変身マンドラゴラの秘密
そこは最初に通されたのと、まったく同じような、本だらけの部屋に見えた。人間とも化け物ともつかない、一群の生き物たちが、それぞれ、おそろいの真白いガウンを着せられて、無数の机で、読書や調べものに熱中している。ゆりかがそれらの生き物たちを見つめていると、向こうでもゆりかの視線に気がついたのか、身ぶりや手ぶり、それに足ぶり、時には何十本もの触手をひらひらさせて、ゆりかにあいさつしてきた。 ゆりかはあわてて目をそらすと、 (ここにはずいぶん奇妙な人たちばかりが、住んでいるようなのね。あたしだって、今は、そういう化け物の一人なんだけどさ。わたぬき先生や、図書委員の上級生たちが見たら、こんな図書館なんて、絶対、信じないだろうなあ) パピリカが、はりねずみ人間の手でゆりかのわき腹を突ついたので、ゆりかは我に返った。気がつくと、僧侶が規則正しく並んだ机の一つに向かって、歩いて行くところだった。ゆりかは大きなヒレ足で、パピリカのそばを、ペタペタと音をさせてついて行く。 三人が到着した机の上には、一冊の横長の、大きな皮装丁の本が、開いたまま置かれていた。 「ねえ、パピリカさん。あそこのテーブルの巻物、あれ、動いているわ。なんでできてるの?」 「お静かに願いますよ。私たちは、私たちのために用意された、この書物を、黙ってひもとけばいいのですわ。ごらんなさい、ここに、あいつらのことが出ていますよ」 ゆりかは机の上の本をのぞいた。古めかしい、変色した羊皮紙のような、厚ぼったいページの上には、何やら見慣れぬ文字の列が並んでいる。 「なんて書いてあるのか、わからないわ」 そう言おうとした時、その文字がかすんで、平仮名だらけの日本語に変わった。 「すっごおーい! 日本語になったわよ! 見て! 見て!! 見て!」 「ここにある本は、黙っていてもこうなるのですよ。万人のために集められた、万人のための書物なのですからね。それに私には、正統カンバーランドA書体で、書かれているように見えますがね。それはそうと、さっそくこの本に出ていることを、読むとしましょうかしら」 二人は仲のいい姉妹のように、一つの長椅子に腰かけると、あいかわらず、はりねずみ人間に、魚人間のかっこうではあったが、その本をのぞき込んだ。
マンドラゴラ 別名マンダラゲ またの名を“魔女の薬草”について
多年生植物。きわめて高い幻覚的効能あり。高等魔法ならびに魔法術一般に広く用いられる、きわめてグロテスクな外見の生物なり(挿絵を参照せよ)。 この薬草は、アナハタ紀元六十五年、東方世界を広く旅していた著名なる冒険家キルニーヨ(別項参照せよ)に発見された魔法植物で、以後、全世界(異世界を含む)に、その分布が認められている。 その発生や起源については、詳細不明。かのケルケナンの獅子竜王にして、著名なる博物学の大家、ケララン・パララン・ケセノアナ一世による『超古代世界とその奇怪なる伝承』(八万二千巻パピルス復刻版) の第七千二百十六巻から、第一万三百十五巻におよぶ、厖大な基礎的研究による詳細な記述、および同王の没後、その世継ぎと国王文書課により編纂された、『そんなかしこいかぶらなんかいるものか!―― 王さまと気まぐれ宮廷文官との対話・魔術と伝承魔術篇』第百二巻において、当植物について触れられた、きわめて衒学的にして、荒唐無稽なる箇所が、約二つ半ほどあり、余暇と精力と好奇心とに不自由されない向きには、ぜひとも一読されんことをおすすめする。 さて、同植物マンドラゴラの、きわめて目を引く特徴の一つは、その奇怪なる外見にある (しつこいようだが、当項目の挿絵を参照せよ)。この植物は、生き物の生き血、ならびにある種の体液を養分とし、刑場や墓地に、好んで生えると言われている。その俗信も、一つには同植物の持つ、きわめて奇怪なるこの外見に、原因があるものと思われる。この植物は、雌雄一体ずつが、一組となって生えている。その外見は、「小人」もしくは「地球人」(別項を参照せよ)にひどく酷似しているとされ、この類知能植物の同意なくして、力づくの手段でこれを採取せんとすれば、「その根は悲痛、悲嘆のあまり、世にも二つとなき悲鳴を上げ、その声は聞く者をして、畏怖驚愕、驚天動地、阿鼻叫喚、七転八倒、総身の毛をば逆立たせしめ、かならずやその者を、恐怖のあまりに悶死させるに至らしめん」とまで、伝承は伝えている。 広く魔法世界全般に信じられている俗信では、マンドラゴラを必要とする、魔術師もしくは妖術師は、「よくあぶった木切れか、溶けた蝋燭の蝋、または鉛」を耳の穴に詰めて栓をし、「よく飼いならされた犬、馬、羊、豚、まれにはニンゲン」を鎖につないで、あらかじめ採取せんと欲する同植物の葉、もしくは茎の一部と、これら使役動物の一部とを、ひも状の物でゆわえつけ、「おもむろに木の破片か棒の一片で、この動物を叩く」または「その動物の好物を、遠くに投げてあたえる」。