、ここに―― 殿下のお手の中に、置きますれば」 ラル・シンはくすくす笑って、一礼をすると、後ずさりしながら、部屋を出て行った。 「殿下」 しばらく待って、ゆりかが声をかけた。 「おお、お客人。まだいてくれましたね。委細は、お聞きおよびの通りですよ」 「いいんですか、あんなに簡単に決めちゃって? そのお手紙、どこか変ですよね」 「あなたも、そう思われますか?」 「ええ。だって、ロデリア姫は、一度、お城を抜け出したせいで、簡単にお城を出たりはできないはずなんです。兵隊に見張られているんですからね。あなたに会いに来るなんて、ちょっと信じられない。日にちと場所と時間は、あなたが決めていいなんて、そんなに自由に行動できる立場じゃないのに。それにわたしの知っている王女さまって、そんな手紙を書くような人じゃないわ。ロデリア姫はあなたのことを、とってもきらっているみたいだったもの。本当のあなたは、想像とは全然違っていましたけどね」 「ははは。ありがとう、お客人」 「そのお手紙、やっぱり偽物じゃないでしょうか?」 「だが、本当かもしれないよ」 若者は、ラル・シンが残した巻物を、手の中で握りしめると、 「〈出会いの井戸〉に関してですが、万が一の場合にそなえて、森の中に軍隊をひそませて、ことが起きた場合には、兵隊たちに襲いかからせることにしましょうか?」 「駄目よ。『あなた一人か、お供を二、三人で』って、その手紙に書いてあったじゃないの。第一、相手が誰だかわからないのに、会いに行っても、大丈夫なんですか? だって、あなたは目が―― いいえ、ごめんなさい!」 「ははは! かまいませんとも。むざむざ、悪者どもの計略にはまって、命を粗末にするような真似はしませんよ」 「言っておくけど、ロデリア姫は、悪者なんかじゃありませんよ。あなたがそのお手紙を、本当にロデリア姫が書いたと思い込んでいるならばね」 その時、ずーっと黙っていたペン子が、指をくわえて巻物を見つめながら、そっとつぶやいた。 「あのう、さしでがましいのですが、そのお手紙が、本当にお姫さまの書いた物かどうか、わたしが確かめてみても、およろしいでしょうか?」 「ええっ? 何ですって? 今、何て言ったの、ペン子ちゃん?」 ゆりかがおどろいて、ペン子をふり返った。 「わたしなら、そのお手紙が、本物か偽物か、わかると思うんです」 「なんだ、ペン子ちゃんてば、すごいんじゃないの。できるんなら、初めから言えばいいのに」 「どなたもわたしに、訊いてくださらなかったものですから」 「よし、ペン子ちゃんに頼もう。どうやって確かめるつもりなんだい?」 わかぎみが、あさっての方向に差し出した巻物を、ペン子はうやうやしく、前に回って受け取り、広げてながめていたが、やおら、人さし指につばきをつけて、巻物の表面を、ゆっくりとなぞった。 「ああっ! 手紙が燃えちゃう!」 だしぬけに、青白い炎が燃え上がり、めらめらとペン子の手の巻物をつつんだ。 炎は熱くはないのだろうか、火の粉を飛ばして燃え広がると、その中に、蝶々のような薄い羽根を背中につけた、妖精みたいな格好の、真っ赤な文字の精が立ち上がった。文字の精はしばらくゆらゆらと揺れていたが、急にぱったりと倒れて、死んでしまった。 「おや? 変ですわ!」 「どうかしたの、ペン子ちゃん?」 「どうかしたのか? 一体、何ごとが起こったのだ?」 「この手紙、なんだか魔法がかかっているみたいなんですわ。この手紙の言葉が、真心から出たか、嘘心から出たか、手紙にじかに訊いてみようとしたんですけれど、巻物全体に〈読み取り禁止〉の魔法がかけられていて、文字の精を呼び出すことが、どうしてもできないんです」 「それって、どういうことなの、ペン子ちゃん?」 「その手紙の送り主か、そのすぐ近くに、強力な魔法の力がひそんでいるということだろうね。そしてなんぴとも、その手紙の文面に、魔法をかけることができないようにしたのだろう」 「それはなぜですか、殿下?」 「おそらく、誰かがその手紙の中味を変えたり、手紙を手にした人間に、恐ろしい呪いや災いが、ふりかからないようにするためでしょう。もしくは、その反対かもしれない。呪いや災いを、ふりかけようとしたのかも」 「だとすると―― 一体、どういうことになるの? お姫さまが魔法を使えるはずはないし、パピリカは今、それどころじゃないはずだし―― 。あの〈水晶なんとか〉のお婆さんの、やったことかしら?」 ゆりかはこわごわと、ペン子の手の巻物を見つめた。ペン子の手に握られた巻物が、急に恐ろしい物体に思えてきた。 「ペン子ちゃんとやら、その手紙に誰が魔法をかけたか、きみの力では探り出せないかしら?」 「やってみますわ、殿下。自信はありませんけれど。失礼して、こちらのテーブルをお借りしてもかまいませんか?」 