マボちゃん
「まあ! なんだ、なんだ、大西さんじゃないの? どうしたの、こんな時間に?」 なんと三輪車をこいでいたのは、大西直子だった。 「大西さん、困ったことでもあったの? 何かあたしに、用なの?」 直子は意味がわからないのか、きょとんとしている。 そのうち、三輪車をこいでいた大西直子の姿がぼやけて、大橋巡査長に変わった。ゆりかはおどろきのあまり、声も上げられない。 大橋巡査長は二、三秒もすると消え、今度現われたのは、林の中で見かけた、あの三人組の男たちらしい姿だった。男たちは順ぐりに見た目を変え、ゆりかの知らない人間や、地球上では見かけられない、珍しい生き物の姿へと変身し続けた。 最後に、人影はゆりか自身になった。 「―― ど―― どうして―― そんな―― ふ―― 不思議なことが―― で―― できるの?―― あ―― あ―― あなたは―― だ―― だ―― 誰なの―― ?」 三輪車にまたがった、もう一人のゆりかは、じっとこちらをながめている。誰かがすぐ近くで二人を見くらべたら、ふたごか、コピーした人間ではないかと疑っただろう。 「ワタシハ、ユリカ。テンドウ・ユリカ、ヨ。ア、アナタハ、ダレナノ?」 人影はゾッとするほど、ゆりかそっくりの声で言った。 ゆりか (本物の方) は息をころして、 「わ―― わたしが天堂ゆりかよ。よかったら、あなたの名前を―― お、教えてくれない?」 「・・・ナ・・・マエ?・・・ナ・・・マエ?・・・ナ・・・マエ?・・・ナ・・・マエ?・・・ナ・・・マエ・・・?」 「そうよ。名前よ。あるんでしょう?」 「・・・マ・・・マボ・・・マボ・・・マボ・・・マボ・・・」 もう一人のゆりかは、言いにくそうにくり返していたが、その姿が一瞬でぼやけると、三輪車の上には、見たこともない、真っ黒い毛のかたまりのような、ぎょろぎょろ光る四つの目玉を持った生き物が、姿を現わしていた。 「あ―― あなたは―― 魔―― 魔法の世界から―― 来―― 来たのね?―― そ―― そうでしょう?―― 」 「・・・マボ・・・マボ・・・マボ・・・マボ・・・」 「マボ、マボって、それがあなたの―― お名前なのね?」 その黒い生き物は、本当は〈マボロシ〉という名だったのだが、舌たらずなのか、そうとしか、言うことができないのだった。 ゆりかは早合点をして、 「そうなんだ。あなた、マボちゃんていうんだ。あなた、カンバーランド王国って知ってる? お姫さまや、ナーガラージャや、パピリカ・パピリトゥスさんっていう、魔法使いがいるのよ」 最後の名前を聞いたとき、マボちゃんはあきらかに、ビクッとした。 「そうなのね。あなたも向こうの世界から―― き、来たのね。わたしは天堂ゆりかっていうのよ。パピリカとはお友だちで、お姫さまとは、だ、大の親友なのよ―― 。“魂のふたご”って言うんだっけ。昼間は、どうもありがとう。あなたがわたしのことを―― あの―― あの―― た―― 助けて―― くれたんでしょう?」 黒いたわしのような頭で、マボちゃんは首をかしげていたが、その仕草があまりに可愛いかったので、 「うふふっ」 と声に出して、ゆりかは笑い出してしまった。 「と、ともかく、どうも―― あ―― ありがとう。わたし、つい昨日、カンバーランド王国のある世界へ、行って来たばかりなのよ。〈世界図書館〉へも行ったし、ナーガラージャっていう、ゾウのおばさんにも会ったのよ。あなたさえよかったら、わたし、あなたともお友だちになりたいんだけどなあ」 ゆりかは、ナーガラージャの巨体と、小さくて黒い、ぱっちりした目を思い出して、思わず頬をゆるめてしまった。 「ところで、こんな時間に、どうしてこんなことをしているの?」 そのとたん、マボちゃんは四つの目玉を、いっぱいに見開くと、 「マボ! マボ! マボ! マボ!」 と、狂ったように叫び始めた。 これにはゆりかも、びっくり仰天。 「きゃっ!」 と叫ぶと、その声におどろいたのか、くだんの生き物は、三輪車からはね上がり、そのまま姿を消してしまった。 よく朝、学校に着いたゆりかは、大西直子から、思わぬ歓迎ぜめを受けた。 「あ! おっはよう、天堂さん!」 「お・・・おは・・・よう・・・大西・・・さん・・・」 「昨日は、楽しかったよね?」 「う、うん・・・」 思いもかけないカップルの成立に、クラスの女子たちのあいだで、ちょっとしたセンセ ーションが巻き起こった。 