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作品名:マイティーリリー 作者:zamazama

第41回   41
                 36


「あんた、気は確かなの、すけべ爺さん? 自分が何を言っているのか、わかっていないんでしょ?」
「あの星はわれらアトランティスの領土に属するもの、そして永遠にわれらの足下にひざまづくべきものなのです。なんとなれば、今やわれらアトランティス人が二人寄り集い、大昔のことわざにもある通り、《アトランティスの人間が一人いれば、滅びをまぬがれる。二人集まれば、どこにいようと、そこはアトランティス》なのですからな。
 すなわち、この宮殿は事実上、王国の領土にして、その首都なのです。そして地球と呼ばれるかの世界も、そうなったあかつきには、元の所有者の帰属に戻るべきなのです。なんとなれば、アトランティスは決して消滅したわけでも、滅んだわけでもなく、受け継ぎ手であるあなた様が、一時的に避難しているあいだだけ、卑しき身分の奴隷たちが管理していただけなのですからな。だが、今や屋敷に、かつての主人とその下僕が舞い戻ったのです。主人が奴隷から管理の権能を取り返すのは、もはや当然でありましょう」
「あんた、やっぱりどうかしてるわよ。どうしてそんなことができるの? 第一、どうや
って? アトランティスの全領土を復活するなんてさ。今さらそんなことを言って、誰が聞くもんですか。頭がおかしいと思われるのがオチよ。悪くすると――」
「戦争、ですかな?」バハールが意地悪そうな目で、リリーを見つめる。「わたしがそのことを考えていないとでもお思いで? あの地球という星を、わがもの顔に占領している連中を、わたしが戦いで負かすのを怖れているとでも?」
 リリーはぞっとした。
 その先は聞きたくないと思った。
「で、どうするの?」
「戦うのです」バハールが胸をそらした。「やつばらめに、あの惑星の支配者が誰にふさわしいかを、力づくで思い知らせてやるのです」
「どうやってよ? あなたとわたしだけっきゃいないのよ? こんな年とったじいさんと、とるに足りないちっぽけな女の子だけっきりよ。こんな取り合わせで、何が出来るのよ? テレビのトークショーにでも出ましょうか?
 『さあ、お立会い。ここなる二人組は、かの有名なアトランティスの生き残り! 二人で全世界を征服するつもりです。みなさん、拍手! 拍手!』
 ってね。馬鹿々々しい!」
 リリーは吐き捨てたが、バハールは不敵に顔をゆがめただけだった。
「姫さま。わがアトランティスが、どうして全世界に覇を唱えることができたとお思いなので? われわれが、ただ言葉と法の権威だけで、世界を治めていたとでもお考えですか? わがアトランティスが、全世界を掌握できたのは、だてや酔狂や、偶然によってではないのですぞ。われらがアトランティスは、かつては海と陸とを支配し、そのわざで雲を呼び、空を動かしては、雨を降らし、風や竜巻や嵐でさえも意のままに操って、地すべりや洪水、時には地割れですらも、自由自在に引き起こしたものです。天空地上を思うさま揺さぶるわれらの力に、敵はなすところを知らず、ただひれ伏すのみ。だが、そればかりではございませぬ。あなた様にお目にかけましょう、われらが究極の秘密兵器を」
 バハールが先に立って歩き出す。リリーは、やむをえず従った。
 バハールは洞窟を出て、階段をいくつも登り、中くらいの広さの踊り場のような場所に出た。一体、いくつ部屋があるのだろう。
