20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:マイティーリリー 作者:zamazama

第20回   20
                20


「この手紙を読んでいる者へ――」
 レスター・ヘイシーの手紙はそう始まっていた。
 文面は前世紀のあざやかな、流れるような筆記体で書かれていたので、リリーにはかえって読みにくい代物だった。
「わたしは貴君が何者なのか、男なのか女なのか、はたして何色の肌をしているのか、そもそもいずこの国の人間なのか、まったく知らずにこれをしたためている。
 ちなみに現在はキリスト紀元の一千九百三十七年五月七日金曜日の夜明け前だ。窓の外には気楽で静寂に満ちたカンザスの町が広がり、夜明けの数時間前の一時を、心地よく過ごしている。しかし、今これを書いているわたしの心は、不安と恐怖とで嵐の海のように波打ち、ペンを持つ手も震えるほどだ。決して寒さのためではない。恐怖と予感のためなのだ。わたしはつい先刻までベッドの中に横たわり、恐ろしい夢にうなされていた。
 夢は恐ろしい戦争の夢だった。夢の中で都市が焼け、見たこともない炎が街を焼き、本当の太陽とは別の輝きを持つ太陽が地上にいくつも生まれて、火と煙が天を焦がすところが見えた。神の恩寵により、わたしにかねてから与えられている内的直感に従い、わたしにはその光景が、近い将来この世界で起こる大戦争の、真実の一駒であることがわかっている。しかし、わたしがこの手紙をしたためているのは、その有様を伝えんがためではない。それとは別の啓示を後世に伝えるため、わたしはこれを残すようにと、ある極めて真実味のある幻に衝き動かされているのである。
 今これを読んでいる貴君。繰り返しになるが、わたしは貴君の名前も顔も職業もわからないでこれを書いているのだが、親愛なる貴君に――ある親しみと尊敬とを込めて、あえて貴君と呼ばせてもらおう、なぜならわたしには今これをお読みになる貴君が、この世のただならぬ世界から生まれ来った者なのがわかるからなのだが――必ずや貴君の役に立つように、この世界の生まれる前の出来事と、貴君がこの世界にさまよい出ることになったそもそもの経緯を、ここに書き記しておこうと思う。
 その前に貴君は果たして、わたしのことをどの程度わかっておられるであろうか。あえて長くなるのを承知で、わたしの自己紹介をすませてしまおう。その方があとに書くことも、容易に信じてもらえるだろうからだ。
 わたしの名はレスター・ヘイシー。コネチカット州の名もない牧師の家に生まれ、長じてカンザス州はバードの町に越して来たわたしは、長年来の体質虚弱を疎ましく思い、世に言う暗示療法を受けるため、とある催眠療法士の扉を叩くことにした。その結果、わたしの内部に眠っていた、わたしすら知らない神の賜が目覚め、わたしの中に隠れていた予言の神秘的能力が、わたしの口吻を通してたち現われることになった。
 わたしの力はわたしの意識が完全に消失した催眠状態の際にのみ現われるため、わたしにはいかなる予言やアドバイスがわが言の葉から生まれたのかは、まったく知ることができぬ。ただ意識を取り戻したのち口述記録を参照し、初めてその内容を知るばかりなのだ。一体それがどうして起こるのか、わたしにはそれなりに筋道立てて考えた理論があるのだが、今ここで明かすことはすまい。おそらくはわたしの素人考えが導き出した当てずっぽうの理論よりも、はるかに学問が進んだ貴君の時代の方が、わたしのこの能力に関して、もっと妥当な論理的推論による、科学的整合性のある結論が導き出されるに至っているであろう。いたずらに過去の亡霊となっているであろう人間が賢しらに利口ぶって、後世の貴君の失笑と軽蔑を買うこともあるまい。
 貴君も容易に想像されるように、初めのうちこの能力の実行には、他者の協力が必要かつ不可欠であった。
 誰しも眠りに落ちた状態のまま、顔を洗ったり服を着替えたりはできまい。そんなことができるのは夢遊病患者くらいのものだが、あいにくとわたしの能力は、夢遊病患者よりも始末が悪く、誰かわたしの口述を書き留めるなり、質問をしてくれる者の介添えなしには、それこそただの寝言と変わりがなくなってしまうのだ。
 だが、科学の進歩はテープレコーダーという、便利至極な音声記録装置を発明してくれた。それにわたしは何回も催眠術にかかるうち、次第々々に催眠暗示にかかりやすい体質に変化していったようだ。
