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作品名:マイティーリリー 作者:zamazama

第50回   50
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 レスター・ヘイシーの手紙 (続き)。

「軌道をはずれた月が、引力に引かれて落ちて来た時、この惑星の表面が受けた影響のことごとくを、わたしの筆であらわすことは到底できかねる。それは聖書にある天変地異を、紙の上であまさず語れというに等しい。
 海は荒れ大地は引き裂かれ山々は沈み、谷が盛り上がってあらたなる山を形成し、それが一晩のうちにまた沈んだ。世界のあちこちで潮が引き、海岸線は乾いた大地となり、津波が押し寄せて大陸を内側まで飲み尽くし、生きとし生けるものは、あるものは溺れ死に、あるものは仲間を見捨てて逃げ出し、またあるものはあなぐらに隠れて、異変の過ぎ去るのを待った。
 月が夜毎日毎に迫ってきた。まるで死を告げる悪魔の顔 (かんばせ) のように。
 大地はとてつもない変貌を遂げた。地球が太陽のまわりを一周する、そのわずか四分の一にも満たない月日に。ついに月が大気の層に突入した日、衛星は炎を上げて三つ乃至四つに分裂し、大空に鮮やかな虹色の尾を引いて、空中を横切って行った。それは、その時地上に生を受け、空を見上げていたあらゆる種類の、幾百、幾千万もの生き物たち全てにとって、信じられないほど緩慢な、永久に目と心に焼きついて離れない光景と映ったことだろう。虹色の尾は大きな蛇のように長く長く伸びて天空を覆った。そしてそのさまを、全世界の人々が目撃したはずだ。
 やがて月が海に落下した。一部は地面にも墜落しただろう。その衝撃が全土に走り、地震波となって、世界各地に伝わっていった。
 月落下の衝撃は、気の毒な島大陸ポセイドニスの全ての活火山をいちどきに噴火させ、都市の空は噴煙で覆われ、土石流や飛び散った噴石が建物を破壊し、逃げ惑う人々を容赦なく打ち殺した。山が陥没して、谷は崩れ、水が引いた港では軍船や商船が横倒しになり、人々は脱出の手立てを失った。最後に大洪水が――ノアの大洪水もかくやと思われる大洪水が、島大陸の真上に襲いかかった。海の水は怒り狂った神の拳のように盛り上がり、海岸線から二十マイルの内陸に広がる全ての文明を、容赦ない一撃のもとに打ち砕き、飲み込んでしまった。事実上、その時までに人類が作り上げていた、ありとあらゆる文明を。
 そしてアトランティスを含む全ての島々は、一日と一晩で滅んでしまった。あの大いなるプラトンの遺せし二巻の書物『ティマイオス』と『クリティアス』に記された通りに。
「・・・斯 (か) くしてアトランティスは滅び去った。否アトランティスだけではない、全世界のあまたの諸文明がいちどきに崩壊したのだった。月落下の衝撃は全地上を覆い尽くし、地震と火山性爆発は、陸地の人間のことごとくを打ち倒し、大津波は諸大陸を飲み干した。《前アトランティス時代》の文明の痕跡が、現在一つも残っていないのは、そのためかも知れない。
 この時の文明崩壊の恐ろしさと凄まじさ、全地を襲った悲惨、阿鼻叫喚、灼熱と火炎地獄の惨劇の極み、大量虐殺と溺死の記憶は、長らく人類に受け継がれ、全地上を押し流す神の怒りの洪水として、諸大陸の民族の神話伝説に今も残されている。中でも最も有名なのは、言うまでもなく旧約聖書に記された、ノアの箱舟伝説の洪水だが、文明を滅ぼし去った大洪水の伝説は、何もユダヤ・キリスト教やイスラム教などの、経典文明世界に限った専売特許ではないのだ。