するとその動物は地面を駆け出して、その勢いでマンドラゴラは力づくで引き抜かれる。この時、同植物の叫び声は、あわれなるくだんの使役動物を、確実に死に至らしむるも、術者はまんまと根株を手に入れ、「かくも手ぎわよく事を運びし、わが知恵と幸運を天に感謝し」、ようよう家路に着くのである。 マンドラゴラの主たる効能は、根に含まれる毒の薬効にあるとされている。その根の毒成分を抽出することにより、そのエキスを手に入れた術者は、「その者の妖力は天地宇宙を統べ、諸国の王は、彼または彼女の前にひれ伏し、あまたの隠されたる奥義の扉、永遠に開かるべし」と、『超古代世界とその奇怪なる伝承』は伝えている。 広く魔法世界に信じられていることわざ通り、“マンドラゴラの根一ダースには、千の世界を手に入れたのと同じだけの値打ちがある”のである。うんぬん。(「魔法に関する俗信・名言」の項を参照せよ)
「ふう! ずいぶん妙ちきりんなことが書いてあるわねえ! 頭が痛くなっちゃった! そういえば、うちの学校にも、この絵とおんなじ奴がいるんだっけ! すっかり忘れてたわ!」 「おやおや、それは初耳ですわね。もっとくわしく聞かせてくださいな」 ゆりかは、“たなちん”がマンダラ草と呼ぶ植物を、学校に持って来たこと、それをみんなで学級花壇に埋めたいきさつを、パピリカに話して聞かせた。 「そうなると、がぜん状況の方は変わってきますわね。あなたの世界では、マンドラゴラは、それほど珍しい存在ではないのですか?」 「ううん、超珍しい存在だと思うけど。図鑑にものっていなかったし、わたしも全然知らなかったから」 「それでは、誰かがこいつらを、魔法を使ってあなたの世界に送り込んだのですわ。ひょっとしたら、いま言ったその子が、魔法使いの弟子か何かで、あなたの命を狙っていたとは考えられませんかしら?」 「田辺君が? まさか!」 「だとすると、ふり出しに戻ることになりますが、偶然の一致ということは、まず考えられませんわね。そんなに都合のいい一致など、あるはずがありませんもの! そら、ここをごらんなさい! さあ、早く!」
マンドラゴラの根に含まれる毒の成分については、地球西暦一八七五年、エジプトはルクソールで発見された、いわゆる〈エーベルスのパピルス〉にも触れられているように――
「違います! もっと先の方ですわ!」 (わたしが読んでいるところが、よくわかるなあ。そうか、パピリカは人間の頭の中が読めるんだわ)
変身 マンドラゴラの変身能力について――
広く魔法世界全般に伝わる俗信によれば、マンドラゴラのある種族のものには、きわめて特異なる変身能力が見られるという(その種族の見分け方、および魔法植物の用途における種分けについては、“魔法術全般における儀式と伝承”の“植物”の項を参照せよ)。 俗信によれば、ある美しい月夜の明け方 (一説には新月の明け方)二時から四時のあいだの、「まだ朝露の降りきらぬうちに」美しい盲目の乙女により(乙女みずからが犠牲になることによって)摘み取られた同植物の根にだけ、その特有の『変身能力』がさずかるのだとされている。 前章の要領で摘み取られたマンドラゴラの根株を、天日に干して(一説には蒸し焼きにして)、一週間から十日、まれには一月から一年以上 (一説にはもっと長い期間)、動物の血や肉をたびたびくわえながら、特別に調合した魔法薬のスープで根気よく煮込み続けると、しまいにはマンドラゴラの方が根を上げて、術者の思うままの姿に変わるのだと言われている。(その際の具体的な施術、および儀式魔法に関する詳細は、別項“魔法植物と変身魔法の儀式”の項を参照せよ)
捕獲場所 マンドラゴラの根をいかにして、発見すべきか――
変身種および、ごくふつうのマンドラゴラを発見するには、これといった特定の場所を(先の伝承にもかかわらず、刑場や墓地をも含めて)探すことはできないとされている。ただ古代世界の言い伝えによれば、地上のありとあらゆる生き物の中で、ただ雌のゾウのみが、これをよくするとされている。 ゾウの雌は、交尾の際、淡白な雄のゾウを元気づけるために、マンドラゴラの根の毒成分を必要とするものらしい。さしも強力なマンドラゴラの毒も、清らかなことで知られたゾウたちには、うってつけの強壮剤でしかないということだろうか。 その間の事情を、先にあげた獅子竜王にして高名なる博物学者、ケララン・パララン・ケセノアナ一世は、かの有名にして愉快なる書物、『そんなかしこいかぶらなんかいるものか!―― 王さまと気まぐれ宮廷文官との対話・魔術と伝承魔術篇』第百二巻、三万七千二百四十一ページの冒頭で、さり気なくこう取り上げている。
