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《ケージ》は分厚い三重の、一方向耐圧ガラスで仕切られた、縦十フィート、横十フィート、高さ十フィートの、耐熱耐火タイルで覆われた、密閉された防音の小部屋だ。壁に四つある埋め込み式スピーカーとマイクロホン、各種のモニター装置が、隣の観察部屋と《ケージ》とをつないでいる。二つの部屋は、基地の技術部隊が急ごしらえしたもので、壁のあちこちには、ペンキやニスの生乾きの部分が、何箇所もあった。観察部屋の方は今は半開きで、手に工具類を持った兵士たちが十数人、入れ替わり立ち替わり、出入りしている。 部屋の中央には、八つのボルトで床にとめられた、チタニウム合金製の背もたれつきの肘かけ椅子があり、その上にリリーがいた。肘かけと台座の拘束具で、手首、足首、肘と胴と大腿部を固定され、頭には数種類のコードが接続したピックアップ・バンドが、ありとあらゆるヴァイタル・サインを、隣の観察部屋のモニター装置に送っている。 それらのデータはリアルタイムで基地のメイン・コンピュータが記録し、そこから得た観察結果は、その日のうちにピーターソン基地を経由して、国防総省 (ペンタゴン) に送られる手はずになっていた。 「やつは死んでるんじゃないだろうな? 心臓は動いているんだろうな?」 ゴードンは壁越しにいらいらと小部屋をのぞきながら、モニター装置の前の担当士官に視線を走らせた。 「心音も呼吸もちゃんとあります。大丈夫であります」 モニターのそばにいた中年過ぎの白衣を着た女性――ベセスダの海軍病院から派遣されたベテランの軍医だった――が、鼈甲縁の眼鏡の奥からゴードンをふり返った。「脈が少々弱いようですが、麻酔ガスの効果が強すぎたのでしょう。ここの監視装置で見る限り、彼女の――〈鳥〉の生命兆候は、ノーマルな人間のそれに近いようですわ。人間でいえば睡眠状態に近い、脳波の数値と波形パターンとを示していますわ」 「人間を装っているだけではないのか?」 「その可能性はありますわね。もっともこの――生物の通常の状態に関する予備データがありませんから、医学的に正確なことは申し上げかねますが」 「こいつがどこから来たか、推論が立てられないかね?」 女医は笑った。「あいにくと私は、サイドショーの見せ物小屋の千里眼じゃありませんのよ。血液中のリンパ球や白血球でも調べられれば別でしょうけど、いずれは採血して、分析はなされるおつもりなんでしょう?」 「いずれ必要があればな」 必要があれば解剖だって辞さないつもりだと言いかけて、ゴードンは口をつぐんだ。 女もなれなれしい態度をとったことを恥じてか、手にした書類のチェックに余念がないふりをした。 ゴードンは称賛の念を感じると同時に苦笑いした。この作戦計画が立案され、短時間のうちに実行に移されると決まった時、ペンタゴンの人事部が作戦要務員候補リストのトップに選んだだけあって、この女医は口が固かった。 「こいつを生かしてピーターソン基地に運びたいんだ。あちらでは科学顧問のショウナウアー博士が、こいつの到着を待っている。ここで殺してしまうわけにはいかんぞ、ドクター」 「わかっておりますわ、将軍」 「ここでの尋問はあくまで仮のものだ。本格的な取り調べは、向こうで行うんだからな」 「わかっておりますわ、将軍」 「ピーターソン基地から、何か言ってきたか?」ゴードンは背後にいて小冊子に顔を突っ込んでいた、太めの下士官にいちべつを投げた。 「いえ、まだ何もないであります!」 「ふん、『まだ何もないであります』か。おまえは、小学校は卒業して来たのか?」 「も、もちろんであります」 「ふん。一人前のインテリ様というわけだな」 将軍は床に落ちた小冊子を拾い、下士官に突き返すと、 「それではせいぜい勉強に励め。これからの戦争は、今までより一層、脳味噌で戦う時代になるだろうからな。ただし『戦場では冷めた前頭葉がものをいう、兵舎内では、ほどよく締まったケツがものを言う』だ。続けてよし」 「コーヒーをお持ちしましょうか?」別の兵隊が見かねて、ゴードンに声をかけた。 「ああ、頼む」 コーヒーは疲れた胃に、適度な刺激と充足感をもたらした。ゴードンはふと説明できない幸福を感じて、部屋の中を見まわした。室内を行きかう兵隊たちは、男も女もゴードンが初めて見る新顔ばかりだった。