宴と異変
ゆりかは、お城にいくつもある客用寝室の一つに、部屋をあてがわれた。 その部屋の天井には、カンバーランド王国の神話と歴史を描いた、奇怪な動植物や半人半獣の生き物が踊る、パノラマ風の巨大絵が、目を覆うばかりの景観となって、見る者を威圧していた。 中央に置かれたテーブルと、そろいの六脚の椅子には、きめ細かな象眼細工が施され、テーブルの側面や椅子の背もたれには、大粒の真珠やオパール、粒のそろったルビーやサファイアがはめ込まれ、博物館から運び込まれた美術品のようだった。 天蓋つきの四本柱の寝台は、まわりを極上の白いシルクのカーテンに覆われて、部屋の四隅に置かれた鏡台のあちこちには、大粒のダイヤモンドがちりばめられている。床は磨き上げた鏡のように光沢を放ち、壁にはめこまれた銀のろうそく立てのろうそくからは、明るい炎が室内を照らしていた。 壁には巨大な火格子のある暖炉がすえられ、いつだったか、マデリンに連れ込まれた魔法屋敷で見たのと同じ、奇妙な二またハンノキの大木をかたどった置物や、似たようなモチーフの風景画が飾られていた。 他にも、さまざまなデザインのお面やら筆立てやら、何に使うのかさっぱりわからない無数の品々が、部屋を埋め尽くしていた。 しかし、ゆりかはそんな物には目もくれず、さっきから、しくしくと泣き続けていた。ゆりかの世話をおおせつかった侍女のイパメルが、お菓子や香りのいいお茶、果てはチェスに似た盤ゲームを持って、ゆりかをなぐさめに来たが、ゆりかの心はいっこうに晴れそうもない。 ようやくゆりかが気を取り直したのは、ふだん着に着がえたロデリア姫が、ゆりかを訪れた時だった。 あっさりとしたデザインの、洒落た、青いひだ飾りつきのシルクの室内着を着た王女さまが、 「ゆりかと二人きりでお話がしたいのよ。おまえは下がっておいで、イパメルや」 王女の命令に、くだんの侍女は、廊下へと下がって行った。 部屋の中で向かいあわせの椅子に座ると、ゆりかは涙をふいて、パピリカの様子を王族の友に尋ねた。 王女は、王と王妃にこっぴどくしかられたあとで、王室顧問団と王宮付きの至聖大祭司と律法祭司長とから、きつい非難と歓迎とを受けていた。 「お城の地下にある牢屋には、一歩も近づけないのよ。そぶりを見せただけでも、駄目なのよ。お二人とも、またわたしが逃げ出すかもしれないと、思っていらっしゃるようなのよ」 「あなたの力で、何とかならないの? それに、お二人って―― だ、誰のこと?」 「もちろん、お父さまと、お母さまのことよ」 「そんな―― お二人だなんて―― あんな―― あんな―― ひどい人たちに―― わたしなら―― あんな人たちに―― 絶対に―― 絶対に―― 『お二人』だなんて言葉は―― 絶対に―― 絶対に―― つ―― 使わないよ―― ぐしゅん!―― ぐしゅん!―― 」 「ゆりか。あなたのお気持ち、とてもよくわかるわ―― だけど―― だけど―― お二人は―― わたくしの―― お父上さまと―― お母上さまでも―― あるのよ」 「そ―― それは―― そうだけど―― さ」 ゆりかは一枚目のハンカチでは足りなくて、その時、王女が差し出してくれたレースのハンカチも、涙でぐしゃぐしゃにしてしまった。 「パピリカは一人ぼっちで、さびしくはしていないかしら?」 「さあ、わからないわ」 王女はさすがに心配げに、 「私も会いに行きたいんだけど、お城の中を、一人で歩いてはいけないんですってよ。外には監視役の兵隊が立っているのよ。お二人とも、また私がお城を逃げ出すに違いないと、思っていらっしゃるようなのよ。こうしてゆりかに会いに来るのにも、さんざん泣いてすがって、ようやくのことで、お許しをいただいたのよ」 「まるっきりの囚人ね。“かごの鳥”っていうんだって。パパが教えてくれたわ」 「ゆりかのお父さまって、何をなさっている方なの? どこかの国の君主?」 「いいえ、ただの新聞記者よ。パパがこの国のことを知ったら、さぞ、おどろくだろうなあ。あっ、もちろん、言わないけどね」 「ふうん、“ちんぷきしゃ”か。どんな仕事をする人なのか、あとでゆっくりとうかがうとして、さあさあ、ゆりか、向こうで着がえをしましょうよ」 「う、うん」 ゆりかは生返事をして、自分の服装を見てびっくり。 ゆりかはまだ、あのマデリンに着せられた、黒いガウンをはおったままだったのだ! 王女はゆりかの手をとり、隣の衣装部屋へと引っぱって行った。 「ここよ。あなたに合う大きさの服を、さっき、侍女たちに運ばせておいたのよ。