ペン子は、すぐそばの平たい大理石の文机に近寄って、その上に巻物を広げた。 「ヤブラクサス、アブラクサス、モーヘンダッタ、インプウ・クスン!」 呪文を唱えたとたんに、巻物がはね上がり、ペン子の顔に飛びかかってきた。 「きゃああああっー! いやああーん!」 ペン子は悲鳴を上げて、巻物をはらいのけようとしたが、相手は怒ったコウモリのように、羽ばたきながらペン子の顔に、容赦なく打ちかかってくる。 「いやあーん! いやあーん! 助けてえーっ、助けてえーっ、助けてえーっ、助けてえーっ!」 逃げまどうペン子のあとを追いかけて、巻物は生きているように飛び回り、ふわりとペン子の顔に貼りついた。 「ムギュウ!」 ペン子はひと声叫んで、床に倒れた。 「ああっ! ペン子ちゃんが!」 ゆりかが駆け寄ると、ペン子は消えていた。 「どうしたのだ? 何ごとが起こったのだ?」 「ペ、ペン子ちゃんが―― 消えてしまったんです!」 「だって、きみたちは、もともと姿を消しているはずだったんだろう?」 「え・・・ええ。それは・・・そうですけど・・・」 その時、部屋の垂れ幕が左右に広がって、血相を変えた、まんまるい太っちょの大臣が一人、わかぎみの前に転がるようにまかり出でた。 「わ、わかぎみさま、い、一大事にござりまするぞ!」 「何? またぞろ一大事か? それで今度は、どんな曲者がまいったのだ、タルトンテップよ?」 「わかとの、おたわむれを。先ほど侵入した賊のことにございます。ただ今、兵隊たちが見回りましたところ―― 」 肉と脂肪の塊のようなタルトンテップ大臣は、ぞっとしたように声を低めると、 「―― ぞ、賊の姿は、ど、どこにも、み、見あたらないので、ござ、ご、ございます!」 「おおかた、恐れをなして逃げたのであろうが」 「それが、宮殿魔法使いどのの申すのには―― まだこの王宮のどこかに、ひそんでおるものとか」 今では“賊”がゆりかたちのことだと知っていた若者は、このお人好しの大臣を、ついからかってやりたくなったようだった。 「あいわかった、あいわかったぞ。ところでのう、タルトンテップよ、さっきからずっと気になっておったのだが、そなたの肩先にぶら下がっている、そのまあるい、目の飛び出た生き物は何なのじゃ?」 「ウヒャアアアヒオウ!」 タルトンテップは悲鳴を上げ、若者の目が不自由だったことを思い出すと、 「との! わかとのさま! お、おたわむれがすぎまするぞ! ほら、こんなに汗が出た!」 「はははははは! ゆるせ、ほんの肝だめしだ。ところで、その曲者たちだが、本当にこの宮殿に侵入したのか? 宮殿魔法使いどもの、勘違いではないのか?」 「そ、そのようなことは、ないとぞんじまするが―― 」 「しかし、宮廷の魔法使いどもときたら、口の方は達者でも、腕前ときたらさっぱりではないか。このあいだも、空にあらわれた不吉なしるしを、吉兆とあやまって判断していたぞ。あやつらの言うことも、あやしいものだな」 「そうとばかりは、申せませんことよ」 張りのある、凛とした声が入り口から響いて、第三の人物が現われると、 「ああっ! パピリカさん!」 ゆりかの声におどろいたのは、タルトンテップ大臣だ。誰もいないと思っていた部屋の隅から、いきなり人の声が聞こえたものだから、太っちょの大臣は、 「きゃあああっ!」 と叫んで、わかぎみの部屋を飛び出して行ってしまった。 「どなたですか? 姿をお見せなさい!」 威厳のある声で、三番目のその人物 (?) が言った。ゆりかはまだまだ半透明だったが (ペン子が気絶して、術の効き目は薄れていた)、見つかることはないと思いつつも、こわごわとライオン像のかげから、顔を突き出した。 「おやおや、そんなところに隠れていたのね。ふふーん! 見たところ、強力な〈災い封じ〉の呪文まで、身につけているようだわね。兵隊たちが見つけられないのも、無理はないわ。ところで、殿下。この曲者が、あなたのお部屋で見つかったわけを、説明していただけますかしらね?」 「あ―― あなたは―― パ、パピリカさんじゃ―― ないのね?―― 」 「おや、パピリカだって? おまえは私の従姉妹の、パピリカ・パピリトゥスを知っているの?」 「従姉妹! パピリカおばさんの従姉妹!」 「ふふん! そんなところに隠れていないで、さっさと出ておいでなさいな!」 ゆりかはおとなしく、言われた通りにした。 その人物が怪光線を目から放つと、とたんに、ゆりかをつつんでいた術が破れ、ゆりかははっきりと姿を現わした。 「ふふん。思ったよりも、見すぼらしい身なりをしている賊だわね。ほほう! 首からぶら下がっている、そのペンダントは、さては〈みどりのしずく石〉と見たわ。安心おし。そいつはあんたの物ですよ。あんたが首からぶら下げているところを見るとね」 「あ―― あの―― あなたは―― 一体、誰なの―― 鳥おばさん?」 “鳥おばさん”と呼ばれて、魔法使いは、一瞬いやな顔をしたが、そのさまは、びっくりするほど、パピリカにそっくりだった。 それもそのはず、その魔法使いはどう見ても、鳥そっくりの、世にも不思議な格好をしていたのだ。 長いとさかと、くちばしを持った、身の丈二メートルはありそうな、全身を紅色に輝かせたピンク・フラミンゴ。あのパピリカにうり二つの、ものおもわしげな、大きな目をしばたたいて、鳥はしばらくゆりかをながめていたが、 「私はパピリカ・パピリトゥスの従姉妹で、ペヨルカ・ペヨルスカという者だよ。ところで、あんたは何者で、どこからどうやって、やって来たのさ? どうして、こんなところに―― 殿下の大切な寝所に、入り込んだりしたの? あんたみたいな見すぼらしい子供が、どうしてよ? 返答しだいでは、生きてここから出さないよ」 「これこれ、ペヨルカ。あまり、彼女をおどかすではない。このお方は私のお客人だ。出すぎたふるまいは許さぬぞ。たとえそなたが、宮廷魔法使いの大頭目(おおかしらめ)ではあってもな」 「これはこれは、殿下。おたわむれを」 ペヨルカは長い首をうなだれて、意味ありげにアヨングを見やると、ゆりかに向かって、深々とおじぎをした。 「私としたことが、とんだ不調法な勘違いを。殿下の秘密のお楽しみのお相手とは、つゆ知らずに―― 。お許しあれ、殿下。それにお客人」 「ほざくな。無礼を申すと、本当に許さんぞ。ゆりかどの、私にした話をもういっぺん、この高慢ちきの、能無し魔法使いめに、くり返すがよいぞ。悪いようにはいたさぬゆえ」 そこで、ゆりかはバルト世界へ来ることになったいきさつと、プンデルカンドを訪れた理由を、つっかえつっかえ、ペヨルカに話して聞かせた。 「ふふうん。なかなかに興味のつきないお話だわね。ロデリア姫が行方知れずになったといううわさは、私も風のたよりに聞いたけれど、本当だとは思わなかった。私は政治向きのことには関心がないうえに、口を出すことも禁じられているので、くわしく探ろうとは思わなかったから。 パピリカは―― あれの気性については、私も小さい頃から、よーく知っています―― なあるほど、王女を連れて城を逃げ出すとは、いかにもあの人らしい、思いきった手段に出たものだわ。笑っちゃうな。それにしても、このことが〈魔法組合〉に知られていたのなら、こちらの耳にも当然、入っていなくちゃおかしいのだけれど。そうか、わざと知らせなかったんだな、カンバーランドの国王さまとお妃さまは。今の両国の関係を考えたら、それも無理もないか。 ようやく飲み込めましたよ、あなたの体が半欠けで、半透明だった理由もね。それはそうと、その手紙とやらはどこにあるのさ?」 「ここです」 ゆりかは手にした巻物を、ペヨルカにおずおずと差し出した。 「ちょいと拝見するわよ」 ペヨルカは、ゆりかの手から巻物を受け取ると、文面をくわしく調べていたが、 「ふふうん。確かにこの手紙には、やっかいな呪文が、しこたま仕掛けてあるようだわよ。うっかりちょっかいを出すと、いやな目にあわされること、受けあいだわよ」 「もう、あっています。実は、ペン子ちゃんが―― 」 「あはあ? ペン子ちゃん? ああ、そのいまいましい、ペンダントの精のこと? 何、びっくりして目を回して、元の姿に返っただけなんだよ。しばらく放っておけば、元に戻るだろうよ。まったく、こいつらペンダントの精ときたら、親子そろって手数のかかることだ! いやあ、こっちのこと、こっちのこと。それより、殿下。あなたは本当に、このお手紙のお申し出を、お受けになるおつもりで?」 「そのことで、今、お客人がたと相談をしていたところなのだ。これが、本当の申し出ならば、よし。罠なれば、あえてはまってみようかとね」 「いけませんですわ。それは、どうにも感心しかねますですよ」 「ならば、どうすればよいのだ。すでに返事は、ラル・シンにたくして、使いの者に持たせることに、決めてしまったのだがな」 「あのう、ラル・シンさんて、さっきの薄気味悪い、三角形のあごひげを生やした、できそこないの、小ねずみのような大臣の人ですか? わたし、さっきから、言おう言おうと思っていたんですけれど、あの人を信用しても、大丈夫なんですか?」 「ラル・シンのことかい? きみは落ち着いている時は、ぞんがい言葉にとげのある女の子のようだねえ、お客人」 「そんな・・・あ・・・はい・・・あの・・・その・・・ご・・・ごめんなさい!」 「なに、あやまることはないよ。全然、信用してはならないのだ」 「は?」 「私も、あの男の声を聞けばわかります。あれは腹黒い、サンショウウオのような男ですよ。まったく信用ならないし、信用に足る人間でもないでしょうね。自分の母親の死体からでも、宝石入りの金歯をくすねかねない、生まれついての下衆野郎ですよ、ラル・シンという男は」 「だったら、どうして信じるの?」 