どれも畑から掘った芋のように新鮮で、近寄ると母親のおっぱいの匂いがしそうなほど、初々しかった。 しかしながらゴードンは、その瞬間かれら全員を頼もしく思った。彼らの父親たちがいかに彼らを誇りにし、母親たちがいかに彼らを慈しんで育ててきたか、わかる気がした。彼らを一人残らず抱いて頬ずりし、キスしてやりたい気持ちになった。 彼らこそ兵士たちだ。真のアメリカ人たちだ。 朝鮮半島で死んだ二人の息子の面影がよみがえり、ゴードンは頭を振った。 いいや、違うぞ。こいつらはまだまだ青二才のひよっこどもだ。びしびししごいてやらんと、鉄砲とジョイスティックの区別もつかない、役立たずの能無しどもだ。ちょうど、あそこにいる〈天使〉のように、赤ん坊同然なのだ。 「将軍」モニター係士官がゴードンを呼んだ。 「何だ?」 「やつが――物体が目を覚ましそうです」 「何だと?」 ゴードンがモニター士官に近づいた。部屋中の視線が、ゴードンとモニター士官に集中する。 「ああ、また眠ってしまいました」 「わたしが見ていましょうか?」女性医師がゴードンとモニター士官に、等分に視線を送って訊いた。 「いいや、構うな。お客が来るまでは、眠っていてもらった方が、好都合だ。それにしても遅いな」ゴードンは腕時計を見た。「一体、向こうさんはいつになったら到着するんだ。おい、ワシントンを呼び出してくれ」 その言葉が合図になったように、壁の電話が鳴り、近くにいた兵士が出た。 「はい。こちらにおられます。イエス・サー」兵士はゴードンに気をつけの姿勢をした。「将軍、検問所からであります。たった今、《ゲスト》が到着したそうであります」 「ふふん、やっとか。予定よりは、早い到着だな」 ゴードンは「全員、配置につけ」と命じた。兵士たちが大挙して部屋を出る。残ったのはゴードンと医師、モニター士官、それに数名の下士官たちだった。残りの兵士たちは基地の要所々々へ、武装しての警戒任務に向かった。 このフォート・レントンが開設されてから、当基地がこれほど警戒厳重になったのは、ソ連崩壊とイスラム原理主義者による大規模テロ戦争以後、初めてだった。ほどなくして部屋の外に立つ歩哨によってドアが開かれ、警備の兵隊に先導された、国家安全保障担当補佐官ポール・カルゲロプロス博士が姿を現わした。 カルゲロプロスは慇懃な笑みを浮かべて、ゴードンとその場の全員にうなずいた。先導役が出て行くと、カルゲロプロスはガラス窓の向こうに引き寄せられた。「あれだね、将軍?」 「あれです」ゴードンはうなずいた。 カルゲロプロスは部屋を横切り、三重ガラスの仕切り窓に近づいた。ゴードンが付き添うように従う。国防担当の大物の登場に、兵士たちのあいだに緊張が走った。カルゲロプロスはお馴染みの、銀のメタルフレームの眼鏡をはずして、ガラス窓をのぞき、目を細めてあとずさりし、ふたたび眼鏡を掛け直して見つめた。 たっぷり一分は眺めたあとで、カルゲロプロスはゴードンをふり返った。「可愛い子だ。あの子が問題の〈鳥〉だとは信じられんよ。まさかとは思うが、人違いという可能性はないんだろうね?」 「その可能性は一パーセントの、万分の一もありませんな」 ゴードンは物体を拘束した状況を、補佐官に簡潔に報告した。 「さすがだよ。信じられないほどの、素早い任務の達成だな。ところで彼女、意識はあるんだろうか? 見たところ、息をしていないみたいだが」 「あやつは生きております。おい、説明してさしあげろ」 担当士官が説明した。合間に女性医師が口をはさむ。 「なるほど。麻酔ガスで眠っているだけで、彼女はいたって健康なのだな? 話がしたい。できるかね?」 ゴードンとモニター士官が顔を見合わせた。 モニター士官があいづちを打った。「ええ、起こせればですが」 「では起こしてくれたまえ。時間がない」補佐官はスーツをまくって、金のロレックスの腕時計を見せびらかした。「大統領は、作戦成功の知らせをホワイトハウスで受け取り、たいへんお喜びになっていたが、今夜メラニスタン共和国の内乱について、駐米大使と会談をするため、どうしてもワシントンを離れることができない。それであれが――」と、補佐官は目で〈鳥〉を差し示した――「ピーターソン基地へ移送される前に、少しでもいいからあれと話をするように、大統領じきじきに命じられた。わたしも向こうへは、十時までに戻らなければならない。事態は急を要するのだ」 「わかりました。