決戦! 大江山
とどろき渡る轟音に、ゆりかは耳の鼓膜が破れたかと思い、吹きつける風の音だと気づくまでに、たっぷり十数秒もかかった。 恐ろしい勢いで叩きつけ、まともに呼吸ができないほどの、雨、雨、雨、雨。こらえきれなくなって、泣きそうになった時、 ―― 大丈夫ですか、ゆりかさん?―― 頭の中でパピリカの声がして、急にあたりがあたたかくなり、呼吸もずいぶんと楽になった。薄いみどり色の光の膜のようなものが、ゆりかの全身をつつみ、降りかかってくる水滴をはじいている。 ゆりかがパピリカにお礼を言おうとした時、ゆりかの頭上で、今度は大声がとどろいた。
「何だあっ! おまえたちはあっ! 一体、何奴じゃあ!」
ゆりかは飛び上がった。 「あれは誰なの、パピリカさん? あたし、とってもこわいわ!」 「さあ、勇気を出して。あれは、わたくしが思いますに―― 」 そのとたん、真白い稲妻が幾度もひらめいて、荒れ果てた岩山の一角を、昼間のように照らし出した。
「てめえたちは、何者だあっ! どこの、何様のつもりじゃあ!」
「あたしは、隠れもしない、ナーガラージャさまのつもりだけどねえぇ?」 「行きましょう」 パピリカが地面を離れた。 ナーガラージャとからす天狗も、あわてて後を追って飛び立った。(二匹はいつの間にか、ゆりかとパピリカのそばにいたのだ) (飛ぶのよ! さあ、飛ぶのよ! 飛んで!) とたんにゆりかの体が浮き上がり、二羽と一匹の動物を追い始めた。 「あっ、鬼だわ! 鬼がいる!」 岩だらけの割りと開けた場所に、恐ろしいほどの大岩がごろごろしていたが、そこに、見るからに猛々しい巨人の鬼が二匹、ゆりかたちに背を向けて、巨大な金棒を手に、突っ立っていたのだ。
「やいっ、やいっ、やいっ! 名を名乗れっ、ちびすけどもおっ! 卑怯なりいっ! 卑怯なりいっ!」
「こらあっ! ちびすけどもがあっ! 何をしに、ここへ来たんじゃあっ! 名を名乗ったりいっ! 名を名乗ったりいっ! 早く名乗らぬかあっ!」
ゆりかは鬼たちの足もとに、じっと目をこらした。百名近い、おかしな恰好のミニざむらいたちが目に入った。さむらいたちは、どいつもこいつも、みかん頭や豆腐頭、ねぎ頭に納豆頭、とりあえずは真四角な、わけのわからない頭といった、さまざまのかっこうをしていた。 片方の鬼が、
「てめえたちは、どこの何様だあっ!」
「パピリカさん、あの人たち―― あの、変てこなさむらいたちは、なんで鬼と戦わないの?」 「それは、無理もないと思いますけれどね。わたくしの記憶にあやまりがなければ、ここはさし絵のはずですからね、ゆりかさん。あの本に閉じ込められている以上、この場面からは、変わりようがないじゃありませんか。それよりも、早くマンドラゴラたちを探し出すことにしましょう。どうやら、この人の鼻が、何かを嗅ぎつけたようですわ」 「ああ。さっき、ここへ到着した時から、やつらの匂いで、大気はムンムン。鼻がむずむずするねえ」 「その前に、記念写真を一枚」 からす天狗がおっかなびっくり、鬼たちにカメラを向けると、用心しながらシャッターを切った。 ナーガラージャがあきれたように、 「ふーんだ。あんたなんか、あの巨人の化け物たちに、とって食われればいいのにさ!」 「行きましょう、ナーガ。案内をたのみますよ。ゆりかさん、あなたはわたくしの後ろに隠れていてください。万が一のことが起きたら、それこそ一大事ですからね」 ゆりかは名残りおしそうに鬼たちをながめると、上昇したパピリカとナーガラージャを追って、飛び上がった。
