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リリーがふり返ると、いつの間にか真後ろに来ていたゴードン将軍が、鈍く光る銀色の拳銃を握りしめ、リリーを睨みつけていた。 「あら、あなた、生きてたの? 残念! おめでとう、ゲジゲジ将軍。てっきり、ネズミちゃんたちに食べられちゃったとばかり思ってたわ。そればかりは幻でないとよかったのに。もっとも、共食いになるから、あなたを食べるのだけは避けたのかもね、ネズミたち」 「何をくっちゃべってる! 黙れ! それ以上言うと撃ち殺すぞ!」 「将軍。あんたは、まだそんなことを――」 「ブチンスキー、おまえの言いぐさは聞かん。俺は俺の流儀で、ことを裁いてやる。リリー、貴様はやっぱりエイリアンだったのだな。大統領やお偉方が何と言おうと、貴様は怪物だ。合衆国の敵、いや、全人類の敵なのだ。そして全人類の敵は、今ここで、この俺が、きれいに始末をつけてやる!」 次の瞬間、いろいろのことがいっぺんに起こった。 リリーが記憶していたのは、耳をつんざく銃声と、自分の口から飛び出した悲鳴、ベリンスキーかゴードンが――ひょっとしたら二人が同時に上げた叫び声が、聞こえたことだった。 ジャケットをはおり、サスペンダーつきのコーデュロイのズボンをはいた若い男が、目の前でうずくまるように、ゆっくりと倒れた。 「B・J!」リリーの口から男の名前が飛び出したことに、リリー自身が驚いていた。「B・J! B・J!」 青年は即死してしまったのか、ぴくりともしなかった。 「馬鹿なやつだ。自分から火線に飛び出して来おって」ベリンスキーがリリーの背後から飛び出して、倒れている青年に駆け寄るのを見ながら、ゴードンはリリーに狙いを定めた。「覚悟しろ、天使。あの世で命乞いをしろ」 「待つんだ、将軍。それ以上の勝手な真似はゆるさんぞ」 「おや、誰かと思ったら、カルゲロプロス博士。ご無事でしたか。眼鏡がずり落ちそうですぞ」 「皮肉はやめたまえ。そして銃を下ろすんだ。これは命令だ。きみの役目は終わったのだ」 「何を言われるのですか? 頭がおかしくなったのですかな? わたしは今からこの娘を処刑します。その気があるならば、オブザーバーとしてお立ち合い下さい」 「聞こえなかったのかね? わたしはやめろと言ったのだ。大統領命令だぞ」 その場にいた誰もが動きを止めた。 将軍の目が、ゆっくりと補佐官をふり返った。「誰の命令ですと?」 「聞こえなかったようだね。大統領閣下の命令だ。わたしは今ここに、大統領みずからしたためた親書を持って、出席しているのだ。いわば大統領閣下の臨時代理として、特命全権大使としてだ」 カルゲロプロスは、ホールにネズミが押し寄せる寸前まで手にしていた、あの公用封筒を取り出した。手紙はカルゲロプロスの手の中で多少たわんでいたが、大混乱があった割りには、きれいに保存されている。 「何が書いてあるのよ?」 「何が書いてあるのです?」 リリーとゴードンが同時に訊いた。 「見たいかね、二人とも?」 「ふざけないでよ。さっさと読ませてくれないと、あんたたち二人を、この場で引き裂いちゃうから!」 ゴードンも冷たい目で政治学者を見つめた。「つまらないポーズを作るのはよしていただこう。クソったれの映画スターどもが集まった、アカデミー賞受賞式じゃないんですぞ」 「すまん、すまん。さっきのスペクタクルに、つい興奮してね。それはそうと、ここにあるのは大統領からきみあてへの提案だ。リリー、一つ自分の目で確かめてみたまえ」 「開けてもいいの?」 「どうぞ」 リリーは緊張のあまり、震える指先で封蝋をこじ開けた。国璽 (こくじ) が押されたホワイトハウスのレターヘッドが現われる。 「あら? オスカーの行く先が書いてないわ! この手紙、いんちきよ!」 「ふざけないでおくれ。きちんと一言一句、目を通しなさい」 リリーは細かく打たれたタイプ文字を読んでいった。 