「ヘビのことは、ヘビに聞くのが一番だからですよ。今度の手紙の一件には、なんらかの陰謀、はたまた計略が隠されているのかもしれません。そんな時、用心するに越したことはないでしょう? タルトンテップという大臣は、無類のお人好しで、私もあの男は大好きです。だが、あの男ではお人好しすぎて、いささか心もとない。大陰謀がくわだてられている時には、それを見抜けないかもしれない。なんといっても、タルトンテップという男は、自分の父親が大臣だったおかげで、今の職にありついただけの、まったくの能無しときていますからね。 そこへいくと、ラル・シンの方は、あの声を聞く限り、油断のならない、マムシのような知恵者らしい―― 」 その時、表の方が騒がしくなり、部屋の入り口の垂れ幕が開いて、ターバン姿の兵隊たちが、手に手に武器を持って、どやどやとなだれ込んできた。 「なにごとだ、騒々しいぞ!」 「殿下! 生きた心地もいたしませんでしたぞ! ご無事でございましたか? もしや、魔物にとって食われたのではないかと、拙者は―― 」 先頭にいた当のタルトンテップ大臣が、今にも泣きそうな顔で、みどりのライオン像の方をふり返り、口にした。 「何だと? 何を言っているのだ、タルトンテップよ?」 「何ごとかと申されますので? もちろん、さ、さいぜんの、こ、こ、声のことに、ござ、ご、ございます」 「声? 声とは、何の声か?」 「さすれば、先ほど、て、手前のこの耳に、は、は、はっきりと聞こえましたるところの、よ、〈預言者ヌウ=エル〉の、こ、こ、声にございます」 「なに、〈預言者ヌウ=エル〉の声? その方、〈預言者ヌウ=エル〉の像が、しゃべったとでも申したいのか? タルトンテップよ、よもや乱心いたしたか?」 「め、めっそうもございませんです! さ、先ほど、こ、この耳で聞きました。よ、〈預言者ヌウ=エル〉の像から、こ、声がするのを、た、た、確かに」 「たわけたことを申すでない! その方は、この〈預言者ヌウ=エル〉の像が、吠えたとでも申したいのか?」 「はい、それはもう、骨もふるえる、とどろき渡るような、お、大声で。せ、拙者、わかぎみさまの身に、万々一のことがあってはと、へ、兵隊どもをかき集め、し、し、死ぬような思いで、こ、こうして、か、か、駆け戻って来たる、し、次第―― 」 「タルトンテップよ。もういい、わかったよ。そちの忠義のほどはな」 「タルトンテップどのは、生来の臆病者ゆえ、ご自分の腹の虫が鳴る音を、獅子の咆哮と間違われたのではありませんか?」 ペヨルカが、さりげなく巻物をつばさの下に隠しながら、そう言った時、あごひげを生やした小男のラル・シン大臣が、兵隊どものすき間をぬって、現われた。 「おお、宮廷魔法使いどのも、こちらにおわしましたか。いずれにせよ、この部屋の中をあらためれば、すむことにございましょう。タルトンテップどのの申されようが、真実か否か。ぞんがいと、先ほどの曲者が、この部屋の中に、しのんでおるのやもしれませぬぞ」 ラル・シンが抜け目なく、部屋の中をぐるりと見渡した。 それから一同は、熱心に声の主を探し始めた。 香炉や座布団、はてはじゅうたんの下まで、ラル・シン大臣はいちいちめくって確かめていたが、怪しい者はどこにも見つからない。その時、ライオン像の背中にとまっていた一匹のあぶが、びっくりしたように飛び上がって、ラル・シン大臣のまわりを、ぶんぶん旋回し始めた。大臣がうるさそうに手で払いのけると、あぶは、吊りひもで天井から吊り下がった、きれいな丸い吊り飾りの上に来てとまった。 「との! わかとのさま! 申し訳ありませぬでした! どうやら、このわたしくしめの、は、は、早とちりにございましたようで! か、か、かくなる上は、わかぎみさまのおん御手で、こ、こ、このみすぼらしい空っぽの、や、や、や、やかん頭を、みんごとずっぱり、お、お、お、おはねいただきとうぞんじまする!」 「タルトンテップよ、馬鹿を申すでない。やかんなら十分に、足りておるわ。そなたのはげ頭でわかした湯など、まずくて飲めたものではないぞ。それに、誰にも聞き違いはある。もとはと言えば、私の身を案じてくれてのこと。なんでその首、はねられようか」 「おお! おお! おお! も、も、もったいないその、お、お、お言葉、この、この、このタルトンテップ、ほ、ほ、ほ、骨身に染みましてございます! こ、こ、今後は一層、き、き、胆に命じまして、こ、こ、このたる腹、わ、わ、わかぎみさまのみこころにかなうよう、しょ、しょ、精進いたしまするゆえ、こ、こ、このたびの、ふ、ふ、不始末、なにとぞ、なにとぞ、なにとぞ―― 」 「もういい、わかったよ。頼むから、引き上げてくれないか、やかん頭」 「お、おおせ、か、か、かしこまりましたわい!」 