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初めに本のさし絵で見た位置に、マンドラゴラたちはいるはずだった。 だが、さすがに敵も変身種のマンドラゴラだ。抜け目なく追手に気がつくと、すたこらさっさと逃げ出していた。 「近いよ! すごく近いよ!」 ナーガラージャが、鼻をまるでジャイロのようにふり回した。 「大丈夫ですか、ナーガラージャ? また、見失ったりはしませんか?」 「大丈夫だともさ! さっきのように、くだらないジャイアント見物に、時間をむだ使いしたりしていなければね、とっくに追いついている頃だよ!」 「ごめんなさい。てっきり、ゆりかさんが喜ぶのではないかと、思ったものですからね」 「おーやおや! あんたとつきあいは長いけど、あんたが当面の価値ある目標を後回しにするなんざ、初めてだよ」 パピリカはまばたきをしたが、何も言わなかった。 ―― ごらんなさい。ナーガラージャが、何かを感づいたようですわ―― ゆりかの心の中に、パピリカがささやきかけた。先頭を行くナーガラージャが、切り立った尾根づたいに、急降下を始めている。 巨象は何度か峰の上で旋回したり、一度などは、突き出した岩のまわりを、ぐるぐるとへめぐり、逆向きに戻りさえした。 「いたわ! あそこにいた! あん畜生ども、とうとう見つけたよ!」 前方、およそ三百メートルの空中を、二匹のマンドラゴラが、おたがいのあいだに蔓をからめて飛んでいた。蔓のあいだには、小さな人影が二つ、もやにつつまれたように見えている。 「ああっ、拙者の女房と子供が! 拙者の女房と子供が!」 「危ない! かわしてください!」 マンドラゴラたちが放った二すじの赤い光の矢が、一行をめがけて、狂ったように飛びかかってきた。光の矢は、一行のあいだを、稲妻のように走り抜けて、空気が電気を帯びたように、ビリビリとしびれた。ゆりかは、自分でもわけがわからないうちに、飛んできた矢を、やりすごしていた。 「なかなか味をするじゃないの! 目にもの見せてくれるよ!」 「その役目は、わたしが引き受けますわよ、ナーガラージャ! そらっ! これでもお食らい!」 パピリカが目からみどり色の二筋の電光を放つと、危ういところで、マンドラゴラが飛び去った真下の崖が、きれいさっぱり消えてなくなっていた。 「ぎゃっ! 拙者の女房と子供が!」 「ご安心なさい。命中させたりはしませんからね! それにしても、今度かれらが、私たちを襲った時には―― 」 パピリカは、最後まで言わせてもらえなかった。 つぎの瞬間、真っ赤な光が空中にひらめいて、マンドラゴラの放った光の第二の矢が、ゆりかたちに襲いかかってきたのだ。 が、今度は、よけるまでもなかった。パピリカが、みどり色のスパークを全身から放って、赤い光の第二撃を、空中できれいさっぱりと飛び散らせ、矢は光の粉となって地面に降りそそいだ。 マンドラゴラは飛びながら、なおも第三、第四の攻撃を浴びせてきた。そのたびに、パピリカの発したスパークが粉砕すると、さしもの攻撃も一段落ついた。今度は、パピリカが速度を上げて、するどい針のような光のシャワーを、何千本となく風きり羽根の先端から打ち出した。細い針のようなみどり色の光のシャワー攻撃は、ハチの群れのように固まって、前方を行くマンドラゴラたちに急に襲いかかった。 マンドラゴラたちが、ぐらぐらっとよろめいた。 「お客人がた!」 「ご安心なさい! 死なせたりはしませんわ! それよりも、そろそろ弱ってきましたわ! ごらんなさい!」 