 リリーが尋ねようとした時、バハールが壁の一つに近づいた。岩のでっぱりに隠されたパネルを開き、内側に並んだ隠しボタンを押すと、壁に裂け目が現われ、扉となって横に開いた。
「どうか、お乗り下さいませ」
 バハールがさし示したのは、蒸気圧で動く古代式のエレベーターだった。内部はオリハルコンの箔が張られた流麗な作りで、大の大人が、十人は並んで立てるほども横幅があった。
 バハールが内側のパネルに手をかざすと、扉が閉まり、箱が浮上を始めた。
 エレベーターの乗り心地は上々だった。二人はあっという間に、宮殿のてっぺんに出た。
 バハールはエレベーターの外へリリーを連れ出し、前と同じような洞窟部屋に案内すると、
「あれが、その機械です」
 老神官は夢見るような視線を、そこにあった球体に向けた。
 そこは広さは前の半分くらいだったが、見上げるばかりに巨大で黒い、異様な輝きを帯びた、球形のマシーンが置かれていた。マシーンからは、底部の直径が一フィートはあろうという、銀色の円錐形の突起が何本も突き出していた。マシーン自体の差し渡しは、幅広の部分で百三十フィートあまり。胴体はあちこち未完成らしく、内部の機械がむき出しになった箇所が、いくつもあった。マシーンの底にあたる部分からは、目の粗い布でぐるぐる巻きにコーティングされた、絶縁コードが何十本も、邪悪な蛇のように、壁に向かって伸びている。マシーンから突き出した銀色の角 (スパイク) は、磨きたてた真鍮のように輝き、リリーが見つめているあいだにも、角と角のあいだに閃光が走り、放電した電流が岩壁や天井に吸収された。
「あれがアトランティス世界で、知らぬ者のない芸術的破壊兵器。その名も《オルタ・レ・コーラ》――“発狂する壷 (つぼ)”と呼ばれていた最終兵器ですぞ。未完成のものがここに運ばれていたのを、みどもが材料をこしらえ、ここまでに仕上げましたのです」
「発狂する壷。いやな名前ね。知りたくもないけど、どんな使い方をするの?」
「よくぞ訊いて下された。今、お目にかけましょう」
 バハールがマシーンの底部に近づいて行った。リリーはいつでも逃げられるように、離れたところから見守ることにした。
 《発狂する壷》だなんて!
 バハールは恍惚とした表情を顔に浮かべ、手のひらで嘗めるように、マシーンを撫で回したが、やおら隠し蓋を開き、中に並んだ押しボタンを、一連の動作で押し始めた。
 突然、巨大な装置が音を立てて胎動を始めた。リリーは思わず飛び退いた。
 マシーンの放電が勢いを増す。角と角のあいだを結んで、青白い電流が炎の舌のように流れる。あたりには焦げたような匂いが立ちこめ、イオン化した空気が、リリーの全身の毛を逆立たせた。
 気がつくと、リリーの体のまわりを、青白い膜のような光が取り囲んでいた。リリーが飛んでいる時や他人に武器を向けられた時に、瞬時の隙もなく発生する《力場》だった。バハールを見ると、かれのまわりもリリーのと同じ光の膜が取り巻いていた。
 そう言えば、さっき“下”でツーオイ石の結晶を目のあたりにした時も、この膜があらわれたのをリリーは思い出していた。どうやらこの服は (この服に隠された何らかの仕掛けは) アトランティス人が作ったエネルギーの場に反応するものらしい。これを身につけている人間に有害なエネルギーが及ぶのを関知して、カーテンのように遮断する仕組みなのだろう。
 リリーはちょっぴり癪に障ったが、アーティーたちの飛び抜けた才能と頭の良さに感嘆せずにはいられなかった。やっぱりアトランティス製のオーダーメイド服だわ。メリーランド州スーツランドでも手に入らないような、極上のすごい服。それにしても、あたりに満ち満ちている、この異様な気配は何?