タルトンテップ大臣は、首をなくさずにすんだうれしさからか、頬の肉をぶるぶる震わせて叫んだ。 「念のため、いく人か兵を残しておきましょうか? それで足りなければ、この私めがじきじき、ここでわかぎみさまとごいっしょに―― 」 「お黙りなさい! そしてお控えなさい、無礼者!」 ペヨルカ・ペヨルスカが、ラル・シン大臣を怒鳴りつけた。 「ここはいやしくも、宮殿の支配者のお世継ぎのお部屋です! いやしい大臣ふぜいが、分をわきまえずの差し出口! 見苦しい!」 「ははあっ、申し訳ありませぬ、宮殿魔法使いさま。出すぎた真似をいたしましたわい」 ラル・シン大臣はうやうやしく頭を下げたが、その両の目からは、憎々しい光が満ちあふれている。 二人の大臣たちと兵隊たちが、おとなしく引き上げて行くと、丸い吊り飾りにとまっていた、さっきのあぶが、羽音を立ててかろやかに舞い下りてきた。あぶは、あのみどり色のライオン像の上にとまると、つぎの瞬間、ゆりかの姿に戻った。 「ああ! びっくりしちゃったわ! どうなることかと思っちゃった! どうやら、うまくいったみたいね。わたし、見つからずにすんだみたいよ。どうしてなのかは、わからないけど」 「そのまま知らない方が、身のためだわよ。ところで、殿下の人物を見る目のご正確なこと、並みの目明きには、ひけをとりませんのね。いいえ、それ以上ですわ」 「ありがとう、ペヨルカ。おまえも辛辣だね。さすがは人柄の悪さで聞こえた、クジャク一族の出さ。ところで、さっきの続きだが、私はもうラル・シン大臣に、ロデリア姫のお手紙への返事をしたためさせて、カンバーランドの使いの者に、渡せと命じてしまったのだよ」 「ああ。道理で、あの御尽、殿下のことをさも意味ありげに、ごらんになられていたはずですわね。なに、そんなもの、取り返すのは造作もないことですよ。私がお使者の方から、そのお手紙のご返事を、さささっと、取り返してきてさしあげましょうかしらね?」 「そうするのは、たやすいことだが―― ペヨルカよ。先ほども申した通りに、私は思いきって、その手紙の文面を信じて、相手のふところに飛びこんでみようかと思うのだ。さすれば、相手の本心もわかろうというものだし、また新たな運も開けるに違いない。そちはどう思う、ペヨルカよ?」 「わたくしの持つ、すべての常識、すべての判断力、すべての知恵が、あげてその決断に対して、『やめろ』と申しておりますわ。 殿下は『相手の本心』とおっしゃられますが、果たして、そのお手紙にご署名あらせられた、当のお姫さまかどうか。たとえ、そうであったとしても、万々が一、相手があなたさまに二心いだかぬ保証は、どこにもありませんのよ。なんとなれば、隣国カンバーランドは、プンデルカンドの、目下は敵国にござりますればね」 「おまえは、恐ろしい真実を言う時は、口調がいやにていねいになるようだな。そなたの申しようを聞いていると、口あたりのいい、二重人格者のようだぞ」 「それが宮廷で働く者の、難しい務めにござりまするわ。真実を申さば雇い主を傷つけ、言わずばなおのこと傷つけてしまう。 だが、このペヨルカ・ペヨルスカ、やせても枯れても、プンデルカンド一高い碌をいただく、宮廷魔法使いの大頭目。お安くない給金をちょうだいする以上は、ご給金分の働きくらいはいたさなければね。私めは、所詮は宮廷づとめの身ゆえ、ラフレシア大公殿下のご用命ある限りは、殿下のみこころに従うのが、この際の、お役目の本分かとぞんじまするわ」 「要するに、このことを父上に告げると申すのだな?」 「そうするのが、この場合の、私の義務かとぞんじまする」 「しかしだな、ペヨルカ。私が見た、というか、ねずみ大臣のラル・シンに読ませたところでは、先ほどのあの巻物の送り主―― 人か、はたまた尊いお方のお名前をかたる、不届き千万な、もののけのたぐいかは知らねども―― あのお手紙の主は、こう言っていたのだぞ。『誰にも告げずに、一人、もしくは供の者を二、三人で』と。おまえが父上に告げ口をしてしまったのでは、あの手紙の送り主を、裏切ることにはなるまいかな?」 「お約束をかわしている相手ならば、そうも申せましょうが、この場合は、相手が一方的に突きつけてきた条件。こちらが言いなりになるとは、先さまも、まさか思ってはおりますまい。殿下が言いなりに出向いたりしては、それこれ相手の思うつぼですわ。第一、失礼この上ない相手の申し出が、いかにもあやしい証拠ではございませぬか」 「それそれ。そこが、この手紙に、私が心惹かれるところなのさ。さっき、お前がこの部屋に入って来る直前、私は、こちらの異世界のお客人にも、話していたのだ、〈出会いの井戸〉の周囲の森に、兵を配置して、相手のすきをうかがおうかと。だが、今は考えが変わったぞ。