何しろ、クラスでは一、二の人気をあらそう大西直子と、おとなしく目立たないことでは、クラス一のブラックホールの、天堂ゆりかという異色の組み合わせだったから、女の子たちはおろか、男の子たちの中でも、おせっかいなことでは一目おかれる、ミーハーの綾波英明といった手合いが、だまって見逃すはずはない。 「何かあったの、天堂さんと?」 クラスでも有力者の鈴木みちよが、好奇心もあらわに訊いてくると、 「秘密だよねえ、天堂さん?」 大西直子が、ゆりかにウインクをしたからたまらない。 直子とゆりかは、その日一番の、ホットでセンセーショナルな〈うわさの二人〉として、クラスの注目と話題を独占してしまった。 直子は、休み時間や給食の時間、それに昼休みもゆりかのそばですごしたがったから、そのたびに直子の〈取り巻き〉連中も、自然とゆりかのまわりに集まってきた。 それをこころよく思わない人種も、クラスにはいた。 「見ていなさいよ。大西さん、今はちやほやしているけど、すぐに天堂さんのことを、あきて捨てるから。いい気味よね」 みんなに囲まれて、うれしいやら、とまどっているやらのゆりかを見ながら、“女王”瀬山ななえは、自分の取り巻きたち二人につぶやいていた。あえて名を秘す忠義の二人組は、イエスマンよろしく、あいづちを打っている。 放課後、直子は学校の近くの交番にゆりかを誘うと、 「クボタン、いるの?」 気やすく交番をのぞき込んだ直子を、長身の若い警官が、笑顔で迎えた。 ゆりかが会ったことのない、ハンサムなおまわりさんだった。 「やあ、直子ちゃん、いらっしゃい。先輩から聞きましたよ。昨日、ぼくに会いに来てくれたんだって?」 「あら。冗談はよせなべ、ちゃんこなべ。昨日はあたしたち、犯罪をつきとめたんだよね。ねえ、天堂さん? ところで、大橋のじいさん、今いるの?」 「じいさんはひどいなあ。今いるけど、ちょっと出てるよ。待つかい?」 「そうしたいけど、あたしはピアノの練習があるから、すぐに行かねばならんとですよ。明日また来るから、その時にね。行こ、天堂さん」 直子は家への道すがら、さんざんピアノの先生の悪口を並べていたが、ふと何かを思いついたように、ゆりかを見ると、 「ねえ、天堂さん。あたし、天堂さんに、思いきってお話があるんだけど、聞いてくれるかなあ?」 「ええっ? な、何、お話って?」 「ううん、いい。やっぱり明日、学校で話すね。じゃあね、天堂さん! バッハハ〜イ!」 直子は後ろをふり返りもせずに、駆け出して行ってしまった。 あくる日の昼休み、ゆりかは直子に、校庭の隅に呼び出されると、 「あのねえ、ゆりかちゃん。あ、ゆりかちゃんて、呼んでもいい?」 「う、うん、いいけど・・・」 「あのさあ、今度の日曜日にさあ、あたしさあ、ピアノの発表会があるんだけどさあ、その時にさあ、貸してくれない、ゆりかちゃんのペンダント?」 「あっ!」 と、ゆりかは心の奥底で、叫び声を上げた。 「ほら、ゆりかちゃん、いつか、あたしと自転車でぶつかった時に、ペンダントをしていたでしょう、みどり色の宝石の、きれいなやつ? あれ、一日だけでいいから、貸してくれないかなあ? 駄目? あのペンダントに似合うドレスを、ちょうど持っているのよ。ゆりかちゃんが貸してくれるんなら、あたし、そのドレスを着て、発表会に行きたいんだけどなあ・・・。駄目ですかなあ。あれ、とっても大事な物なんでしょう? すごーく高いんでしょう? 無理にとは言わないけど、貸してくれるんなら、あたし、すっごーく、すっごーく、うれしいんだけどなあ」 ゆりかは、何と言っていいのかわからない。 「どうしたの? 無理にはたのまないんだけど―― 貸してくれるの? くれないの? ねえ、どうなの?」 「・・・ううんと、ねえ・・・ええっと、ねえ・・・ううんと、ねえ・・・ええと、ねえ・・・」 「どうなの? 貸すの? 貸さないの? どっちなの?」 「あ・・・あの・・・は・・・発表会の時だけよね? 終わったら―― すぐに―― か、返してくれるのよね?」 「よかったあ! さっすが、『親友』だけのことはあるよね! ありがとう! それじゃあ、どうしようかなあ? 前の土曜日に渡してくれる? それとも明日、すぐでいい?」 「ええっと・・・その日じゃ・・・駄目?」 「いいよ! いいよ! それで十分! あとで、発表会の招待状をもらって来るからさ、お母さんと見においでよ! あたし、今日もピアノの練習があるからさ、その時に招待状、ピアノの先生にもらってくるからさ!」 