 かつて十七世紀にヤコブ・ベーメという名の靴職人の宗教家が、しろめの皿に反射する日光を見るうちに、意識をともなった一種の入眠状態に陥り、その際、知覚の扉が開くのを感じて、自分には天土 (あめつち) のあいだに理解できないものはないという、いささか不遜とも思える認識に至ったという逸話があるのだが、わたしのはいわばそれよりも一歩先に進んだ状態、しろめの皿の助けなしに、自分の意志一つで、自由に入眠状態に移行できるような体になっていた。
 インドの高名なある行者は絶え間ない厳しい修行の結果、聖なる女神の名を唱えるだけで、三昧 (サマディー) の境地に入ったと言うが、わたしに起こったことも、それと似ていると言えよう。
 またとある催眠術の実験に何度も応じた被験者が、術師の誘導なしに催眠状態になったり、果てはくだんの催眠術師が心の中で思うだけで、はるか遠隔の地にいて操り人形のように催眠状態に入ったという実例も報告されている。
 わたしにははっきりとした結論を下すだけの学問的基礎も裏付けもないのだが、ただ一つ自己の経験から判断して言えることは、人間の存在は、個々の人間がたとえ孤立して見えようと、心の中は大海のように果てしなくひとつながりの状態にあるらしいということだ。そこには個々人の切り離された時間や空間は一切存在せず、ただ《思ったことが現実になる》という法則だけが働いているらしい。
 よく人が『虫の知らせ』とか『第六感』と呼ぶ、奇妙な暗合や偶然の一致も、この心と心をつなぐ見えないつながりに関係があるらしいというのが、わたしの得た直感的結論だ。そして催眠状態に移行したわたしが、一度も会ったことのない人間の生い立ちや過去世を見抜いたり、まだ起きてもいない《未来》の出来事を的中させたり出来るのも、この人間の見えない心の広がりに関係があると思うのだ。
 恐らく人間の心の奥底に秘められた、目に見えない願いや欲望、恐れといった現実を形作る原動力になるものが、実際に行動となって現われる前に、心のプールに淀みとなって蓄積されるのであろう。そしてどうかした拍子に、わたしのように本来生きた人間が見るべきではない領域に、一時心をさまよわせる許しを神から与えられた人間だけが、その将来の絵図面とでも呼ぶべきものを読み取れるのだろう。人間の心の秘めたる部分が、個々人の人生や、なかんずく人間全般の行動を支配している以上、心を読める人間に未来が読めるのは造作もない話だ。生来の酔っ払いの前に口まで中味をついだウイスキーの瓶を置けばどうなるかくらいは、子供でなくとも容易にわかろう。そして、わたしの言わば『予言』の能力も、元をただせばそれとたいして変わりはないのであろう。わたしばかりでなく、事実上地球の全ての人々に同じことを行う能力があると、わたしは考えている。ただ大半の人間はそういう可能性に目を開かないばかりか、むしろその種のことは考えることさえ無益だと思っているのに過ぎまい。
 人間にとって未来を逐一知ることが望ましいことだとは、わたしもつゆ思わぬ。もし仮にそうであるならば、神は必ずや個々の人間がおのれの未来を知れるよう、その能力を賜として全ての人類に授けたはずなのだ。しかし事実はわたしのような『読み取り』の能力を持った人間はごく少数、それも能力を有することを知られれば、たちまち近隣の者から迫害され、簡単に死滅させられ得るほどの絶対的少数者なのだ。
 世の中には未開の地で神として崇められ、崇拝を受けたわたしの同類や、反対に『魔女』とか『悪魔の弟子』呼ばわりされて、はからずも命を落とした同胞も大勢いたことであろう。幸いといっていいか生憎といっていいか、わたしが生を受けた時代の生を受けた場所 (他でもない旧世界の桎梏とくびきを逃れて、ここ新大陸に建国された、神のおぼえめでたきわがアメリカ合衆国だ) では、かかる能力を有する者は、昔ならいざ知らず、現在では寄席の客集めのための見世物や、人間の知られざる能力の地平を開く珍奇な開拓者として、好奇の目で見られ嘲笑半分で歓迎されこそすれ、死の恐怖に脅かされることは少なくなったと言っていいだろう。
 まあ、ごくたまに恐ろしく保守的で信心深い人々の住む町で、石もて追われることもあったろうが、かつてかかる能力の持ち主が忌まわしき悪魔のしもべとして迫害を受けた故事からすれば、方々で芸人として遇されるなど何たる出世だろう。