そのとたん、マンドラゴラたちが死に物狂いになって、赤い光の矢のすじ束を、嵐のように浴びせてきた。 「ぎゃああああああ―― っ!」 ナーガラージャが、何本かをまともに正面から、体に受けた。 光の矢の一本は、ゆりかの顔面も直撃した。ゆりかは目の前が真っ暗になり、真っ逆さまに谷底に落ちかかった。 「あんた、大丈夫かね? 突きささったみたいだが」 気がつくと、ゆりかは、からす天狗の背中にまたがっていて、からす天狗が心配そうに、ゆりかを見上げている。 「ええ・・・ええ・・・大丈夫・・・みたい・・・よ・・・」 ゆりかは鼻や頬に手をやったが、どこも何ともなかった。ゆりかの全身をくるんでいたパピリカの魔法が、ゆりかを守ってくれたらしかった。 「そうかい、あんた。だったら、一人でも飛べるね?」 からす天狗はゆりかを空中に残して、離れて行った。 「あん畜生ども、ゆるさないよ!」 突然、ナーガラージャの巨体が、みるみるふくれ上がると、 「ゾウおばさん、何をするの!?」 「ナーガラージャ、いけませんわ! いけませんわ! やめてください!」 ゆりかとパピリカが止めるより先に、ナーガラージャは全身のエネルギーを鼻に集中して、マンドラゴラめがけて一息に噴射した。
ヴォッ! バボォォォォォォォン!!!
前方の頂きが丸々一つ消し飛び、あとには、もうもうたる煙のかたまりが、高々と吹き上がった。 「ああ、よかったあ! すっきりしたよ」 ナーガラージャがため息をついたが、からす天狗は、 「ぎゃっ」 と叫んで、棒きれのように、空中を落ちて行った。 「見て! からす天狗さん、気絶したわ」 ゆりかは、あわててからす天狗を追って、空中で抱きとめた。 「ナーガラージャ、いけない人ですわね。あの方に、とんでもないことをしましたわ!」 「ああ、本当だ。すまないねえ、パピリカ。ついカッとなると、見境がつかなくなる性分だからねえ」 「ああっ! 見て! 見て! マンドラなんとかが、逃げて行くよ!」 前方に注意をはらっていたゆりかの叫びに、一同が目を向けると、どうやら、ナーガラージャの死に物狂いの一撃は、あっさりとかわされたらしく、もうもうと立ち込めた煙のあいだから、四つの小さな粒々が現われると、はるか前方の岩山めがけて、逃げ込んで行くのが見えた。 「議論はあと! 追うのが先さ! ついといで!」 ナーガラージャが言ってのけ、たちまちマンドラゴラたちを追って、急降下し始めた。ゆりかはからす天狗を抱いたまま、黒い煙の中に飛び込んだ。 とたんに、ひどくむせかえる、からす天狗。 「ゴホン! ゴホン! ゴホン! ゴホン! あれっ、あれれっ、ここはどこだ? ここはどこだ? な、何も見えぬが―― 。拙者はハデスの野に迷いこんだのか、それとも、ゲセリナの地に来たのか? きゃああああっ! まだまだ、死にたくなああああいっ!」 「大丈夫よ! すぐに安全なところに出るわ!」 「その声は誰か? し、死神か、はたまた、天からのみ使いか?」 「どっちでもないわ! わたし、天堂ゆりかです!」 「何? 天の堂、すなわちヴァルハラか? ばんざぁーい! ばんざぁーい! ばんざぁーい! ばんざぁーい! 拙者も、ついに神々の殿堂入りだ! ばんざぁーい! ばんざぁーい! ばんざぁーい! ばんざぁーい!」 そのとたん、一行は煙のあいだを抜け出て、からす天狗も事態を飲み込んだ。 「おやおやおやっ? あんたは、あんたじゃないか?」 からす天狗は、黒い顔をポッと赤らめて、あわてて、ゆりかの腕の中から離れて行った。