みんな私のお古だから、あなたのお気に召すかどうか、わからないけれど、着心地はそんなに悪くないと思うわ」 ゆりかはぽかんと口を開けた。 これがお古? わたしのお気に召すかどうか、わからない? ゆりかが目にしたその衣装部屋は、床は柔らかなベージュ色のヴェルベットの布で覆われ、無数の、本当に数知れない、きらびやかなフォーマル・ドレスたちが、クリスマスツリーのような無数のハンガーラックから、ずらりと吊り下がっている。 「どうぞ、どうぞ。お好きなのを選んでちょうだい。わたしも手伝うわ」 「う、うん、うん」 ゆりかはお姫さまにうながされるまま、部屋の中を歩いて回った。中は適度にあたたかく、いい匂いのする風が、さまざまな方向から吹いてくる。ゆりかと王女が進んで行くと、きらきらとしたスパンコール入りのドレスが、二人の少女に、誘いかけるようにきらめいた。 「ほら、これを見てよ。アメジストとトパーズの飾りつきなのよ。これは、お城を抜け出す前の〈即天式〉の日に、一度だけ袖を通したものなのよ。〈即天式〉というのは、十歳になったことを神のみまえに、報告する儀式のことなのよ。ゆりかの国には、そういう儀式はないの? え? 『しち・ご・さん』? へえ、面白い名前ね。ほら、これなんか、どう?」 二人はたっぷり一時間近くもかけて、ゆりかの気に入る室内用のドレスを、慎重に選んだ。 「こんなのでいいの? もっときれいで、ふわふわした物もあるのに」 「いいの。これにする。これ、とってもきれいで、可愛いものね」 ゆりかがさんざん迷った末に選び出したのは、コレクションの中でもいっとう地味な、ヴィクトリア朝風の、喪服に似た黒のドレスだった。 その部屋には、およそどんなパーティーにも着けて行ける、靴やアクセサリーがそろっているようだった。ロデリア姫は、ゆりかのドレスに釣り合う、サッシュベルトとストッキングを抜き出して、それにふさわしいアクセサリーを選んだ。ロデリア姫と、お姫さまに呼び出された侍女のイパメルも手伝って、あつらえたようにぴったりとしたドレスを、ゆりかに着せた。 (これ、本当にわたし? まるで、おとぎの国のお姫さまみたいじゃない?) ゆりかが鏡の前でびっくりしている頃、マデリンの城に出かけていた使者が、ようやく王宮に戻って来た。その使いは、城の地下の礼拝所でマデリンをおどろかせた、あのお姫さまの帰国の知らせを届けた、使いだった。 「マデリンさまは、イゴールどのを連れて、今宵の宴に出席なされるとのことです」 「その時マデリンめは、例のお客人のお体を、忘れずに持参いたすのであろうな? あれがないと、あのお客人は、なにかと不都合だろうからのう」 「それは何とも申せませぬ、陛下。マデリンさまは、このわたくしめには、じかにはお会いになられなかったもので」 「それでは、いま一度マデリンめの城におもむき、その旨を、本人にしかと確かめてまいれよ。そして、重ねてわが申しようを伝え、すぐに王宮に参るようにと、重々マデリンめに告げるのじゃ」 「おおせ、かしこまりました」 使者は王さまに一礼して、また去って行った。王さまはいらいらと、〈玉座の間〉を行ったり来たりし始めた。王さまは、ロデリア姫が無事に戻って来たことが、果たしてよかったのかどうか、実のところわからなくなっていたのだ。 そうこうするうちに、カンバーランド王国に夜の気配が忍び寄ってくると(この世界にも、夜はかならずめぐって来た)、王女の帰国をことほぐ歓迎の宴が、家臣団の手により、城の一番豪華な大広間で、ささやかに執り行われた。晩餐に出席したのは、十数人の大臣たちと侍従たち、それに王室顧問団の代表、また、王女の探索に骨を折ったマデリンも、招かれた一人だった。 ゆりかもお姫さまの“魂のふたご”ということで、その晩餐会に招待されていたが、ゆりかはあまり気のりがしなかった。 晩餐会用のドレスを選ぼうと、ゆりかの部屋を、ロデリア姫がまたも訪れると、ゆりかは腕組みをしたまま、部屋の中を行ったり来たりしていた。 「パピリカは、どうしてる?」 王女の顔を見ると、真っ先にゆりかは尋ねた。 王女はテーブルの容れ物から、ボンボンをなにげなくつまむと、 「わからないの。私もそれを、何とかして確かめたいんだけれど、誰も教えてはくれないし。お城の地下の牢屋に近づけば、きっとお父さまは、ゆりかに会いに来ることも、禁止なされるに決まっているわ」 「あなたの力で、なんとかならないの? 一応、王女さまなんでしょう?」 王女の答は、 「できそうもない」 というものだった。 「私もお父さまとお母さまにお願いをして、パピリカを許していただけるように、事態をもっていくつもりよ。