この手紙の送り主の近くに、なんらかの魔法がひそんでいるのならば、だ―― よし、魔法よ来い! その挑戦、受けて立とうぞ!」 「あの、殿下―― 」 「もうよい。何も言うな。差し出口は無用だ」 「あの、ですが、殿下―― 」 「なんだ、ペヨルカ・ペヨルスカ? 宮廷一心配性の、ピンク・フラミンゴよ」 「ああ! 私が一番呼ばれたくない、その名前で!」 「なんだ、そうだったのか? 知らなかったぞ、ピンク・フラミンゴよ」 「わかりました。もう申しません。ただ一つだけ、お聞かせいただきたい。もしも、私が、わかぎみさまのご禁令を破り、このことを、お父上である大公さまに、お告げ口いたすとしたら、あなたさまはどうなされますか?」 「おまえは、そんなことはしないだろうよ、宮廷魔法使いの大頭目よ」 「ああ! その自暴自棄にも似た、傲慢ともいえるほどの自信は、一体どこから来るのですか?」 「それは、お前が今日限り、ピンク・フラミンゴではなくなったからなのさ。そうだろう、宮廷魔法使いの大頭目よ?」 「ぐふう、殿下!―― まことにもって―― ぐふう!―― ごもっともかと―― 」 「それで、どうするの? 行くの? 行かないの?」 二人のやりとりのあいだ中、ゆりかは、 (この国の人間や動物は、まるでお芝居みたいなしゃべり方をするんだなあ!) と、なかば感心し、なかばあきれていたのだった。 「私は行かせたくはありません、正直に言えば」 と、ペヨルカ・ペヨルスカが首をふって、 「ですが、殿下がお一人で散歩に出たいとおっしゃるならば、あえて止めだてはいたしませんですわ」 「素敵!」 「素敵だ、ペヨルカ。礼を言うぞ!」 「もちろん、殿下のお気まぐれな外出について、あれこれ差し出がましい口をきいたり、大公さまにお告げ口をいたしたりもいたしませんですわ、この羽根に誓ってね」 「おお! ならばおまえも、私の考えに、賛成してくれると申すのだな?」 「なべて、殿下のみこころのままに、ですわ」 「ありがたい! ペヨルカ、礼を言うぞ! 何度でも言うぞ!」 ペヨルカ・ペヨルスカはわかぎみの言葉に、生まれた土地でもあるトルキメダ地方のあいさつを、床に頭をこすりつけて、三度ほどくり返した。 「ねえ、アニョンキ。わたしもいっしょに行きたいんだけど、駄目かしら? そこに現われるのが、本当にロデリア姫かどうか、行って確かめたいんです」 「ふうむ。ですが、いささか危険ではないでしょうか、とつくにから見えた、旅のお方? おとなしく帰られた方が、身のためではないでしょうか?」 「だけど、あなたには、わからないんじゃないの? いいえ―― つまり―― わからないでしょう?―― 見たくても見えないし、見たことがないんだから―― 相手が本当にお姫さまかどうかを、どうやって見分けるつもり?」 「おお、そうか―― それは確かに―― その通りだ―― そこまでは―― 思い―― いたらなかった―― 」 「ねえ? だったら、このわたしを連れて行けばいいわ。このわたしを連れて行きなさいよ。わたしなら、本当にお姫さまかどうか、すぐにわかるから」 「でも、大丈夫かなあ? お客人にもしものことがあったりしたら、それこそ、取り返しがつかないのではないだろうかなあ?」 「ああら、平気よ。だって、わたしにはペンダントの精がいるし、いざとなったら、ここにもう一人、頼りになる魔法使いさまが、ひかえているんですもの」 「ええっ? 頼りになる魔法使いさまって、一体、誰のことですか?」 「もちろん、あなたよ、鳥おばさん―― 他に、誰がいるっていうの?」 「まあ、何ですって? 図々しい! 誰がいっしょに行くと言いましたか?」 「お前もいっしょに来てもらうぞ、ペヨルカ」 「私もごいっしょいたしますですわ、殿下」 ペヨルカに気どられないよう、ゆりかは横を向いて、思いきり顔をしかめ、舌を突き出した。 「これで決まったぞ。では、ラル・シンに言いつけて、こっそりと兵を集めさせよう。供の者は最小限度にとどめて、兵は森のその場所に、前もって配置をしておくのだ。あくまでも、父上にはないしょにして。なに、その場しのぎの兵です、ご安心を」 勘の鋭いアヨングは、ゆりかが何か言いかけるのを、先回りをして口をはさんだ。 「それでは、宮殿魔法使いの大頭目である、このわたくしめは、会合場所のその―― 〈出会いの井戸〉でしたかしら?―― そこに、一足先に出かけることにいたしますわ。曲者どもがそこで待ち伏せをして、罠をはったりできないよう、見張りに立つためにね。日取りと場所と刻限を、殿下の口から、もう一度」 「場所は、シドンの森のウプルの泉のほとり、〈出会いの井戸〉と称される場所で、時刻は明晩、天空の光が滅してよりのち、三カンドルだ」 「シドンの森のウプルの泉のほとり、〈出会いの井戸〉と称される場所で、時刻は明晩、天空の光が滅してよりのち、三カンドルですわね。