 パネルから離れたバハールが、満足げな表情でマシーンを見上げた。「動かすのは久しぶりですが、なかなか調子はよさそうですな。ここへ来てごらんになられるとよろしい」
「いいわ。遠慮しとく」
 リリーはさらにあとずさりした。
 バハールは横目で見たが、何も言わずにうなずいた。
 バハールが両手をふり上げた瞬間、何もなかった床の上に、二匹の猿が現われた。
 二匹の雄のマンドリル。さっき見た地下の動物園にでも閉じ込められていたのか、いきなり見も知らぬ部屋に連れて来られて、きょときょとおどおどしていたが、とりあえず、この場にあるものを威嚇しようと、あたりかまわず狒々 (ひひ) の言葉でわめきちらしていた。
 突然バハールが、狒々に向かって片手をさし伸ばした。二匹の猿が痙攣したように背筋を伸ばし、黙りこくる。バハールが口の中で呪文をつぶやくと、狒々は生気を吸い取られたようにおとなしくなり、背中を丸めてその場にうずくまった。
 バハールがリリーを見て微笑んだ。「猿は猿ですな」
「あんたはあんたよ。その動物たちをどうするつもり?」
「これをごらん下され、姫。この機械の威力を」
 バハールが、パネルにあるつまみの一つをいじくった。マシーンの表面の見えない箇所から、白熱した稲妻に似た光がほとばしると、次の瞬間、一条の閃光が狒々たちを直撃した。リリーは悲鳴を上げ、黒焦げになった狒々の死体を見まいと、目をつぶり、両手で顔を覆った。
「姫。ごらんなされ。姫!」
 リリーは、顔を伏せたままいやいやをしたが、狒々の威嚇するような叫び声を耳にするや、はっと顔を上げた。先ほどの狒々はまだ健在で、全身から湯気を立てながら、ぼんやりした顔でうろつき回っている。リリーもわけがわからなくなって、バハールに視線を向けた。
「あの猿どもをごらんなされ。あの連中を。連中の目をごらんなされ」
 リリーは言われるままに、狒々たちを見た。
 マンドリルは緩慢な動作でうろついていたが、突然お互いの姿に気がつくと、雷に打たれたように動かなくなった。
 二匹は鏡を合わせたように、向かいあって立っていた。
 その姿は狒々らしくなかった。
 まるで狒々らしくなかった。
「今に、面白い見世物が始まりまするぞ。アトランティスで一、二を争う、人気のあった出し物がな」
 リリーは二匹の猿から、目を離すことができなかった。
 今にも身の毛がよだつことが始まるのだと知りながら、目をそらすことが、どうしてもできなかった。
 突然、二匹の狒々が、武者震いを始めた。
 狒々たちは異様な気違いじみた叫び声を上げ、ほぼ同時に相手につかみかかった。二匹は暗褐色の毛のかたまりとなってつかみあい、ひとかたまりになって、床を転げながら、噛みつき、引っ掻き、お互いをむしりあった。
「やめさせて! やめさせてちょうだい、バハール! バハール! やめさせて! やめさせて! やめさせて! やめさせて!」
 リリーは、悲鳴に近い金切り声を上げながら、二匹を追い始めた。
 突然、狒々の一匹がかちどきを上げて、その場に立ち上がった。一握りの血のしたたる肉片をぶらさげている。足元にはもう一匹の狒々が、ずたずたに引き裂かれたぼろ布のようになって、横たわっていた。
 勝利した狒々は、しばらく酔ったようにあたりに咆えたけっていたが、その表情が虚ろになると、下顎がだらんと垂れ下がった。今まで猛り狂っていたのが嘘のように、おとなしくなる。
 突然、生き残った狒々の内部で、何かが炸裂した。狒々はその場で体を震わせると、だしぬけに一方の壁に向かって突進し、岩壁に頭を打ちつけ出した。
 何度も何度も頭突きを繰り返し、頭蓋骨がぐしゃりと音を立てた。地面に転がり、何十回も痙攣すると、ついに狒々は身悶えし、息絶えた・・・。
 リリーはその間の一部始終を、ぞっとする思いで見つめていた。全身に悪寒が走ったが、その一方で魅せられたようになって、二匹の狒々の死骸を見つめていた。
「これで、お遊びはおしまいですな。これが《発狂する壷》の威力です。いかがごらんになられましたですかな?」
「これは何なの? 一体、何が起こったの?」リリーはバハールをふり返った。
「かれらは、この装置のおかげで、正気を失ったのです。ここから出る波動が脳細胞を狂わせ、かれらはお互い同士を敵として認識し、殺し、殺されあったのです。この装置が《発狂する壷》と呼ばれる由縁ですな。これの放つ波動は、生き物の正常な神経を破壊し、その攻撃本能に揺さぶりをかけ、憎しみと殺戮衝動のみを拡大固着するのです。この装置の波動を受けた生物はみな、目に入った相手を倒すべき敵としか見ず、おたがいに殺しあい、自滅するのです。アトランティス人は、この装置を大量に使って、目障りな国同士を敵対させ、容赦なく破滅に追い込んでいきました」
