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作品名:マイティーリリー 作者:zamazama

第2回   2
 第一部  天使が街にやって来た!




                            1



 ルナチク市 (シティー) のロジャー・ベリンスキー警部は、警察本部の建物に着いたところを、ブラウン本部長のオフィスに呼ばれた。
 警察本部長のフェニモア・クーパー・ブラウンとは、家族同志もお互いの家を行き来する仲だったから、呼び出しが内線電話や口頭によるものではなく、メモを回覧させたものと知った時は、嫌な予感がした。
「まあ入れ。気分はどうだ、旦那?」
 本部長はチョコレート色の肌にきれいに口髭をはやし、見てくれのいい白い歯を見せたが、笑顔はチェシャ猫のそれよりも、素早く消えてなくなった。
「まずまずですね。何です、朝っぱらから?」
「そう急(せ)くな。コーヒーでもどうだ?」
「いただきましょうか」
 本部長は慣れた手つきでパーコレーターから紙コップにコーヒーを注ぎ、心ここにあらずといった調子で、目の前の白人の男に差し出した。
「うまいだろ、そのコーヒー?」
「ええ、うまいです」
「今度は自分でつげ。俺にもついでくれ」
 ブラウンは縁なしの遠近両用眼鏡を掛け、書類の束に目を通し始めたが、ベリンスキーの差し出すコップを当て推量で受け取り、中味をこぼした。「あちち! あちちちち!」
「気をつけて下さい。その年で火傷すると、生皮をはがしても治りませんよ。書類に五大湖みたいな染みも出来てます」
「え? そうだな。ちぇっ、本当だよ」
 ブラウンは舌打ちして、書類の染みをぬぐった。
 肩が張り、背はベリンスキーより三インチほど低いが、体重は優に二十五ポンドは重いブラウン本部長は、大学時代を州の内外に轟かせた名クォーターバックで通したのもうなずけるほどの、ヘレフォード種の雄牛のような体格をしていた。
 一方、ベリンスキーは、中西部の大学の、無名で神経質な客員哲学教授といった面持ちで、背は六フィート四インチ、短く刈った白髪まじりの灰色の髪と、鋭く青い猛禽類風の目、尖ったあごと深く刻まれた額のしわ、意外にも広い肩の上には、鳥類を思わせるかたくなな首が、スペースシャトルのブースターのようについていた。
「ここへ着くと間もなく、あさいちで電話が入ったんだ。市長どのからだ。面倒なことになりそうなんだ。まあ、掛けろ。すわって話そうや」
 ブラウン本部長はデスクの上にぞんざいに置かれた、膨らんだ書類ホルダーを放ってよこした。
「読んでみろや」
 ベリンスキーはホルダーを開いた。
 タブロイド紙の派手な見出しの切り抜き記事や、それより少しはましな新聞記事のコピー、インターネットの記述をプリントアウトした物などが、雑然と詰め込まれていた。
「何です、ゲロ袋のような、これは?」
「見ての通りのゲロ袋さ。どこかのアホが、暇つぶしに切り抜いて、ためてやがったんだろう。『わたしは宇宙人にさらわれた』とか『彼女は宇宙人の子供を出産した』とか、『ヒトラーは生きている』とかいった類のよた話さ。おまえさん、天使は信じる口かい?」
 ベリンスキーは胃の腑がでんぐり返った。「いや。日曜学校には長いこと行っていません」
「ふふん。行った方がいいぞ。信仰は大切だからな。おまえさん、朝飯はまだなんだろう? ベーコンエッグとレタスのサンドウィッチを食わないか? レタスは少々しなびてるけどな」
「いえ、結構です。かわりにコーヒーをいただきましょうか」
 ベリンスキーは自分でコーヒーをついだ。ブラウンの方は安っぽい紙製のランチボックスからサンドウィッチを頬ばり、やりきれないといった調子で天を仰いだ。「そいつが市長の電話と一緒に、オフィスに届いたのさ。正確に言うと、俺の可愛いデスクに腰掛けると、そいつがちょこんと上に乗っとったわけだ。何だろうと思い、ホルダーをめくっていると、絶好のタイミングで、市長からの電話だ。おまえさん、そいつをどう思う?」
 ベリンスキーは切り抜きをつまんだ。


     謎の幽霊警官、ギャングどもをノックアウト!