 かかる選ばれし少数者のみがこの種の能力を有するのはなぜなのか、このことにいかなる神のみこころかはたまた悪魔の計略が働いているのか、わたしはあずかり知らぬ。世のある者は、これまでも度々そうだったように、わたしを『気違い』と呼び、『社会的落ちこぼれ』、『不適確者』と呼んで嘲り罵った。わたしはこの種のことは決して初めてではないものの、やはり身を切られるように辛かった。わたしは人の世の愚かしさ残酷さ、またほかでもない同胞の嘲笑が、いかに異邦人の迫害よりも骨身にこたえるものか、身に染みて知っているつもりだ。
 だが貴君よ。貴君がいつの日にかかかる仕儀に相成り、俗世の人々の嘲弄と敵意をその身に受けようとも、ゆめゆめ世人を憎み、また恨みに思ってはならぬ。なぜならわたしは知っているからだ、その種の嘲りを浴びせる者が、一たび眠れぬ夜には、かなわぬおのれの望みに歯ぎしりし、また無残にも破れた夢のかけらをあかず抱きかかえ、いかに懊脳にのたうつかを。
 かかる場面に於いて、人はみな貧富、美醜、強弱の差はあろうとも、同じ不自由をかこつ限りある身の一個の人間なのだと知れること、これこそまさしくわたしに与えられた天与の能力が、わたしにもたらした最大の恩恵であり認識であった。これにくらべたら予言の神秘的わざなど屁みたいなものだ (失礼)。しかしわたしは大幅に脱線した。わたしが言いたかったこととは、人が死において初めて通り抜ける扉を日毎に通り、人に隠された未来のことどもをたやすく知るところとなれば、人は一時その身に益を受くるとも、あっと言う間に怠惰・堕落の罪に陥り、簡単に魂を滅ぼし去るということだ。恐らく神が大半の人間にこの御業の賜をお許しにならなかったのも、ここに原因があるのかもしれぬ。
 今日からさかのぼること二月あまりの本年三月※日のとある夜更け、わたしはいつものように日毎の義務から解放され、著しく疲れていたこともあって早めに寝つこうとした。だがどういうわけか、その晩はいつものようには寝つくことができない。体は疲労の極致にあり、一瞬でも早い睡眠を欲しているのに、頭の方がやけに冴えざえとして、寝ようと焦れば焦るほど目がさえてしまい、奇妙なぐあいに神経がたかぶるのだ。
 わたしはこの頃にはわたしの就寝前の習慣になっていた、安ウイスキーを寝酒に二杯ほどもあおると、今度はたやすく眠れるだろうと枕の位置を高くして再度ベッドにもぐり込んだ。だが、やはり駄目だった。アルコール性の偽りの眠気が、かえって肉体が要求する健康な眠りを損ない、わたしの飲酒は裏目に出てしまった。わたしは静まり返った寝室の真っ暗闇の中で、目に見えない亡者の群れにはやしたてられたような気がして、一時とろとろと眠ったかなと思うと、じきに目が覚めてしまった。翌日は遠方に大事な遠出の用事を控えていたこともあって、わたしはいささか焦っていたようだ。わたしは思いきって、その頃までには自分にかけられるようになっていた、自己暗示による誘導を使って、朝までぐっすりと眠れるようにと、わが身に催眠術をかけることにした。
 わたしはわたし自身を催眠状態に移すのに、簡単なペンデュラム (振り子) を使うようにしていた。この振り子というのは、長さ一フィートに満たない鎖の先端に、重さ半オンスほどの無花果型の金めっきした錘がついていて、占い師がダウジングの際にも使えるように細工された、おもちゃのような代物だった。しかし重さも値段も肩の凝らない手頃なものだったため、わたしは重宝していた次第だ。これを使えば他人が催眠術をかけた時に劣らない効果があった。ただし実際に百パーセント意識がなくなることがないように配慮はしていた。
 実際、自己催眠では他者による催眠誘導ほど、深い催眠状態に移行するのは至難のわざと言えた。おまけに一人きりの状態で自分に催眠術をかけるのは、非常に誤った危険な行為だ。貴君もゆめゆめわたしの真似を試みてはならぬ。下手をすれば正気を失い、一生廃人同様の状態で過ごさねばならぬ羽目に陥らぬとも限らん。とにかく先を続けよう。
 ペンデュラムは思った通り、というより予想以上の効果を発揮した。自己暗示による催眠状態に陥ったわたしは、たちまち眠りの深い淵へといざなわれた。するとどうだろう。わたしの前には深海が――いかにも夢の中でそうあるように、この世のものとは思えぬほど暗く不気味で、しかしどことはなしに安心感を漂わせる水の層が、目地の続く限り果てしなく黒々と広がっているではないか。現実にそういう光景を目のあたりにすれば、きっとわたしは昔も今も胆をつぶして、たちまちのうちに水の外へと逃げ帰ったことだろう。わたしは泳ぎがからきし苦手だ。しかるに夢の底でのわたしはまるで素潜りを楽しむ潜水夫のように、危険きわまりない水中を自由自在に泳ぎ回っていた。夢の中ではどんな危険で向こう見ずなことでも、平気でできてしまう。まったく子供の頃から生来の怠け者で臆病者のわたしにとって、眠りの淵で見る夢の世界は、現実の世界に百万倍も勝る素晴しい場所と言えた。