「まあ! まあ! まあ! これは、一体――まあ! まあ! まあ! まあ!」 「何て書いてあるんだね、リリー?」 ベリンスキーがB・Jから目を上げた。 「わたしがかわって答えよう。これは大統領閣下から彼女にあてた公式の提案書だ。この中で大統領閣下はこう言っておられる。彼女――すなわちきみだがね、〈天使〉――もしも、きみがこの国に平和裡にとどまり、星条旗と合衆国憲法に忠誠を誓い、合衆国の法律に従って生活すると約束するならば――アメリカ合衆国政府は、一市民としてきみがこの国に永住できるよう、あらゆる手段と便宜を講じる用意がある」 たっぷり十秒は沈黙が続いた。 「今、なんて言ったの?」 カルゲロプロスがリリーに繰り返した。 「それって――つまり――つまり――」 「それはつまり、きみを、わがアメリカ合衆国の一員として、歓迎しようという意味だよ」 「そして、それはつまり、わが国がおまえに降参するということだ。このクソいまいましいちびのガキに、わがアメリカ合衆国がおめおめとひざまずき、白旗を掲げて降伏しますというわけだ!」 ゴードンは激高して、カルゲロプロスに詰め寄ると、 「この国のお偉方一同は、うちそろって、このちびのクソガキに、お情けを乞うつもりなのですか!」 「言葉を慎みたまえ。ここの会話はホワイトハウスとペンタゴンに中継され、記録をとられているのだぞ」 「はっ! 記録をとられているですと? 言葉を慎めですと? はっ! はっ!」 ゴードンはいらいらと行ったり来たりを始めた。 「いいですか、博士。よくお聞き下さい。あなたは大変な思い違いをなさっておられるようだ。われわれが現在、ここで直面しておる事態とは――いいですか、博士、これは戦争なのですぞ。われわれはこの畜生みたいな小娘と――ここにいる、この頬をふくらませて、シマリスのようにわれわれを睨みつけている、この一人前以上のパワーを持つ小娘のクソガキとわれわれは、戦争をしているのですぞ!」 「そして、その戦争を永久に終わらせる切り札を、大統領閣下は提示しておられるのだよ。しっかりしたまえ。きみにはわからんのかね?」 「わかりませんな。いえ、わかりたくありません!」 「それは遺憾だね。大統領閣下は、最終的な判断を、前もって下されていた。これは事実上、われわれ政府の最終決定と思ってもらいたい。きみにもリリーにも、そしてここにいる全員にも、そのことを理解してもらいたいものだ」 老将軍は口をぱくぱくさせて、まだ言い続けることがあると示していた。だが何を言えばいいのか思いつかず、白髪頭をかきむしると、目玉をぎょろつかせながら、行ったり来たりを繰り返した。 言いたいことが見つからないのは、リリーも同じだった。 リリーは青い目を見開いて、ベリンスキーの視線をとらえると、わたしは正気なの、夢を見ているのと問いかけるように、眉を上げたり下げたりした。 「どうしたね、リリー。何か言うことはないのかね?」カルゲロプロスがリリーに訊いた。「わたしはこの件に関して、大統領閣下から、特別の権限を付託されているのだよ。この件に関しては政府のトップレベルが――むろん司法省と移民帰化局も含めて――すでに承認済みだ。きみがこの提案に同意して、ここに添えられた文書にサインをすれば、大統領閣下はきみに特別の恩赦と恩典をあたえ、この時点で、きみがわが国に示してきた数々の不法行為を水に流し、合衆国市民としての権利と、人権の保護に関しアメリカ合衆国が全世界に約束してきた、すべての恩恵と利益とを与えるつもりだ。言い替えるならば、きみは今後、永久かつ絶対に、自由の身になるわけだ」 カルゲロプロスは手紙をのぞきこんで、中の一節を指さした。 「ほら、ここにそのことが触れられているだろう? これは合衆国憲法、第二章、第二条、第一項の後段、“合衆国大統領の恩赦の権限”に関する条項に基づいて、大統領自身の意思で決断されたものだ。