 シュメール文明やアメリカ先住民族の言い伝えを始め、ギリシャ、ローマ、インドやエジプト、ペルシャや中国に至る世界各地にも、同じような伝説や伝承が残されているらしい。わたしはその種の知識や学問の専門家ではないから、詳しいことはわからぬが、学者の中には、かつて世界を覆う巨大な津波が実際に人類に襲いかかったことがあって、生き残ったわずかの人間たちが世界各地に散り散りばらばらになったあとも、その時の出来事を民族的記憶として、伝え続けてきたのではないかと主張する向きもあるらしい。貴君の時代には確かなことがわかっているやも知れぬ。わたしとしては夢で告げられた出来事を忠実に、嘘や空想を交えずに書き綴るばかりだ。
 さて、ところで、わたしは小学校の頃こそ優秀な学徒であったが、長じて学問の世界とは相いれぬつむじ曲がりの性向が頭をもたげ、正統な学問を身につけるまでには、ついぞ至らなかった。そのためわたしの異常な能力の原因を、その貧弱な基礎教育に求める向きもある。つまり、からっぽの脳みそのすき間に、老婆の迷信めいたたわごとが入り込んだという寸法だ。
 わたしとしては学者の教える学問のみが、唯一の正当な学問であるとは考えにくい。もちろん研鑽を積んだ学者諸氏の地道な学理探究が、世界に理性と合理主義の狼煙をかかげてきたことは確実で、さもなければ、我々人類は迷信という名のお暗い洞窟の奥で、今日も名の知れぬ生き物の咆哮に怯えながら、自然の力と単なる物理現象を神と崇めて、その日その日をあてもなくおののきつつ、無為に暮らしていたことであろう。まことに科学と理性と合理主義精神は、世に比類なき素晴しきものであることは確かなことだ。
 だが光の明るい部分には、一層それだけ暗い影が生じることもまた事実だ。科学と理性と実証主義が世界をくまなく照らすほど、それが生み出す恐怖と敵意、憎悪と迷信と戦争の闇とはいやましに暗さを増して、今や全地上を覆うばかりに見える。ニュートンとエジソンとアインシュタインを生んだ科学は、ダイナマイトや戦車や毒ガス兵器を生んだ、死の科学でもあるのだ。
 かかる異常な独裁的野心の台頭 (神よ、欧州と全世界に慈悲を! わたしは迷信と恐怖と冒涜のかがり火が、欧州やアジア各国を覆い尽くし、今や全世界を燃やし尽くさんとするところを夢の中でしかと見た) の一切を科学のせいに帰することは、科学に対するいわれなき冒涜、はたまた侮辱と映るかもしれない。だが、わたしと――そして今やこれを読んだ貴君も――世に言うところの科学的批判精神と合理主義精神と合目的的性に裏打ちされた真の主知主義 (知性とも言う) の生み出せし大いなる副産物としての、合理的科学的実証主義精神とやらが、いかに地上に正反対の物をも生み出す原動力、はたまた手段として用いられ得るか、そして現にわれわれのこの世に現われる遥か以前にも、世界が今と同じ過ちをすでに犯し、今また再び犯さんものと、『滅亡』(ほろび) へと至る道筋をたどっていることが、おわかりになったであろう。
 わたしの胸は今や悲しみと憂慮にふさぎ、体の調子もおもわしくはない。神はなぜわれらを見捨てたもうたのか (神がわれらを見捨てたのではない、われわれが神を見限ったのだという想念が、しつこく込み上げてくる)。われわれはなんと怒るに疾く、悟るに遅い、狡猾 (こうかつ) なる浅知恵と愚鈍なる弁解と詭弁 (きべん) なる精神と度し難い独善とに満ちた、愚かしくも嘆かわしい、恵み深き母なる大自然の生み落とせし、甲斐なき私生児であろうか。
 まだ見ぬ君、そして恐らくはこの世界では、一度もあいまみえることは、あるまい君。
 わたしは長々とアトランティスの滅亡にまつわる、夢の啓示について書いてきた。これはひとえに君自身のために、君自身の利益にならんがために、書き記したものだ。
 わたしはそうするようにと夢の中で、はたまた寝入りばなの夢とうつつのあいだをさまよう、あの『入眠時幻覚』として知られる半覚醒状態で、啓示を受けてそうしているのだ。啓示は胸の中に迫る強い予感として、また耳元でささやく小さな声として、私にもたらされた。
