さて、一方、マデリンは、どうしたのだろうか?
パピリカの魔法で、凍てついた時間の中に閉じ込められていた、マデリンとイゴールは、ひそかに術が解けるのを待っていた。 そのうち、時間に亀裂が生じて、魔法は消え失せた。 「ふひゅう!」 と、マデリンは石の床に飛び降りると、四つ足の高貴なけだものから、美しい魔女に戻った。 「畜生っ、いまいましい! パピリカの奴に、だしぬかれたなんてさ!」 「マデリンさま、ただちに追手をさしむけましょうぜ」 イゴールが、大蛇の姿から戻って、言いかけると、 「そういう安っぽい口はきくなと、いつも言ってあるだろうが? パピリカのことだ、おそらくは間にあうまい。それより、城に被害はないのかい?」 「さっそく調べてまいりますぜ。いや、まいります」 調査の結果、司令塔のほかには、さしたる被害はないことがわかった。 何よりマデリンがよろこんだのは、石の床の上に描かれた魔法円陣に、ゆりかの分身が、置き去りにされていたことだった。 「ふふん! ばばあめ、もうろくしやがったな! これに気づかずに、飛び去って行きやがった! まだまだ、こっちにも勝ち目はあるさ!」 城にたいした被害もなく、ゆりかの分身が残されていたことで、マデリンはほとんど、勝った気さえしてきた。 「なあに、ひび割れなんか、いくらだって直せる。修理するのは簡単だからね」 マデリンが両手を三度打ちあわせると、床に散らばっていた土砂や石のかけらが、あっという間に舞い上がって、壁や天井が元通りにふさがった。マデリンは口笛を吹いて、城詰めのピミリガンたちを呼び寄せると、全員に向かってこぶしをふり上げた。 「おいおい、おまえたち! 何をぐずぐずしていたんだい! いつ、パピリカが現われてもいいように、迎かえ撃つ準備をしていなけりゃ、駄目だろうが? おまえたちには、あいつがやって来るのが、わからなかったのかい?」 「おおせの通りでございます、マデリンさま。われらはお言いつけ通りに、城のぐるりに〈くもの巣〉をはりめぐらせておきましたが、あいにく向こうには、思ったほどの効果をあたえなかったようで。せっしゃが思いますに、あの場合は思いきって―― 」 みなまで言い終わらないうちに、あわれなそのピミリガンは灰にされていた。 「おいおい、おまえたち、あたしに意見をするなんて、百年早いっていうんだよ! イゴール! あたしに口をきく時には、おまえもせいぜい気をつけることだよ! ポリロ・ポリローニとジフテリア・キュー!」 二人のピミリガンは、おもむろに緊張した。 「おまえたち、ゆりかの分身を地下にお運び! いや、ちょっと待った、このあたしが自分で運ぶとしようかね」 「魔法は、お使いになられないので?」 一人のピミリガンが気をきかせたつもりで言い、マデリンにひとにらみされて、一片の紙のように震え上がった。 「おまえたち、用はすんだんだよ。めいめい引き取りな」 ピミリガンがすぐに言うなりにならないのに、腹を立てたマデリンは、たちまち三ダース近い手下を灰の山にした。残りのピミリガンたちは、雲をかすみと逃げ出した。 「〈お告げ〉! 聞いているかい? 来ているのかい、〈お告げ〉?」 いやらしい鳥のしわがれた鳴き声が聞こえ、天井と壁のあわせ目の一カ所に、しみのようなおぼろげな、化け物鳥の姿が現われた。 「グゲッ! グゲゲッ! 〈お告げ〉鳥の、ご到来! ご到来!」 鳥はいやな声で鳴き叫んだ。 この鳥は、黄泉の国のハデスの野のはずれに住んでいる、怪鳥ハーピーの親戚で、わたしたちの世界でいうならば、ハイエナとカラスと九官鳥の、それぞれいやなところをかけ合わせた、この世界の嫌われ者だった。 