マンドラゴラと毒ヤツデ
それは大江山の鬼たちだった。 文字通り、雲つくような半裸の大男たちが、山頂に立ちはだかっていた。頭のてっぺんにある二本の大角は、今、雲の中に隠れて見えないほどだった。 赤鬼が、力まかせに打ち下ろした金棒を、地面から引っこ抜いた。 ゆりかたちが呆然としていると、青鬼が大音声で呼ばわった。
「こらあーっ! おまえら、ちびすけどもがあーっ! 誰のゆるしを得て、ここに来たんじゃああーっ! 言えーっ! 言わぬと、こいつをお見舞いするぞぉぉぉぉぉーっ!」 青鬼は、腰にぶら下げていた分銅を、ブンブンぶん回した。ゆりかはさすがに血の気が引くと、パピリカが進み出て、いんぎんにおじぎをした。 「わたくしどもは、ごらんの通りの、ただの通りすがりの旅の者ですわ。ご無礼があれば、幾重にもおわびいたします。なにぶんにも、おゆるしがいるなどとは、ぞんじ上げなかったものですから―― 」
「駄目だあぁぁぁぁぁーっ! ゆるさんぞおぉぉぉぉぉ!」
赤鬼が小腰をかがめて、ゆりかをつまみ上げた。 「助けてえーっ! 助けてえーっ! 助けてえーっ! 助けてえーっ!」
「よくわめく、ちびすけじゃあーっ! こいつ、ちっこいが、うまそうじゃあっ! 頭と手足を半分ずつちぎって、あぶって、食ってやろうかあっ?」
「やい、角出し巨人! その子をお放し! さもないと、ひどい目にあわせるよ!」
「駄目だあっ、長鼻あっ! 放すもんかあっ! 放すもんかあっ! 大切な人質だからなあっ!」
「そうだあっ! そうだあっ! 人質だあっ! 人質だあっ!」
「人質ですって?」 パピリカがいぶかった。 「お放しったら、お放し! さもないと、鼻バズーカをお見舞いするよ!」
「やれるもんなら、やってみなあっ!」
「できっこねえさあっ!」
赤鬼がはしゃぎ、青鬼もさも軽蔑しきったように、赤鬼からゆりかをもぎ取って、ぶらんぶらんと揺さぶった。 それから上を向いて、ゆりかを飲み込もうとした。 「パピリカ! ゾウおばさん! 気をつけて! あいつらよ! 生きてるわ! マンドラゴンよ! 髪の毛の中にいるわ!」 二匹の鬼のもしゃもしゃした髪の毛の中に、茶色い蔓のようなものが踊っているのを、ゆりかは見てとったのだ。
「わっはっはっはっはっ! よーく気がついたあっ!」
「どーれどれ! このちびすけを、食ってやるさあっ!」
青鬼はゆりかを、本気で食べようとした。 さっと一陣のみどり色の風が吹いて、青鬼の手からゆりかを奪い返すと、 「ナーガラージャ、遠慮はいりませんわ! やっつけてください!」 「よしきた、パピリカ! 合点承知さ!」 ナーガラージャは、みるみる小山くらいの大きさにふくれ上がると、からす天狗は妻と子を引っぱって、岩場のかげに逃げ込んだ。 「あのおばさん、どうしてあんなに、急に大きくなったの?」 からす天狗の子供が訊くと、 「おまえたちは、黙って見ていなさい。ここから一歩も、動いてはいけないからね」 その時、ものすごい爆音がとどろいて、からす天狗の親子は耳をふさいだ。
ヴォッ! バボォォォォォ ォォォォォォォォォォン!!!