しばらくすると尋問に最適な、今夜二人目のゲストが到着する予定ですが、そういうことなら、おっつけ始めるとしましょう」 「誰なんだね、そのゲストというのは?」 「まあ、お楽しみに待つんですな」 ゴードンは引きつった笑顔を浮かべて、カルゲロプロスをたじろがせると、 「おい。尋問を始めるぞ」 ゴードンの命令に、記録用のビデオカメラが回り始める。 モニター士官が、制御盤のスイッチを入れた。七百デシベルの不快な高周波の音波が、《ケージ》いっぱいに流れ出した。隣とは完璧に防音処置が施されていたから、音までは聞こえてこなかったが、歯ぎしりしたくなるような不快な振動が、仕切り越しに伝わってくる。 《ケージ》の椅子の上で、リリーが身じろぎした。 「対象が目を覚ましました」モニター士官の声に、部屋にいた十人近い人間の視線が、リリーに注がれた。 医師が質問される前に答える。「脳波、脈拍、呼吸、心電図、ともに正常。EEGの波形パターンは、人間なら《覚醒状態》にあることを示しています」 物体がゴードンを睨みつけていた。 印象的なアイスブルーの瞳で。 マジックミラーで内張りされたガラス越しに、部屋にいた全員を、とりわけゴードンを凝視していた。いましめがはずせないとわかっているのだろうか、飛びかかって首の一つも締めかねない、すさまじい顔つきになった。 「尋問はきみがやるのかね?」 カルゲロプロスは〈鳥〉の表情には無頓着に、ほとんど陽気ともいえる調子で尋ねた。 「はい、一応は。ですが、特定の質問の内容は、あらかじめ決めてはおりません」 「それでは、わたしにやらせてもらえないだろうか? 是非やってみたいんだ、歴史上初めての、異星人と地球人との公式会見というやつを。邪魔はしない。駄目だと言うなら、引っ込んでいるがね」 声は絶対に反対されないだろうという、確信に満ちていた。 「かまいませんとも。あなたの演説の巧みなことは、わたしもよく存じておりますからな。おい、補佐官にマイクをお渡ししろ。それから、おまえはそこをどけ」 モニター士官は眉一つ動かさず、席を退いた。カルゲロプロスはゴードンに導かれるまま、制御盤の前に腰を下ろした。 「ここから話せばいいんだね? わたしの声は向こうに聞こえているのだね?」 ガラスの仕切り越しにリリーが何か叫んでいた。 「彼女、何か言っているぞ。何と言っているのか聞きたい。どうすればいいんだ?」 「ここを押せばいいのであります」 二人の背後にぴたりとついていたモニター士官が、腕を伸ばしてコンソールのスイッチを入れた。途端にスピーカーから、汚い罵り声が聞こえてきた。「――ふざけんな、馬鹿野郎! インキンタムシ野郎! ムカデ頭のゲシゲジ野郎! 唐変木の、欲の皮のつっぱった、いかれ頭のでんでん虫野郎! てめえなんか死んじまえ! ばーか! ばーか! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」 「ここの仕掛けはたいしたもんだ。自動翻訳装置つきなんだね」 「いいえ、あれが吹き替えなしのオリジナルでして。いわばあれが地の声でして」 「だとすると、かなり特殊なタイプのエイリアンらしいね」 「スラング星から来たのかもしれませんぞ」ゴードンも珍しく、ぱっとしないジョークを言い放った。 「きみ。きみ。わたしの声が聞こえるかね?」 「何ぃ、聞こえるかだって? てめえの屁みたいな声なんか、金輪際聞こえるかって! 耳が腐るっていうの! それより早くここから出せ! 出しやがれ! さもないと仕返しするぞ! あとで金玉抜かれたいのかよ、このゲジゲジ眉毛野郎!」 ゴードンは思わず息を飲んだ。補佐官はスコティッシュ・テリア風の、いかにも房垂れた眉をしていたからだ。 兵士たちの中には笑い出す者もいた。 カルゲロプロスは肩をすくめ、演出効果を高めるように部屋の中を見まわすと、おもむろにマイクロホンに顔を近づけた。 「言ってくれるじゃないか、このおかちめんこ! 胸も尻も、ぺったんこのくせしやがって!」 一瞬、部屋の中が静まり返った。続いて兵士たちの大爆笑する声。女医とゴードンも笑い出す。カルゲロプロス本人も笑っていた。 リリー物体は《ケージ》の椅子に縛りつけられたまま、困ったような顔をしていた。 「どうだ、まだ何か言い足りないことがあるかね?」 「あるわ。ここから出してよ」 「あいにくだが、それはできん。きみは囚われているのだよ」 意外にもカルゲロプロスがしんみりとした口調で、 「ここはアメリカ軍の施設の中だ。