怪物を追って
その紅茶は輪切りのレモンをひたした、熱めの濃いお茶で、クッキーも、いきな味わいのする手作りの逸品だった。ゆりかは最初は気が進まなかったが、クッキーのあまりのおいしさに、そのうち用向きも忘れて、夢中になった。 ゆりかが極上のおやつの味に舌づつみを打っていると、ふいに、マンダレーさんの座っている椅子が、かたかたと揺れ出した。 続いて、ゆりかの手から白い陶器のカップがはじけ飛び、中味がマンダレーさんの、手やひざにかかると、 「アチチ! アチチチ! ナ、ナニヲ、スルカ!」 「一体全体、どうしたっていうの! 何が起こったっていうの?」 突然、クッキーの皿が天井めがけて飛び上がり、シャンデリアの飾りにぶち当たって、マンダレーさんと奥さんのイブリンさんの頭に、割れた皿の破片が、粉雪のように降りかかった。 マンダレーさんが恐ろしい形相になって、両腕をふり回すと、 「ゲルダン・グブダン・アヤガラ・スンガラ! モゲレ・ギグンバ・デル・デヘレ・ゲベ・ンバソ!」 と、奇っ怪な呪文を唱え出した。 椅子とテーブルが、ぴたりと静かになった。 「ダレノ、シワザカ、チャント、ワカッテ、イルゾ! テンドウ・ユリカ! オマエダ! オマエガ、ゼンブ、シクンダンダ! ソウダナ?」 「あ、あたしじゃないわ! あたしがやったんじゃないわ!」 「イイヤ! オマエダ! オマエデ、ナケレバ、ダレガ、ヤレル?」 テーブルの向こうで、マンダレーさんと奥さんは、早くも人間でないその正体を現わしていた。 「コボッ。コボッ。コボッ。イイタク、ナケレバ、イワナクテモ、イイ! イズレ、ハクジョウ、サセテヤル。コボッ。コボッ。コボッ。オマエガ、タベタ、ソノくっきーハ、ソレハ、タダノ、くっきージャ、ナインダゾ! コボッ。コボッ。コボッ。ソレハ、ヒトクチデモ、タベテ、シマエバ、オマエノ、ナカデ、オマエノ、ジユウヲ、ウバッテシマイ、オマエヲ、ナカカラ、アヤツッテ、シマウンダゾ。コボッ。コボッ。コボッ。 オトナシク、シロ! テンドウ・ユリカ! サラワレタ、ろでりあオウジョガ、ドコニイルカ、サア、イマスグニ、オシエロ! サモナイト、オマエノ、イブクロノ、くっきーヲ、イマスグニ、〈ゲジゲジムシ〉ニ、カエテヤル!」 「ひいっ!」 ゆりかは、床の上を転げ回った。 お腹の中で、何百、何千という虫が、ウジャウジャと這い回り始めたのだ。 ゆりかは胃の中のものを、全部もどした。 白いどろどろした胃液といっしょに、数えきれないほどの虫たちが吐き出され、うごめく虫たちは外気にふれて、たちまちクッキーの粒々に変わった。 「ワカッタゾ! コノ、ニンゲンニ、〈ワザワイ〉ヲ、フセグ、ジュモンヲ、カケタ、ヤツガイルンダ!」 「ドンナ、ジュモンカ、ワカレバ、ソレヲ、ヤブルコトハ、カンタンヨ。ゾラ! クバタン! クブタン! クブトリン! バルコン! バルコン! クォドリメサ! ゾハール! バハーレ! エレ・クターレ!」 「ゾラ! クバタン! クブタン! クブトリン! クバタン! クブタン! クブトリン!」 マンダレーさんと奥さんが、ゆりかに向かって、手を差し伸ばしながら、 「クバタン、クブタン、クブトリン」 をくり返すにつれ、ゆりかはだんだんと、眠くなってきた。 その時、ものすごい轟音とともに、ドアの羽目板が砕けて、玄関ホールの隅っこに立っていた、あの長槍を持った西洋のよろい騎士が、部屋に飛び込んで来た。 騎士はマンダレー夫妻に近づくと、物も言えずに立ちつくしていた夫妻に向かって、槍を突き出した。奥さんの頭が串刺しにされ、マンダレーさんの頭が、横ざまになぎはらわれた。 ゆりかの目の前に、男の頭が転がって来て、ゆりかは、 「ぎゃっ」 と悲鳴を上げて、気を失いそうになった。 男の頭が消えてなくなり、あとには、どろどろしたうみのような物が、じゅうたんにしみを作った。 さっきまで人間だった二匹の怪物は、今や着古したコートを脱ぎ捨てるように、人間の皮を脱いでいた。その下から現われ出たのは―― 頭にはもしゃもしゃした、みどり色の葉っぱを生やした、茶色い、恐るべき植物怪物の姿ではないか! 手足を生やしたジャガイモのような、二匹のお化け植物は、びっくりするほどの素早さで、両腕と両足から蔓を生やすと、よろい騎士を両側からからめとり、勢いよく引っぱった。 