爆発があたりの空気を震わせ、ゆりかの鼓膜をも、びりびりと揺さぶった。 顔面を覆った青鬼の指のあいだから、見たこともないほど大量の青い血が、だらだらと流れてくる。その血はまるで生きた水たまりのように、山頂に青い血の池を作った。赤鬼が奇声を発して、金棒をナーガラージャめがけて打ちおろした。一瞬早く、パピリカが目から光線を出さなければ、ナーガラージャもただではすまなかっただろう。 赤鬼の金棒は、握りを残して、ばらばらに砕け散った。 赤鬼は握りの残りの部分を、不思議そうにながめていたが、その顔にどす黒い怒りが込み上げてくると、そこらにあった大岩を手当たり次第にひっつかみ、一行めがけて投げつけてきた。 あわを食ったのは、からす天狗の親子たちだ。雨あられと降りそそぐ、岩つぶてをかわしながら、岩かげを出て必死で逃げ回った。 「父上! 一歩も動くなというおおせでしたが、かまわないのですか?」 子天狗が尋ねた時、特大の大岩が飛んできて、親天狗の脳天を直撃した。 「ぐぎゃっ!」 と叫んで、からす天狗は気絶した。 「ナーガラージャ! ナーガラージャ! 急いでください! 第二攻撃! 第二攻撃をお願いしますわ!」 「そう簡単に言わないでちょうだいな、パピリカ! エネルギーの補充をしなきゃなんだから!―― 危ないよ! 後ろ! 後ろに気をつけて!」 パピリカとゆりかは、空中でふり返った。巨大なシーツを広げたような、茶色いまゆ糸のかたまりが、こちらをめがけて、ふわふわと漂ってくる。 パピリカがゆりかを抱いたまま、稲妻のような素早さで逃げ回った。青鬼の頭上をめがけて、手羽の先からみどり色の光弾を打ち込むと、間一髪、マンドラゴラは姿を消した。 もう一匹のマンドラゴラが、赤鬼の角に、蔓を巻きつけて言った。 ―― ヤメロ。ヤメロ。アタシノ、イウコトヲ、キキ、アタシノ、イウトオリニ、ウゴクンダヨ―― 赤鬼の体から、目に見えない何かが溶けて流れ落ち、意思そのものが消え失せたようだった。赤鬼はドロリンとした目で、足もとを見下ろすと、三人のからすたちに気がついた。 「危ない! からすさんたちが危ない! パピリカ、何とかして!」 「わかっていますわ、ゆりかさん! エル・ククラ・スケラ!」 とたんに、震えている三人の親子がらすの周囲を、みどり色の光のあぶくが取り囲んだ。赤鬼が腕を伸ばして触れると、あぶくは光を発して、いまわしい巨人の手を撃退した。 「あれが〈次元のゆりかご〉ですわ。あらゆる光波・熱線をはね返します。絶対に破れっこありません!」 「シャボン玉みたいに、すぐに壊れてしまいそうだけど」 「そんなことはありませんわ! ごらんなさい、ゆりかさん! そら! あの、赤い色の巨人が、私の〈次元のゆりかご〉を破壊しようとしていますが、そんなことができるものですか! ここから見物していなさい!」 その時、血のめぐりの悪い赤鬼は、握りこぶし大の木槌が、腰帯にぶら下がっていたことを、ようやく思い出したのだ。 赤鬼は勝ち誇ったように大声を上げ、槌を握りしめると、光のシャボン玉に向き直った。 赤鬼は槌をふり上げ、まともに光の泡に打ちおろした。ものすごい閃光と稲光が走って、赤鬼は両目をおさえ、その場に転げ回った。シャボン玉の方は、まるっきりの無傷だった。赤鬼はしばらく目をしばたたかせていたが、落ちていた槌を手探りで拾い、ようやく立ち上がると、その目がらんらんと、怒りに燃えている。みどり色の光のあぶくの中では、気絶したからす天狗のそばで、妻と子がらすが、震えながら赤鬼を見上げていた。 赤鬼はすさまじいうなり声を上げて、槌の一撃を、もう一度光のシャボン玉にくわえた。閃光が走り、赤鬼はギャーッという悲鳴を上げて、その場でのたうち回った。 「本当にがんじょうなのねえ。ああっ、見て、見て! 赤鬼のくしゃくしゃの髪の毛の中で、マンドラゴンがダンスを踊ってるわ!」 「あれはダンスではありませんわ、ゆりかさん! 怒りのあまりに、マンドラゴラたちが発作を起こしたのですわ。ごらんなさい! 赤い大男が、もう一度立ち上がって、落とした武器を探していますが、あんなことでは、見つかりっこありますまい! ああ、どうやら、あきらめたようだ! 今度は、崖の上から大きな岩を引っこ抜くつもりですよ。なんという馬鹿力でしょう! 『大男、総身に知恵が回りかね』。そう言うんでしたわね、あなたの世界のことわざでは?」 その時、赤鬼は、自分の体の倍ほどもある、とてつもない大岩を高々と持ち上げて、光のあぶくを押しつぶそうとした。 