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ドブネズミやゴキブリ、シロアリといった人類の天敵が、思わぬところに繁殖し、駆除するそばから増えて、いっこうに根絶やしにはされないように、街にもさまざまな種類の害獣が棲息していた。 そんな愉快な鼻面の持ち主が、ルナチク市のはずれ、メインストリートと九十五号線の交差する角から、鉄道の高架橋の真下にかけて広がる、落ちぶれてひとけのないゴーストタウン――通称《身投げ横丁》とも《首切り小路》とも呼ばれる一角の、崩れかけたアパートメントの地下室にも潜んでいた。 ドブネズミのリーダー、通称〈マーキュリー〉は、椎間板ヘルニアと引き換えに隊歴を退いた将軍並みに、ずらりとそろった前科者の勲章が、褐色の首から筋肉質の肩にかけて、これ見よがしにぶらさがっている、街の悪党だった。 かれは八歳の時に、アパートの管理人の老婆を手持ちのバタフライ・ナイフであの世に送ったのを皮切りに、出世するたび罪を重ねた。 かれは才能があり、運も良かった。で、行き着くところは、ドブネズミの仲間入りというわけだった。 「おい、ケトルベリー! バンビ! いねえのか! ケトルベリーよ! ケトルベリー! デブ公! 返事ぐらいしやがれ!」 奥のキッチンから粗末なエプロンをかけ、人なつこそうな黒い目をぱっちりさせた、プエルトリコ系の伊達男が現われる。 シルクのシャツに花柄模様のニット・パンツをはき、オーブン用の耐熱手袋をはめた両手で、レンジから取り出したホットプレートを握りしめている。 「呼んだ、ボス?」 〈マーキュリー〉は顔をしかめた。「〈バンビ〉さんよ、売れ残った処女のフラミンゴみてえな声を出すんじゃねえよ。それより――てめえ、何をいたぶってやがるんだ?」 「いたぶってるんじゃないのよ、あっためてるのよ」 男はプレートに並べられた、ウエハースみたいな小片の行列を見せた。 「何だい、それは? 食えるのか?」 「無理よ。お菓子みたいにスイートで危険 (ホット) な、ICチップちゃんだけどね」 〈バンビ〉はピアスをした両耳をうごめかすと、まつげを震わせ、またウインクした。 〈マーキュリー〉が恐る恐る指を伸ばすと、 「だめよ。尻軽女のあそこみたいに、アツアツ。火傷しちゃうから」 「おめえ、そいつを『危険』(ホット) だなんて抜かしやがったな。そいつはどういう意味なんでえ」 「うふっ。知りたいの? 今そこで、電子レンジのマイクロ・ウェーブを、おちびちゃんたちに浴びせてたのよ。そうすると、このチップちゃんたちの配線ががたがたになって、使い物にならなくなるわけ。頭が半馬鹿になったチップちゃんたちを、普通のチップちゃんたちに混ぜ混ぜして、正規のルートで安く横流し。このチップちゃんたちを埋め込んだハイテク製品は、軒並みパー。半馬鹿のチップちゃんたちを埋め込んだ製品て、それこそ天文学的なんだから」 「天文学的ね。ふん」 「その製品がおしゃかになってしまえば、買った人は仕方がないから、壊れたのをポイして、また買おうとするでしょ。そうなればチップちゃんたちがまたまたさばけて、あたしたちは、大儲けできるわけ」 「そんなに簡単にいくと思うのかよ? 第一、そんなチョンボの故買屋なんて、いると思うのかよ」 「ところがいるのよ。あたしに結構な心あたりがあるの。あたし、その人ともう話をつけてあるのよ。この子ちゃんたちも、お試しの試供品に焼いてあげてるの」 「そう、うまく運べばいいがな――」 〈マーキュリー〉が言いかけた時、あわただしい物音がして、ひとかたまりもある人間の肉の山が、転がり込んで来た。 「おおい、ケトルベリーさんよ! 遅えぞ! どこへ行ってやがったんだ!」 〈マーキュリー〉に怒鳴られた、やかん腹というニックネームの男は、目をしばたたかせて二人を見ていたが、 「あらあ? ぼくちゃん、何かいけないことをしたかなあ?」 「馬鹿野郎! てめえ、めしを買いに行くって出てったきり、どこまで行ってやがったんだ、このどあほう!」 