 それはともかくとして、わたしはこのうえなく暗い深海の底をめざして水をかきわけるように泳いで行った。それはまるで粘り気のある大気の層を苦労して飛ぶような、何とも言えぬもどかしい一時だった。
 貴君は夢の中で空を飛ぶ経験をしたことがおありだろうか。もしあるならばその時の経験を思い出していただきたい。きっとわたしのその時の状態が、おわかりいただけるだろう。わたしは長年月の精神的、内的な探索の経験から、人が空を飛ぶ夢を見ている時には、かなりの確率で、人を構成する肉体の一部であるアストラル体やコーザル体が自己の肉体を抜け出して、それ自身が属する未知の次元に――一般にはあの世とか魂の世界と誤って呼ばれている《幕の彼方》の領域の世界へと、さまよい出ている場合がしばしばあるのを知っている。そんな時、無理に起こされたならば、人は自分が見ていた夢をはっきりと記憶にとどめているであろう。だがそれは夢などでは決してなくて、自己の体に内在するまぎれもない本来の自分自身――誤解を招く言い方を許していただけるならば、いわゆる《潜在意識》とか《魂》と呼び称されている部位が――いわばラジオが遠くにある放送局から、電波に乗せて飛んできた音声を伝えるように、異なった時空にまごうかたなく存在する出来事や光景を、眠っている肉体の中へと送信してきているらしいのだ。
 もっともたいていの人はこの状態で起きることはまずないと言っても過言ではない。海に潜った人間が海面へと上昇していくように、眠りの淵にある人間も、浅い《覚醒》と呼ばれる状態へと移行して、徐々に睡眠から目覚めると同時に、たぐい稀なる造物主のみこころにより賜わった《忘却のベール》を通り抜け、その次元で見聞きしたことや全ての経験を忘れてしまうのだ。そして眠りのことも夢を見た記憶も、そこで得たやもしれぬ啓示のことも、全てきれいさっぱり忘れ果てて、日常の雑務にと追われるのだ。
 嘘だと思ったら試してみるがいい。机に向かって一つのことを考えるように、自分自身に強いるのだ。おそらくはほとんどの人間が十秒ともたずに、別の物思いや考え事を、頭の中で始めているだろう。常日頃の人間が、いかに注意力散漫で物忘れが激しいか。『人間は考える葦だ』と言った高名な哲学者がいたが、恐ろしく気まぐれで、物忘れの激しい葦でもあるのだ。
 それはそうとわたしは夢の中で泳ぎを続けていた。突然だしぬけに――夢の中ではいつでものことだろうが――どこか行く手の遥か深みの暗黒の海底から、目の覚めるような一条の青白い光線が、音もなく射し込めてきた。それは海の暗さがこの世のものではないのと同様に、この世のものとも思われぬ、神々しい青白さだった。光はわたしをいざなうようにまっすぐにわたしの額の一部をめがけて――俗に言う第三の目がある眉間の箇所を一直線に照らすと、わたしはまるで吸い寄せられるように、一心に海底にさらわれていった。それは何とも素晴しく心地のよい、魅惑的な一瞬であったことか。わたしのつたない素人くさい筆では、とてもあの瞬間の恍惚とした、さまようような感覚を書きあらわすことは到底できかねる。
 それはともかくとして、わたしは何かに吸い寄せられるように、眼下からまっすぐに伸びてくる光線の源をめがけて、まっしぐらに泳ぎ進んだ。
 ほどなくしてわたしは、暗い水中に山のような物を見つけた。あたかも山のようにそびえたつ、巨大なピラミッドの神殿を思わせる、黒々とした異様な光景だった。なぜ水中にそんな物があるのか、わたしは不思議とも思わずに上空から――水中のことではあったが――ピラミッドの頂上の三角に切り立った部分に近づいて行った。光はその三角形の上部のてっぺんから三分の一のあたりの高さの、やや下のあたりから、音もなく放射されていた。周囲の水が光線の青を反射して夢のとばりを思わせる帯状になってゆらめき、幾重にもピラミッドをベールのように取り巻いていた。誰かの声が重々しく荘重な調子で、『見よ! 見よ!』と叫ぶのが聞こえた。見るとまるで視界がカメラのレンズのように視野を拡大して、自動的にピラミッドの三分の一のあたりに焦点を合わせた。光の源となっているらしい黒い穴が見えた。光は穴の奥にある何かから、水中に向かって放たれているらしく、わたしはそれが何なのか知りたいと願った。それで水中を泳いで巨大なピラミッドの頭頂部に接近しようとした。
