第三部 散り行く花 27
軍人と政府高官によるさえないサーカス風の見世物は、始まった時と同様、だしぬけに終わった。 意識が戻った時、通路にしゃがみ補佐官と靴をうばいあっていたゴードンこそ、見物だった。ゴードンは置かれた状況を把握するのに、五分以上かかったが、込み上げてくる怒りを抑えるには、五日あってもまだ足りなさそうだった。 ゴードンの怒りの矛先は兵士たちに、続いてベリンスキーにも向けられた。兵士たちに命令が下され (不思議なことに、兵士たちの中には、頭を割った者や致命傷を負った者は、皆無だった)、基地全域が奇妙な集団幻覚に襲われたこと、兵士たちにも基地施設にも、ゴードンが目撃したはずの事態から起こってしかるべき損害が、発見されなかったことが報告された。 虜にしたはずの〈鳥〉と侵入者の姿も見つからないと知ると、ゴードンはベリンスキーと青二才の兵士たちの前で、地団駄を踏んで激怒した。基地のポイントから寄せられた報告では、謎の侵入者はゲートを通らずに入り込み、ゲートを通らずに、出て行ったらしいとのことだった。 基地の周辺に警戒網がしかれ、ベリンスキーには理解できない理由から、彼自身も拘束されると、基地内の捜索が開始された。 捜索はベリンスキーにも想像がつく理由で、無駄に終わった。兵士たちの無能という理由からだった。 意外なことに、捜索の完了から二時間後には、ベリンスキーは基地を出て自宅に戻っていた。基地を出るに際しては、基地司令官立ち会いのもと、馬鹿げた脅し文句を並べた秘密保持誓約書にサインをさせられた。 ベリンスキーにも何が起きたかがわかってきた。リリーが軍に捕えられ、さらにベリンスキーの知らない何者かによって、拉致されたらしかった。 「おまえには、二十四時間の監視をつける。これは脅しなんかじゃないぞ、ブチンキー」ゴードンは兵士たちに命じて、ベリンスキーをゲートから送り出させる直前、通路で指を突きつけて警告した。「軍の情報部をあまく見ん方が、ためだからな。この秘密保持誓約書に違反した場合は、懲戒免職処分を食らわせるのはもちろんのこと、国家の安全保障に関する重大機密を漏洩した咎により、死ぬまで臭い飯を食ってもらうぞ。ことと次第によっては――」 ゴードンはその場でのどをかき切る真似をした。 ベリンスキーは目隠しをされて軍の車輛に乗せられ、自宅近くの道路に放り出されるものと覚悟したが、意外なことに厳戒体制の中、基地の正面ゲートから送り出されただけですんだ。ベリンスキーの体が急速に回復したことを、誰も意外に思っていなかったのも幸いだった。基地の中があまりに混乱していたため、それどころではなかったのだろう。 ベリンスキーは基地から追手が繰り出されないうちに、バスとタクシーを乗り継いで、急遽自宅に戻った。 家には人気がなく、ベリンダの姿もまたなかった。ベリンスキーは胸騒ぎを感じ、部屋中を見回した。留守番電話の録音に気づき、テープを再生する。二、三件ほど取るに足りない用件の電話があり、次にブラウン本部長の息せききった声が、 「おい、旦那。病院からいなくなったってのは、本当か? これを聞いたらすぐに返事をよこせよ。ベリンダにも連絡がとれないし、おまえの携帯はうんともすんとも言わないし、夜でも夜中でも最後の審判の最中でもかまわないから、マジで連絡をくれよな」 録音時刻を告げる声に、ベリンスキーはにやりとした。次の瞬間、くぐもった声がテープから流れた。ゴードンと名乗る将軍の声だった。 「おまえに言い忘れたことがある。〈鳥〉が戻った時はすみやかに、以下の番号に通報しろ。あの〈鳥〉は国家の安全保障に関わる、重大な脅威だ。隠したりするとためにならんぞ。あいつを逃がしたり匿ったりしたら、その時はおまえも国家反逆罪で銃殺してやる。これは脅しなんかじゃないぞ。わかってるだろうがな」 一連の番号を読み上げて、電話が切れた。脅しのあとに番号を読み上げる律儀さに、ベリンスキーは苦笑した。 一瞬その番号に電話して、誰でもいいから出た相手を罵ってやろうかと考えたが、そんなことをしても無駄なのはわかっていた。ゴードンが脅しだけではおさまらないこと、この電話も盗聴されているだろうことも承知だった。 妻の居所は連中が握っているのかもしれない。ベリンスキーはテープに残された番号をプッシュしかけて、思いとどまった。 電話の横のメモ・パッドに、凹みができているのに気づく。 芯の丸くなった鉛筆を鉛筆立てから取り出すと、斜めに傾けて紙をこする。建物の住所とおぼしい走り書きが浮かび上がる。ベリンスキーもよく知っている、本部から最寄りの警察病院だった。筆跡もベリンダのものに間違いない。 腕時計を見ると、朝の九時三分を過ぎている。 ベリンスキーは椅子の背に脱ぎ捨てた上着をはおると、ガレージに向かい、車がないのに気がついた。 ベリンダのトヨタもなくなっている。 舌打ちすると、バスをつかまえるべく停留所まで走った。体はいつになく快調だった。 そういえば、基地の中で意識を取り戻してから、ベリンスキーは体が別人のように軽くなっているのに気づいていた。 こいつは、どういうことなのだろう。
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