委細、承知いたしましたわ。なあるほど、人目を避けてしのびあうには、ぴったりの場所と刻限。さながら逢瀬のようですわね」 「ラル・シンと同じことを言っているよ、お前は。だが逢瀬が、とんだ災難になるやもしれないよ」 「まあ、わかぎみさま、今からそんなことでは、先が思いやられますわね!」 「言うな! これは単なる、武者ぶるいなのだぞ!」 「まあ! わたくしめとしたことが、とんだ見当違いの当て推量。おほほほほ。それでは、わたくしめは、いの一番に森に行って、殿下がまいられるその時刻まで、つつがなきよう、その場所を見張っていることにいたしますわ」 「あのう、わたしはどうすればいいの? 明日までここでは待てないし、だからって、いったんカンバーランドに帰って、もう一度ここへ来るのは、大変そうだし」 「だったら、私の部屋へおいでなさいな。一晩くらいなら、泊めてさしあげますわよ。眠る場所や食べ物もあるし、一晩だけなら、なんとかなるでしょうよ」 「ありがとう、パピリカさ―― じゃなかった、メモリアさん」 「ペヨルカです、お間違いなく」 ペヨルカが、むすっとしたようにつけくわえた。 三人は細々としたことを打ち合わせて、明日、〈出会いの井戸〉で会おうと、約束しあった。 いつまでもここにいては、ゆりかが見つかる心配がある。 ペヨルカはゆりかに呪文をかけて、もう一度ゆりかを見えない姿に戻すと、くだんの巻物をわかぎみの手に押しつけて、ゆりかと連れ立って、部屋を出て行った。 「いと高き天にまします、神聖孔雀のアルゴスの貴きつばさのかげで、あなたの汚れを知らない身と魂が、無事に安らげますように」 わかぎみが天井を見上げながら、ゆりかとペヨルカに声をかけた。 それはこの国に伝わる、「みんな、おやすみなさい」のあいさつだった。
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ペヨルカの寝所は、宮殿の奥まった区画にあり、ほかの魔法使いたちも遠慮して、ふだんは近づかないことになっていた。ゆりかが見えない姿のまま、そこで一晩をすごすには、まことに好都合だった。 広い三間続きのそのペヨルカの寝室は、鳥の住みかにしては、すこぶる居心地のいい作りで、仕事場兼書斎と、居間と、寝室とにわかれた三つのどの部屋にも、鳥用の、止まり木に似た粗末な木の簡易ベッドが、一つずつすえられていた。 「とっちらかってるけど、ごめんよ。ちょうど大事な実験に、とりかかってる最中だったからさ」 ペヨルカが申し訳なさそうに言って、開き放しだった実験室のドアを、足で蹴って閉めた。ドアが閉まる寸前、暗やみの中で二つの大きな目玉のような青い光が、ぴかぴかっと光ったような気がした。 「あの、お邪魔じゃなかったんですか?」 ゆりかはどぎまぎしながら訊いた。 「いいのよ。気にしなさんな。ふうん、あんたは結構、気の弱そうなタイプなんだわね。体格も貧相だし。でも、負けず嫌いのところがあるようだわね。私、好きですよ、そういうの。ふふうん。パピリカめ、なかなか人物を見る目はあるようだわね。それより早く、その椅子にかけなよ。今、食事を出すからね。魔法じゃないのよ、なんと手作り!」 ペヨルカは、あたたかい豆料理と、ネクタルという特製の飲み物で、ゆりかをもてなした。豆料理は湯気が立っていて、見るからにおいしそうだったが、一口食べてみると、ゆりかの口にはまるであわない。ゆりかは食事を断わると、ペヨルカにあることをねだった。 「ペン子ちゃんを元に戻せませんか? わたし、もし、おばさんにできるなら―― 」 ゆりかがしまいまで言い終わらぬうちに、ペンダントがまぶしく光って、テーブルのわきに立つペン子に変身した。 「わあ、ペン子ちゃんだ!」 「ごちそう、食べてるんですね、ゆりかさん!」 ペン子はペヨルカに、ぴょこんとおじぎをすると、ゆりかと手を取りあって、再会をよろこびあった。 二人と一羽は、簡素な木のテーブルをはさんで、今まで起きたことや、これからに待ち受けている冒険について、小声で相談を始めた。ペン子は、ペンダントに戻っていたあいだも、まわりのできごとを、残らず見聞きしていた。 「ところで、私の従姉妹のことだけどさ、あの人は今、どうしているのさ?」 パピリカがお城の地下牢に閉じ込められていると聞くと、ペヨルカは目をまん丸くして、 「おやおや、おやおや! あの人を閉じ込めておけるような牢屋が、はたしてこの世界に存在したのかしらね? それはそうと、私は今ある実験の最中で、ちょうどアタノール(錬金術師の使う炉)に火をくべて、とある物質を燃やしていたところなのよ。失礼して、続きにかからせてもらいたいんだけどなあ。何かあったら、あのドアを、ノックしてちょうだいよ」 ペヨルカは、さっき怪しい目玉が閃いたドアを、つばさの先で指し示した。 