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作品名:みどりの孔雀 作者:zamazama

第18回   からす天狗 
       からす天狗   




 その部屋の、しめなわを張った神棚に、


     天照皇大神宮


 と書かれた仰々しい掛け軸が、これみよがしにまつられていた。
「まあ、からす天狗じゃないの!」
「おっしゃる通り、拙者はいかにも、からす天狗でござるよ」
 と、その人物は、手にしたヤツデの葉っぱの大うちわで、着物についた汚れをはらいのけると、ゆりかに声をかけた。
 からす天狗は、以前ゆりかが絵本で見たさし絵の通りに、山伏のまとう白装束を着て、首にはほら貝の笛を下げ、足には一本足の高げた、頭にはときんと呼ばれる、昔風の黒いミニチュアの帽子をかぶっていた。
 けれども、体はまったくの、からすそのものだった。
「して、その方たちは、何者であるのか? お答えあれ、方々?」
 恐ろしく光る、その人の両目が、ゆりかたちを、はっしとにらみつけた。と、つぎの瞬間、その人の両目から、真白い稲妻がほとばしり出て、がんじがらめに、ゆりかとパピリカとナーガラージャを縛りつけた。
 パピリカの全身から、突如、みどり色の光線が解き放たれて、いっとき赤かった部屋を、まばゆいエメラルド・グリーンに染めた。
 パピリカの光線と、その人物が放った白い稲妻とが部屋の中を飛びかい、ふた色の光線が、つるぎのように打ちあった。
 光の勝負はあっけなくついて、気がつくとゆりかの全身から、しびれが嘘のように引いている。
 くだんの人物が、祭壇の真下に横たわっていた。
「起きなさい! 眠っている場合ではありませんわよ!」
 パピリカの命令に、あやつり人形のように、その人物はまた、つと立ち上がった。
「からすどの。あなたこそ、そも何者なのですかしら? 何ゆえに、われら無害の訪問客を、理不尽にも襲撃されたのですか?」
 (要するに、なんで、いきなり襲いかって来たのか、とパピリカはたずねたのだ)
「むろん、ここが拙者のすみかだからですよ。いやしくも、ここに住まいした初代神主のじきじきの頼みで、拙者は生まれ故郷の黒姫山をあとにして、もう何百年も、ここに家族と暮らしていますからね」
「へええ! するとあなたは、この建物の中に、何百年もいるって言うのね? 知らなかったわ! 知らなかったわ!」
「その子供、名は何というのかね? 見たところ、人間のようだが」
「あの―― わたし―― 天堂―― ゆりかです。上石神井(かみしゃくじい)小学校―― 四年―― 一組の―― 」
「ああ、おまえさんか! おまえさんのことなら、なんでも知っとるぞ! 運動が苦手で、空想するのが大好きときてる。この町のことで、わしの知らないことは、何一つないよ。おまえさんのことも、おまえさんの家族のことも、何から何まで、わしは心得とるよ。おまえさんが将来生むことになる、二人の男の子の行く末までも、しかとな。何しろ、わしはこの町の、主みたいなもんだから」
 ゆりかはごくりと、つばきを飲み込んだ。
「からすどの、今はそんなことよりも、わたくしどもの質問に早く答えていただきたい。何ゆえ、あなたはわたくしどもを襲われたのですか? 返答しだいでは、このままでは引き下がれませんわ」
「これは無体なことを申される。見たところ、クジャクとかいう異国の鳥らしいが、かく申すその方らこそ、そも何者なのか? 人の住まいに押し入ったにしては、その物腰、はなはだ不愉快きわまるものがあり―― 」
「どうやら、まだ食らい足りないようだね、パピリカ。もう一発、からすのだんなに、あんたの雷撃をお見舞いしてやったら?」
「それもそうですわね、ナーガ。それなら、もうひとふんばり」
「あわわ。わかりました。わかりました。わかりました。ところで、これはただの質問なんですけどね、みなさんは何者なんですかね? 無理に答えなくとも、結構ですがね。鳥か、けものか、はたまた妖怪変化か?」