『また、彼――大統領のことだがね――は合衆国に対する犯罪について、弾劾の場合を除くの外、刑の執行の延期、及び、恩赦を行うの権限を有する』」 しばらく黙っていたあとで、リリーはため息をついた。 「ふう! これって、まさに、びっくりトカゲよね (リーピン・リザーズ)!」 「うん? 何だって?」 「いいの。こっちのことよ。わたし、なんだか感激しちゃった! でも、ちょっとひっかかるところもあるわ。『合衆国に対する犯罪について』という箇所など、特にね。それって、わたしを犯罪者と決めつけていない? でも、それはそれとして、わたしはあなたに感謝すべきなんでしょうね。もちろん大統領閣下にも」 「それでは承知してくれるのかね、リリー?」 「ううん、まだわからないわ。でも・・・・」 リリーはベリンスキーをふり返った。ベリンスキーは、愛娘を見やる世の父親がそうであるような目つきで、リリーを見つめていた。ベリンスキーのくちもとが笑みを作ると、リリーも自然と微笑んだ。 リリーはうなずいた。 「わたし、決めたわ。アメリカ人に――この国の人間になることに決めます」 「べつだん、今すぐに決めなくてもいいんだよ。なんだったら、ホワイトハウスとの回線がつながるのを待って、もう一度大統領自身の口から、この提案を切り出してもらってもいいんだからね」 「ご親切に。でも、いいんです。わたし、決断したんですよ。それに、大統領の顔を見たりしたら――かれの口から同じことを聞かされたりしたら――わたし、よくよく考えもせずに、はいはいと聞いちゃうと思うんです、大統領のプレッシャーに負けてね。だから、あの人が見えない今のうちに、自分の心に正直になろうと思うの。わたし、決断します。絶対に後悔しません。神様に誓います! 二度と飢えに泣きません!」 リリーが拳を固め、空中に向かって突き上げたので、補佐官もベリンスキーも、ゴードンすらもが度肝を抜かれ、顔を見合わせて、目をぱちくりさせた。 「やれやれ、それって『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーのせりふじゃないか」 すぐ近くから間延びした声が聞こえ、B・Jがもぞもぞと起き上がった。 「きみは前にもあの映画のせりふを、ぼくに言わなかったかしら? それともクラーク・ゲーブルの方だったかな? あれ? 皆さん、どうかしたんですか? ぼくの顔に、何かついてますか?」 「あなた、死んだんじゃなかったの? わたし、あなたが飛び出して――撃たれて――あなたはてっきり死んだのかと思ってたわ!」リリーが叫んだ。 「へえ、ぼくは撃たれたんですか? ちっとも覚えてないけど」 「どこも何ともないのかね?」 ベリンスキーが、運命的なものと滑稽なものとを感じて、訊いた。 「ええ――どうも――そのようです」 B・Jは、ジャケットの左胸に、うずらの卵大の穴が開いているのに気がついた。 無言で上着の内側に手を差し込み、一同の前に、ひしゃげたロザリオと防弾聖書を取り出す。 「それは、何?」 「――ロザリオに・・・防弾聖書だ。きみにわたすように、角の教会のロドリゲス神父に頼まれたやつ・・・・」 B・Jの声は、鉄板を貼った聖書の、焼け焦げをともなった表面の穴に気がついて黙り込んだ。 聖書をおそるおそる開くと、紙のあいだから、まだ熱い潰れた金属の固まりが一つ、床に転がり落ちた。 「そいつはわしのだ。こいつの弾丸だ」 ゴードンが手にしたコルト・ガバメントを、一同にふりかざした。 「いつだったか、女たらしのクソいまいましい、元わしの同僚を制裁するために、コレクションから選んだ銃だったが、あの時もしくじったもんだった。まったく、ついておらんわい」 「あら? でもないでしょ? この人にとっては、幸運だったんじゃないの。ねえ、B・J?」 B・Jは気絶していた。 リリーはふり返ったまま、肩をすくめた。
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