 『待て!』とどこからともなくさっきの声がした。声は水中から聞こえるにしては誇らしくて低い、どこか威厳のある声だった。そして何者かの力がわたしの心と体に働いて、ピラミッドの周囲を見せようとしているのを、わたしはその時確かに感じた。
 強制されるまま頭を周囲にめぐらすと、初めはただ暗い海水が広がっているだけに思われた周囲の世界に、ぼうっと光が差し込めてくるのが見えた。あるいはそれは光ではなく、ただ視界に注意が払われたので、わたしの心の眼が感度を上げただけかもしれぬ。
 今まで何も見えなかった周囲の暗闇にかすかに何者かの気配と恐ろしく巨大な影とがおぼろに浮かびあがってきた。それは差し渡しが二マイルから三マイルはあるだろう、舗装された道路の跡だった。道路は一辺が数フィートから十数フィートはありそうな四角く切り取られた石で敷き詰められ、途方もなく広く大きく四方八方に伸び広がっており、気がつくと目地の届く限り海底を覆い尽くしていた。わたしは息を止めて見つめていた。それまで水中にいたのにも関わらず息を続けていられたことに、わたしはその時初めて気がついた。わたしはその瞬間、『ああ、これは夢なのだな』と遅ればせながらに気がついた。同時に夢は自覚をともなった《覚醒夢》に変わった。
 わたしはこの種の覚醒夢を見ることがしばしばある。医者によってはこれを精神分裂症の前躯とみなす向きもあるが、わたしはむしろ未開のインディアンやチベットのラマ僧たちの説を採る。
 ある部族のインディアンやラマ僧たちは、かれらの修行の一貫として、この自覚夢をシステム的にかれらの生活や修行に取り入れているらしい。誰もが一時間半おきに夜毎に見る、このありふれた夢の中で意識を取り戻すことこそ、この世界と閉じられた《幕の彼方の世界》の禁断の秘密とを同時に知ることができる、その第一歩だというのだ。
 しかしさりながら、この時夢を見る者の意識と魂は死と隣り合せの非常に危険な場所にあるものだ。夢解きを焦るあまりに《敷居の番人》に気づかれてしまい、死と同じだけの恐怖を味わって、一晩で髪の毛が真っ白になった御尽もいるくらいだ。だから貴君はわたしの言うことを真に受けてもらって、ゆめゆめ不用心に夢の世界をいじくりまわさぬよう、一言注意するよう申し述べたい。
 わたしはそれが自覚夢だと気がつくと同時に、そういう場合にいつもそうするように、自分の両手を目の前に広げて、指の数を勘定した。案の定、十本以上生えた指は、関節からサンゴのように枝わかれして、幾十本にも増えていた。気持ちが悪くなるほどうじゃうじゃと生え出た指先の一つ一つに至るまで、動かすとちゃんとした触覚と痛覚とがあった。指先に伸びるように念じると、指先たちは奇怪な腔腸動物のように、蠕動しながら伸びていった。元に戻るように念じると、指たちは言うなりになるのだった。
 その時何者かが耳元でため息をつくのを感じた。『もうよい。今日はこれで帰らせるが良い』
 さきほどの声だった。目には見えねども、何者かの力がわたしをそこから引き離そうとしているのを、わたしは如実に感じとることができた。それは不可視の存在ではあったが、まぎれもなく臨在するものであり、しかも力と威厳を兼ね備えたものだけが持つ、抗し難い必然性とでも呼ぶべき気配を感じさせた。
 さながら造物主のようですらあった。
 にも関わらず、それが何者の声なのか、わたしには見当もつかぬのだ。わたしは当然のことながら神ではないかと感じた。そしてわたしがなおも好奇心を発揮してその場所にとどまり続け、その場の光景を見ようと抵抗すると、だしぬけに何かが宙で弾け飛んだような気がして、わたしの意識は海底から引き上げられた。
 その晩の夢はそれでおしまいだった。
                *
 それだけで終わりならば、それはさっきも言ったように、単なる自覚夢の一つでおしまいになるはずだった。だがそれからほどなくした、およそ二週間後の満月の夜、わたしはしばらく中断していた『夢の備忘録』をふとつけてみる気になり、そのために用意しておいた皮装丁のノートを取り出して、それまでの記述を見返してみた。
 わたしは以前から自己の内面を深く知るために、見た夢を記録して分析する習慣があったのだ。ノートを開いた瞬間、わたしの頭にだしぬけに、先日見た暗い深海の底に横たわる、ピラミッドの映像がありありと浮かんだ。わたしはその姿のあまりの不気味さと奇怪さ、その思い出すことのあまりの唐突さに、思わずペンを取り落とした。それ以上に驚いたことは、その時まであの奇怪な印象の水中建造物の姿をきれいさっぱり忘れてしまっていたことだった。