「なに、ただのクジャクですよ」
「ついでに言っとくと、あたしはナーガラージャ。人畜無害のゾウですよ」
「ゾウ! あのとつくにに住む、長鼻の、図体ばかり馬鹿でかいゾウ!」
「ゾウを前にして、そこまで言うたあ、いい度胸してるね、あんた。気に入ったよ。あんただって、見たとこ、そう見ばえのする方でもないだろうにねえ!」
「黙りゃ! 日のもとの国たるこの日本を、妖術でたぶらかしに来たのか! みどもが法力で、成敗してくれる! きえっ! きえっ! きえっー!」
「ちょっと待って。ちょっと待ってよ。この人たちは、べつだん、あやしい人たちじゃないのよ。外国から来たんでもないわ。実をいうと、この人たちは―― ええっと―― 異世界から来たのよ」
「それじゃ、まるっきり同じこったよ、ゆりかどのとやら。外国だろうと異世界だろうとな。ふうん、するとこの連中は、今はやりの〈アール・ピー・ジー〉か何かかね? わしは、ゲーム・クリエイターにでもなろうかと思って、入門書を読んでおったところなのさ。それにしても、いささか興ざめな取り合わせだなあ! クジャクに長鼻のゾウ。鳥はともかく、長鼻の方は―― 」
 からす天狗はじろじろと、巨象をながめた。
「そいつは、わるうござんしたね。あんたのことは、あたしも大きらいさね。からすはえらく、陰気な鳥じゃないかね」
「わたくしの質問にも、早く答えていただきたいですわ。なぜ、わたくしたちを襲ったのですか? わたくしどもがあやまるのは、そのあとですよ」
「実は、これには深い仔細があるのです、クジャクどの」
 こう言って、からす天狗は床に倒れ伏すと、両手で顔をおおって、しくしくと泣き始めた。
「おーいおい。よっぽど、つらいことがあったんだねえ。よーしよし」
 ナーガラージャは長いしなやかな鼻で、からす天狗を揺すぶってあやしたが、からす天狗はいっこうに泣きやまない。
 ようやく、ひとしきり泣いたあとで、からす天狗はあぐらをかいて、御座の上に座り直した。
「拙者、面目しだいもござらぬ。みなの衆には、おわびする言葉もない」
「ああら、いいのよ。泣くことぐらい、だれだって泣くものね」
「そうではないのです、長鼻の。拙者が言っているのは、先ほど、みなさまをふい討ちした件なのです。かくなるうえは、拙者、このしわ腹をいさぎよくかき切って、おわびして果てるまでのこと」
 ゆりかが悲鳴を上げて、からす天狗に飛びかかり、天狗がふところから抜いた、すずの小刀を夢中でもぎ取った。小刀はその拍子にどこかへとすっ飛んでしまい、からす天狗はきょろきょろと見回したが、小刀はどこにも見あたらない。
「やめて! 死ぬなんてよくないわ!」
「このニンゲンの子供の言う通りですよ。死んでおわびをするなんていう考え方は、今どきはやりません」
 ナーガラージャもうなずいて、
「そうさ。だいたい、あんた、見たとこ精霊か神のお使いのようだけど、どうやって死ぬつもりなんだい? 第一、あんた、『死ねる』のかい?」
「あ・・・。拙者、言うところの、不老不死でありまして、生物学上の命は、持ちあわせてはいないのでした。拙者、死のうにも、死ねないのだった。すくなくとも、すずの小刀でぶすりとやったくらいでは。これは不覚、これは不覚」
「だったらやめるこった。あたしゃ、この年で、からすだんなの串刺しなんざ、見たかあないものね」
 と、ナーガラージャ。
「話してみて、からすさん。何か、よっぽどのわけがあったんでしょう?」
「そう親切に訊いてくださるな、ゆりかどのとやら。拙者、解剖学的にも心臓を持たぬが、胸が痛むでな。拙者の女房と子供が―― 」
 その時、世にもどぎつい真っ赤な閃光がひらめいて、何もない空間から、一冊のうすっぺらい和綴じの古本が、音を立てて床に落ちてきた。ゆりかは近づいて、こわごわと拾った。
「『うどんそばばけものおおえやま』・・・何これ?」