クジャクと巨象は、とある山の頂きの上空で、ゆりかたちの来るのを待っていた。ゆりかとからす天狗が追いつくと、パピリカは黙って下の方を、くちばしで指し示した。 そこにやつらがいた。 山頂に立った、二匹のイモのような怪物たちのあいだにはさまれて、寄りそうように、小さな一組の、人影ならぬ鳥影が、ふるえるように突っ立っていた。 「ああっ! 拙者の女房と子供が!」 「ごらんなさい、あの蔓を!!!」 パピリカが叫んだ。 二匹のお化け植物の蔓が、それぞれ一本ずつ、人質たちの首に巻きついている。 「うかつに手だしはできませんわよ。あいつらは、あの二人の首を、ここでくびり落とすつもりですわ。それはそうと、ゆりかさん、あのマンドラゴラたちは、わたくしたちの前から逃げた時にくらべて、ずっと狂暴そうになったとは思いませんか?」 二匹のマンドラゴラたちは確かに、マンダレーさんのお屋敷から逃げ出した時にくらべて、二倍ほどの大きさにふくれ上がり、横幅も三倍以上、中味もぎっちりと詰まっている様子で、前には弱々しい根っこにすぎなかった足が、今では四本の柱のように、太く、たくましくなっている。 「クルナ! クレバ、コイツラヲ、コロスゾ!」 怪物たちは、シュウシュウと鳴き声を上げた。 「ふふん! できるもんかい! その人質は精霊だよ。やれるもんなら、やってごらん!」 「長鼻の! 拙者の女房とせがれですぞ!」 そのとたん二匹のマンドラゴラたちが、人質に巻きつけていた蔓の巻きを強め、二羽の人質は、世にもあわれな悲鳴を上げた。それを聞いて、からす天狗はまたもや気絶しそうになった。あわててゆりかが支えなかったら、からす天狗は地面をめがけて、今度こそ真っ逆さまに墜落していただろう。 からす天狗の女房と子供は、見てくれもからす天狗と瓜二つで、女房の方は、紺がすりの着物に緋の帯をしめ、子供の方は、父親と同じ白装束に、黒のときんと呼ばれる帽子をかぶり、桐でできた高下駄をはいていたが、今では片方が脱げていた。二人はすっかりおびえきった表情で、からす天狗が助けに来たこともわからないのか、両の目をぽかんと空中に向けている。 下からマンドラゴラの立てる、つぶれたカエルのような笑い声が響いてきた。 「グエッ! グエッ! グエッ! グエッ! ぱ、ぱ、ぱぴりか! ぱぴりか・ぱぴりとぅす! ぱぴりか・ぱぴりとぅす! キコエテイルカ?」 「聞こえていますよ、怪物サラダ! 私に何か用ですか?」 「ヒ、ヒトジチ・・・ヒトジチ・・・コウカン・・・スル・・・ヨウイ・・・アルカ?」 「人質の交換だって?」 ナーガラージャが、うめいた。 「それはどういう意味ですか? 人質の交換とは? 一体、誰と誰を交換すると?」 「トボケルナ! オマエガ、ツレサッタ、ろでりあオウジョニ、キマッテイルジャナイカ!」 「王女さま!」 ゆりかはロデリア姫のことをすっかり忘れていたので、叫び声を上げてしまった。 「・・・オ・・・オウジョヲ・・・オウジョヲ・・・ハヤク・・・オウキュウニ・・・ツレ・・・ツレ・・・モドセ・・・オ・・・オマエハ・・・オマエハ・・・ヒキョウナ・・・ロクデ・・・ナシノ・・・ウラギリ・・・ウラギリ・・・モノダ・・・ぱ・・・ぱぴりか・・・ぱぴりか・・・ぱぴりとぅす・・・」 「私が卑怯者ですって? おまえたちのような下等植物に、ろくでなし呼ばわりされるおぼえはありませんよ! ことと次第によっては、私は、ここで―― 」 「チガウ! チガウ! ソレハ、チガウ!」 