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作品名:マイティーリリー 作者:zamazama

第60回   60
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 ゲートを抜けて出ると、外は満天の星空だった。高速エレベーターで大深度地下施設から地表に戻ったベリンスキーには、高地をわたる、季節の割りに冷たい微風さえ心地よく感じられた。見上げた夜空に、のしかかるようなシャイアン・マウンテンの陵線が黒々と浮かび上がっている。あたりに行き交う兵士の姿がなければ、ここで体験したことが、現実とは思えなかったろう。全ては幻と判断していただろう。
 ベリンスキーの隣にいた、こればかりは夢でも幻でもない、ジャケット姿の小柄な若者が咳払いをして、星座にみとれていたベリンスキーの注意をうながした。
「あの、警部?」
「何だね?」
 ベリンスキーは若者をふり向いた。
 ゲートの照明は逆光になって、若者の表情をベリンスキーからいっとき隠していた。
「彼女のこと、本当にすみませんでした。何とおわびを言ったらいいか。許してもらおうなんて、これっぽっちも思っていません。でも、これだけは信じてください。こんなことになるなんて、ちっとも知らなかったんです。ですから、ぼくは――」地面に目をやったが、
「ぼくは償 (つぐな) えるものなら、どんなことをしてでも、彼女に償いたいと思います。どうか、あなたの口から、それを彼女に伝えてくれませんか? ぼくの言うことは聞いてはくれないでしょうけど、あなたの言うことなら信じてくれると思うんです。こんなことを頼む資格なんて、まるでないんだってことは承知しています。でも、どうかお願いします。駄目でしょうか?」
 光の幕が作るシルエットの中で、二つの瞳が、自分を見つめていることを、ベリンスキーは痛いほど意識していた。
 若者の視線が自分の心を――魂を揺さぶり、鋭い洞察力で見通しているようで、ベリンスキーは年長者だけが感ずる、いたたまれなさと、罪の意識とを覚えた。
「これが、父の誇 (ほこ) りというやつかな」
「はっ? 何ですか?」
「いや、何でもない。こっちのことさ」
 ベリンスキーは鼻白んだが、同時におかしくなって、くすくすと笑い出した。
「ひどいや。真剣なんですよ、ぼくは」
「すまん、すまん。あんまり真面目に、きみが『償い』がどうとか言うから、ついおかしくなったのさ」
「ぼくには、その資格がないと?」
「いいや、その必要がないと言ってるんだ。きみはもうとっくに、償いをすませているじゃないか」
「ぼくが、すませている?」
「そうだ。さっきあの地下のホールで、いまいましい将軍の前に飛び出して、あいつの弾丸を受け止めた時にさ。わたしには、ああいう芸当はできっこないな」
「あれはただ――夢中だったんですよ。誇れることじゃありません」
「いいや、たいしたことさ。立派だったぞ、B・J」
 ベリンスキーは影になったB・Jの顔をじっと見つめた。
 B・Jも見つめ返しているのが、ベリンスキーには感じられた。
 ややあって、B・Jが小さな声でつぶやくのが聞こえた。「神さま、お恵みを感謝します」
 ゲートの方から、タイヤのきしむ音が聞こえ、軍用ジープが一台、二人に向かって突き進んできた。ジープが止まると、銃を下げた兵士に護衛されて、年老いた軍服姿の男が降り立った。
「カルゲロプロス博士は、まだ下で大統領と電話会談をしている最中だ。細かい打ち合わせがあるとか言ってな。どうやら、あのクソいまいましいアラブ人どもが、一騒動やらかしそうなんだ。厄介なことだがな」
 ゴードンは訊かれもしないうちから答え、どちらとも目を合わせないように、そっぽを向いた。胸ポケットから葉巻を探り出して食わえると、
「さっきのことは、悪くは思わんでくれ。全ては国を守るためにやったことなんだからな」
「さっきのことというと?」
 と、ベリンスキー。
「つまり――ここでおまえたちが見聞きした、もろもろのことだ。あれは全て大統領閣下の命令で行ったことだが、作戦遂行上なされたことに関しては、俺個人に責任がある。だから許してくれとは言わんぞ」
 ルナチク市の警官は腕組みをすると、老軍人に向き直った。
「ゴードン将軍、何が言いたい?」
 ゴードンは葉巻を手でいじくり、しばらく黙っていた。
「ここは冷えるな。季節が変われば、少しは暖かくなるのだろうが」ゴードンはにやりと笑みを浮かべて、ベリンスキーをふり返った。「こんなことわざがあるのを知っているか? 『終わりよければ全てよし』」
「いいや、知らない。B・J、きみはどうだ?」
「さあ、聞いたこともありません」B・Jも調子をあわせた。
「そうか、二人とも知らんのか。そいつは残念なことだな」
 ゴードンは肩をすくめ、誰にともなくうなずくと、
