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作品名:マイティーリリー 作者:zamazama

第13回   13
               13
 

 それよりおよそ二時間ほど前、バージニア州アーリントンを流れるポトマック河畔の、五角形 (ペンタゴン) をかたどった国防総省の内奥、政府高官ですら部外者は立ち入りを禁止されている、D・リングの国家軍事司令センターの中枢、《シチュエーション・ルーム》と呼ばれる戦略分析室の矩形の大型テーブルのまわりに、スーツや軍服をまとった男女十数名が、仰々しく集まっていた。
 議長席に着いていたのは、小柄でハンサムな白人男性で、備え付けの電話で話しながら、テーブルの左に腰掛けた、目の醒めるような赤いスーツの白人の中年女性と、何ごとかを打ち合わせていた。
 女の隣では、グレイのオーダーメイドのファッショナブル・スーツをまとった、中肉中背の黒人男性が、バインダークリップでとめたハードコピーのチェックに余念がない。
 白人、黒人、アジア人の混じった、スーツ姿や制服姿の文官や武官たちが、入れ替わり立ち替わり現われ、席に着く。軍服を着た若い男性士官が、コーヒーと水の入ったグラスを配ったが、一人を除いて誰も手をつけない。
 もう一人の士官が議長席とテーブルの各席を回って、マイクロホンの具合をチェックしている。
 小柄でハンサムな議長席の男が電話を切り、赤いスーツの女に何かささやいて、二人は笑いあった。男がテーブルを見渡し、マイクロホンのスイッチを入れた。「そろったかな。そろそろ始めようじゃないか」
「副大統領閣下がまだおみえになっていません。CIA長官もまだです」テーブルの右手に座をかまえた、アイルランド系の大柄な軍人が身を乗り出した。
 小柄な男と談笑していた赤いスーツの女、国務長官ルシー・マクモリスが、フクロウのように目を見開いて答えた。「副大統領は遅れて来るわ。彼はメラニスタン共和国の臨時大使のレセプションに、大統領夫妻の代理として出席しているのよ。これがすんだら、大使の認証式の予定があるのよ」
「こんな時間にですか?」
「新しい大使は信任状と一緒に、メラニスタン共和国の大統領の親書を携えてきているの」
 ああ、それなら話は別だ。あの国の代理大使が、今夜赴任していたのか。
 銀のメタルフレームの眼鏡をかけた、ずんぐりした愛想のいいビジネススーツ姿の白人の男が、誰にともなく笑いかけて、
「CIA長官は、廊下の壁にあやしい絵文字が描かれていたので、跡をたどっているそうだよ」
 テーブルのそこかしこから、まばらな笑いが起こった。眼鏡の男は、国家安全保障担当の大統領補佐官ポール・カルゲロプロスだった。何か言うたびに笑顔を浮かべるので、敵を作ることが滅多になかったが、気を許せる相手でないのは、瞳の奥が笑っていないので、すぐにわかる。
「あいつに犯人を見つけられるかどうかは、あやしいものだな。何ひとつ見つけられないに決まってる。時間と税金の無駄遣いだ」
 白人のむっつりしたカマキリみたいな男が、国務長官の隣の席で、眉根にしわを寄せて言った。こう見えて、大学時代はスプリンターで鳴らしたスポーツマンで、現在は国防長官を勤めている。
 男の発言に笑う者はなかった。この国防長官ドール・ケンウッドと、現CIA長官ステファン・オービスは、イスラエル国境紛争をめぐって意見の応酬があって以来、犬猿の仲だったからだ。
 軍服の男はそれについて気が効いたジョークを思いつき、一同に披露しようとしたが、抜け目なく口をつぐみ、手元の書類に目を通すふりをした。
 あとでしっぺ返しを食らう可能性もある。余計なことは言わないことだぞ。
 軍服の大男――統合参謀本部議長という、この席では大統領と国防長官に次ぐ発言力と重みを持つ、制服組の最高位にある四つ星 (大将) は、当面の議題に集中するよう、頭を切り替えた。
 中東の産油国の一つメラニスタン共和国で、現地時間の一昨日の正午、政府の失政に抗議するデモ隊と警官隊が衝突し、派手な暴動に発展、ついには軍隊までが出動する騒ぎになっているが、今夜ここでミーティングがあると聞いた時も、てっきりあの内乱が議題に上がるものと思っていた。前の大使が、母国での権力基盤が弱体化したこともあって、あっさりと更迭され、かわりに臨時大使が送り込まれてきたわけだが、かわいそうな副大統領閣下、面倒な役回りはすべてあなたに押しつけられるわけだ。