ゆりかは、わかったというしるしに、かすかにうなずいた。 その日一日、ゆりかは言うだけのことは言ったと思って、自分をなぐさめた。 夜になって、ゆりかの家に、直子から電話があった。 「あ、もしもし、天堂さん? あたし! 直子でーす。えへへへへ。あのねえ、明日、学校で、ピアノの発表会の招待状、渡すからねえ。それじゃあ〜ね!」 一方的にしゃべって、直子は電話を切った。受話器を元に戻しながら、ゆりかはため息をついた。 ゆりかは、友だちがいなかった時の、まんざら悪くはなかった、一人ぼっちの感覚を、その時になって思い出していた。 そうこうするうちに土曜日になり、つぎの日曜日は、ピアノの発表会の当日だった。
*
ゆりかがよそいきに着がえて、ママと、発表会の行われる市民会館についた時、こじんまりとした集まりを予想していたゆりかは、あまりのにぎやかさに、おどろいてしまった。そこには花束を持った女の人や、ビデオカメラを持った男の人が、大勢でごった返している。 「あっ、天堂さん!」 「お、大西さん―― 」 ゆりかは、走ってくる直子を見つけて、思わずつばきを飲み込んだ。 「うれしいんだ! 来てくれたのねえっ! えっへへへへへぇ。なーんか変でしょう、このかっこう?」 直子はおどけて舌を出した。 直子は白いレースのえり飾りのついた、グリーンのビロード地のフォーマル・ドレスを着て、髪には同じ色に合わせた、サテンの髪飾りをつけている。 「あら、お友だち、ゆりか?」 ゆりかのママが近づいて来ると、 「う、うん、ママ―― 大西さん」 「あら、こんにちわ」 「あっ、こんにちわ、おばさま」 「あら? おばさんて呼んだ人からは、百円ずついただくことにしているのよ。でも、あなたからもらっちゃ悪いわよね。ご招待してくだすって、どうもありがとう」 「いいえ、どういたしまして、おばさ―― 天堂さんのママさま」 直子はひざを折って、気どったおじぎをしたが、直子がやると、ごく自然なものに見えた。 「あっ、お―― 大西さん。こ、これね」 ゆりかはあわてて、〈みどりのしずく石のペンダント〉を首からはずすと、直子に差し出した。 「あっ、そうか。借りるね。わあ、きれいだな!」 「あら、誰からいただいたものなの、ゆりか?」 「あとで話すわよ、ママ。―― 大西さん、それ、あとでかならず―― 」 「わかっちょる、わかっちょる。ダイジョービ、ダイジョービ。出番が終わったら、ちゃんと返すから、楽屋まで取りに来てよね。楽屋は向こう。あっちの方」 直子はあいまいに、奥の通路を指さした。 「それじゃあ、あとでね、天堂さん。失礼します、おばさ―― 天堂さんのママさま」 「はいはい、おちゃめさん。演奏の方、がんばってね」 直子はにっこり笑って手をふると、人混みに消えて行った。 ブザーが鳴り、市民会館のホールの席に着く頃には、ゆりかの不安も、だいぶんやわらいでいた。 直子の出番は、休憩をはさんだ十番目で、演奏の順番が来ると、舞台のそでから現われた直子は、客席に向かっておじぎをしてから、気取った仕草で椅子に座った。 上等のグランドピアノの鍵盤に指を走らせ、極彩色の音色を空中にまき散らして、あっという間に直子は演奏を終えた。 「うまかったわねえ、直子ちゃん。ゆりかもピアノを習う?」 「ママ!」 演奏会が終わると、ゆりかは立ち上がって、通路に出た。 楽屋口を探して、ウロウロしていると、黒いスーツを着た中年の男の人が寄って来て、 「おじょうちゃん、どちらまで? 申しわけないけど、みんなが出てくるまで、向こうで待っていてくれないかな。この辺は混むんだよ」 ゆりかはうなずいて、玄関ロビーの中で行ったり来たりしながら待っていると、空っぽになりかけたロビーに、ゆりかが知らない女の人と連れ立って、大西直子が現われた。 「あっ、天堂さん、まだいたのね? ペンダントを貸してくれて、どうもありがとう。天堂さん、また、お洋服着がえたのね?」 直子といっしょにいた、ちょっときつそうな顔つきの、厚化粧の女の人が、ゆりかとゆりかのママに向かって、ぞんざいに頭を下げた。 「娘の演奏はいかがでして? この子ったらあがってしまって、二箇所もキーを間違えたんですのよ。直子、行きますよ」 「ゆりかちゃん、今日は来てくれて、どうもありがとう。あのペンダント、また貸してよね」 (えっ? ええっ?