すでに体力を回復していたナーガラージャが、真正面から鼻バズーカをお見舞いしたので、赤鬼はそのまま空中へ吹っとばされ、岩ごとふもとへと転がり落ちて行った。赤鬼の頭上のマンドラゴラも、その時の勢いで、どこかへと放り出されてしまった。 「あたしの鼻バズーカの威力はどうだい? ちょいとしたもんだったろう?」 「ほんと、おどろいちゃったわ」 ゆりかが感心した時だ、ふもとから恐ろしいうなり声が聞こえ、体中血だらけにした赤鬼が、四つん這いになって、山頂へとよじ登って来た。赤鬼は青鬼に手伝ってもらって、ようやくのことで、てっぺんにたどり着いた。 「あきれた、まだやるつもりらしいよ」 「あの大男に罪はありませんわよ、ナーガラージャ。あの二匹の巨人は、あやつられているだけなのですからね。悪いのは、あのマンドラゴラたちの方ですわ。あの二匹の魔法植物を退治してしまわなければ、いつまで経っても―― 」 パピリカがそこまで言った時だ、どこからか勇ましいときの声が聞こえ、おかしな姿のミニざむらいたちが、山頂に駆けつけてきた。 一行は全員、寸の詰まった着物を着て、刀や槍、分銅にくさりがま、なぎなたや棍棒などの、ミニュチアサイズの武具や武器をてんでに持ち、恐ろしく甲高い叫び声を発しながら、ゆりかたち一行をとり囲んだ。 先頭にいたねぎ頭のおさむらいが、ゆりかのおへそのあたりから、ゆりかを見上げてたずねた。 「して、鬼どもはいずこに?」 ゆりかが目をぱちくりさせていると、ナーガラージャが、 「あんたたちの真後ろにいるよ」 ゆりかの半分も背丈のない一行はふり返って、目の前に鬼どもを見つけ、身もふたもない歓声を上げた。 「いたぞ! 大江山が鬼どもじゃあ!」 「そうれ! えい! えい! おう! えい! えい! おう! えい! えい! おう! えい! えい! おう!」 「なあんだい、この連中は? このちびどもは、どこから湧いて出たんだい?」 「忘れたの、ナーガラージャおばさん? この人たちは、あのさし絵の中にいた人たちじゃないの?―― 人じゃないのかもしれないけどね―― 向こうの谷間で、鬼たちと向かいあっていた人たちよ、きっと」 「ああ、あの連中かい!」 ナーガラージャは、ちびざむらいどもの頭上で、鼻をふり回した。 さむらいの一行は、いっせいにのけぞった。 「して、その方たちは、何者でござるのか? 返答次第によっては、斬る!」 「あたしたち、よその世界から来たのよ―― この本の外から。あたしたち、悪い化け物退治をするために来たのよ」 ゆりかがにこにこ顔で、ねぎ頭のおさむらいに答えた。 「はてさて面妖な。その返答に嘘いつわりはござるまいな? ふうむ、ふうむ。しからば、われらの同志とお見受けいたす。拙者は、ねぎ山ねぎ太郎ともうす、けちな田舎ざむらい。あの二匹の鬼どもにかどわかされた、うどんだねを追い、はるばる大江山まで、まかりこしてござそうろう」 ねぎ頭のおさむらいは、ぺこりとゆりかにおじぎをした。 見れば、まゆ毛も凛々しい、なかなかの好男子だ。 続いて、そらまめみたいなおさむらいが進み出て、自己紹介しようとするのを、ナーガラージャがとどめた。 「お待ち。その鬼どもがさっそく、こっちへやって来るところだよ」 ちんけなさむらいたちは、あわてふためいて、手に手に武器をかまえ直した。あんまり急いだために、仲間を突き刺してしまう、うっかり者もいたが、なかなかに整然とした動きだった。 「者ども、ひるむなっ! 鬼退治だっ! かかれっ! かかれっ! かかれーっ!」 ねぎ山ねぎ太郎が叫んだ。 石うす頭のおさむらいが、手にした三又槍をふりかざすと、みかん頭のおさむらいが、 「先ほど、かちどきを上げたのは、ちと早まったようだわい。戦うのはこれからで、かちどきを上げるのは、その後のはずじゃて」 「温州みかんどのの言われるのも、ごもっとも、ごもっとも。勝負は、戦ってから決まるもの。敵は鬼ども、糸を引きそうじゃて」 「心配めさるな、ひきわり納豆兄弟! 勝負はすでに、われらが勝ったも同然! さすれば、われらがいくさに際して、まずかちどきを上げたのは、手間をはぶく上にも、ごく当然の仕儀じゃろうて!」 「いかにも! いかにも! 豆腐兄弟!」 と、とんがらしざむらいが、目にしみるような大声で叫んで、一同はまたしても、 「えい! えい! おう! えい! えい! おう! えい! えい! おう! えい! えい! おう!」 それから、一同は手にした武器をふりかざし、鬼たち目がけて突進して行った。