もう一匹のマンドラゴラがしゃべったが、それはどうやら女性の声らしく、ゆりかにはあれがマンダレー夫人の、なれの果ての姿なのだとわかった。 「・・・オ・・・オマエハ・・・オマエハ・・・ウソヲ・・・ツイテイル・・・コトヲ・・・ダレヨリモ、ジブンガ、イチバンヨク、シッテイル、ハズジャナイノ。オマエガ、シデカシタ、コンドノ、デキゴトデ、かんばあらんどノ、オウキュウト、コクミンガ、ドレホドノ、ダイメイワクヲ、コウムッテイルカ、オマエガ、シラナイハズハ、ナイジャナイノ。オマエノヤッタ、コンドノ、ウラギリノ、セイデ、かんばあらんどノ、オウコクト、コクミンハ、アスニモ、メツボウスルカモ、シレナイノヨ。エエ? オマエジシンガ、ソノコトヲ、イチバンヨク、シッテイル、ハズジャナイノ。ドウナノ、ぱぴりか・ぱぴりとぅす! オマエハ、マダナニカ、イウコトガ、アルノ?」 「ドウナンダ、ぱぴりか・ぱぴりとぅす? オマエノ、ヘンジヲ、キカセテ、モラオウ! ろでりあオウジョヲ、イマスグニ、オウキュウニ、ツレモドセ! ソシテ、かんばあらんどノ、オウト、オウヒト、ゼンコクミンニ、オマエノ、オコナッタ、コウイヲ、ワビ、オマエノ、サイゴノ、モウシヒラキヲ、スルガイイ! サア! ヘンジヲ、キカセテモラオウ、ぱぴりか・ぱぴりとぅす! イマスグニ、ろでりあオウジョヲ、オウキュウニ、ツレモドセ!」 「いいえ! わたしの答はノーです! 王女は返しません!」 「ぶー!」 と、二匹のマンドラゴラたちがうなり声を上げて、長い長い蔓を、空中に差し伸ばしてきた。パピリカがすかさず目から稲妻を発して、蔓の先っぽを焼きはらった。 マンドラゴラたちが、奇怪な叫び声を上げたのは、その時だった。 生まれてこのかた聞いたことのない、世にも恐ろしい絶叫だった。魔法で守られていなかったら、ゆりかはその場で、死んでしまったかもわからない。 〈世紀の書庫〉で読んだ一節を、ゆりかは思い出していた。 「その根は悲痛、悲嘆のあまり、世にも二つとなき悲鳴を上げ、その声は聞く者をして・・・かならずや・・・恐怖のあまりに悶死させるに至らしめん・・・」 下では、二羽の人質たちが気を失っていた。パピリカやナーガラージャや、からす天狗までもが、目をぱちぱちとしばたたかせている。 「やれやれ、マンドラゴンどもときた日にゃ、どいつもこいつも・・・」 ナーガラージャがつぶやいたとたん、山頂がぐらぐらと揺れて、二匹のマンドラゴラたちがよろめいた。そのとたん、二匹のマンドラゴラの足もとの地面がぱっくりと割れて、マンドラゴラたちを飲み込んでしまったのだ。 地面はまたたくうちに合わさると、気絶した二羽のからすの人質たちを、その上でやんわりと受けとめた。 「終わったんだね」 「ええ、終わりましたわ、ナーガラージャ。からすどの、あなたの奥方とお子さまは、確かに助け出しましたわ」 「うわあっ! 感謝感激! 雨あられ!」 からす天狗は大声を上げて、山頂に降りて行った。 そのあとを目で追っていたゆりかは、パピリカに視線を投げかけた。 「今の―― あの地割れ―― あれは―― パピリカさんが―― やっつけたのね?」 「そうですよ。偶然に起きたとでも、お考えだったのですか?」 「パピリカさん、もう一つ訊いてもいい?」 「なんでしょう、ゆりかさん?」 「さっき、あいつらが言っていたこと、あれはどういう意味なの? あなたが裏切り者で、王国が滅びるかもしれないってことよ」 「さあ、なんのことか、わたくしにもさっぱりですわ。