「なんて恐ろしい! それがアーティーの正体なのね!」
「何を言うのです、姫。自衛のための戦力は、誰しもが持ってあたりまえのこと。あなたがいた現世の地球とて、自国を守るための兵器には、こと欠きますまい。違いまするかな?」
「それはそうだけど――そんな恐ろしい武器は、地球にはないわ!」
「そうでしょうかな? 今の人類は、アトランティス人たちが知っていて、使うのをためらった物質の原子を構成する絆を解放するやり方で、恐るべき大量破壊兵器を、現に作り出しているではありませぬか。かれらが『核兵器』と呼んでいる、野蛮な武器の使用にともなう閃光は、月からでも観測できましたぞ。かれらの兵器は、敵を破滅させるだけではなく、味方も無関係の生き物も、容赦なく全滅させてしまう。おまけに大地は汚染され、悪しき影響が、子々孫々にまで及ぶそうな。そんなものが兵器と呼べるでしょうか。この装置の方がはるかにましではありませぬか」
 リリーは押し黙った。
 どちらとも言えない気がした。
「残念ながら、ここにある装置は未完成の上、一つしかないのですから、猿ども相手のようにはまいりませぬ。せいぜい、相手国の世情を不安におとしめる程度でしょう。みどもは実験をかねて、この装置の波動を地球に向けて照射してみたことがありまする。短時間では微々たる効果しかありませなんだが、それでも幾十年という長きに渡って試し続けた結果、かの地では大規模な戦争が、二度に渡って引き起こされましたですかな」
「まさか! 二つの世界大戦のこと? あれって、あなたのせいで起きたの?」
「そうとも言えますし、違うとも言えまする」
 バハールは唇の端を曲げ、意味ありげな微笑を浮かべた。
「今も申しました通り、人間相手では、猿を相手にするようにはまいりませぬ。人間には《理性》という厄介至極なものがあって、それが時には本能の働きを抑えさせたり、感情に逆らった行動を、良きにつけ悪しきにつけ、とらせるものです。この装置の波動をごく近い距離から浴びせた場合はともかくとして、一つの国や一つの文明を崩壊に至らせるには、非常に複雑な外的要因がからんでくるもの。この《発狂する壷》をある特定の国に向けて照射して、自殺するように強制したからといって、すぐに一国の人間全部が自殺してしまうわけではありませぬ」
「そうでしょうね。それを聞いて、少しほっとしたわ」
「ただし、その国全体にある傾向をうながして、自滅に向かうような行動を、おのずととらせることならできるのです。つまり、この装置が破滅させるわけではないのですが、そうするように仕向けることならできるわけです。覇気のある国民を怠惰で堕落させ、平和と理性を尊ぶことで知られた民族に、不信と猜疑心を植えつけつつ、その性格を徐々にゆがめて、周囲の世界との軋轢を生ませ、その民族を間接的に滅ぼすことならできるわけです。いわば、その民は、自業自得の原則によって滅びるわけです。何がその破滅の真の原因かは悟らぬまま。攻撃にあらざる攻撃、いくさを仕掛けずに、戦って勝ついくさ。これぞ、まことの征服と呼ばずして、何と呼びましょう」
「卑怯者! あんたたちアーティーは、みんな卑怯者よ!」
「あなたもその一員であることを、ゆめお忘れなく。ましてやあなた様は、王家の生き残り。祖国を侮ることなく、その口のわざにお気をつけあそばされますように。《コーダの眠り》におつかれになられたお二人に、何と申し開きができましょう」
「嘘だわ、そんなこと! あなたがそう言っているだけじゃない! そんなこと、みんな嘘っぱちだわ! わたしがアーティーのわけはない! だって、わたしはアメリカ人だもの!」
「ご自分の心に、嘘をおつきになられませぬように。あなた様があの世界に属しておられぬことは、誰よりもあなた様が、一番よくごぞんじのはず。なんとなれば、あなた様は先ほどわたしがあの装置を動かした時にも、機械の波動を受けつけられもせず、どうともなられはしなかった。並みの人間ならば、この場にいただけで、あの狒々のように気が狂って、自滅したことでしょう! それが何より、あなたさまが尊きアトランティスの一員であるあかしにございます。第一、アムリカ人とやらは、機械を使わずしては飛べますまい?」
「クラーク・ケントなら飛べるわよ」
 リリーはつぶやいたが、バハールの耳には届かなかった。