よろい騎士はものすごい音を立てて、ばらばらに砕けた。 「パピリカ、パピリカ、すぐに来て!」 「何かご用ですか、ゆりかさん?」 「パピリカさん! パピリカさん、会いたかったわ!」 「ぱぴりかダ! ばぴりかガ来タ! ばぴりか・ぱぴりとぅすガ、来タ!」 二匹のお化け植物は、人間ばなれした大声で叫ぶと、その姿がかき消えた。 「おや? あれはマンドラゴラかしら?」 「あっという間だったわ! さすがはパピリカさんだな! もう、やっつけちゃったのね!」 「いいえ、おほめいただいて恐縮ですが、あいつらはただ逃げたのです―― そう、がっかりなさらなくとも、よろしいですわ。ところで、と」 パピリカは床にちらばった騎士の破片や、脱ぎ捨てられたマンダレー夫妻の人間の皮をながめていたが、 「一体全体、何ごとが起こったのか、あなたの口から、じかに話していただけませんかしらね?」 ゆりかが話し終えると、 「どうやら、わたくしの〈災い封じ〉の呪文も、まんざら、お役に立たなかったわけではないようですわね」 「お役に立たなかったどころか、おかげで助かっちゃったわ! あれ、全部パピリカさんが助けてくれたのね。あのよろいとかも、全部なの?」 「さあ、全部が私の手柄かどうか。ともかく、あなたがご無事で何よりでしたわね。ただちに追跡にかかるとしましょうか。まずは、あいつらが何者で、どこから来たのか、そして何が好物で、何が弱点かを調べるのですわ。なに、おおよその見当はついていますがね、万が一ということがありますから。さあ、支度をなさってください。出かけますよ」 「ええっ、どこへ?」 「わたくしどもの住まう、バルトの世界へ。いにしえの魔法とあらたなる呪いとが、とことわに誓われ、未来永劫せめぎあう場所へ。めざすは、わたくしたちの世界の中心にそびえ立つ、天が山ククラット山。その地下洞窟にある、〈世界図書館〉ですわ。またの名を〈世紀の書庫〉とも言いますけれどね」 「ええっ、〈世紀の書庫〉?」 ゆりかは、身の内が引き締まるのを感じた。 とうとう、あこがれの魔法の国へ行けるのね! 「ゆりかさん、私の背中につかまってください。そうです! しがみついてもかまいませんが、私の首は締めないように! では、まいりますわよ。慣れていないのなら、目をつぶっていらっしゃい!」 「わかったわ! ああっ、そうだっ! ちょっと待っててね、パピリカおばさん!」 ゆりかはあわててパピリカから下りると、マントルピースの上に置いた、魚入りのビニール袋を手に戻って来た。 「何ですか、そのくさい袋は?」 「さっき説明したでしょう? 魚屋の『小松』のおばさんが、お礼にくれたのよ。今夜の晩ごはんにするから、ママに見せなくちゃ」 「まったく、マンドラゴラとどっこいどっこいだわ、あなた方ニンゲンときたら! だからって、そのくさい汁を、わたくしにかけないでいただきたいですわね」 「あら、パピリカさんは、お魚がきらいなのね? だったら、わたしとおんなじよ。でも、魔法使いのクジャクって、お魚は食べないのねえ。動物園にいたクジャクは、確かお魚を食べてたと思ったけど」 「うへっ、ごめんこうむりますわ。あなたの発言でなければ、その目をくちばしで―― よしましょう、はしたないことですからね。それではまいりますよ。目をつむっていらっしゃい!」 ゆりかは言われた通りにした。 「さあ、もう着きましたわよ」 「ええっ? もう着いたの?―― わっ! わっ! わっ! ここ、どこ!? なんにも見えないわ!」 「ここはククラット山の地下にある、〈大いなる異端者の大洞窟〉ですわ。大洞窟といっても、あなた方ニンゲンの世界にあるような、殺風景な、せま苦しいしろものではありませんことよ。この奥に行ったところに、かの〈世紀の書庫〉の入り口があるのですわ」 パピリカはゆりかを背中に乗せたまま、暗やみの中を歩き始めた。一人と一羽が奥へと進むうちに、ゆりかの目は、じょじょに暗さに慣れてきた。 半時間ほどして、二人は広場のような場所に出くわした。 「あああっ!」 と、ゆりかは叫んで、そこに広がった光景に、目を奪われた。
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