 昨夜、ルナチク市内のドラッグストアに、二人組の強盗が押し入った。強盗は店員に銃を突きつけ、レジにあった売上金百二十一ドルとケース入り缶ビール三ダースを奪って逃走。通報を受けた警官が店の裏手を調べると、同店に押し入った強盗が、奪った現金の一部を食わえさせられ、猿ぐつわをかまされたうえに、消火栓にロープで縛られていた。一人の胸元にはメッセージカードが添えられ、「この者たち、法律の埒外にいる輩にして、法執行のしもべに引き渡すものなり」と書かれていた。
 その後の調べで、ロープは店の奥の倉庫に運搬用に備えられていた物と判明。その場で緊急逮捕された二人組は、同地区を根城に徘徊するギャング団、通称〈クールデン〉の下部組織に属する、無職のティーンエイジャーたちとわかった。
 警察の取り調べに対して、二人は怯えた様子を見せ、支離滅裂な供述を繰り返すだけだという。カードに書かれた文句は、現在《ルナチク・アドバタイザー》紙に掲載されている人気連続マンガ『ザ・トゥエルブ・アイド・チェイサー』の主人公が放つ決め台詞からの引用と思われる。
 二人を捕えた身元不明の協力者の手がかりはなく、警察では該当者に名乗り出るよう呼びかけている。


 ベリンスキーはコピーをめくった。
 次のは囲み記事で、風に飛ばされて、切り抜きそのものがなくなってしまいそうなほど、小さい。


   空軍、UFOと遭遇!?
      あわや空中衝突か?

 昨日未明、アンドリュー空軍基地を飛び立ち、偵察飛行を終えて帰還したジェット戦闘機が、同基地上空を旋回する謎の物体と接触、一部の情報によると、交戦状態に突入したという。同基地スポークスマンと空軍では、この事実を全面的に否定している。
 同基地の周辺では、半年のあいだに夜間から早朝にかけて西方へ飛ぶ、明るく輝く青白い物体を目撃したという通報が、近隣の警察に多数寄せられ、同基地の中にUFOが格納されているのでは、と地元のマニアたちのあいだで話題になっている。


 ベリンスキーは中ほどの記事を手にとった。


 上院議員は語る、「夜明けの空に天使を見た」
  信仰か? 隠蔽工作か? 

 かねてから地元製粉業者との癒着が取り沙汰されている、テネシー州選出の先の上院院内総務をつとめた、共和党所属のデビッド・ジェームスン上院議員は、昨夜、連邦議事堂前で異例の記者会見を行い、同日付けで議員の職を辞する旨を、記者団に公表した。
 唐突とも言える会見に、集まった記者たちから質問が集中。同議員いわく、「諸君たちは私を嘲笑うかもしれないし、狂人だと思うかもしれない。どう判断されても結構だが、私はある夜更け、議員宿舎の給水塔のてっぺんに、白く輝く天使が舞い下りて、私のことを認め、にっこりと微笑むのを見た。私はそれを私個人に対する、天の明らかな啓示だと思い、一身を捧げてきた、この天職とも言うべき政治家の職を投げ打ち、信仰に生きる決心をした」と述べた。また同議員は、「諸君たちが関心を示し、特にその事実を知りたいと願っている、ある政治スキャンダルに関しても、懺悔の意味を込めて、包み隠さずに真相を述べる用意がある」ともつけ加えた。そのスキャンダルが何を意味するのかまでは、明らかにしなかった。
 同議員には、先の一連の不正献金疑惑に関わり、問題の業者に、証拠隠滅と偽証を強要した疑いで、近く連邦大陪審の調査が開始される噂が取り沙汰されており、身辺に本格的な捜査が始まる前に、疑惑をそらすための辞職と見る向きが強まっている。
 なお同議員には、『上院議員の信念と私生活』、『宗教と政治結社』、『私はなぜ大統領に向いているか』等の一連の著書があり、元ニュースキャスターの夫人とのあいだに、一人の娘がある。 


