次元トンネル
穴の中は冷え冷えとして、最初、入るのをためらわせたが、先頭を切ったパピリカとナーガラージャが、穴の中から呼びかけたので、ゆりかも行かないわけにはいかなかった。ゆりかが続くと、ナーガラージャが呪文を唱え、とたんに穴の入り口がふさがった。 「まいりましょう。思ったより、手間どってしまいましたわ」 パピリカの声に、三人は真っ暗な穴の中を奥へ奥へと進んだ。ナーガラージャの巨体がすっぽりとおさまったところを見ると、穴は外見より、よほど大きいのだろう。ナーガラージャのお尻を見逃さないよう、ゆりかは息を詰めてついて行く。 「どうかしたのですか? ご気分が悪いのですか?」 「ううん、平気よ、パピリカ」 本当は、めまいを起こしそうなのだった。ゆりかはデパートのトイレの外で、真っ暗やみの空間に落ちて行った時のことを、ふいに思い出したのだ。 「それにしても、きれいだとは思いませんか、このトンネルの中は? 実に見事なエンペラー・グリーンに染まっていること!」 「あの、わたしには、なんにも見えないけどね」 「何もごらんになれない? ああ、そうですか! あなた方ニンゲンには、こういった場所での視力の調節機能が、そなわっていないのでしたわね! うっかりしていましたわ! まだ、ペンダントは持っていますか? それでは宝石を握っていてくださいな」 ゆりかが言われた通りにすると、トンネルの中が、あざやかなピンク色に変わった。 「なんて、きれいなの! それに風が気持ちいい!」 「あんたたち、何をしているのさ? 油を売っている余裕は、ないはずだろう?」 「ごめんなさい、ナーガラージャ。ゆりかさんに、このトンネルの中を、見せてさしあげていたものですからね」 「ああ、見事な枝ぶりのマンゴーだろう? こんなにでっかい実をつけたマンゴーの木を、あたしゃいっぺんだって、外でおがんだことはないよ。だけど、今はそんなことを話している場合じゃないよ。早く、あいつらを退治しなきゃね」 (マンゴー? そんな物、ないじゃないの。パピリカもナーガラージャさんも、何を言っているのかしら?) 実際、このトンネルの中には、魔法の力が働いているのだった。そこには特有の景色とか色彩といったものがなく、その中を渡る人たちが、見たいと思う風景を、見せる力があったのだ。 ふいに、前方に薄青いもやが現われて、トンネルの中は突然おしまいになっていた。 「どうやら着いたようだよ。やつらの匂いがする」 「本当ですか? すぐ近くですか?」 「すごく近くだよ、パピリカ。それも、本当にすぐそばからさ」 出口をふさいでいたナーガラージャが、ゆっくりと、ゆりかとパピリカをふり返った。 「行きましょう。ナーガラージャ、案内をお願いいたしますわ。今は、あなたの鼻だけが頼りですからね」 (へえ。パピリカさんの魔法も、万能ってわけじゃないんだ) ナーガラージャの『おけつ』が出口を通せんぼしていたので、ゆりかは向こうが見えなかった。何とかすき間を見つけて、ゆりかはおっかなびっくり、外をのぞいた。 「きゃっ!」 ゆりかは思わず、飛びのいた。三人のいるトンネルは、どこにでもある平凡な町の上空に、ゆりかたちを連れて来ていたのだ。 ゆりかの眼下にはこぎれいな家々が建ち並び、遠くには私鉄の電車が走る、低い高架橋が見えている。近くには白い雲が浮かんでいて、風に運ばれたそのちぎれ雲は、左をめざして移動して行った。町並み全体は、セロファンを透かしたように、薄青いもやに覆われていた。 「どうして、あんな色に光ってるの?」 「今のあなたが、肉眼で見ているのではないからですわ、ゆりかさん。言い方を変えますと、あなたが心の目を通して、のぞいているからですわ」 「それって、どういうことなの? ゾウおばさんには、何のことかわかる?」 「さあね。あたしには哲学みたいなことは、さっぱりだからね」 ゆりかは町並みに目を戻した。 「あれれ? あんなところに、学校があるけど―― あれって・・・うちの学校だわ。笹原台公園もあるし・・・なあんだ、ここって、あたしの住んでいる町なのね。本当にここに、マンドラゴンがいるの? あいつらは、逃げ出したんじゃなかったの?」 「そこがあいつらの、抜け目のないところですわ。