鬼たちはぎょっとして、さむらいどもを見つめ直したが、相手が自分のすねほどもないと知ると、おおいに意気が上がったのか、腹の底から愉快そうなうなり声を上げて、あらたな敵を迎え討った。たちまち、あたりは恐ろしい騒乱につつまれ、雲つくような大男たちと、豆つぶほどのさむらいたちの、血で血を洗う残酷ないくさが―― 始まるはずだった。 しかしながら、鬼たちの前に、勇ましいちびどもの戦果はさんざんだった。一行がちょこまか繰り出す、刀や槍などの武器や武具は、どうがんばっても、鬼のふくらはぎにも届かない。それどころか、鬼どもときたら、生まれつき足の皮がぶあついのか、えらく鈍感なのか、突かれようが刺されようが、いっこうに平気らしく、大きな足の裏で地面をなぎはらうたび、小さなさむらいたちの集団は、それこそ束になって、空中へと蹴り上げられてしまうのだった。 「矢だ! 矢だ! 矢を射かけろ! 矢を射かけろ! 矢を射かけろ!」 ねぎ山ねぎ太郎が、わめき声を上げた。 矢筒を背負った、弓矢隊の一行が進み出て、ちっこい弓づるに矢をつがえ、鬼どもに向けて、いっせいに放った。矢はまるで、人間にとってのマッチ棒のように、てんでに鬼どもに命中し、ばらばらと音を立てて、地面に落っこちた。 「ひるむな! ひるむな! 鉄砲隊! 鉄砲隊! 続けえーっ! 続けえーっ! でやぁ―― っ! 撃てえーっ! 撃てえーっ! 撃てえーっ!」 すわこそ、筒先に弾丸をこめた火縄銃の一団が―― この連中も、なりが珍妙なことにかけては、ほかの連中にひけはとらなかったのだが―― ずらりと並んで前へ進み出ると、火撃ち石で火をつけようとしたが、火縄に点火する気配はいっこうにない。鬼どもはにやにやとながめていたが、冷やかすように近づくと、鉄砲隊の連中は、悲鳴を上げて逃げ回った。 「こらあっ! 敵に背を向ける奴があるかあーっ! いざあーっ! いざあーっ! 者どもおーっ! 続けえーっ! 続けえーっ! 続けえーっ! でやぁ―― っ!!」 石うすざむらいが、腰帯に差した太刀をひっこ抜き、まともに鬼どもの正面から、斬り込んで行った。 が、つぎの瞬間、さしも勇敢な石うすざむらいも、赤鬼の巨大な足の下に、みんごと踏みつけにされてしまった。 ぐにゅっ! と、いやな音を立ててつぶされる、石うすざむらい。 「ぎゃああああーっ! あのおさむらいさんが、踏みつぶされちゃったああああーっ!」 「なんの、これしきのこと、拙者には、どうということもござらぬで」 当の石うす本人が、ゆりかの目の前で、ひらひらするバスマットのような体で起き上がると、ふいにその体がしゃんとなった。 「お心づかい、かたじけのうござる!」 石うすざむらいが、軽やかに笑いかけて、ふたたび鬼どもめがけて、斬り込んで行った。 「うっひゃあ、おどろいたなあっ! タフな人!」 ちびざむらいたちには、どうやら、ある種の〈不死性〉が宿っているようだった。鬼どもがつぎからつぎへと、四本の足で踏みつけにしても、踏まれたそばから、元の体へと復活していくのだった。そんなわけで、いつ果てるともなくいくさは続き、いつまでたってもふりだしに戻ってしまうのだった。 「あーあ。こうやって見ているのも、あきあきしてくるねえ。どうにも単調すぎて、あたしゃ、スペクタクルは大きらいさね」 ナーガラージャが長い鼻を揺すぶって、ゆりかにぼやいた。戦いと小ぜりあいは、とぎれることなく小一時間ほど続き、どちらからともなく休憩に入った。 「ごらんなさい。どうやら、ある種のフェアプレイの精神だけは、ありあまっているようですわね」 パピリカが感心したように、ナーガラージャにつぶやくと、 「フェアプレイの精神だって? 馬鹿々々しい! どっちも相手をやっつけられないのさ。それを知ってて、戦おうっていうんだもの、馬鹿々々しいとしか、言いようがないよ」 「あの人たち―― あの鬼と、小さなおさむらいさんたちのことだけど―― 永久にあの山の中に、立ち続けるのだとばかり思っていたわ」 「ああ、それはね、ニンゲンちゃん、あいつら―― あのいやらしい悪魔の根っこの奴らが、あの能無し巨人どもを、妖力で動かしちまったろう? それでこの場の、いわば“封印”が解けちまって、本物の戦いが、始まっちゃったというわけさ。そんなとこだろう、パピリカ・パピリトゥス?」 「おっしゃる通りですわ、ナーガラージャ」 「この本、というか、あの本のさし絵は、今頃はめちゃめちゃに入り乱れて、さぞや愉快なことになっているだろうよ。外から見られないのが、ホント、残念だよ!」 