 貴君も覚えがあろう。目が覚めた時忘れてしまった昨晩の夢が、まるで主人の粗忽をなじる召使いのように、どうかした拍子に意識の表層に踊り出ると、そのイメージの奇抜さと斬新さで貴君の脳を直撃するのを。その時のわたしがまさにそれだった。
 わたしは一体自分がどうしてあんな鮮烈な印象を持つ夢を忘れられたのかといぶかった。そしてあの夢の強烈な印象を忘れないうちにと、一心に集中して、ノートに思い出せる限りの夢の細部を書き記していった。
 わたしは色鉛筆を使ってピラミッドの絵まで描きながら、一体あの夢にはいかなる意味があったのか眠りにつくまで考えをめぐらせた。おそらくその数時間の思索が効を奏したのだろう。わたしがベッドに入って疲れた体を休めるいとまもなく、あの夢が――お暗い海底の沈殿した泥に半ば埋もれて忘れられた、過ぎし日の人間の営みを伝える大いなるピラミッドの残骸が、わたしの眠りに入って間もない意識の表層を破って姿を現わしたのだ。たちまち、わたしはいつかの晩に見た、あの海中のピラミッドの夢の続きに引き込まれていった。まるであの時から一瞬も時が経たなかったかのように、それは滑らかな一繋がりの劇を見ているような按配だった。  わたしの前に洞窟が――洞窟と見まがう横穴が開いていた。それはあのピラミッドの横腹、形容し難い青白き光のこぼれ出た隙間、頭頂部から三分の一のところにある例の謎の大穴だった。わたしが前回の夢で何かがそこにあるのを認め、中を確かめようとして謎めいた声に制止させられた穴だった。
 わたしはまったくの暗い深海の底近くではあったが (それでもピラミッドのその部分は、海底からたっぷり四分の一マイルは離れているように見受けられた)、その穴をみまごうことはなかった。今回は空中のどこにも――というのはとりもなおさず水中のどこにもということだが――あの光は射してはいなかった。そして、わたしが前回と同様水中を泳いで横穴に近づこうとしても、今度はわたしを引き止める声はどこからも聞こえてはこなかった。どうやらわたしは何者かの試験にパスしたものらしい。
 わたしは――夢の中にいることがその時にはわかっていたので――夢がまた消える前に全てを見届けようと、すぐさま穴に近づいて目をこらした。見ると穴の縁すぐのところに何か固くて丸い物があり、それが固定された台座の上に安置された、直径がわずかに七インチほどの透明の水晶の球であるのがわかった。
 わたしは前回夢で見た奇怪な光線の源はこれだなと直感した。手を伸ばして指先で触れようとすると、何か見えない壁か幕のようなものがあって、わたしの指を弾き返した。
 『まだだ。まだその時が来たってはいない。それに手を触れてはならぬ』
 また例の声がした。
 聞き捨てならないことを言う声が。
 わたしは思いきって、勇気を出して訊いた。『あなたは何者か。誰であるのか』と。
 声がたちどころに答えた。『わたしはアルパにしてオメガなり。わたしはあってある者。時の初めよりこの世にありし《永劫》にして、また時のうつろい去りしのちのちまで、この世にあらん《滅び》である』
 わたしはその答に打たれ、水の中でひれ伏し拝みそうになったが、その時生来の疑い癖 (よく言えば懐疑精神) が頭をもたげた。今の声は外在するものではなく、内在、すなわちおのれの心が生み出した幻聴なのではないかとふと思った。
 その途端だ。海の水が暗さを増して暗い上にも暗くなり、水がどす黒い輝きを帯びて黒い上にも黒くなって四方から迫って来ると、わたしは邪悪な怨霊のような亡霊のような存在が身近に迫るのを感じ、心に疑いの念を抱いたことを遅ればせながら後悔したが、あとの祭だった。
 ピラミッドも海底もたちまちのうちに姿を消して、わたしはいずこか知らぬ酒場の一隅で、教養のあまり高くなさそうな酔客相手に、アコーディオンの音色を奏でては、受けて当然の尊敬と報酬を受けるかわりに、嘲笑され愚弄されている楽士に早変わりしているのだった。
 犬とくらべたら犬に申し訳ない程度の人間たちに囲まれて、わたしはかれらの知らない天空の神秘を理解し、かれらの及びもつかない技量でそれを曲に仕立て、かれらの知らない和音で奏でていた。そして聴衆はといえば自分のあずかり知らない真理と知識は嘲笑してもかまわないのだという『愚か者』にのみ許された特権で、わたしに優越感を感じて嘲笑しているのだった。ただ、わたしがかれらには見えない物を見分けられ、かれらにはそれができないという理由で、かれらはわたしを劣った者と信じているらしかった。そして夢の中のわたしはといえば、かつては神によって才能を育まれ、信仰の熱心さにおいては十二使徒にも引けをとらぬほどの伝道者だったのに、ちょっとした油断と邪念とから神の恩寵を失い、今ではこんな神の目の届かぬ場末の暗がりに日銭を乞い、わずかばかりの糧に口を糊する毎日を送る身の上であった。
