25
ベリンスキーは寝返りを打とうとしたが、まるで打てなかった。鉛のスープに落ち込んだハエのような、重苦しい気分がした。全身がほてり、ひどくだるい。 ベリンスキーは目を覚まそうとした。ベッドを抜け出して、シャワーを浴びに行きたかったが、体がいうことをきかない。動こうにも力が入らず、手足の感覚がまるっきりなかった。それどころか、体そのものがないみたいで、ベリンスキーはパニックに陥った。 俺の体はどこにいったのだろう?・・・ 周囲で聞き慣れない声がする。夢がまだ終わっていないのだろうか。 ベリンスキーはようやくのことで薄目を開けた。白くまぶしくはない光線が、目に飛び込んでくる。見慣れない男が二人、ベリンスキーの真上で話し込んでいた。 誰だ、こいつらは。 ベリンスキーが声をかけると、二人ははじかれたようにふり返った。一人が顔を近づけて何か訊いた。何を言っているのかまでは聞き取れない。ベリンスキーがそう言うと、二人は顔を見合わせて笑った。 やっぱり夢だったんだな。 夢の人物に話しかける。「おまえが夢だと、知っているんだぞ」 だが唇はうまく言葉を作れず、男たちがいぶかしそうに顔を見合わせて、また笑った。 揺れる。 全世界が揺れている。 俺にかまうな。 あっちへ行け。 一人にしてくれ。 ふたたび目を覚ますと、光があった。 今度のはまぶしかった。瞳に突き刺さるような、残酷な光だ。 この光も白い。さっきのより何千倍も、何万倍も、白くて強烈だ。 今度もまた架空の人物が、ベリンスキーの上方に現われる。人影は複数いて、見知らぬ顔ばかり。ベリンスキーを見下ろして、何か話している。ベリンスキーは目を閉じた。意識が遠のいた。 だしぬけに目を覚ます。固い台の上に、うつ伏せに横たえられている。視界がひどく狭い。ベリンダという言葉が、ふいに浮かんだ。 ベリンダ? ベリンダって、何だろう? ベリンダ。 ベリンダ。 何だかわからないのに、まとわりつく蛾のように、しきりとその言葉が意識にのぼってくる。 それにもう一つ、まったく関係のない別の言葉が。 その言葉を思い浮かべると、ベリンスキーの脳裏に激痛が走った。 リリー。 それが何なのか知りたい。 ひどく大切なことらしい。 身を切られるような焦りと、切迫した悪い予感のようなものが、全身に満ちあふれてくる。 リリー。リリー。 一体、何なのだ。誰か教えてくれ、この言葉の意味するものを。 リリー。リリー。リリー。リリー。 リリー。リリー。リリー。リリー。リリー。リリー。リリー。リリー。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その言葉に最初に気がついたのは、赤毛の三十歳過ぎの看護婦だった。 「先生、患者が何か言ってます」 執刀医が手術台をふり返ると、うつぶせになった患者が、何かつぶやいていた。酸素吸入器と心電図の作動音にまぎれて、何を言っているのかまでは、聞き取れない。 「羊の数でも勘定しているんだろう? 容態は?」 「脈拍、呼吸、心博数、すべて安定しています。脳波が若干乱れていますが、正常値の範囲内です」 「麻酔が切れかけてるんだろう。フェンタニルとプロボフォールを、五十ミリずつ投与だ」 男性の麻酔科医が、薬液の袋を注入器に取りつけ、患者の静脈に流し込んだ。かたわらのキャスターには、摘出したばかりの・九ミリ口径の弾丸が三発、ひしゃげた、いびつな格好で金属製の皿の上に我が身をさらしている。透明の液体が流れ込むと、患者は目に見えてぐったりとして、つぶやきをもらすこともなくなった。 「もうちょっと、辛抱しててくれ、おっさん。あんたは、実に運がいいんだから。こいつらを至近距離から食らって、骨にひびが入っただけですんだのは、神様のおかげだぜ。もうちょっと、どっちかがずれていたら、あんたの片肺は、確実にお陀仏だったんだからな。それに拝見させてもらったが、あっちの方もなかなかどうして、ご立派」 執刀医の軽口に、スタッフのあいだから失笑がもれた。医師はマスクの下で笑いながら、傷口の縫合をする宣言をした。 突然、ドアが開かれ、近くで包帯を巻いていた看護婦が、悲鳴をあげた。 武装した深緑色の一団が、滅菌消毒された部屋に乱入して来る。 「なんだ、きみたちは? ここがボウリング場か、サウナつきのスポーツジムだと思っているんなら、おかど違いだぞ」執刀医が声を荒げた。 「無理にほざかんでもいい。われわれは見ての通りの者だ。全員、そこを動くな」先頭の男が銃を向け、一同に命令する。 「これからパーティーだ。おとなしくしていれば、ご褒美をやらんでもないぞ」
|
|