エピローグ
リリーが戻ってから三日、鉄の廃虚は黒々と横たわり、《隠れ家》はここ数週間、何一つ変わったことなど起こらなかったように、ひっそりと凍てついていた。恐る恐るなじみの建物に入った時は、人気がなく中はがらんとしていたが、居心地よくは感じられた。部屋はベリンスキーと聖パトリック祭のパレード見物に出かけた日のままで、ソファーにはパンフレットと花の種の袋が投げ出されている。 一つの袋からこぼれたハイビスカスの種が、古ぼけたクッション・カバーの上に放射状に散らばっていた。 リリーはこわごわ、ついには覚悟を決めて、二間続きのその部屋に入ると、さっそくベリンスキーに宣言したように、掃除とあと片づけにとりかかった。 四日目の午後、ベリンスキーと待ち合わせしようと、渡された携帯電話を探していたリリーは、ソファーのクッションのあいだに押しこまれた、ポケットサイズの機械を、ようやくのことで探りあてた。 留守中にメッセージが一件だけ入っているのに気がついて、再生したが、次の瞬間、凍りついた。 「姫さま、ご気分はいかがであらせられまするか?」 スピーカーから聞こえてくる、そのしわがれた声は、バハールのものだった。 「この装置に声が残せると知って、みどもの声を記録させておきまする。 姫さま。あなた様がこの声を聞いている頃は――わたしにはその手段や原理が、とんとわかりませぬが――みどもがこの世を去っている時と判断いたしまする。みどもがこれから行うであろう行いや、あなたに降りかかるであろう今後の運命について――それは全てはみどもにとり憑いている、カバール様のみこころ次第なのです ――みどもは夢の中で予見いたしましてございます。予見が正しいものであれば、あなた様はこの世での生をながらえ、みどもは命をなくすばかりか、その魂をも、滅ぼし去っているでありましょう。 何はともあれ、これだけは言っておきまする。 わがアトランティスは永遠でありまする。たとえ、わが王国の領土は滅ぶとも、アトランティスの高貴なる血筋が――その精神と大いなるみたまとが・・王家の血統とともに滅び去ることは、決してありえませぬ。 なぜなれば、あなた様が――生きているあなた様こそが――すなわち、アトランティスそのものだからです。あなた様の血や肉や骨が、脂肪や涙の一滴 (ひとしずく) 々々が、アトランティスの王国の、血であり、肉であり、骨であり、心臓なのですぞ。 あなた様が生き続ける限り、アトランティスもまた、永遠に生き続けてまいるのです。 その王も、その人民も、その歴史も、その儀式も、その伝統も、その夢や、願いや、あまたある苦悩や、絶望や、祈りや、呪詛すらも、あなた様の血のひとしずくとなり、肉の筋となり、骨の髄となって、永遠に生き続けてまいるのです。 そして、わたし自身もその中に、あなた様の内なる霊としての、アトランティスの原像とともに、とこしえにあるのです。 おお! 汝の御名は誉むべきかな! そは、かの世界にても来世においても、永遠の良き報いを受けらるべければなり。 おお! 神の御名は誉むべきかな! そのおおいなる御業のなされように、そのみこころの賢くあらわれたるを、われ、両のまなこで、しかと見てとりたれば。 姫さま。いつぞやこの世界にて、みどもが初めて姫さまとお会いいたした、かの森の中の秘密の隠れ家を覚えておられまするか? あのケッセルバッハとか申す、不埒な知恵者の屋敷の地下室を? あそこを訪ねてみなされ。みどものわずかばかりの償いのしるしに、みどもが虜にした四人の愚かなる輩どもを、命を戻して、送り返しておきましたぞ。あの、あなた様を空中で追い落とそうとした、アムリカ人とやらの、忌むべき飛行機械の操縦士たちのことにございます。 師匠カバール様の霊も、それについてはみどもの一存で、好きに行うがよかろうとおっしゃっておりまする。四人は《コーダの眠り》についておりまするが、今のあなた様ならば、じゅうぶん目覚めさせられましょう。 残り時間が少なになりもうした。あなた様に言い置きたいこと、言わねばならぬことがあり過ぎて、頭の中に渦を巻いておりまする。したが、言葉で言い尽くそうにも――どれほど無量に時を費やそうとも――わが思いのたけの万分の一をも、言いあらわすことはかないますまい。さすれば何も言わずにおくのが、老いぼれ僧侶の年の功というもの。さても、さても、せんない知恵と、お笑い下され、リリトス様。愛しい、愛しい、わが王女様。わが命の誉 (ほまれ)、わが救い、わが癒 (いや) し、わが慰 (なぐさ) め、わが魂の永遠の願い、リリトス様。 ところで、みどもが記憶しておる限り、われらがアトランティス世界にも、かつてこのような仕掛けの声の記録装置は、ついぞありませなんだ。さすれば、こちらの世界の人間たちも、なかなかどうして、隅にはおけんのですかな」 声はそこで、永久に途切れた。
(第三部・了/マイティーリリー 完)
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