「だ、だ、だってさ、い、いつも、い、行く店が、か、改装中でよ。エ、《エジンバラ・ヘブンリー・チキン》は、あ、あすこしか、な、な、ないしよ。し、仕方ないから、と、と、隣の街まで歩いてって――」 「買いに行ってたって言うのか?」 〈ケトルベリー〉はうなずいた。 「やつらに見つかったらどうするんだ、このドジ!」 「あ、兄貴の昔の仲間にかい?」 「決まってんだろ!」 「でもよ――」 「でもも、クソもあるか、この、すっとこどっこいの間抜け野郎! 能無し豚のクソのかたまりの詰め物野郎! ドジの肉団子野郎! ミミズの赤ん坊ほどの脳味噌もない、脳たりんの雌ゴリラ野郎! さそりとピクルスの入った、うまくもねえハンバーガー野郎!」 〈ケトルベリー〉は震え出した。 〈マーキュリー〉はため息をついた。「もういい。早くめしにしようや」 「うん。ありがとな。兄貴、ありがとな」 〈バンビ〉が湯を沸かして運んで来ると、〈マーキュリー〉は、冷蔵庫から取り出した罐ビールをがぶ飲みし、〈ケトルベリー〉は、買ってきたオレンジ・ジュースを、ペットボトルからぐびぐびと飲んだ。 食事がすんで人心地がつくと、〈マーキュリー〉がしわくちゃになった新聞紙を、ポケットから引っぱり出した。 「それは、兄貴?」 「あっ、ひょっとしたら、業界紙でしょ?」〈バンビ〉がマリファナ煙草を吹かしながら、煙を天井に吐き出した。 「違わい。こいつを見ろ。『世紀のスクープ! 噂の幽霊戦士は実在した!!!』こいつを見て、何か思い出さねえか?」 「おいらは、何も思いださない」 「あたしも、何も思い出せない」 〈マーキュリー〉が目玉をひん剥いたので、〈ケトルベリー〉は何か言わなくちゃと思ったらしい。 「わかった! ハロウィンの仮装だ」 「馬鹿野郎! こいつだ。俺たちがとっ捕まった、へまの仕掛け人だ」 「へまって?」 〈バンビ〉は肩をすぼめ、〈マーキュリー〉はため息をついた。「なあ、〈ケトルベリー〉さんよ。おめえさんの脳味噌には、食い物のことっきりねえのかよ?」 「わかったわ。あの時、誰かがあたしたちの乗ったバンをつかまえて、おまわりのいる中庭に運んだけど、それが誰の仕業かってことでしょう?」 「そうよ。あん時、俺たちはブツを運んで逃げる途中、バンが浮きやがって――」〈マーキュリー〉は咳払いをした。「と、ともかく、警察 (サツ) からここに戻ったあと、さんざん話しあって、てっきり〈クールデン〉の連中が、俺に横槍を入れるため、ああしたんだと結論を出したよな。まさかとは思ったが、こいつらの仕業だったんだ。まあ、聞けや」 〈マーキュリー〉が記事の中味を、つっかえつっかえ読みあげた。 「どうだい? これでピンとくるだろう?」 「何がだい? あ、痛っ」 「つまりボスは、記事のそいつが、あたしたちを公道から警察の中庭まで、運んだって言いたいのね?」 「そうよ。こいつらは、何者なんだと思う? 意見はねえか? 〈バンビ〉?」 「そうよねえ。市民のいたずらにしちゃ大胆だし、警察のやったこととは思えないし、どこかの自警団にしちゃ、仕掛けが大げさ過ぎるわよね」 「その質問には、拙者が答えてしんぜよう」 「おめえに、そんなことがわかるのかよ、〈ケトルベリー〉さんよ?」 「おいら、なんにもしゃべってないぜ」 「おめえでなければ、誰なんだ? てめえか?」 「ううん」〈バンビ〉が首を振った。 「わしがしゃべったのだよ、皆の衆」しわがれた声がした。 〈マーキュリー〉が腰を浮かして室内を見回したが、地下室にあやしい気配はなかった。 「わははは。ここだ。ここだ。おまえさんたちの、すぐ後だ」 三人がはじかれたように立ち上がり、三つのパイプ椅子が同時に倒れた。 「あっ、あれは何よ?」〈バンビ〉が金切り声を張り上げた。 「なんだ、テレビじゃねえか」〈マーキュリー〉が、壁ぎわのサブマシンガンに目をやった。 「あなた、誰なの?」〈バンビ〉が緊張した時の、むずむずする声で言った。 