―― えっ? えっ? えっ? えっ?) 「それでは、直子は失礼いたしますわ。これからも、娘と仲良くしてやってくださいね」 直子と直子のママは、そそくさとホールを出て行こうとした。 「あ・・・あの・・・ちょっと・・・大西さん!・・・あ・・・あの・・・わ・・・わたしの・・・ぺ・・・ペンダントは・・・?」 「えっ? あらあ、さっき、ちゃんと返したじゃないの」 (えっ? えええっ?) 「何をしているの、ゆりか? 早く帰りますよ」 出口のところで待っていたママが、娘をせかした。 「それじゃあね、天堂さん! また明日、学校でね!」 直子は大きく手をふると、母親と連れ立って、玄関ロビーを出て行ってしまった。 帰りのバスの中で、ゆりかはだんまりを決めこんでいた。 「どうしたの、あんた? 顔色がふつうじゃないわよ。まるで土手カボチャみたいよ」 「・・・ううん、ママ・・・平気だったら・・・平気よ・・・きっと大丈夫よ・・・」 団地に着いて、自分の部屋に駆け上がると、ゆりかは連絡網のプリントで、大西直子の家の電話番号を確かめ、震える指でプッシュホンを、一つ一つつぶすように押した。 「あ・・・もしもし、大西さん―― ですか?」 「はあい。大西でえーす」 間のびした、馬鹿みたいな男の人の声が答えると、ゆりかは、 「あ、あの、て、て、て、天堂―― で、で、ですけど―― な、直子さん、いら、いら、いら、いらっしゃい・・・ますか?」 「妹なら、今日はピアノの発表会があるから、留守ですよ」 「あ、あの、いつ頃、帰るかわかりますか? だ、だ、だ、大事な用なんです」 「さあ、もうじき帰るとは思いますけどね・・・一時間くらいしたら・・・。あ、妹に何か伝えときますか?」 「あ・・・い・・・いいです、またあとで」 ガチャン! 大西さん、どこへ行っちゃったの? 続いての一時間は、ゆりかのこれまで生きてきた中で、もっとも苦しい、魔の一時間だった。 「あ、もしもし、さっきの―― さ、先ほどの―― 天堂です」 「ああ、きみか・・・(「おーい、てんどんさんて人から、また電話だよ!」「ばーか、天堂さんでしょ?」)・・・はあい、お電話かわりましたあ。疲れているけど、大西直子でーすっ。あらあっ。天堂さん、どうかしたの?」 「あ、あのね・・・あたし・・・ペ、ペンダントの・・・こと・・・こと・・・ことなん・・・ことなんだ・・・けど・・・」 「うん、うん。それで?」 「・・・あ、あたしね・・・まだ・・・返してもらって・・・ないのよ・・・あ・・・あたし・・・まだ・・・大西さんから・・・ペンダント・・・返して・・・もらって・・・ないよ・・・」 「天堂さん、頭、おかしいんじゃないの?」 そう言おうとして、直子はすぐに、その言葉を飲み込んだ。 「もしもし、天堂さん? 聞いてるの? もしもし、もしもし?」 「う、うん。うん。聞いてるよ―― もしもし?―― もしもし?―― 」 「二人で、『もしもし』を言いあってても、しょうがないよね。あのねえ、あたし、今ちょっと、ピアノの三石先生と話し中だったのよ。ゆりかちゃんのキャッチが入っちゃってさ―― ちょっと待っててね。すぐかけ直す」 直子の電話は無常にも切られた。そのブツンという音が、犯人は直子だと言っているようで、ゆりかは気が気ではない。 十五分ほどたって、直子が復活してくると、 「おっ待たせえっ! 何の話だったっけ?」 「あ、あ、あたしのペンダント! あれ、今すぐに返して! とっても大事な物なのよ!」 「ああ、びっくりしたあっ! 急に大きな声を出すんだもの! あのねえ、言っとくけどねえ、もしもあたしが、泥棒したと思ってるんなら―― 」 証拠を見せてよ、と言いかけて、直子はハッとした。 電話口の向こうで、ゆりかが声をしのばせて、泣いているのが聞こえたのだ。 「も、もしもし? もしもし? 聞こえてる、天堂さん? もしもし? もしもし?」 「う、うん・・・聞こえてるよ。グズグズピー(これはゆりかの鼻をすする音だ)」 「あ、あのねえ、ちゃーんと、よく、聞いてよねっ!―― あたしは!―― ちゃんと!―― 天堂さんに!―― ペンダントを!―― 返しましたけど!―― 」 「う、嘘!」 「嘘じゃないわよ。本当だってば。天堂さん、狂ってるんじゃないの? だって、天堂さん、楽屋まで取りに来てたじゃないの。天堂さん、楽屋のあたしんところまで、ペンダント、取りに来てたわよ。 