 だが、それは通常のありふれた夢に過ぎなかった。わたしの意識はたちまちのうちに曇り、何もわからなくなってしまった。
                *
                *
 わたしがあまり長々と書いているので、貴君は退屈のあまり、この手紙を投げ捨ててしまうかもしれぬ。それにわたしは職業的な物書きではないし、そんなものになりたいと思ったこともないので、論理的にものごとを書きつけていくのがひどく苦手だ。貴君にこれまでの経緯を理解してもらうために詳しく書こうとするあまり、かえって脱線してわかりにくい手紙になってしまったかもしれぬ。
 そこでちぐはぐになるのは承知のうえで、少しばかりはしょってわたしの夢記録のノートの一部を抜粋して、ここに書き写すことにしよう。その方が簡潔で貴君にもわかりやすいであろうからだ。
○月×日 昨日に引き続き今日もまたあの夢を見る。暗い海底にそびえるピラミッドの夢だ。今日は横穴も光も見られぬ。しばらくあてどもなく周囲を遊泳する。何も変わったことは起こらず。心の中で変化を念ずるも、逆効果となり普通の夢へと移行。(以下、他愛ない夢の記述が続くが、この手紙の内容とは無関係なので割愛する)
○月×日 ここのところ数日間ピラミッドの夢のことばかり気にかかり、あっという間に日数が過ぎるも、かえって意識し過ぎたためか何もそれに類するものは見ない。ただ時折、入眠時幻覚にむごたらしい戦争の風景や火山の爆発とおぼしい天災、何かとてつもない災厄に見舞われた異世界の都市の光景が、閉じた視野の中に閃光のように浮かんでは消えていく。まるで身に覚えのない風景ばかりなのに、異様に鮮明で現実感があり、胸が畏れと不安でどきどきする。(貴君がこの種の事象に無知もしくは無頓着かもしれぬゆえ、あえてつけ加えると、《入眠時幻覚》というのは、人が寝入りばなに瞬間的に浮かんでくる意味のない一連の情景のことだ。) 学者の中には、あれが目を閉じることで外界からの情報を遮断された網膜に眼球内部からの信号が照り映えて、脳がそれを“映像”と誤って判断してしまうために起こる一種の錯覚だと唱える者もいるが、肝心なのはそれがなぜ見えるかよりも、意識がその映像をどう解釈したかということだろう。
 つまり実際には発せられていない言語を“幻聴”として聞くことで、逆説的にその人間が抱える内面の問題が一種外在化されるように、入眠時幻覚も、たとえそれが物理的には存在が証明されなくても、ある人間の脳が特定の信号をある映像として判断してしまうことそれ自体が、その人間にとって内的に重大な意味を含むものとわたしは考える。
 つまりかのフロイト博士も言っているように、『偶然に起きる間違いはない』ということだ。そして、わたしのこれまでつけてきた入眠時幻覚のメモの中には、その翌日から数日のあいだに、日常の現実の生活で思い当たる光景や出来事が象徴的な組み合わせで出てきたこともたびたびあった。これはこの種の出来事に注意を向ければ向けるほど、頻度がたびたび上がったものだ。まるで自身の中にそれがあることさえ気づかなかった、特殊な任務を負う《予言テレパシー発信所》のような部署があって、それがわたしに気づいてもらえたことで俄然やる気を出してはりきっているような按配だった。わたしの説明では要領を得ないかもしれない。忘れてくれても結構だ。)
 
○月×日 ここのところ数日間、あまりの多忙さに『ピラミッドの夢』の探索どころではなくなり、夢も一つも覚えてはいなかった。実際には一晩のあいだに三つ乃至は四つの夢を、人は見ているはずだ。その間隔が一時間半に一つの割合であることも、わたしには経験上わかっている。だがようやく今日、一繋がりの夢の続きを見ることができた。
 夢の中でわたしはピラミッドのかの横穴に手を入れ、くだんの水晶球をつかむことに成功した。覚醒夢では別段珍しくもないことだが、おどろくほど真実味のある『リアル』な感触で、ひんやりとした水晶の実感が指先に伝わってくる。
 触ると同時に表面にびりびりと細かく振動が走り指が痺れた。水晶が帯びている荷電粒子のためらしい。水晶は二本の金属の足のような物に支えられて、台座に固定されていたが、わたしが指先に力を込めて持ち上げると、思いのほか簡単に台座から離れてわたしの手の中に乗った。持ち上げると、ずしりと重い水晶の感触が手に心地よい。目の高さに掲げて獲物の中をのぞき込むと、表面から透けて見える中心部には、黄金のピラミッドが川べりに建って輝いている荘厳な光景が見てとれた。わたしはとり憑かれたようになって、もっと別に何か見つからないものかときょろきょろとあたりを見回した。