それより、からすどのをお助けするとしましょう、四苦八苦なさっているようですからね」 「パピリカさん! ちょっと待って! ちゃんと答えてよ!」 地面に下りようとしていたパピリカが、ゆっくりとゆりかをふり返った。 「いいですか、ゆりかさん。これだけはきちんと、わきまえておいていただきますよ。あなたは愚かなニンゲンの子供で、わたくしどもの世界については、まるっきりごぞんじないのですわ。あなたはなんにも知らない、ただの無知な子供なのです。あなたは、ご自分の知らない、また、知る必要のない世界のことがらについては、余計な詮索をしないでいただきたいものですわね。 いいですか、わたくしがあなたに親切にしたり、あなたの言うことを聞いているのも、べつだんあなたが偉いからでも、あなたが尊敬にあたいするからでもありませんのよ。ただ、あなたが、お姫さまのほんの気まぐれで、お姫さまの“魂のふたご”に、なぜだかなったからにすぎないのですわ。そこのところを、はき違えないでおいていただきたいものですわね。 わたくしに向かって対等な口をきいたり、ましてや、“ちゃんと答えろ!”などと―― 。おお、いやだ! おお、いやだ! おお、いやだ! 一体、自分を何様だと、思っているのやら! 本当に、何だと考えているのでしょう! たかが―― たかが―― ニンゲンの子供のぶんざいで―― なんて―― なんて―― なんて―― いやらしい子供だろう! それから―― それから―― 」 と、パピリカは、何かを言い出しかけたゆりかを、くちばしの一振りでさえぎると、 「さきほど、あいつらの言っていたことですが、あなたが気になさることなど、これっぽっちもないのですよ。だいたいあいつらは、あなたを殺そうとした、憎むべき連中ではありませんか。あいつらは、気の毒なからすどのの奥方と子供を人質にとり、わたくしたちまで殺そうとした、憎むべき卑怯者ではありませんか。なんだって、あんな連中の言うことなどを、真に受けたりするのですか? あなたは、どうかしているんじゃありませんか?」 「ご・・・ごめん・・・なさい―― 」 それだけ言うと、あわててうつむいて、ゆりかは目頭をこすった。 「さあ、からすどのの奥方と子供を、介抱してさしあげましょうかしらね。あのお二方は、さぞかし、こわい思いをなすったに違いありませんから」 パピリカはさっさと離れて行った。 ゆりかはハンカチを取り出して、両目を覆った。大つぶの涙が、あとからあとからこぼれてくる。 「やれやれ。あんた。パピリカさんや。今のあれは言いすぎだよ。あの子はえらく傷ついたよ。あんたは、あの子にあやまるべきだね。あんたは、あの子のおかげでここが見つかったことを、とんと忘れているようだ。あの子がいなけりゃ、あたしらはいつまでも、あのからすだんなのみすぼらしい巣の中で、あてどもなく過ごしていただろうからね。あんたはあの子に、あんなことを言う権利なんか、これっぽっちもないんだからね」 「お黙りなさい、ナーガラージャ。わたくしにお説教をする気ですか? わたくしには、わたくしのやり方がありますわ。どんなことにでも、けじめは必要ですよ。どんなことにでもね!」 「やれやれ。あんたはあいかわらずの、高慢ちきなめすクジャクさんだね! ともかく、あたしは忠告しましたからね。やれやれ、パピリカ・パピリトゥスさんや! やれやれ!」 ナーガラージャは長い鼻をふり回して、パピリカのそばを離れて行った。マンドラゴラに解放された二羽の人質たちは、気絶したまま、なにごともなく眠っていた。