あたしが、 『今、返しに行くところだったのに』 って言ったら、天堂さん、すっごく笑ってたじゃないの? あたし、天堂さんて、言っちゃあなんだけど、すごくせっかちで、馬鹿な人なんだなって、あの時、思ったもの。ほら、ママだって、すぐ横で笑ってたじゃないの? それで、あたしはお礼を言って、その場でペンダントをはずして、すぐに返したわけ。やっだなあ、本当におぼえてないの?」 「お・・・おぼえてない・・・て言うか・・・し・・・知らない・・・」 「変だよねえ。そう言えば、さっきも変だったよ、天堂さん。天堂さんがね、楽屋にペンダントを取りに来た時―― 。あの時さあ、天堂さん、何がおかしかったんだろう? あっ、そうだ! あの時は天堂さん、一言も話さなかったんだ! そう言えば、着てる物も変だった。さっき、わたしが向こうで天堂さんに、 『またお洋服着がえたのね?』 て、訊いたのをおぼえてるでしょ? 楽屋にペンダントを取りに来た時、天堂さん、確かピンクのカーディガンを着てたのよね。今日はわりとあったかかったじゃない? あたし、変だなあって思ったもの。それに最初に会った時は、天堂さん、違うお洋服を着てたもんね。 おっかしいよねえ。あたしか天堂さんが、嘘をついてるんでなきゃ、この世に同じ顔をした天堂さんが、もう一人、いることになるんだよね」 「あっ! あああっ!」 「もしもし? どうしたの? どうかしたの? ああ、びっくりしたあ! いっきなり、大声を出すんだものぉ! どうしたの? ペンダント、見つかったの?」 「ううん、そうじゃないの! 大西さん、悪いけどまたあとでね! さようなら!」 ゆりかは乱暴に受話器を置くと、ドアが閉まる頃には団地を飛び出して、神社の境内に向かって走り出していた。 神社の境内の林の中は、人っ子一人いなかったが、その方がゆりかには好都合だった。 「マボちゃぁぁぁぁぁん! マボちゃぁぁぁぁん! いるのはわかっているのよぉぉぉぉ ぉぉ! マボちゃぁぁぁぁん! マボちゃぁぁぁぁん! 出てきてええっ! マボちゃぁぁぁぁん!」 ゆりかはあたりを見まわして、あの怪物がいないか探してみた。 町はずれの丘を、夕陽があかね色に染めている。ねぐらに帰る二羽のからすたちが、鳴きながら上空を旋回している。 ゆりかが見上げると、そのからすたちは、東の方をめざして、飛び去ってしまった。 ゆりかは半べそをかいていた。 このままだと、二度とふたたび、パピリカには会えないのだ。あの時ゆりかが間違って、自分の気持ちとは裏腹に、友だちに大切なペンダントを、貸してしまったばっかりに。 ふと、背中に焼けつくような視線を感じて、ゆりかはふり返った。 三十メートルほど離れた、イチョウの木の下に立つ、おぼろな人影をみとめた。 白い、ぼおっとした光につつまれて立つ、それは自分とそっくりの、小柄な女の子の姿だった。 そっちのゆりかは、ピンク色のカーディガンを着て、手には何やら半透明の、ビニール袋を握りしめている。 それが『小松』のおばさんにもらった、あの魚入りのビニール袋であることに、ゆりかはすぐに気がついた。 どうやら亡霊のようなそのゆりかは、ちょうど写真で写した像のように、本物のゆりかを真似たコピーのようだった。 ゆりかはこわいという気持ちよりも、何とかしなければという気持ちの方が先に立って、思わず一歩踏み出していた。 そのとたん、亡霊のようなゆりかは、かき消すようにいなくなった。 「あっ、待ってよ! マボちゃん! 行っちゃわないでよ!」 ゆりかは、ビニール袋を持ったその偽物の自分が、いつか団地の庭で見た〈マボちゃん〉に違いないとわかっていた。 それに楽屋に現われて、大西直子からペンダントを盗んで行ったのも、自分とそっくりに化けた、あの怪物だったのだろうと。 「マボちゃーん! マボちゃーん! 待ってよ! わたしよ! ゆりかよ! 遊びに来たのよ! あなたに会いに来たのよ! だから逃げないで! お願いよ! 姿を見せてほしいの! あなたのために、わたし、絵を描いたのよ! ここには持って来ていないけど、あなたにあげようと思って、わたし、いっしょうけんめいに、絵を描いたのよ! なんでだかわかる? いつか、あなたが現われたら、その時にプレゼントをしようと思って、わたし、絵を描いたのよ! わたし、あなたとお友だちになりたいの! わたし、あなたとなら、お友だちになれると思ったからなの! 