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ハリケーンを観測していた気象学者や民間のアマチュア気象予報官、気象マニアたちは、そのあとで起きたことについて、いまだに議論している。 起きたこと自体は単純だった。国立海洋大気局ハリケーン・センターや、FEMA、各自治体の危機管理局、連邦航空局、民間航空会社、各研究諸機関の気象観測船や人工衛星、各種レーダーや観測機器が見つめる中、コンピュータ端末のディスプレイや、モニター装置の無数のスクリーンにとらえられていたハリケーンが――秒速二百フィートを越す暴風を奏でながら、ハリケーンにしてはごくゆっくりとしたスピードで被害を巻き散らしつつ、北北東に進んでいた超孥級のハリケーンが――突如だしぬけに、大西洋上で《消滅》したのだった。 勢力が弱まったのでも、熱帯性低気圧に変化したのでもない。文字通り消滅、消えてなくなったのだった。合衆国中が大騒ぎになった。天地開闢以来、絶えてなかった現象だ。 連邦航空局のレーダーが、ハリケーン消失の直前、航空機とは違う物体の影をスクリーンに補足していた。 報告によれば、謎の輝点はかなりの高速で、ハリケーンの中央にある“目”に飛び込み、ハリケーンの消滅は、そのわずか二十七分後に起きたのだった。 それと並行して、フロリダ沖を航行していた――実際には嵐の中でコントロールを失い、漂流していた――ニュージーランド船籍の貨物船 (二万五千トン) が、ハリケーンの消滅した海域に集中する、異様な船影の大群を目撃していた。 最初に駆けつけたのは、沿岸警備隊の三隻の小型巡視船 (カッター) だった。ものの三十分と経たないあいだに、巡視船が十二隻に増え、どこからともなく出現したおびただしい数の海軍のフリゲート艦や巡洋艦、二隻のフリゲート艦に護衛されて姿を現わした航空母艦一隻、それに貨物船の乗組員によると、見たこともない、はしけのようにひらべったい国籍不明の大型平底船が一隻、フェンスのようなレーダー・アンテナを回しながら、あたりの海域を埋め尽くした。 ニュージーランド船籍の貨物船は、一部始終を目撃することはできなかった。ハリケーンが無事去った (と乗組員たちは信じていた) 海上で、一大海洋パノラマ・ショーを見守っていた同船を、沿岸警備隊の巡視船が十隻以上で取り囲み、ある船員の言い種を借りれば、「ありったけの銃を突きつけて、有無を言わせぬやり口で」その場を退去させてしまったのだ。 貨物船の乗組員に、巡視船の艇長が無線で告げたところでは、ハリケーンに巻き込まれてこの海域で遭難した海軍所属の実験船を救出するためとのことだった。それにしては、その近辺で海軍の極秘実験が行われることを通告する、軍の船舶侵入禁止命令を事前に受けた覚えがないのが不思議だった。 もう一つ不可解なのは、はしけのような平底船に近寄ると、急にあたりにいやな気配がたちこめ、落ち着かない、苛立たしい気分がしてくることだった。貨物船に乗り組んでいたブラジル人の船員が言った。「あの船は、おっそろしくでっかい、低周波電磁パルスを出しているんでさあ。お袋のケツの一撃もかなわないほどの、でっかい出力でね。なぜかは知りませんが」 なぜかはわからないのは、平底船の航行をまかされた水兵たちも同様だった。かれらが知らされたのは、重要な任務を負った軍用機が、この海域のわずか縦横十マイル四方のどこかに墜落したので、捜索に出かけるということだけだった。 なぜ低周波を発する奇妙な船までが狩り出されたのか・・それも首尾よく最寄りの港から、軍用機の墜落を予想していたかのようなすみやかさで出動できたのか、まったくの謎だった。