〈お告げ〉ははばたいて、魔女の二の腕につばさを休めた。マデリンがマントの下から、手を差し伸べ、〈お告げ〉を左の肩にとまらせた。 この見るもいまわしい、灰色のくちばしと、節くれだった灰色のかぎづめを持った〈お告げ〉は、目は占星術の〈リリトの月〉のように赤く、黒い羽根のところどころに、あざやかな青い線模様が、刷毛で描きなぐったようについていた。マデリンはゆりかの分身をこわきにかかえ、秘密の隠し階段を降り始めた。階段の一番下には、マデリンの秘密の〈祭壇部屋〉があった。巨大な鉄の扉で閉ざされた、その広さ約四十カンドル平方(一カンドルは約二・五メートル)の部屋は、“消えずの永久たいまつ”の炎に照らされて、黒檀で作られたまがまがしい祭壇が、中央の奥まった場所にすえつけられ、神秘的な雰囲気をかもし出していた。 祭壇の奥の壁の前には、これまた奇怪な生き物の姿をかたどった、高さ八カンドルの謎めいた魔神像が、黄色い永久たいまつの炎に照らされて、立っていた。 「おお、魔神ゴールよ! わが大いなる守護の神よ! 生贄をむさぼる、さいはての死の魔神よ! 汝がいやしき、はしためがマデリン、お願いがあって、まかりこしました!」 マデリンがゆりかの分身を床に横たえ、両手を広げて、奇怪な魔神像に呼ばわった。 この魔神の像は、バルト世界のはるか北方の、ハビアとフレビアの両山脈がまじわる、人外境の地に住むという伝説の生き物をもとに、マデリンが想像力を使って、こしらえたものだった。実際には、こんな名前の魔神は、この世界には存在しないのだ。ただ、うぬぼれの強いマデリンは、他人が拝む神を自分が拝むことに耐えられず、自分だけの神像を作り上げて、ひとりよがりなその心を、満足させていたのだった。 マデリンは、ゆりかをとらえた一部始終を、魔神の像に話して聞かせた。おしまいには、魔神ゴールが本当にこの世界のどこかにいて、自分の言うことに耳を傾けている気がし出して、マデリンは興奮してきた。 マデリンがもう一度、お祈りを唱えようとした、まさにその瞬間、聞きなれない震え声が、マデリンの心の中に響いてきた。
愚かなる者 汝の名は 女 おのが定めの 星回りを知らず げに恐ろしき封印の 悪の力を解き放つ・・・
「だ、誰だい!?」 マデリンはあたりを見回したが、そこにはマデリンと、〈お告げ〉と、気絶したゆりかの分身のほかは、誰一人いない。 マデリンは気をとり直して、もう一度お祈りを唱えようとした。 その時、魔神ゴールの頭部にある九つのかま首が、しゅうしゅうと不快な音を立ててうごめき、全身にある九十九の目玉が、一つ残らず、まばたきしたように見えた。 扉の外にあわただしい物音がして、血相を変えたピミリガンたちとイゴールが、マデリンが呪文で開いた扉の外に立っていた。 「何ごとだい?」 マデリンに、イゴールが素早く耳打ちをした。 「何だってえっ!? 国王陛下からのお使いが? 何ごとなんだろうねえ?―― な、何? あのパピリカの奴が、ロデリア姫を連れて、王宮に姿を現わしたんだってえっ!?」 マデリンは、開いた口がふさがらない。 その時、〈お告げ〉が、調子っぱずれのしわがれ声で鳴きわめいた。
ハデス (死)! ハデス (死)! ハデス・ア・ラゲス (死に物狂い)!
マデリンはカッとなって〈お告げ〉をふり返り、思わず目を光らせて、化け物鳥をにらみつけた。 〈お告げ〉は物も言わず、コトリと地面に落ちて、つばさをばたつかせることもなく、その場で死んでしまった。
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