保養所というわけにはいかんが、気を楽にしたまえ」 「こんなことをされて、楽にしろって言うの? こんなのフェアじゃないわ」 「まことにもって、その通りだが――」 と、カルゲロプロスは、割って話そうとするゴードンを、手で押しとどめて、 「これは平和裡にきみと話し合いたいという、われわれ合衆国政府の善意のあらわれだ。われわれから見て、きみはあまりにも違いがあり過ぎる。きみに安全を脅かされずに、時間と場所を共有するための、これはやむをえない処置なのだ。わかってくれたまえ」 「キングコングを見世物にする人も、同じように言うんでしょうよ。善意をあらわしたければ、まずこれをはずしたらどう? 『物は言いよう』というのは本当ね」 まったくもって、その通りだと、ゴードンは片目でリリーを、もう片方の目でカルゲロプロスを見やりながら、不思議なことに、リリーに半分味方をする気になっていた。 「ところで訊くが、きみは何者なんだね? どこから来たんだね? 何の目的で合衆国の上空を行き来するのかね? スパイ目的かね?」 「人に質問をする前に、まずあなたから名乗ったらどうなの? 女の子を捕まえて檻に閉じ込めるような趣味の野蛮人に、人並みの礼儀を期待しても、無駄なんでしょうけどね」 「これは失礼した。わたしは合衆国政府に勤める、カルゲロプロスという政治学者だ。国際政治と戦争理論の専門家だ。いまはある友人に頼まれて、彼の補佐官を勤めているのだがね。その友人というのが、ぶっちゃけた話、アメリカ合衆国大統領なんだが」 「まあ、かわいそうに。その人、いつから、そうだと思い込むようになったの?」 兵士たちが爆笑した。カルゲロプロスも苦笑いして、頭をかき始める。 「博士、ご苦労でした。あとはわたしが引き受けます」 「すまなかったね、将軍」 ゴードンが、仕切りガラスの向こうに視線を向けると、部屋中が緊張した。 「おい、聞こえるか。俺はアメリカ陸軍のゴードン将軍だ。合衆国大統領の命により、おまえを捕獲するため、今度の作戦全体の指揮をまかされている」 「その声は――あの、ヘリのいけすかない――あの飛行機は、わたしをつかまえるための、トリックだったのね?」 「囮、もしくは罠と呼んでもらいたいな。おまえはまんまと引っかかったのだぞ」 「よかった。墜落したわけじゃなかったんだ。わたし、あの飛行機が着陸する寸前、一瞬早く手を離してしまったのよ。ふう! なあーんだ。最初から兵隊が乗ってるってわかってれば、助ける必要もなかったんだ。がっかりよね」 「おまえ、俺たちが怖くはないのか?」 「俺たちって?」 「もちろん――軍のことがだ」 「全然。怖くなんかないけど」 「嘘をつけ」 「嘘なんかつかないわ。そこにある嘘発見器にかけて、わたしを調べれば?」 ゴードンは全員の視線が自分に向けられるのを感じて、からくも思いとどまると、 「そんな手に誰がのるものか。そこからでは見えもせんくせに。おまえはこれからある場所へ移されて、そこで尋問を受けるのだ。ここでのようにはいかんぞ。二度と日の光を浴びることは、できんかもしれん。おまえには合衆国の安全を脅かしたかどで、重大な嫌疑がかけられているのだからな」 リリーの顔におびえの表情があらわれると、ゴードンはにんまりした。 脅されたら、たちまちこうだ。所詮は子供だな。 「おまえはどこから来た? 何者なんだ? 何をしにやって来たんだ?」 「あなたに教える必要はないわ。そんなこと、あなたの知ったことじゃないわ。勝手にさらせ、よ」 「だったらシンシン刑務所行きだ、おまえは。そこより刺激的な椅子の座り心地を、自分の尻で確かめることだな。奥の奥までしびれるだろうて」 電話が鳴った。リリーもゴードンも、たがいをとらえた視線をはずさなかった。 「はっ、こちらにおられます。わかりました。そう伝えるであります」 電話をとった兵士の声が、静まり返った部屋中に響いた。 「ゴードン将軍」くだんの兵士が素早くゴードンに歩み寄って、耳元に口を近づけた。 「そうか、ご苦労。どうやらお待ちかねの、今夜二人目のゲストが到着したようですぞ、補佐官」 「誰なんだね、そのゲストとは?」 「エースの切り札ですよ」 ゴードンはにやりとした。もう一度リリーをふり返ると、聞こえよがしにつぶやいた。 「おまえも喜んで、素直になるだろう」
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