「とにかく、俺はここで起きたことについて、あやまるべきことは一切、たった今あやまったからな。これ以上は何も言わんぞ。以上だ」
 ゴードンは葉巻を食わえ直し、従卒の兵隊にうなずいて、さっさとジープの後部座席に乗り込んだ。
 ジープが走り去るのを眺めながら、B・Jがつぶやいた。
「何でしょう、今のあれは?」
「やっこさん、あれで償いをしたつもりなのさ」
 ゴードンについての発見がおかしくなったのか、ベリンスキーは小声で笑い出した。「あれでなかなか、見所があるじゃないか。きみはあいつを許してやれるかね?」
「ぼくが? 許せるかですって? とんでもない! あの男のせいで、殺されかかったんですからね! 百万ドル積まれても、ご免蒙 (めんこうむ) りますよ!」
「それでも、ああしてあやまりに来たんだ、立派なものじゃないか。わたしなら、あんな真似は、金輪際 (こんりんざい) できんと思うな。あいつやわたしのような老いぼれにでもなったら、なおのことさ」
 その時、二人の頭上で声が聞こえた。「やれやれ。やっとこさ、サインが済んだわ」
 ベリンスキーが見上げると、ケープをたなびかせたリリーが、二人のすぐそばのアーク灯の上空をふわふわと漂っていた。
「いつからそこにいたんだね、リリー?」
「今しがたからよ。あなたが将軍に向かって、『そんなことわざは知らない』って言うところから。あきれちゃう! 二人ともシェイクスピア劇の題名を知らないなんてさ。眼鏡の偉い人に解放されて、やっと出て来られたのよ。あいつとジープに乗らないかとも誘われたけど、まっぴら! 誰があんなゲジゲジ野郎なんかと!」  リリーはジープの去った方向に思いきりしかめ面をした。
「それでもあのジープには、ちょっと乗ってみたかったけどな。あんなの、乗るチャンスはなかなかないでしょうしね。“下”からここまで上がってくるだけでも、重労働よ。秘密保持誓約書や何かで、二十枚以上の書類にサインさせられていたのよ。ひょっとしたら、違法の通信販売の契約書が、一枚くらいまじっていたかもしれないわ。たとえそうでも、わからなかったと思うわ!」
 リリーは張り詰めた風船のように、元気いっぱいに見えた。
 ベリンスキーのみぞおちが急に痛み出した。痛みはかぎ裂きとなって、心の中に見えない傷を残した。
 自分はゴードンと同じくらい年をとってしまったのだと、ベリンスキーは強く感じた。
 口には出さなかったが。
「ねえ、あなた。勇敢な記者さん! さっきはどうもありがとう! あなたは今夜のことを――リリーのことを――やっぱり記事にするつもり?」
「いいや! そんなことはさせないよ! 誓って、断固、金輪際、そんなことはさせないよ!」ベリンスキーが叫ぶ。
「本当? リリー、信じてもいいの?」
「もちろんだとも!」と、ベリンスキー。
「よかった! あなたは命の恩人ですものね! 嘘はないわよね? そうだわよね?」
 口ごもったB・Jになりかわり、ベリンスキーが返答する。
「嘘はないとも! その証拠に、かれもわたしと同様、ここで見聞きしたことについては、他言は一切しないという誓約書に、サインをさせられてきたばかりなんだから! なあ、B・J?」
 若者は照れたようにうつむいた。
「よかった! あん畜生のおかげだと思うと、いま一つ喜べない気もするけどね!」
 リリーが空中に浮かんだまま、B・Jに片目をつむってみせた。
 B・Jはその姿を、惚れ惚れする思いで見上げた。
 吹き抜けた風が巻き毛の金髪とケープをなぶると、リリーはその瞬間すごく美しく見えた。
「これからどうするつもりだい、リリー? この基地を出たあとは?」
「わからない! まだ考えてないわ、ロジャー! とりあえず《隠れ家》に戻って、片づけとお掃除をしなくちゃ! だいぶん長いこと、帰ってないんだから!」
「そいつはいい思いつきだ! そのあと、わたしの家をお客として訪問しちゃどうだい? きみとB・Jと二人でさ・・何な ら未来の養女候補と、その後ろ楯兼付き添いとしてさ!」
「また、そのお話? リリー、勘弁してほしいな! もう、うんざりよ!」
「何のことです、警部?」
「知りたいかね? 話してやってもいいが――リリー、かれに話してやってもいいかね?」
「駄目よ! 少なくとも、わたしのいるところではね! 話すなら、わたしの聞こえないところでやって! だけど、わたしは地獄耳だから、気をつけてよね!」
「何なんです、養女なんとかって?」
「実を言うと、あの子とわたしは以前から・・」
「ほら、始まった! わたしはひとっ飛びして、月におやすみを言ってくるわ! さよなら!」
 ベリンスキーは笑い出し、リリーの姿が星空に消えるまで、B・Jと二人で見送った。





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