聞いてる、マボちゃん? わたしなら、あなたとすぐに、お友だちになれるわ! わたしたちなら、今すぐに、お友だちになれるわ! わたしたち、今すぐに―― 今すぐに―― お友だちに―― お友だちに―― なりましょう!―― そして―― そして―― ゴホン!―― ゴホン!―― (ゆりかはむせ返った)―― そして―― そして―― 二人きりで―― あなたと―― わたしと―― 二人きりで―― 二人きりで―― いっしょに―― いっしょに―― 魔法の―― 世界の―― は―― 話を―― いっしょに―― いっしょに―― 二人きりで―― 二人きりで―― しましょう!―― マボちゃああん!―― マボちゃああん!―― マボちゃああん! 聞いてるううう? マボちゃああん?」 ゆりかは、最後には泣き出していた。 なんで泣いているのか、自分でもわからなかった。 ただ、もうわけもなく悲しくて、あとからあとから涙が出て来て、止まらないのだった。 「・・・マボ・・・マボ・・・マボ・・・マボ・・・」 「あっ、マボちゃん! そんなところにいたのね?」 くだんの怪物〈マボロシのマボちゃん〉は、一本の高いカエデの木のうろの中にいて、じーっとゆりかのことを見下ろしている。 人間だったら、おそらく胸にあたる、黒い毛だらけの部分には、例のペンダントの金ぐさりが、夕陽をあびて光っていた。 「ああっ! わたしのペンダント! やっぱり、あなたが持って行ったのね! それ、返してくれる? 大事な物だから!」 「プルルルルルルル!」 「待ってよ! マボちゃん、わからないの?―― それは―― それは―― わたしの物なのよ! わたしがもらった、大切な贈り物なのよ!―― だから―― だから―― だから―― 返して!」 「だったら、なおさら、返すわけにはいかないようだね」 真後ろで声がした。 ゆりかはふり返りざま、後ろの木の枝からしっぽでぶら下がった、白い大きなイタチに似た生き物の姿に、はっと目を見張った。 「だ、誰なの?―― あなたは―― 誰なの?」 その生き物は、全身をふさふさした白い毛でおおわれた、全長およそ一メートルぐらいの、キツネとイタチの合いの子のような、世にも不思議な格好をしていた。 恐ろしいのは、その両の目の色で、燃えるルビーのように、真っ赤に光り輝いている。 ゆりかが立ちすくんでいると、その動物は、巨大なしっぽで体操選手のようにくるりと一回転して、ぱっとよその枝に飛び移った。 「動くな! 動くんじゃないよ!」 その動物が叫んだとたんに、急に体の中に電気が走って、ゆりかはその場に釘づけになった。 「ふふん! あいかわらず、他愛のない! クジャクのばばあがいなけりゃ、おまえもそこら辺の肉だんごと、全然変わりないじゃないか! それから―― やい! おまえ! なんだって、言われた通りにしないんだっ! おまえが、あたしんところへ、まっすぐに来ていれば、こんなニンゲンの子供にかぎつけられるへまは、しなかったんだよ!」 マボちゃんは木のうろから飛び出すと、よその木の枝へと飛んで逃げた。 「ほほう! おーやおや、そうかい、そうなのかい。あたしにさからう気なんだね? 十数えるあいだだけ、待ってやるよ。おとなしく、そいつをこっちにおよこし。さもないと、ひどい目にあわせるからね!」 マボちゃんは、考えている風だった。 胸に下げたペンダントを見つめ、それから、怪しげな白い生き物の方に、ふらりと戻りかけた。 (待ってよ! 行っては駄目!) そのとたん、マボちゃんが、ぴくりと動きを止めた。 (マ、マボちゃん! わたしの考えが聞こえるのね? わたしの考えていることが、わかるのね?) マボちゃんはぶるぶる体を震わせると、声の主を探しもとめるように、あたりを見回した。 (そうよ! ここよ! マボちゃん! こっちよ! こっちよ! こっちよ!) 「プルルルルルル!」 「プルルルル、じゃないよ、まったく! どうしたのさ? 十、数えちまうよ!」 (マボちゃん、そいつはきっと、悪い奴なのよ! どこから来たのかは、知らないけど、そいつはきっと、マンドラゴラの仲間よ! そいつにペンダントを渡しては駄目! それでパピリカさんを、呼ばなくちゃ駄目なのよ!) 「どうしたい、毛むくじゃら! 渡さないつもりかい? そうかい、そうかい、わかったよ。そっちがその気なら、こっちにも考えがある。このガキを片づける前に、まずおまえからハデスしてやるさ!」 白い生き物は木の枝から飛び移り、マボちゃんのいる枝へと、素早くジャンプして来た。 