ゆりかが『小松』のおかみさんに聞いた話
午後になって、ゆりかが『小松』に着いてみると、なじみの魚屋のおばさんは、頭に包帯を巻いて、店の奥の木箱に、しょんぼりと腰かけていた。 「お、おばさん、こ、こんにちわ」 ゆりかが恐る恐る声をかけると、おばさんは目玉をぎょろりとむいた。『小松』は商店街のアーケードの一角に店をかまえていたから、昼なお暗い電気の明かりに照らされて、おばさんの顔は、こころもち青ざめて見えた。 「おやおや、天堂さんとこのゆりかちゃんかい。さあさ、何をさしあげましょうかねえ」 「今日は違うの。お使いに来たんじゃなくて、おばさんのお見舞いに来たんです。あのう―― ミルクキャラメルがあるんです。おばさんも、お一つどうぞ」 おばさんの目から、大つぶの涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。 「ご・・・めんなさい―― おばさんが―― キャラメルがきらいだなんて―― 知らなかったから―― 」 「いいえ、違うんですよ。そうじゃないのよ。おばさん、キャラメルは大好物だよ。ありがとうよ、ゆりかちゃん。これ、喜んでいただくよ。そうだわ、あんたもここに来て、いっしょに座らないかい?」 おばさんは、腰かけていた木箱のとなりに、もう一つ別の木箱を用意して、ゆりかを座らせようとした。 ゆりかがていねいにお礼を言って、それをことわると、おばさんは、ゆりかにもらったキャラメルを、威勢よく口に放り込んだ。 「うーん、おいしいねえ! 昔とおんなじ味だよ! さてと、仕事に精出さなくちゃ。ごめんよ。キャラメルおいしかったよ」 「あ、待って、おばさん! ケガをした時―― あのう、おばさん―― 怪獣を見たって―― 本当?」 「おや、誰に聞いたんだい? あたしはいつだって、本当のこときり言わないよ。それより、誰に聞いたんだい?」 ゆりかは白状した。 「ああ、綾波さんとこの、あのおしゃべり坊主にかい。いつもは出がけに、ここを走り抜けて行くのにさ、今日に限って、根ほり葉ほり聞いてきたからさ、おかしいなあとは思っていたんだけどね。なあるほど、あのしゃべくり坊主が触れ回ったんなら、あたしも今頃は、ちょいとした町の有名人てとこなんだね」 「それで、おばさん、その真っ黒い怪獣は―― 本当に―― 本当に―― いたの?」 「ああ、いたともさ。このあたしは、『いた』って言えるよ」 「ど、どんな怪獣だったの? ひょっとして、背中からつばさを生やして、口にはものすごい牙を持った、ドラゴンだったんじゃないの?」 「ゆりかちゃん、あんたまでが、このあたしをからかうのかい?」 「えっ? えええっ?」 「さあさあ、どいた、どいた。おばさんはこれから、仕事をしなくちゃ。生きていくためには、稼がなきゃだからね。ああ、いやだ、いやだ、いやだ」 「おばさん!」 ゆりかはあとで思い出しても、自分でもたまげたほどの大声を張り上げると、 「おばさん、怪獣に会ったの!? 会わなかったの!?」 「あ・・・あ・・・あ・・・会ったよ。ああ、びっくりした。ゆりかちゃんて、大きな声が出せるんだねえ。おばさん、びっくりしちゃったよ。 『それで、どんな奴だったの?』だって? さあ、どんなって言われてもねえ、あたしも暗やみで見たっきりだから・・・それに自転車ごと突きとばされちゃったしねえ。ことによったら、あれは亭主どんが言うように、人間さまだったかもしれないよねえ」 「そんな・・・おばさん!」 「それにしても、いやに熱心だねえ。ひょっとして学校で、お化けや怪獣について調べて来るように、とでも言われたのかい?」 「そ・・・そうなんです。それで、どんな奴かなあと思って・・・見た人に聞けば、早いでしょう?」 「それで、何を知りたいんだね、あんたは?」 その時、年をとった女のお客さんが入って来て、おばさんの注意は、そっちに向けられた。 女のお客さんが片づくと、 「ああ、しんどい、しんどい」 と、おばさんは肩をたたいて、 「やれやれ。年はとりたくないもんだねえ。近頃はめっきりと、肩の調子が悪くってねえ。それで、何ですっけ? ああ、そうそう、怪獣だったね。できるだけ、くわしくかい? くわしくって、言われてもねえ。なにぶんにも、目がわるいだろう、おまけに夜だったからさ」 「でも、見たんでしょう?」 「ああ、見たともさ。あんたも手伝うかい、魚を並べるの?」 