「拙者の―― 三歳になる息子が―― 読んでおった―― 本なのです―― あやつらが―― 送って―― 寄こしたのでしょう―― せがれと女房が―― 手もとにいるのを―― 忘れるなよ―― という警告の意味で―― 」
 そこまで言って、からす天狗はまたもや大声を張り上げて、その場に突っ伏した。
「なあるほど、ようやくわかってきたよ。あいつらが―― マンドラゴンどもが、ここへ押し行って来て、あんたの家族をさらって行っちまったんだね? そうしてあんたに、家族の命を助けてやるかわりに、あたしらのことを襲えって、そう命じたんだね?」
 からす天狗は涙をふいて、ナーガラージャに、幾度もうなずいた。
「この方の言っていることは、おそらく本当でしょうね。この方が、わたくしたちを魔法で襲った時には、あいつらの気配はしませんでしたからね」
「じゃあ、あいつらだけ逃げたのね、パピリカさん? なんてひどい! こんな、いい人の子供をさらうなんて、ゆるせない!」
「女房と子供です、ゆりかどのとやら。あやつらは、拙者にこうも言いました。
 『ここへ風変わりな一行がやって来る。奴らには何も言うな。ふいをついて、始末しろ。首尾よくことがすめば、女房と子供を返すぞ』と。
 だが、ああ! もう駄目でしょう! 拙者の、目に入れても痛くない女房と子供は、今頃はあいつらの手にかかって、無残な最期をとげているでしょう!」
「そう悲観することもないよ、あんた。あたしらがきっと、あいつらを始末してやるともさ。むろん、あんたの家族をとり返したあとでね」
「ありがとう、長鼻の。ありがとう」
 からす天狗は、なぐさめるように伸びてきたナーガラージャの鼻に、顔をこすりつけんばかりにして、鼻水をぬぐった。
「ところで、ナーガ。あなたの鼻には、奴らの手がかりが、何か嗅ぎつけられまして? わたくしには何一つ、感じとれないのですがね」
 ナーガラージャは、しばらく鼻をうごめかせていたが、
「どうやら、あたしの鼻もご同様だねえ、パピリカ。奴らはきっと、匂い消しの汁を飛ばしたんだよ。奴らの動いたあとにできる赤い筋跡が、これっぱかしも見あたらないもの。この部屋の明かりが、まぶしすぎるせいかねえ?」
「おそらく、そうではありますまい。奴らは自力で筋跡を消す、何らかの方法を身につけているに違いありませんわ。わたくしは、あいつらに初めて会った時から、赤い筋跡を見てとることが、これっぽっちもできなかったのですからね」
「だとすると、ことだよ! 匂いも駄目、筋跡も残さない、おまけに気配さえ、さっぱりだ! あたしらには手が出せないよ、パピリカ!」
「だ―― だったら、この人の奥さんか子供のことを探したら? きっとそこに、マンドラなんとかもいるはずよ」
「ああら! あんた、いいとこに気がついたねえ! この子の言う通りだよ! 『人は見かけによらない』ってえのは、このこったね!」
「おっしゃる通りですよ、ナーガ。わたくしが気がついて、しかるべきでしたわ。ありがとう、ゆりかさん。ナーガラージャ、あなたはここで、ゆりかさんと残っていてくださいな。わたしはすこうしばかり遠出をして、この方の奥方とご子息を、見つけてまいりますわ。それらしい気配が、あたりに残っているかもしれません」
「よしきた。あたしらはそのあいだに、こちらのからすのだんなを、おなぐさめするとしようかね」
 ふいに、みどり色の閃光を残して、パピリカが消えた。
「ほいじゃ、からすのだんな。そんなにおいおい泣きなさんなって。あんたの奥方と子供は、じきにパピリカが見つけてくれるさ」
「そうでしょうか? だといいですが。でも、ありがとう、親切なゾウ。ですが―― もう―― 女房と―― 子供は―― 」
「困ったねえ。これじゃ、とりつく島もないよ。ゆりかさんとやら―― それにしても、言いにくい名前だこと―― あんた、よかったら、何か一つ歌でも歌って、ここにいる気の毒なからすんぼうを、なぐさめておやりよ」
「そうね、そうします。そうだ! からすさんにぴったりの歌がある! からすも出てくるし―― 」
 ゆりかは深呼吸をして、古い日本の童謡を歌い始めた。