一瞬早く、マボちゃんも別の枝に飛び移ると、二匹の動物は、ムササビかモモンガアのように、木から木、枝から枝へと移動して、空中で追いかけっこを始めた。 「こらっ! お待ちっ、毛むくじゃら! そのペンダントを、こっちにおよこしよ!」 白い生き物はののしり声を上げると、目にもとまらぬ速さで、マボちゃんを追って行く。 マボちゃんも負けてはいない。つむじ風のように移動しながら、白い動物に、一歩も近づかせなかった。 ゆりかは木立ちの真ん中で立ち往生しながら、目の前でくり広げられる、鬼ごっこならぬイタチとたわしの追いかけっこを、目で追える範囲で追いかけていた。 ついに、イタチのような白い小動物に、マボちゃんは追いつかれると、背中に飛び乗られた。二匹はマボちゃんを下にして、地面に落っこちた。 「うっふふふふふ。手間をかけさせるね。この始末は後でつけるよ。おしおきだけですむと思ったら、大間違いだからね」 白い動物はペンダントをくわえて、マボちゃんから、ゆっくりとはずした。 ああ、その目の、赤々と燃える、サルビアのような火の色! 白い動物はゆっくりとゆりかをふり返り、ゆりかの心に、テレパシーで話しかけてきた。 ―― おつぎは、あんたの番だからね。どうハデスしてやろうか、楽しみだよ。いつか受けた屈辱の仕返しを、たっぷりとしなくちゃだからね。あんたの体をこま切れにして、イーポの底なし沼の、人喰いみどりガメに食わせてしまおうかな。それとも、ニンゲン肉だんごにして、このあたしが食ってやろうかな―― (あ―― あなたは―― マデリンなのね!? ) ―― ふふん! 今さら気がついても、もう遅いよ。今度こそ、本当にあんたを『いただき』だからね。いつかはパピリカの奴に邪魔されたし、マンドラゴラどもは、思った以上に役立たずのまぬけどもだった。だが、今度こそ、あたしが『勝ち』をもらう番さ。 あんたの頼みのパピリカは、今頃、あたしがほうぼうでまきちらした、まぼろしの追手と戦っていて、あんたを助けに来るどころではないだろうね。このペンダントにかけられた〈災い封じ〉の呪文は、あんたが自分からペンダントをはずした以上、もう効力を発揮しない。あんたは、このあたしがいただいたも同然だ。本当は、このペンダントが手に入りゃ、あんたなんかどうだっていいんだ。でも、このあいだのお返しをしなけりゃ、あたしの気がおさまらないのさ。悪く思うな、ゆりか!―― (助けてっ!!! 誰か助けてっ!!!) ゆりかは声に出せない悲鳴を上げた。 その時だ。 頭上から、稲妻のような真白い、ほとばしるようなまばゆい光線が走って、ゆりかの目の前で、くだんの動物を直撃した。 「ぐぎゃああああああああっ!」 雄叫びにも似た、ものすごい悲鳴が上がった。 ゆりかも相手の心を通じて、苦痛を味あわされたからたまらない。 ゆりかは地面をのたうちまわり、おかげで、マデリンの術から解放された。 ゆりかが意識をとり戻すと、肉の焦げる匂いがして、あの白い小動物が地面に横たわり、尻尾から煙を上げて、ぴくぴくと痙攣していた。 ゆりかがぼんやりと見上げると、暮れゆく夕空を背景に、何百、何千というからすの大群が、ぐるぐると輪を描いて飛んでいた。 ゆりかはとっさに立ち上がると、白い動物に駆け寄り、その足もとに転がっていたペンダントを、さっと拾い上げた。ペンダントは電気でも帯びているように、ゆりかの手の中で、じんじんとしびれた。 ゆりかはもう一度、空を見上げて、それから手近のニレの木かげに隠れた。 白い動物―― マデリンが消え、あたりに立ち込めた、肉の焦げる匂いが薄れた。 「大丈夫でござるか、ゆりかどの?」 ふいに聞きおぼえのある声がして、ゆりかは悲鳴を上げて、飛び上がった。 ふり仰ぐと、すぐ頭上の木の枝に、あのからす天狗が腰かけて、ゆりかを心配そうに見下ろしている。 「まあ! からす天狗じゃないの!」 「はい、おっしゃる通り、からす天狗でござりまするわい。おともの三条太夫と、助四郎が知らせてくれおったのです。あなたさまが、難儀をしておるとな。ほれ、おまえたち、ごあいさつをせぬか」 からす天狗は、すぐ下の枝にとまっていた、二羽のからすたちにうなずいた。そのからすたちは、神妙な面持ちでゆりかに一礼すると、あいさつのしるしに、パッと木の枝から飛び立ち、ゆりかの頭上を交差するように飛び越えて、からす天狗のかたわらの枝に、静かに降り立った。 