 ベリンスキーはニュースと記者会見の模様をテレビで見て、強く印象に残っていた。
「天使は私のことを認め、にっこりと微笑んだ」というその一文に、ベリンスキーは強く惹きつけられた。その瞬間、“天使”を目撃した上院議員の、心ならずも、合衆国政治の泥沼にぬかるんだ魂の奥底で、いかなる良心の疼きが目覚めたか、手にとるようにわかる気がした。
 めぼしい記事をいくつかあたったあとで、ベリンスキーの手が最後の一枚にきて止まった。


   ルナチク市のまぬけ強盗(ルーニー・グーンズ)
      幽霊戦士(フーファイター)に逮捕される!

 昨夜、ルナチク市の商業地区にある大手デパートに押し入った強盗が、謎の人物に逮捕されるという珍事が起こった。
 昨夜、東部時間午後十一時頃、同市ピスポコ・ストリートとデイモン・ラニアン中央記念通りの交差点角にある大手玩具デパート、ピッピトイズ・デリカテッセンに三人組の強盗が押し入った。
 盗まれたのは、入荷したばかりの中国製アンティーク・テディベアのレプリカ数百点で、強盗はバンに盗品を積み、中央記念通りを北へ向けて逃走したが、同日午後十一時半頃、何者かがバンを同市警察本部ビルの中庭に運び込んだ。目撃したのは深夜勤務の警官数名。その一人でパトロール勤務交代のため中庭にいたジョン・ブランドー巡査長(四二)によると、「空に何か見えたと思い、見上げると、白いバンがふわふわと漂って来たんです。バンは警察本部ビルの中庭にある噴水の近くに着陸しました。あわてて近くにいた同僚数名と駆け寄ると、中から発砲してきたので、すぐにホルスターから銃を抜いて応戦し、バンの中にいた三人組を逮捕しました。何が起きたのかは、今になるも、さっぱりわかりません」
 逮捕された三人組について、身元照会の必要はなかった。三人は〈マーキュリー〉〈バンビ〉〈ケトルベリー〉というニックネームを持つ独立系のギャング一味で、同市を根城に暗躍していた。
 バンの中にあった盗品については、入荷された際に記録された商品番号により、同市二百十七番地にある、先のデパートから盗まれた物であることが判明したが、三人の代理人である公選弁護人によると、
「依頼人たちは同市でドライブしていた折りに、『不可抗力により』警察本部へ連行され、逮捕時にも、警官が身分を明かすことなく、いきなり発砲してきたので、やむなく応戦したのだ」という。
「遺憾ながら、なぜ盗まれたぬいぐるみがバンの中にあったのか、依頼人たちはあずかり知らない。盗品は養護施設に寄付しても良いが、三人がそれを盗んだ証拠はなく、警察が逮捕状も身分証も警察バッジも提示することなく、依頼人たちを逮捕・拘留したのは、明らかな人権蹂躙で、警察がミランダ準則に違反した、看過しえない重大な過失である」として、代理人は即日釈放請求を行い、三人は翌日未明に釈放された。(ミランダ準則とは、警察が逮捕時に容疑者の人権に配慮するよう取り決めた、逮捕規則のこと)
 