       からす
       なぜ 泣くの
       からすは 山に
       かわいい 七つの
       子があるからよ・・・



「違う! 違う! あの子は三つなんだよ! あの子はたった三つなんだ! 生まれた時から、ずっと三つなんだよ!」
 うわーっと声を上げて、からす天狗は、身も余もなく泣きくずれた。
「もっと別なのにした方がいいよ、ゆりかさんとやら。聞く人が楽しくなる歌を、知らないのかい?」
「もっと楽しいのっていえば―― そうだ! このあいだ、パパに教わった歌がある!」



       おらは 死んじまっただあ
       おらは 死んじまっただあ
       おらは 死んじまっただあ
       天国 行っただあ・・・



「女房も子供も、じき天国かあ! そうなったら、拙者一秒たりとも、ためらったりはせぬぞ。すぐにあとを追う!」
「ゆりかさん、ゆりかさん。ちょいといいかい? あんた、もうちょっと心がなごむ、おだやかな歌を歌えないのかい?」
「ないわ。今は思い出せないの。いつもは、色々いい歌を知ってるし、もっと別のも歌えるけど、突然言われても、出てこないの」
「そうかい。じゃあ、おばさんにまかしとき。おばさんがいい歌を披露するからね。あんたもおぼえといて、損はないよ。〈ナーガラージャ、世界のゾウ〉。あたしの作詞・作曲だよ」
 ナーガラージャは、得意そうに鼻をうごめかすと、さっそく大きな声で歌い始めた。



       ごらん!
        そこ行く 麗人は
       あれはナーガラージャ
        世界のゾウ
       白い体は雪のよう
        黒いお目々は
       黒耀石さ
        六つのあんよを
       交互に出して
        ごらん!
       進むよ
        天(あま)が岩

       あれは
        ナーガラージャ!
       世界のゾウ!



 それから、ものすごい音量のハミングに変わり、卒倒しそうになったゆりかは、あわてて耳をふさいだ。何しろおばさんは、ものすごい調子はずれの音痴のうえ、体格に似あった馬鹿でっかい大声なものだから、さしも悲しみにくれていたからす天狗も、耳をふさいでその場に倒れ伏した。
 ナーガラージャは地獄の番人さながら、二番にうつった。



       ごらん!
        そこ行く
       天下の美女は
        あれはナーガラージャ
       世界のゾウ・・・



「わかった! わかった! もうたくさんだ! もう泣くのはやめるから、たのむから歌わないでくれ! 今日は一体、どんな日なんだ!」
「たいしたものでしょう? 今、泣いていたからすが、もう泣きやんだ。悲しくなったら、いつでも言っとくれよ。いつでもリクエストに応じるからさ」