「ところで、マンドラゴン退治はどうなっちゃったの?」 ゆりかがたずねた時だ、突然、休憩時間が終わったらしく、両軍は、以前と変わらぬ勇ましさで、ふたたび戦闘を開始した。 赤鬼と青鬼は、寄せ来る攻め手を、ちぎっては投げ、ちぎっては投げしていたが、その時、空中に閃光が走って、二匹のマンドラゴラたちが戻って来ると、 「そうら、おいでなすったよ。変態めおとだんごのお帰りだ。あいつら、さっきの攻撃で、断然、用心深くなっているようだね。全然、近づいて来る気配も見せないよ。 ああ、わかった! あいつら、またまた、あの巨人どもを、妖力であやつるつもりなんだねえ。あくまであれで、あたしらをやっつけるつもりなんだよ。かしこいと言ったって、やっぱり根っこだねえ。そら、巨人どもに飛び移った! 角に蔓を巻きつけて、さっきのようにあやつろうとしているよ。でも、巨人どもがあまりに怒っているせいで、いっこうに言うことをきかないようだ! かえってマンドラゴンどもの方が、ふり回されているよ! そうら、ごらん! そうら、ごらん!」 ナーガラージャが解説しているうちにも、鬼どもがちびさむらいたちを蹴散らして、ゆりかたちに向き直った。 「あーあ! 巨人ども、どうやら頭の中を、またしても明け渡しちまったらしいね! どーれどれ。疲れも取れたし、もう一発、鼻バズーカをお見舞いしてやるとするかねえ」 「待ってください、ナーガラージャ。わたしにいい考えがありますわ。あそこに、ヤツデの葉っぱが落ちているのが見えますか?」 「ああ、見えるよ。あのからすだんなのうちわだろう? さっき、岩つぶてをよけながら走っていた時、落としたもんだろうかねえ」 「あの葉っぱを、あなたの鼻息で、巨人たちの足もとに、吹き寄せることができまして?」 「ああ、できるともさ。おやすいご用だよ。今やるのかい?」 「お願いしますわ」 「あいよ。引き受けたよ」 ナーガラージャは、地面すれすれに鼻を伸ばして、ゆっくりと鼻息を吸い込んだ。それから絶妙の力で、息を吹いた。ヤツデの葉っぱは空中を走り出して、鬼どもの平べったい足の下に、もぐり込むようにして消えた。 パピリカが、ゆりかには聞きとれないほどの小声で、魔法の呪文を唱えた。 突然、みどり色の葉っぱのカーペットが、二匹の足もとに大きくなって現われた。ヤツデのうちわは、あっという間に巨大化すると、名前の通り、八つの指のような葉の先で、巨大な鬼どもをくるくるっと、くるみとってしまった。中で鬼どもが抵抗を試みているのだろう、ヤツデの葉っぱがごわごわと動いて、それから玉のように転がり出した。 パピリカがまたもや呪文を唱えると、転がっていたヤツデの葉っぱが、あわいみどり色の閃光を放って、見る見るうちに小さくなり、やがて――
―― やがて、ミニキャベツほどにも縮まると、ゆりかはさむらいたちと、こわごわと近寄った。 「ごらんなさいな」 パピリカが言うと同時に、丸まったヤツデの葉のてっぺんが、内側から焼き切れて、そこから、ゆりかの小指の先ほどにも縮んだ、マンドラゴラが二匹、もぞもぞと這い出して来た。二匹はあたりを見まわしていたが、ふと、自分たちをとり囲んでいる、巨人たちの群れに気がついて、ぎゃっと悲鳴を上げ、地面に転がり落ちると、あわてふためいて、その場から逃げ出そうとした。 「ナーガラージャ」 「あいよ」 と、ナーガラージャが鼻を伸ばして、それぞれ別の方向に逃げていたマンドラゴラたちを、ゆりかの目の前ですくいとり、自分の口に放り込んだ。 「ああ! まずい! まずい! これで、おしまい! と」 ばりぼりと音を立てて、ナーガラージャは、マンドラゴラたちを噛み砕いた。 「ご苦労さまでしたわね、ナーガラージャ」 「どういたしましてさ。今度こそ、ホントにおしまいだろうねえ? 親友のあんたを疑うわけじゃないけどさ」 「ええ。今度こそ、本当におしまいですわ」 「やれやれ。それを聞いて安心したら、なんだかお腹がすいてきちゃったよ。あたしゃ、口直しにマンゴーの実が食べたくなったねえ」 「おばさん、あいつらを食べちゃって、平気なの?」 「ああ、へっちゃらさ、ニンゲンさん。おばさんの胃は、二つあるんだよ。一つはふだんの常食用。もう一つが、マンドラゴラ専用。だから、あいつらを消化するのは、朝飯前なのさ。もっとも、お腹の中にあいつらがいると思うと、少々気持ちが悪いけどね」 ゆりかたちの背後から、かすかなどよめきが起こった。ふり返ると、マンドラゴラたちの抜け出た葉っぱの穴から、今度はミニサイズの鬼たちが二匹、よろよろと這うように現われ出たのだ。 