 特に強い衝動を、数ヵ月前の明け方に感じた。それはこの手紙の書き出しにも書いた通り、キリスト紀元の一千九百三十七年五月七日の金曜日のことだ。今は同じ年の七月の終わり頃である。思えばずいぶん日にちをかけて書いたものだが、この手紙にいくぶんかでも読みにくい箇所があるとすると、それはこの書き方の不連続性のせいだろう。それは決してわたしが無精したり、怠けたりしたためではないのだ。
 この手紙に書きつけるべきことがらは、いつもその都度その都度、夢や寝入りばなのかすかなささやき声で指示されてきた。啓示や導きは毎日あるとは限らないし、わたしのうかつさから聞き逃すことも度々あったりしたため、その度ごとにあらためて導きの訪れを待っていたために、こんなにも時間がかかったのだ。
 かくも摩訶不思議なしたためられ方をした手紙もざらにはあるまい。世間の人がこれを読んだら、わたしはさぞかし頭のおかしなやつと嘲られ、気味悪がられることだろう。だがわたしはそんなことはとっくに、今となっては慣れっこになってしまったので、そうなっても痛くも痒 (かゆ) くもないのだ。
 わたしはこの長すぎるほどの手紙を書き終え次第、封をして、個人的な諸々の事柄をまかせている、ある懇意の弁護士の手に委ねるつもりだ。わたしの代理人で顧問弁護士を勤めるカンザス州のウィリアム・バロウズ氏は、全身全霊をかけて信頼するに足る、実直にして高潔なる、篤実温厚なる人柄の御尽だ。きっとわたしの頼みを聞き届け、いいように取り計らってくれるだろう。
 わたしはこの手紙がきみの手に渡るように、手を打っておくつもりだが、必ずそうなるかどうかは神のみぞ知るだ。この手紙が、いかなる時代のいかなる人の手を経て、いかなる手段できみの手に渡るものか、しかとはわからぬ。わたしの《予言》の力すら、この疑問に答をよこしてはくれなかった。わたしの知るべき事柄ではなく、わたしには関わりのないことだからかも知れぬ。
 だが、わたしはある使命をこの世界で果たすべく、未知の力に使われる道具に過ぎぬのだ。わたしはそれでも満足だ。わたしはこの十数週間に及ぶ奇怪な体験から、きみがこの世の常ならぬ宿命を背負い、この世の常ならぬ役割と使命を担って、この地上に遣わされた人だと知っているからだ。
 わたしは貴君あてのこの手紙を代筆することで (これを代筆と言わずして何と言おう。この手紙の真の書き手は、わたしもその正体を知らぬ、ある最高存在だ)、いささかでも貴君のお役に立てるのならば、このうえもない喜びだ。この手紙がいつの時代にか、必ずやこれを読むべく運命づけられて生まれて来た人――他ならぬ貴君の手に渡るものと、堅く堅く信じて疑わない。なんとなれば、わたしにこの手紙をしたためさせた不可知の力が、貴君の行く手を見守り、その運命を、その人生航路を、その出発と終焉までの果てしのない道のりを、明るく、力強く、誤りなく確実に導くに違いないであろうと信ずるからだ。
 この手紙を書き終えるにあたって、わたしから未知の読者たる貴君へ、ある尊敬と崇拝と親愛と限りない憧憬の念を込めて、次の短き詩の一節を贈らせてもらおう。それはわたしのこよなく愛する詩人、英国生まれの、世に並ぶ者なき比類ない魂を持った、不幸にして偉大なる幻視者、かのウィリアム・ブレイクのものした詩の一篇だ。

わが誕生を司 (つかさど) りし、天使の言いて曰く――
 『小さきものよ、
   歓喜と明朗によりて作られしものよ、
  行きて愛せ、                 
   地上の何ものの援 (たす) けをも借りることなく』

 貴君の上に、主の導きと恵みと祝福と変わらざる守護と、絶えざる幸福の、雨の降るごとくあらんことを!
 さらば!!!
     
          時空を越えて、貴君の変わらぬ永遠の友たる
                          レスター・ヘイシー (サイン)」





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