「あの、実験って、どんな実験なんですか?」 「あいにくと、教えられないのよ。ラフレシア大公殿下や、わかぎみさまにもないしょなのだからね。あと、ほんの少しで完成するのよ。疲れたら、あちらの寝台でおやすみなさいな。それじゃあ、あとはご自由に。ランプはここに置いときますよ」 ペヨルカは実験室のドアを開け、三秒後には中に入って、内側から木のかんぬきを掛けた。ゆりかとペン子はいろいろとおしゃべりをして過ごしたが、そのうち、ゆりかは眠たくなってきて、しきりとあくびが出てきた。 「ゆりかさん、あちらのお部屋で、おやすみになってくださいまし。時間がきたら、わたしが起こしてさしあげますからね。わたしはここで番をしていますわ」 「そうお? じゃあ、ちょっとばかり、寝て来るとするかな」 ゆりかは大きくあくびを一つして、ペヨルカにおやすみを言おうと、くだんの実験室のドアの前にやって来た。 「ペヨルカさん? ペヨルカさん? どうもありがとうございました! わたし、もう寝ます! おやすみなさい、ペヨルカさん! 聞こえていますか、ペヨルカさん? ペヨルカさん? ペヨルカさん? 大丈夫なんですか? どうかしたんですか? ペヨルカさん? ペヨルカさん?」 突然、木製のかんぬきのはずれる音がして、紅色のフラミンゴの頭部が、ドアのかげから、ぬうっと突き出した。フラミンゴは、ゆっくりと部屋の中を見回し、そこにいたゆりかを初めて見るような目つきでながめ、それから、わかったというしるしにうなずいて、また、すうっとドアのかげに消えてしまった。 「ああ、びっくりしたあ! それじゃあ、わたし、寝るとするわ。おやすみなさい、ペン子ちゃん!」 「はい。おやすみなさい、ゆりかさん。いい夢を見てくださいね」 「ええ。ペン子ちゃんもね」 「わたしは無理ですわ。わたしは食べたり、眠ったりはできませんから。明日、目が覚めたら、どんな夢だったか聞かせてくださいな。わたし、夢って、いっぺんも見たことがないんですもの」 「わかった。わかった。なるほどね。むにゃむにゃ、むにゃむにゃむにゃ・・・わわわっ! なんだ、あれ!」 ゆりかは天井を見上げて、はね起きた。 「どうかしたんですか、ゆりかさん?」 ゆりかの悲鳴に、ペン子が隣の部屋から、すっ飛んで来た。 「あっ、あっ、あれは―― ! あれはっ、何!?」 天井を横切る梁から、見おぼえのある、干したイモのような物が、いくつも、いくつもぶら下がっている。 「ああ。なんだ、“恋なすび”ですね。別名マンドラゴラとも言いますけれど。ほら、いつだったか、ゆりかさんも、会ったことがあるじゃありませんか? 丸々としていて、いいあんばいにふとっていますね。見方によっては、おいしそう!」 「感心してる場合じゃないわよ! どうしてこんな物が、ここにぶらさがっているのよ? ひょっとして、ペヨルカさんは、悪い魔法使いなんじゃ―― ?」 「いいえ、そんなことはありませんて。魔法使いなら、誰だって、干したマンドラゴラの、十や二十は持っていますわ。何しろ、とっときの魔法の材料なんですからね。それにこれは、ごくふつうの“恋なすび”で、ゆりかさんが出会った“変身マンドラゴラ”とは違って、害はないんです」 「そうなの? だけど、やっぱり気持ちが悪いわ」 ゆりかは恨めしそうに、“恋なすび”を見上げた。 あんまりゆりかが気味悪がるので、とうとう根負けしたペン子が、小手先の魔法でマンドラゴラを、床の一箇所に集め始めた。大小さまざまの干しマンドラゴラが、空中をふわふわ漂いながら、部屋を横切っていくあいだ中、ゆりかは目をつぶって、そちらの方を見ないようにしていた。 ようやくマンドラゴラが片づくと、ゆりかは人心地着いて、ベッドの中にもぐり込んだ。 「それでは、失礼いたしますわ」 「待ってよ、ペン子ちゃん。ランプは置いていって」 ペン子は、ベッドのすぐわきのテーブルに、ガラスのほやのついたランプを置いた。それから、隣の部屋へ戻って行こうとした。 「ペン子ちゃん、待ってよ。ここで、わたしといっしょに寝てくれない? 一人じゃ心細いのよ」 「よろしいですわ。待っていてくださいな」 ペン子は隣の部屋へ行くと、その部屋のランプの明かりを消して、またすぐに戻って来た。 ゆらめくランプの炎に照らされて、ゆりかはペンダントの精と、たがいに抱きあって眠りに落ちた。 「ペン子ちゃん、あなたって、とってもすべすべしていて、とっても気持ちいいのねえ。人形みたい」 寝入りばなの、あの暗やみに吸い込まれていく、うとうとっとする、気持ちのいい瞬間、ゆりかがささやいた。 「はい。わたしはペンダントですからね」 ペンダントの精がぱっちりとした目で、ゆりかにささやき返した。
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