「ヒャック!」と、世にもおぼえめでたき、賢明なる君主にして、われらが偉大なるケセノアナ一世は、その時さくらんぼの種をのどに詰まらせ、おもむろにのたもうたり。「いかにも」と愚かなる一人の家臣の申すよう、「さても賢きわがあるじにして、獅子竜王とほまれも高き、偉大にしてあまねく世にその名を知られし、わが大君よ。大君の御のどに詰まらせし、そのさくらんぼの種を取りのぞくは、いとたやすき業とおぼしめすや否や?」「然り!」と賢明なる大君の答えて曰く、「こののどに詰まらせし、いまいましきさくらんぼの種を取ることなぞ、かのいにしえより伝わるる賢き雌ゾウの、明け方にマンドラゴラの根を見つけるよりも、たやすきしわざじゃ!」「これはしたり! これはしたり!」と愚かにして気の毒なる家臣の申すよう、「大君は、おおせにことかいて、かのマンドラゴンとか申す愚かなたわごとを、幼子のように信じおりたるや? これは笑止千万! これは笑止千万!」「こやつ! このふらちな犬ふぜいめが! 言うにことかいて、余を愚かと申すか! 愚かはそちの、その首の方じゃ! 余の申すことが愚かなたわごとか、行って見てまいれ!」たちまちあわれなるこの愚か者、その場で王みずからの太刀にて素っ首をちょん切られ、かくして大君の立腹もなんとかおさまったる次第・・・。
「ふう! 疲れたあ!」 「知りたいことは、これでおおよそわかりましたわね。あいつらはやはり、あなたのことを狙って、何者かが送り込んだ、刺客に違いありませんわね。そして、この本に書かれている通り、時間をかけて、ニンゲンに姿を変えたのでしょうよ。生き物の血や肉を、あちこちでむさぼりながらね。それに関して、何か思いあたることはございませんか?」 ゆりかには、ありすぎるくらいにあった。 まず、学校のうさぎが消えた。 続いて、犬や猫が行方不明になった。 魚屋のおばさんまでが、狙われた。 そして―― そして―― ゆりかの見た、あの夢。 奇怪な老婆たちがかき回していた黒い鉄の鍋の中で、二人の赤ん坊が不気味な植物の姿に、変身したのではなかったろうか? 「あたし、見たんだ、あいつらの夢を! ううん、もしかすると、夢じゃないのかも! パピリカさんは、どう思う?」 ゆりかは見た夢のことを、パピリカにくわしく告げた。 「ふうん。わたくしが思いますに、その夢はおそらく、わたくしがあなたにかけた〈災い封じ〉の呪文が、あなたに見せた『警告の夢』に違いありませんわね。あなたに近づいてくる危険を察知して、夢が注意するようにと、あなたに呼びかけたのでしょう」 「そんな! そんな! わたし、なんにも知らなかったわ! 知っていたら、気をつけていたのに!」 「仕方がありませんわね。あなたの住む世界では、魔法術全般については、何ごともごぞんじないと見えますからね。呪文も、あなたに夢を見せることが、精一杯だったに違いありませんわ」 「もしも、わたしが気がついてさえいたら! わたしがちゃんと、夢の意味に気がついてさえいたら! パピリカさん!」 「そのお気持は、お察しいたしますわ。でも間一髪、助かったじゃありませんの?」 「そんなことじゃないの! わたしの言っているのは、そんなことじゃないのよ! うさぎたちが死んだのは、みんな、みんな、こいつらのせいなんだわ! ピロンやポロ吉が死んだのは、みんな、みんな、こいつらが悪いんだ! それなのにわたしったら、なんにも知らないで! あいつらが、すぐそばにいたのにも、気がつかないで!」 「まあ。ごぞんじなかったのは、ご無理ございませんとも。学校で魔法を教えないのでは、なんにもあやしまないのはね、やむをえないことですよ。それよりも、一刻も早くあいつらを見つけて、退治してしまわなくてはなりませんわね。あいつらはどこかよその場所で、つぎの機会をうかがっているに違いありませんわ。そして、またしても、あなたを狙うでしょうよ」 「そんな―― どうして―― わたし―― なんかを?」 「それは、あなたさまが王女さまの“魂のふたご”で、私とロデリア姫さまの、お知りあいだからですわ」 「そんな! そんな! おどかさないでよ! あなたが、やっつけてくれるんでしょう?」 「それはどうでしょうか。あなたはずいぶんと、わたくしのことを買いかぶっておられるようですが、わたくしだとて『完全無欠』というわけではありませんのよ。さあ、ぐずぐずしてはいられませんわ。まいりますよ、ゆりかさん」 「ええっ、どこへ?」 そう言おうとして、ゆりかはあっとおどろきの声を上げた。 いつの間にか、魚入りのビニール袋を握りしめて、見知らぬ森の中に立っていたのだ。
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