私たちが絶対に探しっこない場所に、つまり元いた場所に、こっそりと戻って、ほとぼりが冷めるのを待つつもりなのでしょう。そして、私たちがあきらめた頃をみすまして、あなたを亡きものにする計略なのでしょう」 ゆりかはパピリカの言葉に、心底ゾッとなった。 「さあ、いつまで、おしゃべりしていても、きりがないよ。いざ、マンドラゴンを退治しに行こうじゃないか!」 ナーガラージャが、トンネルの出口を飛び出して行った。 「何を見ているのですか? 行きますよ」 「あっ、待ってよ、パピリカさん! あたしを置いて行かないで! あたし、空なんか飛べない!」 「なにごとも、なせばなるです! 目をつぶって、飛んでいらっしゃい!」 ゆりかは言われた通りにした。 「いち、にの、さん! きゃあああああっ―― !」 「そんなにおどろくことはないでしょう。あなたの世界にだって、空を飛ぶ生き物くらいは、いたじゃありませんの? そんなに手足をばたばたなさらなくても、ちゃんと浮かんでいられますわよ! ほら、気をつけて! わたくしは先にまいりますから、遅れずについていらっしゃい!」 「あっ、待ってよ! パピリカさん! 行っちゃわないでよ!」 クジャクはナーガラージャの方へ、さっさと飛んで行ってしまった。 そのうちゆりかは、何もしなくても、空中に浮かんでいられることに気がついた。 (ナーガラージャさんのところへ、飛んで行ってよ!) ゆりかの体は矢のようなスピードで、ナーガラージャめがけて飛び始めたではないか! 犬が一匹、電柱で横ざまにおしっこをひっかけていたが、突然、耳をそばだてると、空中にゆりかを見つけて、ぎょっとなった。 「ごらんなさい、あそこに見えるのは―― あれは、お姫さまとわたくしとが、初めてあなたとお話をした、あの『広場』ではありませんの?」 ちょうどゆりかの真下を、例の土管のならんだ空き地が、通り過ぎて行くところだった。 そばまで戻って来ていたナーガラージャが、鼻をふり回して、文句を言った。 「いいかげんにしておくれよ! マンドラゴンどもが、こんなに近くにいるっていうのにさ!」 「ごめんなさい。こちらのおちびさんが、あまりに手間どらせるものですからね」 ゆりかはムッとしたが、それほど不機嫌にはならなかった。 何しろ、生まれて初めて、空を飛んでいるのだ! ゆりかにはおなじみのコンビニエンス・ストアが真下に近づき、覆面のような目出し帽をかぶった男が、手にぎらぎらする刺身包丁を握って、大きなボストンバッグをふり回しながら、走り出て来た。 (あっ、泥棒だ!) ゆりかはとっさに急降下すると、男の真ん前に飛び出して行った。男は目の玉が飛び出さんばかりにびっくりして、ボストンバッグをとり落とすと、男のあとから駆けて来た二人の店員が、たちまち男をとり押さえた。 「ごめんなさい、道草を食っちゃった」 「あんた、あたしらが何をしに来ているのか、それを忘れているんじゃないだろうね」 「ごめんなさい、ゾウおばさん。悪い人がいたものだから」 パピリカは興味深そうにゆりかを見たが、何も言わなかった。 ナーガラージャが、鼻をプロペラみたいにふり回して、注意深くジグザグに飛び続けていたが、ふいに向きを変えると、しばらく北へ進んだところで停止した。 「ここだよ。奴らはこの真下にいるようだ」 「ゆりかさん。この真下の建物は、何をするところですの?」 「ええっと・・・神社よ。おみくじを引いたり、おまいりに来るの」 「なるほど、ニンゲンがお祈りを捧げる場所ですか。さっきから感じている、この奇妙な力のうず巻く雰囲気は、一つにはそのためでしょうね。でも、そればかりじゃございません。何か突拍子もないものの、気配がしますわ」 「あたしもさっきから、全身の毛が逆立つ気がするけどねえ。気のせいだろうかねえ?」 ナーガラージャが、耳をぱたぱたさせて言った。 そのお社は、あまり手入れも行き届いていないのか、屋根のあちこちには大穴が開いていて、見るも惨憺たるありさまだった。 そういえば、この神社の神主さんが、なかなか決まらないのだという話を、ゆりかは学校か家で聞いたような気がした。なんでも、先代の神主さんの跡つぎをめぐって、親戚のあいだでもめごとが起き、裁判にまで発展しているというのだ。