「この者どもは、拙者の〈使い魔〉たちです。おおっと、拙者としたことが、クジャクどのに影響されての、西洋かぶれのような物言い。実はあれから、この者どもらに言いつけて、あなたのことを見張らせておったのですよ。パピリカどののお計らいもあってな」 「えっ、パピリカの?」 「はい、さようですわい。パピリカどのは、あの時、拙者に伝言を残していかれましたのです。あのお方が、やんごとない理由から、あなたさまの危険におもむけない場合には、拙者が身がわりになって、あなたさまをお助けするように、とな。まっこと、パピリカどのは、よくよく抜け目のないお方と、お見受けいたしまするな」 からす天狗は、ゆりかにというよりも、自分自身に言い聞かせるように、つぶやいていたが、ゆりかがまたもや空を見上げると、あれだけいたからすたちの群れが、きれいさっぱりいなくなっている。 さっきマボちゃんを探し始めた時、上空で旋回していたのも、目の前にいる、この二羽のからすたちだったのだろうか。 「じゃあ、この前の日曜日に、あたしを助けてくれたのは、この、からすさんたちだったのね?」 「あれなる三条太夫のしわざでしょうかな。あなたさまが言われるのが、いつぞやの三人組の小悪党のことならばな。ともかく、間にあってよかったでござるよ。おけがはございませんでしょうな?」 「うん、うん。あたしは大丈夫よ・・・大丈夫よ! それより―― そうだ、マボちゃんが!」 「なに、マボちゃんとな?」 ゆりかとからす天狗は、あわててそこら中を見まわしたが、地面に伸びていたはずのマボちゃんが、どこにも見えない。 ゆりかが途方にくれていると、からす天狗とおとものからすたちが、静かに舞い下りて来た。 「ここでは人目につきますゆえ、よろしかったら、拙者の家においでいただけませぬですかな? これまでのいきさつを、あなたさまの口から、じかにうかがわせていただきたいものですからな。拙者の家内と愚息も、歓迎いたしますですよ。とくに愚息は、あなたにお会いしたいと、夜も日もなく泣いておりますものでな」 それで、ゆりかはそうした。
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つぎの月曜日、学校へ行ったゆりかは、なんとなくクラスの雰囲気が、よそよそしいのに気がついた。 理由は言うまでもなく、大西直子のおしゃべりのせいだった。 直子はゆりかにペンダント泥棒呼ばわりされたことを、つつみ隠さず、みんなに打ち明けていたのだ。その結果、ゆりかと直子は、仲たがいとまではいかなかったが、それに近い関係に、逆戻りしてしまった。 何しろ、泥棒あつかいされたのだから、直子がゆりかに不信感を持ったのは、やむをえないことだった。 ただ、直子の名誉のためにつけくわえると、直子が今度のことで、ゆりかをいじめたり、陰口をきいたりということは、二度となかった。 それどころか、交番の大橋巡査長をたずね、ゆりかが神社の境内で見たギャングたちが、どうなったのか聞きに行こうと、ゆりかを誘ってくれたりもしたのだ。 大橋巡査長が、ゆりかの住む団地まで、銀行強盗の犯人がつかまったと知らせてくれたのは、それから間もなくしてだった。 応対に出たゆりかとゆりかのママの前で、大橋巡査長は型通りのお礼を言って、そのうち感謝状が出ますからと、なぜだか恥ずかしそうにつけくわえた。 「それから、あの木のうろの中で見つけた、動物の毛のことだけどね」 と、大橋巡査長は、見送りに出たゆりかに、そっと耳打ちをすると、 「あの黒い毛の束、科学捜査研究所というところに、送ったんだけどね、何の毛かわかる前に、毛の方が消えてしまったんだってさ。どうかしてるよね、研究所の連中は。それにしても、何の毛だったのかなあ?」 「さあ、ムササビか何かじゃないんですか?」 ゆりかは堂々と嘘をついた。 その晩、マボちゃんがいつ現われてもいいように、ゆりかはカンバーランド王国のお城の想像図を完成させると、ついでにマボちゃんの絵も描いて、窓のそばに飾っておいた。 マボちゃんは、とうとう現われずじまいだった。 ところで、今度のことで、ほとほと苦労したゆりかは、胸にぶら下がったペンダントの金ぐさりをなでながら、 (これからは人間の友だちなんか、永久に持つもんか) と、心に誓った。
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