鬼どもは、今では十センチくらいの人形のようで、ヤツデの葉っぱの内側で押しくらまんじゅうをさせられたせいか、見るもいたましいありさまだった。二匹の鬼どもはその場にうずくまって、しくしくと泣き出した。 「この二匹の元巨人たちの始末は、あなたがた勇者たちにおまかせしますよ。それでかまいませんわね、ナーガラージャ?」 「ああ、かまわないとも、パピリカ。好きにするさ。そいつらを煮るのも焼くのも、あんたらの自由だよ、ねぎ玉ぼうず」 「そうおっしゃっていただけるとは、まったくもって、ありがたし、かたじけなし。まったくのところ、こやつら鬼どもは、八つ裂きにしてもあきたらない連中ですが、しかし、拙者のいちぞんでは決められない。ここは一つ、こやつらの処分を思案する評定を、あらたまって開くとしますか」 ねぎ山ねぎ太郎は、さむらいたちを集め、なにごとかを相談していたが、 「客人がた、評定の結論が出ましたわい。ついてはこの鬼どもを、元の姿に返してもらいたい」 「な、なんだってえっ? こいつらをまた、元の巨人に返すんだってえっ? 気は確かかい?」 「さようです、長鼻の。この二人を、あなた方が来られる前と、同じようにしていただきたいのですわい」 「ど、どうしてだい? さんざっぱら、痛めつけられてたくせにさ。あれでもまだ、やられ足りなかったって言うのかい?」 「さようではござらぬ、長鼻の。みなさまがたの助太刀は、大変にありがたかった。されど、われらはこの本の住人にして、われらのあずかり知らぬ定めによって、われらの果たすべき役割を、ここでおおせつかっておるのです。好き勝手に、われらがこの世界を改変いたさば、いかなる不都合、また、いらぬさしさわりが起こらぬとも限らぬで、かかる事態を未然に防ぐべく、すべての物事を、あるべき当初の姿に復元するのが、この際、われらのなしえる、最良の選択かと考えたしょぞんでござる」 「この人、何を言ってるの? 言葉がすごく難しいんだけど・・・」 「この連中は本のさし絵だから、勝手に絵柄を変えちゃまずいんだとさ、ニンゲンさん。まったく、こいつらには、自分の判断力というものがないのかしらねえ?」 「お言葉を返すようですが、長鼻の―― 」 と、温州みかんざむらいが寄って来ると、 「―― そこもととて、この本の世界で、はたすべき役回りを演じている、この世界の一部ではござらぬか」 「な、何だってえ? このあたしが、本の一部だってえ? あたしを誰だと思っていなさるのさ? このあたしは、〈世界のゾウ〉だよ。このあたしが、世界そのものなんだよ!」 「そこもとが世界そのものか、はたまた、その一部にすぎぬのか、今は詮索する時ではござらぬ。それより、われらのたっての望み、くだんの鬼どもを、可及的すみやかに、元に返していただきたい」 ねぎ山ねぎ太郎が宣言すると、 「あんたたち、本当にそれでいいんだろうねえ? あとになって、やっぱり後悔するんじゃないんだろうねえ?」 と、ナーガラージャが機嫌を直して、念を押して訊いた。 「反対意見のある方は、今のうちに申し出てくださいな。皆さま、ご異議はございませんのね?」 パピリカの問いかけに、 「異議なし!」 「異議なし!」 「異議なし!」 「異議なし!」 「あのう、拙者は、どちらかといえば反対でござるよ」 こうや豆腐ざむらいがおずおずと口に出したが、みなの反対の視線にあい、黙らされてしまった。 「ふふん! それ見たことかい!」 ナーガラージャは軽蔑をあらわに、長い鼻をふり回した。 「それでは皆さま、およろしいのですね?」 「異議なし!」 「異議なし!」 「異議なし!」 「異議なし!」 「異議あり!」 「何ですか、ゆりかさん?」 「―― い―― いいえ―― そのう―― あのう―― べつに―― そのう―― 」 「パピリカは、こいつらの意見を聞いているんだよ。あんたが考えを述べたって、始まらないじゃないか。あんたの世界じゃあるまいに。馬鹿な子だねえ!」 ゆりかはよっぽど、 「こうや豆腐さんが、かわいそうだったからよ!」 と、ナーガラージャに言いたかったのだが、口には出せなかった。 救いを求めるようにさまよわせた、ゆりかの視線が、こうや豆腐ざむらいのそれと、ぶつかった。 こうや豆腐ざむらいの目からは、うれしいような、悲しいような、得体の知れない光があふれている。ゆりかは、心が張り裂けそうになり、自分はこうや豆腐ざむらいのあの目を、一生忘れないだろうなあと思いながら、あわてて顔を伏せた。 