ましてや、その時彼方の宇宙空間から、三個のKH (キーホール) ・12衛星がその水域を監視しているとは、水兵たちは知るよしもなかった。 最初にそれを発見したのも、沿岸警備隊の巡視船だった。マーサズ・ビンヤード島の沖合い一・二マイルの洋上の、海面に漂うかなり異常な物体を目撃、連絡を受け、出動していた海軍の全艦船が集結した。 水兵たちが見守る中、特別編成の救出チームが、ゴムボートで水面に降り、まだ波の荒い海に漕ぎ出して行った。ゴムボートには各種機関銃で武装した海軍特殊部隊 (ネイビーシールズ) の隊員たちが、ボートの中央に背を向け周囲を固めていた。今にも敵が水中から押し寄せて来るのを、狙い撃ちしようと身構えるように。 しかし、いかなる種類の襲撃も起こらなかった。ゴムボートは全艦隊が見守る中、波間に漂うある物体に接近すると、洋上に浮かんだごく小さなそれを、先にかぎづめのついた棒でたぐり寄せ、難なく回収に成功した。信じられないくらい、あっけない任務の達成だった。 ゴムボートが艦船に戻ると、ボートの中味は防水シートと防護ネットで覆われ、貨物積み込み用のフックにくくりつけられ、電動ウィンチで甲板に吊り上げられた。水兵たちが後ろ向きに取り囲んで輪を作り、周囲の目から物体を隠し続けた。海軍所属のヘリコプターがうるさく飛び交い、一機の見慣れない陸軍の大型輸送ヘリが、陸地の方から飛来して着艦し、また、いずこへともなく飛び去って行った。 収容された物体は――救助されたと言う方がふさわしいかもしれない――海軍支給の防水シート一枚分に収まるほどの大きさで、大人の背丈ほどもないものだった。 ある兵士はあとになって、防水シートのまくれた端から、ブーツをはいた足らしきものが見えたと言った。 その兵士は、たまたま電動ウィンチの操作を手伝うため、甲板の司令官や上級将校たちのすぐわきにいて、防水シートにくるまった物体が担架に乗せられる瞬間、わずかにめくれたシートの下を見たのだった。 「ケネディ家の子供が沖へ出て、溺れたんじゃねえのかな」くだんの兵士は基地に帰ったあと、アルコールが入ったこともあって、つい余計なおしゃべりをしたのだった。「以前にもそんなことがあったんだろう、お偉いケネディさんの別荘が近くだから? 軍の秘密兵器なんかじゃないな。あれは人間――子供なんじゃないかと思うがね」 翌日、兵士の姿は基地から消えてなくなった。配置替えになったという痕跡も、その命令書すらも見つからなかった。軍に男が所属していたという、証拠そのものが抹消されていた。 それはそうと、航空母艦はかねてからの打ち合わせ通り、フリゲート艦数隻に護衛されて、フロリダ半島にある最寄りの海軍基地に急行した。沿岸警備隊の艦船はそれぞれの受け持ち区域に散らばっていった。《救助》という名目で拿捕されたニュージーランドの貨物船は、とある沿岸警備隊基地に連行されると、乗組員は全員拘束――というよりも軟禁され、軍関係者の厳重な取り調べを受けた。そして、あの海域では何もあやしいものは見なかったし、今後も見たと言い張るつもりはないこと、将来もこの件について他言はしないという誓約書にサインをさせられ、無罪放免となった。一方、同基地の秘密施設では、運び込まれた防水シートの下のからっぽのふくらみを隠蔽する芝居が、あいも変わらず続けられていた。 その頃、本物の物体を乗せた陸軍のヘリコプターは、操縦士と副操縦士、目深にかぶったヘルメットで顔を隠したゴードン将軍その人を乗せて、航空母艦を離れたあと内陸にある某基地へと急行し、そこからC・130輸送機に乗り換えて、コロラド州の山中にある巨大な軍事施設に向かっていた。