 その目が近くの海中に浮かぶ銀の箱のような物に釘づけになった。手をさし伸ばして触ってみると、それは記録用の銀版であった。何十枚かの薄く均一に伸ばした銀の板に文字を刻みつけ、片端にあけた二つの穴に、曲げた真鍮製の二本の金属の棒を通して一冊にまとめた、超古代のペーパーバック本だ。
 形状から察するにかなり重たいはずなのだが、さして重さを感じないのは、海の中にいるからなのか、それとも現実ではないからだろうか。その途端、だしぬけにあたりの景色が鮮明さを帯び、わたしは自分が覚醒夢の中にいるのに気がついた。この機を逃してはならぬと、わたしが神妙な気持ちで心を整え、目の前にある記録用の銀版を手で撫でさすっていると、心の中で声がした。『見よ! その記録を汝に託せしは、わがおおいなるはかりごとの、この世にあらわれんがためなり』と。
 『汝、このためにはかられ聖任されし者にして、わが心にかなう者なり。さすれば、その記録に書き記されしわが預言の草々を、見よ! 見よ! 見よ!』
 その声はこれまで幾たびか聞いた、あの権威ある力強い主の言葉のようであった。
 わたしはそれが何者で、どこから聞こえてくるのかという余計な詮索はせずに (相手もそんなことは望んでいないのがわかっていたので)、心に疑問を抱かないよう注意しながら、その声のアドバイスに従うことにした。わたしは高鳴る心を抑え、あらためて銀版を一つ一つめくって見た。
 そこに書かれていたのは当然のことながら、わたしがこれまで目にしたことのない古代の象形文字とおぼしい謎めいた文字の数々だった。一つ一つが何かの意味を表わしているらしく、中国や日本の漢字のようだ。
 わたしは文字に手を触れながら、こんな記録は読むことができないと心で念じた。するとまた心のどこかで声がした。『汝、疑うことあたわず。見よ! 見よ!』と。
 すると銀版の文字が飴のように溶けて流れ出し、そのあとには、おお! 現代アメリカ英語の文章が表われたではないか!
 わたしは心が激しく動揺するのを感じながら、銀版の記録に記された内容を読んでいった。それはかなりの長大な文章で、古代に繁栄したとある王国 (それは正確に言うならば、専制立憲君主国か専制独裁制帝国といったようなものだ) の成り立ちと歴史、その進歩と堕落と滅亡の顛末とが記された、聖書風の年代記であった。ところどころに記録者本人による詳細な注釈や解説も書かれてあった。
 今ここで銀版の正確な一字一句を再現することができないのは残念だ。なぜなら例によって夢から覚めると同時に、どうしても人間の意識のまだるっこしい特性のために、眠りの中で見た記憶の一部始終を、覚醒後も維持し続けることが困難だからだ。
 ひょっとして見世物に登場する記憶術の達人なれば、夢で見た記録の内容を、一言一句まで再現できるかもしれない。だが、わたしはそんな物の達人ではない。今はその記憶の断片と、わたしが今でもかろうじて覚えている、おぼろな印象だけを記すにとどめておくことにする。その詳細は別の覚え書きにしたためて、他の記録と一緒に保管しておく手はずを整えることにする。それはあまりにも膨大で、長きにわたる歴史だからだ。
 今はこれだけを書き記しておく。わたしはその世界の歴史と夢で見せられた銀版と、それに続く数週間にわたる一連の“予知夢”(わたしは、あの海底ピラミッドと不思議な声の出てくる一連の夢を、“予知夢”と呼ぶことに、もはや何のためらいも抱かない) とを通じて、ある御方から――それが何者なのか誰が知ろう!――啓示を受けた。
 そして本日 (すなわちそもそもこの手紙を書き始める発端となった、かの世界の滅亡するに至った経緯を語る、げに恐ろしき夢を見た日付、キリスト紀元一千九百三十七年五月七日金曜日)、特に貴君――貴君のためだけに、この手紙をしたためるように夢の中で『圧力』を受けたとだけ書き記しておこう。
 この手紙が――何者かはわからぬが――貴君のもとに無事渡らんことを!
 わたしは貴君が夢の中で滅びるのを見せられたかの文明世界アトランティスで、かつて神として君臨していたことを知っているのだ!




← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 254