「それでは、みなさま方の意見を尊重して、ここにいる元巨人たちを、本来の巨人に返すことにいたしますわ。それで、本当にかまわないのですね?」 パピリカがあらためて念を押し、ちびざむらいたちからは、わあっと歓声が上がった。かたわらで聞いていた鬼たちも、今では泣くのをやめて、二匹で手を取りあってよろこんでいる。 「それでは皆さま、そちらに並んでくださいな。わたくしの魔法で、マンドラゴラ登場以前の状態に、この世界を戻してさしあげますからね。皆さん、手をつないで!」 一同は言われた通りに並ぶと、赤鬼、青鬼も神妙な顔つきで、さむらいたちの列にくわわった。 パピリカは両のつばさを広げて、鋭い声で呪文を唱えた。一同の姿が、一瞬にしてかき消えた。 「やれやれ! みんな、行っちまったのかい、あのオオエとかいう山にさ?」 「ええ、その通りですわ、ナーガラージャ」 「これで本当に、何もかも終わったんだねえ! あいさつするひまも、ありゃしなかったよ! あのねぎ玉ぼうず、結構いい奴だったし、かわいい奴だったよ。朝食に食べるには、もってこいさね!」 「わたくしどもも、そろそろ帰るとしましょうか。ゆりかさんを、早くニンゲンの世界に帰してさしあげなければなりませんからね。おやおや、ゆりかさん、どうかしましたの? おかげんでも、お悪いのですか?」 「ううん、平気よ。目に少し、ゴミが入っただけよ。それはそうと、からす天狗さんたちは、どこに行っちゃったの?」 「本当だ。あいつらは、どこに行っちまったんだい?」 ゆりかと二匹の魔法動物は、あわててあたりを見回した。 「いけない! まだ〈次元のゆりかご〉の中でしたわ! ニキタ・クリクリ・ニキタ!」 パピリカが叫ぶと、たちまち光のあぶくが消えて、からす天狗たち親子三人が、一心不乱に、飛びながら近寄って来た。 「ひどいなあ、あんたたち! 拙者たちが、あの中で叫んでいたのに、全然、気がついてくれないんだもの!」 「おあいにくさま、それどころじゃなかったのさ」 と、ナーガラージャ。 「ところで、鬼たちはどうなりましたので? 例の、根っこの化け物たちは?」 からす天狗は、鬼たちとマンドラゴラたちが退治されてしまったと知ると、地団太を踏んで悔しがった。 「ああ、くそ! くそ! くそ! いつも、いつもこうだ! いつも、いつもこうだ! せっかくのシャッター・チャンスを、ふいにした!」 「あんた、およしよ、みっともない、妻子の前でさ」 ナーガラージャとからす天狗の妻と子が、かわりばんこになぐさめたので、からす天狗もようやく機嫌を直した。 ゆりかはみんなから離れた場所で、大江山のふもとにかかる夕日を、ぼんやりとながめていた。 ふいに、後ろからゆりかを呼ぶ声がして、ゆりかがふり返ると、パピリカが近づいて来るのが見えた。 「―― ゆりかさん、先ほどはごめんなさいね。わたくし、あやまりに来たのですわ」 「・・・ええっ? あやまるって・・・な、何を?」 「先ほど、あなたに対してわたくしが示した、傲慢で無礼なふるまいのことをです。あなたのことを、また、あなたたちニンゲン全般のことを、大変に見くだして、口に出してしまいましたわ。ゆりかさん、どうかゆるしてくださいね」 「そんな―― わたし―― そんなこと―― 全然―― ちっとも―― 」 「いいえ。けじめだけは、きっぱりとつけなければなりませんからね。それがわたくしの性分ですもの。さてと―― あやまることはあやまりましたから、これで帰るとしましょうか―― 帰りますよ」 パピリカはその場を離れかけて、つと、ゆりかの方に戻って来ると、 「ゆりかさん、実はもう一つ、お願いがあるのですが―― 言いにくいのですけれど―― あの人にはこのことを―― ナーガラージャには―― 黙っていてほしいのですわ。わたくしがあなたにあやまりに来たことを、ナーガラージャにだけは、知られたくないのです。およろしいですか?」 ゆりかが黙っていたので、パピリカは心配になったのか、 「いいですわね? あの人には、知らせずにいていただけますね?」 「―― いいわ。いいけど、これだけは忘れないで。今度から、わたしのことを“ただのニンゲン”とか、安っぽい子供みたいに言わないでくれる?」 「しょ―― 承知いたしましたわ、ゆりかさん」 「それから、いつかかならず―― いつでもいいけど―― いつかかならずよ―― お姫さまとパピリカさんが逃げている―― その本当のわけを―― いつかかならず―― かならず―― わたしに話してよね」 パピリカはゆりかを見つめ返した。 