「先ほども申しましたように、われらはこの機械を使い、われらに反抗する国民 (くにたみ) を全て血祭りに上げて、あの惑星にアトランティスの領土を復活させるのです。もう一度われらが王国を、わが王家の旗のもとに。それが地下で眠る父王様と母王妃様のご恩に報いる、唯一の道なのです。
 あのお二人だけではありませぬぞ。かつて、あなた様にお仕えしていた無数のあの世界の民のために、あなた様がお取りになられる、ただ一つの道なのです。たとえ、今生であなた様がお目覚めになられた世界はあそこであっても、あなた様の尊き御魂 (みたま) が永遠に属する場所は、今でもアトランティスなのです。アトランティスなのですぞ! 孤独で、寄る辺ない身の上だったとはいえ、あれら不埒な輩たちの話すつまらぬ戯 (ざ) れ言 (ごと) に、耳を傾けてはなりませぬ。あなた様は王なのです! 支配者なのです! そして支配者には、卑しき身分の人間にはあずかり知らぬ、高貴なる使命と重大な務めとが待っているのですぞ!」
「もしも、わたしがいやだと言ったら? わたしがあなたに逆らって、地球人の味方をすると言ったら?」
「はっ、はっ。そんな心配はいりませぬ。なぜなら、あなた様は、わたくしどもの王だからです! 支配者だからです!」
「わからないわよ。わからないわよ。わたしは自分がアトランティスの人間だなんて、これっぽっちも信じていないんですからね。第一、わたしは今の地球の暮らしに、十分満足しているんですからね。どうしてわたしが、わざわざあなたに手を貸して、アトランティスの復活に協力すると思うの?」
「ご自分に嘘をつかれても、あなたのためにはなりませぬぞ、王女さま。あなた様は、アトランティスの人間なのです。そしてあなた様ご自身、あの世界に満足しているなどと、小指の先ほども思ってはおりますまい」
「なぜ? どうして?」
「わたくしめもアーティーだからです、王女。わたくしめもこの世界に生きながらえつつ、自分の居場所が見つからない、暗いさだめを引きずった人間だからです、あなたのように」
 リリーはどきっとした。
 言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。
「あなた様があの世界に目覚めて、いくにち日が経つのか、それがしも、正確には存じませぬ。だが、そのあいだの姫さまの暮らしぶりは、それがし、説明していただかなくても、手にとるようにわかりまする。
 まわりの人間たちとの違いを、痛いほどあなた様は意識され、いつか、そのことが周囲に知れてしまうのではないかと、おびえる毎日だったはずです。何をしても心は晴れませぬ。どこへ行っても、誰に会うても、こころ穏やかならぬ日々。
 ようやくねぐらを見つけて、安心できたと思うや、すぐにとなり人に気づかれ、素性をあやしまれ、探りを入れられる。誰にも心は開けませぬ。たえず警戒していなければなりませぬ。そして、いつまでも、どこへ行っても、それが続くのです。
 自分が何者か知られたあかつきには、好奇のまなざしを注がれ、いらぬお節介や、いわれなき中傷、迫害すらも受けられることを、覚悟しなければならぬ。あなた様に安住の地はありませぬ。なぜならば、あなた様はこの世界に属してはおられぬ御方だからです。そして、この世界は自分に属さぬものを、憎み、残酷に追い回すからです。
 このまま、あの世界にとどまり、あの世界で生きながらえようと願っても、それはご無理というものですぞ、リリトス様。あなた様があの世界に受け入れられる日は、よもや永久に来ますまい。たとえ、あなた様が心の奥底から願うても、あの世界の人間があなた様を、あなた様のありのままを受け入れる日は、未来永劫、永遠に来ますまい。
 なんとなれば、人はおのれに似ない者を、残酷に憎むからです。自分より劣った者は蔑み、自分より優れた者は、平気でおとしめ、迫害するものだからです。
 あなた様は、あれらの世界の人間たちの考えおよばぬ、ひどく高い次元の世界でお生まれになられた。今もその世界に属しておられる。たとえアトランティスの目に見える部分は滅びようとも、見えざる高貴な部分があなた様に受け継がれ、その尊きお身の内に息づいておられる。確かに息づいておられる。
 なればあなた様に属するように、あの世界の方を変えなされ、姫さま。あの世界をあなた様の望むような憧憬の地に、あなた様にひざまづき、かしずき、その存在の前に、永久にかしこまって平伏するような、真の理想世界に変えなされ。あなた様なら、それがおできになるのです。そうすることは、あなた様の権利なのです。いえ、権利であるばかりか、神聖なる義務ですら、あるのですぞ」