ゆりかがこわごわその方に近づいて行くと、人質たちを取り巻いていた茶色いもやもやは、ねばつく糸がからんだ、一種のまゆだとわかった。ちょうど、お祭りの時の綿あめみたいに、マンドラゴラたちの吐き出した糸は、二羽のからすたちを、まんべんなくくるんでいたのだ。からす天狗が、震えながら糸をほぐしてやると、ゆりかも手伝って、まゆをかき取った。 「おおい! 二人とも無事か!」 からす天狗は乱暴に、眠っていた妻子を揺さぶった。 「ああっ、父上!」 「ああっ! あっ、あっ、あっ、あなた!」 「おおいっ、おまえたち!」 二羽の人質たちは飛びついて、からす天狗とひしと抱きあった。それは胸を打つ光景で、ゆりかは泣いていた両目が、なおさらにうるんでしまった。 パピリカだけがそっぽを向いて、地平線の向こうをながめていた。 「なんて、美しい夕日だろう! こればっかりは、バルト中を探しても、とてもお目にかかれそうもないわ! もっとも、ここの反対側は、もう夜だけど」 「本当に妙ちきりんな光景だねえ。向こうが夕方で、こっちが昼間、ずっと向こうじゃ、嵐が吹いているなんてさ!」 ナーガラージャが、ふたたびパピリカに近づいて来て言った。 「この絵を描いた絵描きのせいですわ、ナーガ。この本のさし絵描きが、丹精を込めてこの絵を描いたせいで、ここには時間と季節の流れが、そのままに封じ込められているのでしょう。それで、絵描きの心に浮かんだままのすばらしい景色が、ここにはあるのでしょう」 「そういうもんかねえ。ふーん。今一つ、よくわからない気がするけどねえ」 ナーガラージャは、息をするごとに形が変わる、ふくらんだりしぼんだりする風船のような体で、感心したようにつぶやいていた。 からす天狗ら親子三人は、ようやく泣き終えて、涙をふいた。もらい泣きしていたゆりかも(いつの間にか、三人と手に手を取って、泣きじゃくっていたのだ)、泣きはらした両目で、三人と連れ立って歩き出した。 「ど、どこのどなたさまかは、ぞんじませぬが、せがれともども、お助けいただき、お礼の申し上げようもございませんですわ」 からす天狗の女房は、文字通りからすの濡れ羽色の、おくれ毛をなでつけると、パピリカに近寄って、深々とおじぎをした。 「いいのですよ。もともとあの連中は、わたくしどもがやっつけなければならない、かかわりのある連中だったのですからね」 「おまえもこっちへ来て、お礼を言いなさい」 からす天狗がわが子をうながすと、 「うん! ありがとう、ミソサザイのおばちゃん! どうもありがとう!」 「まあ、わたくしをミソサザイと間違えてくれるとは、なんて親切で、おりこうなぼうやだこと!」 「言うねえ、この子ったら。からすの子は、やっぱりからすだねえ!」 「お黙りなさい、ナーガラージャ。あなたまでが、そんな風に言うなんて。ところで―― と。ゆりかさん、そろそろ泣きやみまして?」 「ええっ? あ・・・ありが・・・とう・・・もう・・・泣き・・・やんだわ・・・よ」 「結構。それでは元の世界に、帰るとしましょうか。『長居は無用』と言いますからね」 突然あたりが暗くなり、ナーガラージャの悲鳴が聞こえ、足もとの地面が揺れると―― 「出たあっ! 出たあっ! 鬼が出たあっ! 鬼が出たあっ―― ! 鬼が出たあっ―― !」 からす天狗が絶叫した。 ゆりかがふり返ると、すぐ後ろに、見上げるばかりに巨大な鬼が二匹、金棒を手に、一行を見下ろして、立っていたのだ。
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