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リリーは、ルイ王朝を思わせる巨大な天蓋つきベッドに横たわり、まつげさえ揺らすことのない、《コーダの眠り》に陥っていた。 直径二千フィートの円形広間の床は、大理石風の黒と白の石が、巨大なチェス盤を思わせる市松模様に敷き詰められ、表面はいやに艶と光沢を帯び、部屋全体は間接照明のような、ムードのある明りに照らされていた。彼女は見渡す限り、広間に一人きりだった。 部屋全体は生き物のように、ゆっくりと呼吸していた。リリーは天蓋に守られるように、《死せる乙女》の寓意画よろしく、ぴくりともしなかった。リリーを照らすその薄明りも、ドームを構成する、象牙に似た素材の石から放射される金色の残照で、ため息を思わせるリズムで、強くなったり弱くなったりを繰り返している。 正確に言うと、彼女は一人ではなかった。時折り影のような姿が、閉めきった扉口に現われ、広間を横切って寝台のかたわらにたたずむと、周囲を覆ったカーテンのすき間から、心配そうにのぞき込んでいるさまがうかがえた。今もまた、一つの影法師が、風に吹かれる枯れ葉のように、床の上を移動して、寝台の足元でひっそりとリリーを見下ろしている。 それは人の姿のようでもあり、立ち木のようにも、ことによったら虫か獣にさえ見える、何者かであった。 おまえ誰なの? 影法師なの? そう尋ねる声はなく、答える者も、またなかった。 影法師はじっとしていると、現われた時と同様、忽然と消え失せた。 室内で出入り出来る扉は、すべて固く閉ざされていたことを考えると、それは理屈に合わないことだった。リリーが部屋に運ばれてから、地球では三回目の夜が明けようとしていた。だが、そこは、あいかわらずの夜だった。そこでは一日が、地球の一ヶ月にも相当する。 夜明けが来るまでには、まだだいぶ間があった。 《コーダの眠り》も、当分は続きそうだった。
* * *
リリーが目を覚ましたのは、その世界でのさらに十分の一日 (地球の尺度にすれば三日) が過ぎた頃だった。耳元でかすかな風のうなりを聞いて目を開くと、頭の上にのしかかるようにして、異教風の浮き彫り彫刻が見えた。リリーはぼんやりと目で追いながら、あれ、こんなところに古代ローマ式の彫刻があるわ、わたしは夢を見ているのかしら、と重たい頭で考えた。寝返りを打とうとして、もう一度枕に顔を沈める。 柔らかなマットレスの感触に、リリーは、はっとして目を開けた。 あたりを見まわすと、だだっ広い部屋だった。 頬をつねったが、夢ではない。 「お目覚めですかな?」耳元で耳障りな声がした。 リリーの声も、いやにしゃがれて聞こえる、不自然な声だった。 「誰なの?」 「ご安心下され、ここは拙者の館の中でございます」 リリーの足元でカーテンが揺れると、 「おはようございます、姫ぎみさま」 この世で一番見たくない男の顔が、カーテンのすき間の、うずくまるような位置から現われた。 「あなたは!」 「バハールにございます。ようやくお目覚めになられましたようで。よくお眠りでございましたな」 バハールはその場に膝をついて、頭を下げると、 「《下》ではあの連中が、姫さまにひどいことをされていましたが、おかげんはいかがであらせられますかな? お悪いところは、ございませんでしょうかな?」 「近寄らないで! ちょっとでも近づいたら、あんたの頭を蹴るわよ!」 「困ったことを、言われるものではない。ここはあなた様と拙者のほかは、誰もいないのですからな。わたくしめを怖がられましても、あなた様のお世話を焼く者は、ほかにありませんのですぞ」 「嘘!」 「嘘ではござりませぬ」 リリーはシーツをはねのけると、バハールの反対側から飛び降りた。 走って部屋を横切り、扉の一つに駆け寄ると、ドアノブにしがみついて回そうとした。 ノブは回らなかった。 リリーは悲鳴をあげ、別の扉に駆け寄り、ノブを試した。 そのノブも開かないのがわかると、また別の扉に駆け寄り、それも駄目だとわかると、また次、また次と、広間にある扉を残らず試した。 一つとして開かないのがわかると、リリーは最後の扉の前にしゃがみ込んで、泣き始めた。 「帰してよ! わたしをここから、帰して!」 「なりませぬ、姫ぎみさま」 バハールは冷たい声で、リリーににじり寄ると、 「あなた様は、ここがどこだか、わかっていらっしゃるのですかな?」 「自分で言ったじゃない、ここは館の中だって」 「左様。ですが、そればかりではございません。あれを御覧下され」 バハールは意味ありげに笑って、両手をかざした。 部屋が真っ暗になり、天井がゆっくりと開き始める。 ひときわ黒いものが、リリーの頭上一杯に広がった。 星々をまいた暗黒の宇宙空間が、とめどない深さと広さで、リリーを圧倒する。 「ごらん下され、あの星たちを。どこか見覚えがあるのに、気がつかれませぬか? ほれ。ひときわ輝く、青白い半円が見えなさるでしょう? あのちょうど真中辺にな。あれを何だとお思いなさる?」 リリーは真っ先に、そのおぼろな光に気がついていた。 「あれこそ、われらの住まう星、地球なのですぞ。おどろかれましたかな。われらは今、月に――月の地下宮殿の奥の間にいるのですぞ。もっともここは月の真裏でしてな。あの映像も、ツーオイ石が反対側の光景を、ここまで送ってきてくれているのですがな。素晴しき眺めではござりませぬか、姫よ?」 リリーは気絶した。
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