「神聖なる、義務?」
「左様。あの世界の人間たちについて、かれらの置かれた状況について、真剣に考えてみなされ。かれらは望めば、今よりも高い世界に行けるものを、その可能性にはとんと気づかず、現在のような隷属の状態に甘んじておる。やつばらめはあれを、性懲りもなく『文明』などと呼んではおるが、今の地球の状態は、アトランティスの聡明な哲学者が、『第三期亜文明』と呼んだところの、ある種の退行症状の末期を呈しておる。遠からず、あの世界は滅びまするな。かつて、わが世界が滅びたように。
 その窮状を救い出せるのは、あなた様と、不肖、このわたくしめしかおりませなんだ。わたくしも及ばずながら、お手伝いいたしますぞ。世界を滅びから救うために、あらたなる支配を。それはかつて滅びを経験したわれらアトランティス人の、高貴なる使命にして、重大なる宿命とも言えるのですぞ。おわかりか?」
 リリーは感心して聞き入っていた。
 リリーの脳裏に、地球で目覚めてから経験した、いくたの出会いと別れの記憶がよみがえった。エスターや、排水溝に落ちた赤ん坊やその母親、名も知れぬ浮浪者の元農夫の顔が、かわるがわる浮かんでは消えていった。リリー自身が片づけた悪党三人組のことを、同じような無法者におびやかされている、数知れぬ人間たちのことを思った。リリーはかれらを守護したいと願った。本気で願った。かれらを心の底から守りたいと願い、かれらのためなら何でも、文字通り何でもできると思った。どんな犠牲でも払える覚悟だった。しかもリリーがこの瞬間、願いさえすれば、そうすることは、たちどころに可能なのだ。リリーがこれまでひそかに夢想してきたような、慈愛と公平と威厳に満ちた支配者に、弱い者を、犯罪と飢餓と貧困と労苦と、災厄と苦役と悪徳と不正とから永久に解放する、力と正義に裏づけされた、真の救済者になれるのだ。
 リリーは相手の話に欺瞞があるのに気がついた。
 バハールの背後で黒光りしている機械、あれが何のためにあるのかを思い出したのだ。離れた床のそれぞれの場所で、血にまみれて転がっている、二匹の狒々の残骸に目がいった。
 リリーは身震いした。
 リリーの視線にバハールが気がつき、背後のマシーンと、狒々の骸とをふり返った。「何か?」
 リリーは、バハールを見つめた。
「何かおっしゃりたいことがあれば、うかがいまするが?」
「言いたいことはあるわ、バハール。あなたが、嘘をついているということよ」
「は? 何ですと?」
「あなたは大嘘つきよ! そして、これがその嘘よ!」
 リリーは叫んで、球形の黒いマシーンに飛びかかって行った。
 一瞬早く、バハールが奇声を発して両手を振り上げた。リリーは体の自由を奪われ、硬直したようにその場に崩折れた。
 倒れているリリーの前に、バハールのマントのすそが、影をひきずるように現われた。
「惜しいことをしましたですな。もうあとわずかだったのに。したが、あれを破壊するつもりになられるとは。いやはや、あなた様はみどもが考えていた以上に、あちらの世界に、深く感化されたご様子。かくなるうえはやむをえませぬ。こういう手段はとりたくはなかったが――」
 バハールが口の中でつぶやき、リリーに手をかざした。
 奇怪な力がつかみかかり、見えない糸に操られるように、自分が苦もなく立ち上がるのを、リリーは感じた。
 体の自由を取り戻そうと意識を集中したが、意思に反して、体は勝手に動かされている。
 リリーは、自分の手がバハールに差し伸ばされるのを感じた。バハールがうやうやしく、その両手をとった。リリーは吐き気を催した。
「どうやら聞き分けがよくなられたらしい。王座につくご覚悟が、できたご様子で。その額を飾るにふさわしいアトランティス産の王冠を、おとなしく載せる気にはなられましたですかな?」
 リリーは自分の頭が、こくんとうなずくのを感じた。
 自分の頭を蹴っ飛ばしてやりたかったが、体はその場にひざまずき、バハールの手に、自分の額をこすりつけていた。
「結構」バハールは満足したようにうなずいた。「さっそくにも、《王冠と即位の儀式》を執り行うことにいたしましょうぞ。式と王冠の準備は、とうにできましておりますほどにな」
 リリーは目の前が、急に真っ暗になった。




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