輸送機後方の九十二人の兵員、もしくは十五トンの貨物が載せられるペイロードでは、一時間前、大西洋上で回収された物体が、手錠と足錠をかけられ、鎖で縛られて、ゴードンの足下のスチール製の檻に横たえられていた。 物体は長時間水につかっていた割には濡れていなかったし、表面も無傷だったが、ひどく衰弱していた。 実際、リリーは血の気を失い、見る影もなかった。 「かわいそうに、しおたれて、まるで意識がないな。どこで悪さをしてきたか知らんが、この際、自業自得だな。おまえはそう思わんか?」 ゴードンのおしまいの言葉は、機内に備えつけられた吊り椅子に、緊張した面持ちで腰掛けた、体格のいい黒人の軍曹に向けられていた。フォート・レントンでバハールと応戦したのとは別の軍曹で、海軍基地で別行動をとっていた副官にかわり、この場でだけ将軍の雑用をするようにと命令された、給与体系が低い割には、頭の回転の素早い兵士だった。 黒人の軍曹は面長の顔をこわばらせ、居ずまいを正した。 「何だ? 言いたいことがあるなら、言ってみろ」 「はっ」横目で自分より階級が上の兵たちを眺め、「自分はハリケーンが丸々一個消失したという話を聞きましたが、それは間違いないのでありますか?」 「うむ、間違いない。やめるな。続けろ」 「はっ。自分はハリケーンが消滅したのはこの子供――いえ、物体が関わっていたのではないかと、推測いたしまして」 「おまえがか? 面白い。続けろ」 「はっ。もしかしたらでありますが、ハリケーンはこの物体が『消した』のではないかと思った次第であります」 「ほう? なぜそう思った? 構わん。言え」 「はっ。自分が聞いたところでは、このブーギーは――」と、リリーを横目で見て、「――そうひどいことはせず、かえって困っている人間を救うのだとか。自分が考えますに、この娘――いえ物体は、ハリケーンがこれ以上、地上に被害を出すのを阻止しようとして、上陸途中のあれを消してしまったのではないかと――」 「そう考えるのか? これはまた、ずいぶんとお優しい見方だな、軍曹」 「はっ。ありがとうございます」 「おまえはアカだったことはあるか? もしくは、おまえかおまえ自身の身内に、共産主義者か無神論者でも抱えているのか?」 「はっ。ご質問の意味がわかりかねます」 「いまいましいテロリストか、スパイ活動を手伝う手先がいたのかと、訊いておるのだ」 「いえ、断じておりません! 自分は入隊時に、親族関係を調べられましたので」 「ふん。そんなことを訊いているんじゃあない。まあ、いい。俺もこいつの噂は聞いておる。こいつが犯罪者の逮捕に協力したり、下水に落ちた赤ん坊を助けたりしていることもな。だが、こいつがやっているのは、そればかりじゃあないんだ。皆も聞いておけ。機密事項なので詳しくは話せんが、こやつには合衆国に対する侵略と敵対行為の疑いが、目下かけられておるのだ。敵性国家やテロリスト集団が相手なら、《事実上の戦争状態》と呼ばれてもおかしくはない状況に、突入してしかるべきほどのな。 俺は何もこいつが憎いわけじゃない。だが大統領閣下の命令だし、祖国に害を及ぼす可能性のある敵を、みすみす放ってはおけまい? どうやらわかったらしいな。おい、軍曹。これでもおまえは、このちびすけを、今月のミッキーマウス・クラブのリーダー並みに、丁重に扱えとは言わんだろうが?」ゴードンはにやりと笑いかけたが、軍曹は前方を見つめたまま、微動だにしない。 「それに、もしもこいつがおまえの言う通り、本当にハリケーンを丸ごと一個、消してしまえるとしたらだ――」 ゴードンは初めて不安そうな目を《捕虜》に向けた。「もしも、そうだとしたらだ。神よ、われらを守りたまえ。こいつは容易ならん相手だぞ」
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