それで、もうずいぶん以前から、神社には人が入っていなければいけないのに、誰も管理する者がなくて、こんなありさまになったというのだった。 おどろいたことに、パピリカもナーガラージャも、そのまま神社の本殿に、落ちるように突っ込んで行った。二匹の体は吸い込まれるようにして、屋根の向こう側に消え、あとには穴一つ残っていない。 (そんな! 二人とも、どこに行っちゃったの?) ゆりかは、何かに吸い寄せられるように、建物に向かって落ち始めた。 (こ、こわい―― !) 何事もなく、ゆりかの体は、お社の屋根を突き抜けて、蜘蛛の巣が張りめぐらされた天井裏を通り抜けると、ほこりの漂っている空間を、まっしぐらに落ちて行った。何か得体の知れない、ふわふわした白いかたまりが、いくつもまわりに浮かんでいて、ゆりかが目をやると、あわてて柱や梁のかげに隠れるのが見えた。 「あれは、おそらくコトダマですわ、ゆりかさん」 「パピリカさん、どこにいたの! ええっ、コトダマって?」 「目には見えない、ニンゲンの魂の叫び。ニンゲンの、あなたたちニンゲンの魂が生み出した、魔法になりかけて、なりそこねた言葉たちの、言わばなれの果てなのです」 「あれ、言葉でできてるの?」 「それ以上のものでないにせよ、それ以下のものではありえませんわね」 パピリカは、謎めいたことを言った。 ゆりかはもう一度、屋根裏に目を戻した。そこには逃げ遅れて、あわてふためくネズミのほかは、何一つ見えていない。 「まごまごしていると、置いてきぼりをくわせるよ。今、下にいる誰かが、あたしらのことに気がついたとこさ」 ナーガラージャが、どこか地面の下から立ちのぼって来て、とがめるように二人に声をかけた。 「そのようですわね。わたくしにも、その者の気配が感じとれましたわ」 今度はパピリカを先頭に、三人はエレベーターのように、まっしぐらに神社の土台にある方位石を突き抜けて、地面のはるか下までもぐって行った。 三人は、どこまでもどこまでも、突き進んだ。そのうち、三人の行く手に、青く光る渦巻き模様が現われると、あっという間にゆりかたち三人を、飲み込んでしまった。 ゆりかの目が(肉眼にせよ、そうではないにせよ)周囲の暗やみに慣れるにつれて、今度は赤いもやもやした固まりが出現し、見る見るうちに、ひとつらなりの木組みの階段に変わると、その階段はどことも知れぬ、真っ暗やみの地の底へ続いているらしく、周囲にはぽっかりと、黒い穴までが見えている。 「行きましょう、ナーガラージャ、ゆりかさん」 「待ちな。あたしが先陣をつとめるよ。いざとなったら、あんたたちをかばえるものね」 「ナーガラージャ。あなたにはしんがりで、用心していてもらいたいのですけれど」 「馬鹿だね。あたしが後ろについたら、逃げ出す時、あたしのおけつで、全員が行き止まりになっちまうじゃないか」 「それもそうでしたわね。それでは、先頭をお願いいたしますわ。くれぐれも、不覚をとられないように」 「うむ。心得たよ」 ナーガラージャは大真面目にうなずいて、パピリカと場所を交代した。 ナーガラージャが粗末な木の階段を、えっちらおっちら降り(それはナーガラージャの太い足の下で、いかにも頼りなげに見えた)、ゆりかたちが黙って、あとに続いた。 ふいに、肩先にあたたかい物が触れて、ゆりかは飛び上がった。 「しっぽだよ。なんなら、つかまっとくといい。気休めぐらいには、なるだろうからさ」 ゆりかは一生分のため息をつき、言われたとおりに、ナーガラージャのヘビのようなしっぽを握りしめた。 木組みの階段は、思ったよりも短いものだった。そして、階段を降りきったところに、大きな赤い部屋が待っていた。 無数の百目ろうそくの放つ、明るい、目もくらむような光に照らされた、広さ六十畳ほどの、その板敷きの大広間には、きれいな、いぐさで編んだ御座が敷き詰められていた。そして、人ともけものともつかない奇妙な生き物が、神棚の前にあぐらをかいて座っていた。 「あ、あなたは―― 誰ですか?」 ゆりかがおっかなびっくり声をかけると、その不思議な生き物が、つと立ち上がった。
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