床に置かれたポータブル・テレビの液晶画面に、こうまで老衰した人間がいるだろうかという、青ざめた、気味の悪い、黒いマントの年寄りが映っていた。 背後で気配がした。三人がふり返ると、くだんの老人が立っていた。 「これで結構ですかな?」 閃光と轟音がこだまして、火薬の煙が充満した。〈マーキュリー〉と、遅れて〈バンビ〉が、壁に立てかけてあったサブマシンガンと、ショットガンを手に取り、銃弾を老人に浴びせかけた。 弾丸を撃ち尽くして、二人が顔を上げると、室内に立ちこめた煙が、マゼラン星雲のミニチュア版のように、ゆっくりと漂った。煙の向こう、何億光年の彼方に老人が立っていて、にやにやと笑っていた。〈マーキュリー〉が銃身の短いセミオートマチックのウジを、ベルトから引っこ抜いた。 「やめよ――聞こえなかったのか――やめよ!」 〈マーキュリー〉がびくっとした。〈バンビ〉と〈ケトルベリー〉も、度肝を抜かれた。 「そうだ、それでよい。おまえたち、腹ごしらえはすんだのだな?」 「誰だい、てめえは? 何の用事があるんだ?」 「まあ、座れ。立っていたのでは、話ができんでな」 「けどな――」 「座れ!」 三人は――〈マーキュリー〉までもが、その場で飛び上がった。 三人がテーブルに収まると、老人は目を細めて、ドブネズミどもを眺めた。 「おまえたちと話をするため、わしは来た。おまえたちの言う『耳尻話』じゃ」 「『耳寄り』でしょ?」 〈バンビ〉が口をはさみ、〈マーキュリー〉と〈ケトルベリー〉からも睨まれた。 「ともかく、その耳寄り話じゃ」 老人はマントから手を差し出した。三人はのけ反り、元に戻った。 「見よ!」 ばね仕掛けのおもちゃのように、三人はその方を――干からびた棒きれのような腕の伸びた方向を見た。 床に置かれたつけっ放しのテレビに、面白くもない代物が映し出された。どこかの大通り――デイモン・ラニアン中央記念通りだとわかった――を一台のバンが暴走していた。カメラは――カメラで撮影されたものだとしたらだが――どういう方法でかバンの前方に移動して、とり憑かれたようにハンドルを握りしめている、太った男の眼球をクローズアップにした。 「あっ、おいらだ。あっ、兄貴と、〈バンビ〉もいる!」 「本当。ひどい顔」 「気に食わねえな」〈マーキュリー〉がつぶやいた。 「ごめんなさい。あれ何を隠そう、あたしなのよ。押し込んだデパートのおもちゃ売り場に、あんなマスクしかなくてさ。フランケンシュタインのモンスターなんて、あたしの柄じゃないんだけど。だって、大昔のテレビに出てくる、エド・サリヴァンみたいじゃないの」 「おめえは黙ってろ」 優男は〈マーキュリー〉の言葉に肩をすぼめた。 テレビではあいかわらず、バンが暴走している。中央記念通りには車やトラックが走っていたが、バンの勢いに恐れをなしたのか、後方へと流れるように消えて行った。バンの後ろからひらひらする白い物が現われ、あっという間に、車体の後部に廻り込んだ。車はそのまま浮かび上がった。 カメラが切り替わり、見慣れた市警察本部ビルの中庭が映し出された。バンがふわふわと中庭に降り、警官たちが駆け寄ってくるところで、ショーは終わった。 「これより先は見るまでもなかろう。これがおまえたちを見舞った、先日の一部始終じゃ」 「すごーい! 撮影してたのね! カメラがあるなんて気づかなかったわ」〈バンビ〉が無邪気な声を上げた。 「気に食わねえな」〈マーキュリー〉がつぶやいた。 老人は愉快そうに〈マーキュリー〉を見やった。 その顔に形容し難い痙攣が、一瞬走ると、 「これのどこが耳寄り話なんだい、爺さん?」 「ふん。さきほど、おまえたちが話しておったろう。ほれ、こいつのことじゃ。おまえたちが、《幽霊戦士》とか《天使》とか呼んでおる輩のな」 粗末な合板を張ったテーブルの上の新聞が、ふわりと浮き上がって、老人の手に収まった。 「わしは、これが誰なのか、知っておるんじゃよ」
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