そのくちばしに、えも言われぬ微笑が浮かぶと、 「わかりましたわ。いつかかならず、絶対にお話しいたしますわ」 「本当? 約束したわよ」 「お約束いたしましたわ、ゆりかさん」 パピリカが意味ありげに、ゆりかを見つめ直すと、 「ゆりかさん、あなたはご自分でわきまえておられるよりも、ずっと、ずっと賢くて、いけない子供ですわね。それでも、ただ泣いている子供でいるよりは、ずっとずっと、マシですけれどね」 「そう言うクジャクおばさんも、なんだか油断できない感じよ。本当にお姫さまを連れて逃げている、ただのかわいそうな魔法使い? 本当は悪人なんじゃないの?」 「ふふふん!」 と、パピリカはせせら笑ったが、それは今までよりも、ずっとずっと親しみのこもった、悪党同士の笑い方だった。 それから、パピリカはきびすを返すと、お尻をふりふり行ってしまった。 「―― アッハハハハハハ―― アッハハハハハハハ―― アッハハハハハハハハハハ―― !」 「どうしたんだい、そんなに笑い転げてさ? あんた、正気かい?」 ナーガラージャが様子を見にやって来ると、 「夕日がそんなに面白いのかねえ? ニンゲンて変わってる。常識を疑うよね」 ゆりかはまだまだ笑っていた。笑って、笑って、おなかの皮がよじれるほども、笑いに笑い続けた。 しまいには、からす天狗の親子もやって来て、不思議そうにゆりかをながめ始めた。 パピリカがまた、近づいて来ると、 「さあ、もう、およろしいではないですか、ゆりかさん。からすどのも、お気のすむまで、『写真』とやらをお撮りになられましたわね?」 「ええ、もう十分に。バッテリーの方が、そろそろ充電してやらないと。フィルターの方も、替えてやる必要が―― 」 「説明していただかなくても、結構ですわ。それでは皆さま、帰るといたしましょう。まずは、からすどののお屋敷に、お連れいたしますわ」 「悪いけど、あたしは、ここで失礼させてもらうよ、パピリカ」 「あら、どうしてよ、ナーガラージャおばさん? いっしょには来ないの?」 「ありがとうよ、気のふれたニンゲンちゃん。でも、この人の家は、あたしにはせますぎるし、今度の冒険で、いささかくたぶれちまった。あたしをここから、〈精霊の森〉に、つつつと帰しちゃくれませんかね?」 「おやすいご用ですわ」 パピリカが言い終わらぬうちに、ナーガラージャの体が透き通って、見る見るうちに、見えなくなった。 「ああ―― 消えちゃった!」 「わたくしたちも行きますよ、ゆりかさん。ご準備の方は、およろしいですか?」 「あああっ! 拙者のうちわがない! 先祖伝来の、大切にしていた、あの家宝のヤツデの大うちわがない!」 「あれは巨人たちとの戦闘の際に、こちらの切り札として、使ってしまいましたわ。ごめんなさい。そう、しょげないで。あなたの、あのうちわがあったればこそ、わたくしどもは最終的に、この勝利を手にすることができたのですからね」 珍しくパピリカが、なぐさめ顔に、からす天狗に言った。 「そのうちわは、今どこです?」 ゆりかは、穴が開いてボロボロになった、ヤツデの葉っぱの切れ端を見つけて拾うと、申し訳なさそうに、からす天狗に差し出した。 「うふうっ!」 と、からす天狗は、長い長いため息をついた。 「これは、先祖代々受け継いできた、わが家の大切な、由緒ある家宝だったのになあ! 仕方がない、今日からこれを、未来永劫、新しい家宝としよう!」 「それは素晴しいお考えです、父上」 と、からす天狗の子供が言った。 「それはいいお考えです、あなた」 と、からす天狗の女房も賛成した。 「これを『八方ヤツデ』と命名する。八方破れと、ヤツデをかけた駄洒落でして」 と、からす天狗は訊かれもしないうちから、ゆりかとパピリカに説明した。 「さあ、もう茶番はたくさん! 今度こそ、本当に出発しますよ! およろしいですね?」 「おおっと、そうだ! そうだ! 忘れるところじゃった! 写真機、写真機と!」 からす天狗は、自慢のニコンF三○○○をかまえると、なぜか、むすっとしているゆりかとパピリカを写真におさめた。 「これで、拙者のコレクションも完璧ですなあ」 パピリカが一同を集め、呪文を唱えた。あの不思議な、ドーナツに似た光の輪が、一同の足もとから、空中に立ち昇ってきた。 「さらば、大江山」 と、パピリカ・パピリトゥスがつぶやいた。
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