 ようりょうぼし
「妖霊星につきまとわれたって、ごめんこうむる! あんたの歌を、二度も聞かされるくらいなら、地獄でこうのとりの寝言を聞いていた方が、なんぼかマシだ! その歌を聞いていると、気がおかしくなる!」
「どうだい、ゆりかちゃん? 真の芸術というものはねえ、聞く人の心を狂わせてしまうものなんだよ」
「それはちょっと、違う気がするけどねえ」
 ゆりかが小声でつぶやいた時、部屋の真んまん中に火花がちって、クジャクのパピリカ・パピリトゥスが現われた。
「変です。出し抜かれてしまったようですわ」
「見失ったの、パピリカさん?」
「ええ、残念ながら、ゆりかさん―― 。それらしい気配が何度もからまったり、もつれたり、消えたと思うとまた現われたり―― 。“はえなわ”や“ねずみとり”や“全方位方式”も使ってはみたのですが・・・」
「それじゃあ、できることはしたわけだ」
 ナーガラージャも、あいづちを打った。
「本当に申しわけがありません、からすさん。なんのお役にも立てませんで。あちらから、何か言ってくるのを待つ以外、手だては何も・・・。ああ、どうか、そんな目でわたくしを見ないでください!」
「あの声は何?」
 ゆりかは耳をすませた。からす天狗のすすり泣く声にまじって、かぼそい泣き声が、かすかに聞こえてくる。
「声って、どの声ですか?」
「あの泣き声、何も聞こえないの、パピリカさんは?」
「あたしにも、なんにも聞こえないねえ、からすどんの泣き声のほかは」
 ナーガラージャが、耳をぱたぱたさせて言った。
「ううん、聞こえるわ。すごく近くで、子供の泣き声がするの」
 その泣き声はかすかだったが、途切れることなく、確かに聞こえてくる。ゆりかはふと、さっきから手にしていた、落ちてきた和紙の古本に目をとめた。
 それは〈御伽草子〉と呼ばれる、日本の古い、古い絵本で、ゆりかが開いた箇所には、筆と墨を使って、荒れ果てた大きな岩山の絵が、見開き二ページに渡って、丹念に描かれていた。この本のクライマックスの場面らしく、岩山のてっぺんには、観音開きの鉄の大扉がうがたれ、その前に鬼が二匹、巨大な金棒を握りしめて立っている。鬼たちの足もとには、豆つぶほどのちっぽけなさむらいたち―― さむらいといっても、ねぎ頭もいれば、豆腐や納豆やわけのわからない生き物たちの軍団ばかりだった―― が、手に手に、刀や武具や飛び道具をかまえて、鬼どもをぐるり、とり囲んでいた。
「あああっ!」
「どうかしたんですか、ゆりかさん?」
「どうかしたのかい、あんた?」
 パピリカとナーガラージャが、口々に訊いた。
「ちょっと、ここを見てよ! ここのところを、ちょっと見てよ!」
 空との境目にもなっている、岩山のてっぺんには、二本の枝ぶりのいい大きな松の木が生えていたが、その木の横に、しみのような四個の粒々が立っていた。背景の空には、嵐が吹き荒れているのだろう、雨をあらわす横なぐりの点線が、びっしりと描き込まれている。
「あんれま。本当だよ。あいつらだよ。間違いないね」
「ナーガラージャ、わたくしにも、ちょいと見せていただけませんかしらね?―― まあ、どうやら、そのようですわね!」
「なんですと、クジャクどの? 拙者にも見せてくだされ」
 からす天狗は、ふところから取り出した天眼鏡ごしに、ゆりかの差し出した本を、しげしげとながめていたが、
「ああっ! これはまさしく、女房と子供だ!」
「聖アルゴスもご照覧あれ! まんまと、だしぬかれてしまいましたわ! “灯台もと暗し”ですね、ゆりかさん? それにしても、なんと大胆不敵な奴らでしょう、この本に隠れて、またここへ舞い戻って来るなんて! これではいくら手をつくして探しても、見つからないはずですわ! それにしても、まさか警告のために送った本の中に、隠れていようとは!」
 ゆりかが見つけた四個の粒々のうち、内側に立っていた、わりかし小さな二つの粒々が、さらわれたからす天狗の奥さんと子供のようだった。
「議論はあとにして、追跡に移りましょう。ナーガラージャは、わたくしと来てくれますね? ゆりかさんは、ここに残っていてもかまいませんことよ。かなり危険な世界に、飛び込まなければなりませんからね。あなたはいかがなさいますか、からすどの?」
「もちろん、行くでござるよ! 一体、誰の女房と子供と、思っていなさるので?」
「あの、 クジャクさん? どこへ行くの? まさか、この本の中へじゃ?」
「ほかに、どこへ行くというのですか、ゆりかさん? それじゃ、準備の方はおよろしくて、ナーガラージャ?」
「いつでも合点さ」
「あなたはどうです、からすどの?」
「右に同じでござるよ」
「待って! 待って! わたしもついて行くわ! こんなところで、一人でお留守番なんて、いやよ!」
「こんなところで申しわけがない、ゆりかどの。テレビや冷蔵庫をそろえるのが精一杯で、今はほかの家具にまでは、とても手が回る余裕がなくてな」
「おや、あんたってば、なんでそんな物を持って行くのさ?」
 ナーガラージャが、間のびした馬鹿みたいな大声で、からす天狗を見下ろした。からす天狗は、いつの間に用意したのか、小さな黒いプラスチックのケースを二つ、首からぶら下げている。くちばしにはたくさんのステッカーを貼りつけた、旅行かばんもくわえていた。からす天狗は、黒いケースから一眼レフのカメラを取り出すと、むっつりした表情でにらみつけている、ゆりかとパピリカとナーガラージャを、一枚ずつ写した。
「ニコンF三○○○です。写真機ですよ。現実をありのままに写す機械です。こちらの世界の人間たちが、発明したのですよ。人間というのは、すごいものでしょう!」
「おんやおや? あんたは、何を持って行くつもりなんだい? そいつも写真機かい?」
 ナーガラージャは、ゆりかがしっかりと握りしめていた、あの魚入りのビニール袋を、うさん臭そうに見やった。
 クジャクがつばさの先から、虹色の輪っかのような光線を出して、床の上、二メートル四方に、光の円を形づくった。みんながこわごわ輪の中に入ると(ナーガラージャだけは輪の外にいて、鼻の先っぽだけを円に入れた)、からす天狗が、あわてて飛び出して、
「ちょいと待った! ちょいと待った! ちょいと待った!」
「今度は何なんだい? まさか、この部屋ごと持って行こうって、言うんじゃないんだろうね?」
「違います! 違います、長鼻の。これだ! これだ! 大事な物を、忘れるところじゃったわい!」
 からす天狗が持って来たのは、ゆりかたちを襲った時に持っていた、あのヤツデの葉っぱの大うちわだった。
「これがないと、拙者、神通力が生まれないのでしてね。ほら、テレビのコマーシャルにも言うでしょう、『出かける時は忘れずに』ってね?」
 からす天狗はおどけて片目をつぶったが、ゆりかには何のコマーシャルかわからない。
「茶番はもうたくさん! それでは出発しますよ! みなさん、目をつぶっていてください!」
 パピリカが呪文を唱え、光の輪っかが、生き物のように息づき始めた。





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