 ベリンスキーはこの三人組のことをまだ覚えていた。
 突然、ブラウン本部長の声が降って湧いたので、ベリンスキーは飛び上がった。
「なかなか面白いだろう。そこに出ていることや、類似の目撃証言を総合するにだな、その三人組の悪党をとっ捕まえた幽霊戦士は――そいつが人間だとしてだが――どうやら、この市を根城にしているらしい、そう思わせる節があると、市長は言うんだな」
「なぜです?」
「なぜです? 思い当たることでもあるのか? 感想を聞かせてくれないか?」
「感想といって」ベリンスキーは肩をすくめた。「別段、何の感想もありませんが」
「まあ、だろうな。今からおまえが、そいつの正体を調査するんだぞ」
「え? ご冗談でしょう」
「まったくだよなあ。こちとら警察稼業が専門だ。ホシを追いかけ、しょっぴくのが職分で、天使を捜したり、悪人を天国へ善導するのは筋違いだもんなあ。州知事選挙も近いとなると、さすがの市長どのも、ヤキが回ってきたというか」
「接戦らしいですな、現職の知事とは。わたしが立候補者なら、ここらで一つ盛大な花火を打ち上げて、さ来月に迫った選挙戦に、はずみをつけたいでしょうねえ」
「俺もそう考えたさ。口には出さなかったがね」
 ブラウンは、モーリン・O・セルゲイ市長の神経をいらだたせるきんきん声と、真面目で純朴そうな、度の強い眼鏡を掛けた、小学校の女教師然とした面構えとを思い出して、くすくすと笑った。
 ベリンスキーは手元の資料に目を戻した。
「なぜわれわれが調査しなければならないんです? われわれは警官なんですよ。こういった仕事は――そのう、扱う対象から考えて、テレビの公開捜査番組の司会者かレポーターの仕事でしょう。わたしはたかだか、地方都市の非力な一警官に過ぎません。相当にくたびれた、定年間近の、老いぼれロバのね」
「そう謙遜したものでもないさ。おまえさんは、そんじょそこらの雄ロバが裸足で逃げ出す、恐れ入った根性の持ち主じゃないか。それにこれは、俺の親心でもあるんだぜ」
 ベリンスキーが妙な顔をしたので、ブラウンはにやりとした。「おまえさんの恋女房から、うちの亭主も警官暮らしはそう長くないんだから、ここらで気楽なデスクワークに、配置代えをしちゃくれまいかって、頼まれててね」
「ベリンダが、そんなことを?」
 ベリンスキーは今朝の妻の表情を思い出した。
 出がけにグラスファイバー製のコンフォート型電動車椅子で玄関までついて来ると、配達されたばかりの《ルナチク・アドバタイザー》紙のクロスワード・パズルのヒントを、訊いていたではないか。
「彼女、そんなことは一言だって――」
「面と向かって言えば、おまえさんがいい顔をしないのは、わかりきってるからさ。彼女をとんまだとでも思ってるのか?」
 ベリンスキーはため息をついた。「それで、わたしは何をすりゃいいんです? 〈天使〉の職務質問ですか? それとも捕縛を? この年で空を飛ぶコツを覚えるのは、少々難儀ですがね」
 ブラウンはくすくすと笑った。「真剣に考えなさんな。形式だけさ。一応努力はしたというポーズをすればいいんだ。本気で〈幽霊戦士〉の捜索に、乗り出す必要はないんだからな」
「あの市長のことですから、そんなことでは納得しないでしょう。投票日前日までに、テレビや新聞に発表できるような、ホルマリン漬けの〈天使〉の死骸か、もいだ羽根の一枚でも持ってこいと、本気で言い出しかねませんよ」
 そうなったら、自分は市長の頭を銃で撃ち抜くだろうと、ベリンスキーはひそかに考えた。
「そいつはおまえさんの報告書しだいだな。俺の知ったことじゃないさね」
「おや、わたしに厄介事を押しつけているような、口ぶりですね」
「今頃気がついたのかい? おまえさんにしちゃ、鈍いじゃないか。どうやらヤキが回ったかな。やっぱりデスクワークに配置代えかな。さてと、俺はこのクソいまいましい書類仕事を、午前中までに片付けちまわないと。ほかに質問がないんなら、そこのドアから出てってくれないか? 必要なら杖を貸そうか?」
 ベリンスキーは何か言いかけて口をつぐみ、書類ホルダーをそのままに、オフィスから出て行こうとした。
「おおい、旦那。忘れ物だぞ」
 ふり返ったベリンスキーを、本部長は怒ったような目で睨みつけ、デスクの上のホルダーを顎でしゃくった。
 ベリンスキーはにやりと笑うと、十三対〇で地元チームが野球の試合に負けたスタンドの、売れ残ったホットドックのように膨れた書類ホルダーをつかんだ。「忠告しますがね、備品の紙コップはくすねない方がいいですよ。そいつは地下にある自動販売機のやつじゃないですか。窃盗は立派な犯罪ですよ」
 ブラウンが投げつけた紙コップが、ドアにぶつかるより早く、ベリンスキーはオフィスをあとにした。




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