だけど、今はまだ駄目。まだ、その時期ではないと思うの。今はどうすることもできないわ。下手をすれば、お父さまとお母さまの怒りの炎に、また油を注ぎかねないし、今度こそ、お母さまの機嫌をそこねたら、お二人は本当に、パピリカのことを死刑にしてしまいかねないもの」 「死刑!」 ゆりかは急に、気分が悪くなってきた。 「そんなこと、絶対にさせちゃいけないわ、ロデリア! すぐに行って、やめさせて! お願い! やめさせて!」 「そんなこと、させやしないわ、もちろんね。判決が出る前は、何もできやしないし、すぐにパピリカを死刑になんか、するはずがないわよ。それよりも、今夜の晩餐会に着て行くドレスを、二人で選びましょうよ」 ゆりかはついカッとなって、目の前のロデリア姫を、本気で殴ってやりたくなった。 ―― あんたのせいなのよ! あんたが助かるために、パピリカはみすみすつかまったのよ! そんなところにおさまり返って、お菓子なんか、食べてる場合じゃないのよ!―― ゆりかはそう怒鳴ってやりたかったのだが、かろうじて思いとどまると、王女の命ずるままに、またも衣装部屋におもむくのだった。 気の重い晩餐会は、夜の八時から(この世界の呼び方でいう、十三カンドレから)、お城の一階の大広間にて始まり、夜の十二時頃には終わっていた。ゆりかは黒い羽根飾りのついた、目の覚めるようなスパンコール入りのドレスを着て、王女の右側の席に、浮かない顔つきで座っていた。宮廷風の、凝ったごちそうばかりが並んだテーブルには、着飾った王宮の人々も列席して、水色のシャンパンに似た飲み物が、ふんだんにふるまわれた。 食事の時、ゆりかが、ナイフとフォークを使いなれないのを見て、 「お国では、お箸とかいう物を使うんでしょう、ゆりか?」 ゆりかがうなずくと、王女はテーブルの花瓶に差した、ハシバミに似た香りの高い花の枝を一枝折り取って、その場でゆりかのために、一膳の箸をこしらえ、手渡した。 「私も、ゆりかの真似をしようかなあ」 ロデリア姫が同じ要領で、もう一膳のお箸を作ると、それを見たテーブルの人々の中には、これぞ宮廷風の新式の作法と勘違いをして、自分もわざわざ、お箸を作る者が続出した。その後、カンバーランドの宮廷では、お箸で食事をする習慣が、ちょっとした流行になった。 その晩、マデリンとイゴールは、とうとう晩餐会には現われなかった。 あくる朝、それを知った王さまは激怒して、みずから兵隊たちを選り抜くと、武器を持たせて、マデリンの城に出向かせた。 兵隊たちは、閉ざされた城門の前に立ち、使者は大声で口上を呼ばわったが、城の中からは、うんともすんとも返事がない。 とうとう、しびれを切らせた使節団の団長が、閉ざされた城門に、破城槌で突撃をくわだてさせた。 五回、六回の攻撃で、大きな門はメリメリと音を立てて砕け、武装した兵士の一団は、やすやすと城の中へとなだれ込んだ。 落とし格子や、はねだし狭間にひそんだ伏兵からの不意打ちもなく、国王の使節団は、マデリンの城をあっけなく占領すると、くまなくあちこちを調べて回った。 兵隊たちがそこで見たものは、何一つなかった。 というより、兵隊たちは、何も見つけられなかったのだ。 マデリンもイゴールも、配下のピミリガンたちも、どこかへと消え失せたあとだったのだ。ただ城の中には、何者かが激しく争った跡が、そこら中に残っていた。 ただちに王宮に伝令がつかわされ、ブルガマデリン城の異変の知らせが、国王にもたらされた。 王の厳命で増援部隊が派遣され、駆けつけた兵隊たちは、先発隊と合流をすると、五人一組で城内を見て回り、城のあちこちに仕掛けられた、さまざまな隠し戸や抜け道などを発見していった。 地下にあるピミリガンの製造工場と、マデリンが礼拝していた秘密の祭壇部屋は、扉に魔法がかけられていたため、捜索を断念。 最後に兵隊たちは、城門前の中庭に集合すると、捜索の結果を、使節団の団長に報告した。 「不思議なことも、あればあるものだなあ。たった一晩のあいだに、城中の人間が消えてなくなるとは。それにしても、王さまには何と、ご報告すればよいのだろう?」 団長が困ったのも、無理はなかった。 城のどこを探しても、王さまが念入りに探すようにと命じた、あのゆりかの分身が見つからなかったのだ。 団長は見張りの兵隊たちを残して、ブルガマデリン城を引き上げて行った。 ゆりかの知らないあいだに、そんなことが起こっていたのだった。
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