「ううん、いいんです。それより、怪獣は?」 「怪獣ね。怪獣、怪獣と」 おばさんは口の中で「怪獣。怪獣」とつぶやきながら、ナイフのような銀色の小魚たちを、手ぎわよく木のざるの上に、並べていった。 「あんたも、やってみたくないかい? それで、何の話ですっけね。そう、怪獣だったね。怪獣、怪獣と」 「あれ、本当のことでは―― ないのね?」 「むろん、本当のことだともさ。この頭のけがが、何よりの証拠だよ―― そう―― たぶん―― あれは―― 本当に―― 起きた―― ことだよ―― きっと―― そうに―― 決まって―― いる―― さ―― 少なく―― とも―― この―― あたしは―― そう―― 信じて―― いる―― けどね―― 。 ゆりかちゃん、ここだけの話だけどさ、おばさんはしこたま飲むんだよ。そうさ、しこたま飲むんだよ」 「それじゃ、夕べもお酒、飲んだのね?」 おかみさんはしょんぼりとうなずくと、 「しこたまってほどじゃあないがね。まあ、ほんのちょっぴり。しこしこ、てとこかね」 「それじゃあ、怪獣に会ったことも、おぼえてないのね? 本当かどうかも、結局はわからないのね?」 「ああ、あんたにはわからないんだよ。まだ小さいあんたには、わかりゃあしないんだ。飲まずにはいられない、この気持ち。まだ、わからないだろうねえ、あんたなんかには」 ゆりかが何と答えていいか、わからずにいると、おばさんは悲しそうに、 「ごめんね。変な話しちゃってさ」 「ううん、ちっとも。そんなことありません」 「あんたは優しい子だねえ。それにひきかえ、うちの亭主ときたら、夕べ、あたしに何て言ったと思う? 『おい、ばあさん。顔中赤く塗って、ペンキ塗りかい? それより早く、風呂をわかしてくれよ』 だってさ。 あたしが顔中、血だらけにして帰って来たっていうのに、それが長年つれそってきた女房に、言うせりふかね? おまけに、あたしが警察に行くって、言い出したら、 『ばーか。おまえのような酔っ払いは、恥ずかしくって、家に置いとけない。出てけ。さもなきゃ、金輪際飲むな。今後は、一滴も駄目だ』 だってさ。 警官の奴も警官でさ。あたしが交番に知らせに行ったら、久保とかいう若いおまわりの奴、何て言ったと思う? 『その電柱には、しっぽは生えていなかったんですか、奥さん?』 だとさ。 あたしゃ、ドタマにがちーんときたから、 『しっぽは生えていなかったけどねえ、口から火を吹いて、おまけに、どどいつまで歌ってたよ、こん畜生!』 って、怒鳴ってやったのさ。制服着て、いばりちらすだけなら、かかしにだってつとまるよ。あのおまわり、今度会ったら、ただじゃおかないから」 ゆりかは『小松』のおばさんの気持ちが、痛いほどわかった。それでも、おまわりさんがおばさんを信じなかったわけも、それなりに理解できた。 おばさんは気が晴れたのか、 「せっかく、お見舞いに来てくれたんだから、何かあげなきゃ悪いよね」 「いいえ、いいんです。おかまいなく」 「子供が遠慮なんかするもんじゃないよ。おばさんが今夜のおかずに、おいしいところを見つくろってあげるよ」 おばさんは、プロの目つきで魚どもを見渡し、天井から下がった透明のビニール袋をさっと引きちぎると、六匹のアジに、丸々と太ったクルマエビを三匹おまけにつけて、太いみどり色の輪ゴムで、素早くくくった。 「はい、お礼だよ。今後とも、『小松』をごひいきに」 「はい。ど、どうも、ありがとうです」 ゆりかは直立不動で、魚入りのビニール袋を受け取った。 「あの、おばさ・・・ん。もしよかったら、おばさんが怪獣に会った場所、どこだか教えてください!」 「場所を聞いてどうするんだい。きっとおばさんが、電柱か何かを見間違えたんだよ。確かにあのおまわりが言うように、あたしはしょうのない酔っぱらいなんだし、夕べも確かに、酔っぱらっていたもの。確かめたって、しょうがないよ」 「いいんです。場所を見たいだけですから」 「そうかい? だったら、このあたしが化け物を見たなんてことは、言いっこなしで頼むよ。ただでさえ『小松』の酔っぱらいばあさんと、うわさされているのに、怪獣を見たなんて知れたら、お客が寄りつかなくなっちゃう。約束したよ」 おばさんはうって変わって、気弱に言うのだった。
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