 統合参謀本部議長は、議長席の小柄な男をちらりと眺めた。
 世間やペンタゴンの連中が、大統領と副大統領の仲が険悪らしいと取り沙汰しているのは、案外本当かもしれないぞ。
 統合参謀本部議長は、機嫌を損なうのを恐れるように、こわごわと身を乗り出して、小男に耳打ちした。「大統領閣下。メラニスタン共和国の反乱側の勢力ですが、目下、拡大の一途をたどっているそうです。当方がつかんだ情報によれば――」
「しっ、その話はあとだよ。当面の議題に集中しようじゃないか」
 小柄な男は、テレビの女性キャスターがいみじくも“キラー・レーザー”と名づけた、人を魅了するまなざしと笑みを浮かべて、将軍に向かって人差し指を突き立てた。統合参謀本部議長は不安になった時の癖で、軍服の袖口を落ち着かぬげに撫で、あたりに目を配った。
 顧問として会議への出席が義務づけられている、《テイクアウトの中華の春巻き》という長いニックネームを持つ、CIA長官ステファン・オービスと、現副大統領のアーノルド・シュワルツェネッガーの、黒いブリーフケースを手にした大柄な姿が入って来ると、
「閣下、遅れて申し訳ありません」
 と副大統領は議長席にことわり、CIA長官も大統領の隣の席に腰を下ろした。
 議長席の小柄な男・・現アメリカ合衆国大統領ジョナサン・クレイバーンは、うなずいた。「よろしい。始めるとしよう」
 国家安全保障会議が始まった。
「議題はみんなが承知していることと思うので、委細は省くことにする。シン」
 大統領は議長席の背後のカーテンの前に立っていた、長身の女性士官に声をかけた。まるでなじみのガールフレンドに声をかけるような気やすさだったが、大統領が彼女の存在を知ったのは、わずか十五分前のことだった。
 ライトブルーの制服を着て、ブルネットの髪をボブカットした、航空技術情報センター (ATIC) 分析官シンシア・メルトヌイフ少佐がスピーチ台の前に歩み出ると、統合参謀本部議長は目を丸くした。
 ATICから誰かが派遣されるとは聞いていたが、彼女がそうとは。
 ふるつわものの見地からすれば、まだほんの子供じゃないか。
 メルトヌイフ少佐は、大統領と一同に敬礼すると、小わきに抱えていたブリーフケースを、手の甲の関節が浮き出るほど握りしめた。
「始めてくれないか、シン」
 大統領がうながした。
 初々しさの残る女性士官は、緊張した面持ちでうなずいた。
 メルトヌイフ少佐が台の下に隠されたコンソール盤を操作する。壁の片側一面に並べられた六枚のモニタースクリーンに灯が灯った。椅子が鳴り、そちらに背を向けていた人々が、スクリーンに向き直った。
 必要に応じて三大ネットワークやCNNのニュース画面が映されるよう設定されていたモニターだが、今は国防総省のシンボルマークである、五角形の枠の中で翼を広げた鷲が、横向きに地球にそびえ立つ紋章が並んでいる。
 突然、室内に取りつけられた六個のスピーカーから、いっせいに〈鳥〉という単語が聞こえたので、統合参謀本部議長はぎくりとした。
 気がつくと六羽の鷲は姿を消し、モニタースクリーンには、どこぞのローカル・テレビ局のニュース映像が映し出されていた。
「昨日一八○六時、問題の地点に〈鳥〉が出現したのは、このローカル・テレビ局が放送する、ネット・ニュース番組がきっかけだと思われます」メルトヌイフ少佐が話し始めた。マイクロホンのボリュームを上げ気味にし、耳障りなハウリング音が生じる。
「現場はミネソタ州トゥモロー。人口二万五千の田舎町。事故はここの低所得者向け住宅地の、一ブロックで起こりました。生後八ヵ月になる女の子が、自宅の真向かいにある排水溝に落ちたのであります。現場にはレスキュー隊が急行し、女児の救出が開始されましたが、周辺環境が活動を阻み、救出は容易に進展しませんでした。男性キャスターが困難な状況を伝えたあと、突然テレビの視聴者に、次のように呼びかけたのです。ああ、この映像です」
 画面が切り替わり、特徴のない人工的な顔立ちの男性キャスターが映った。
「ありがとう、ジャニス」
 キャスターが、現場の女性リポーターのコメントを受ける。画面がスタジオセットに切り替わる。
 たいていのキャスターがするように、男性キャスターは締めのコメントを口にした。「いまや国中の祈りと関心が、彼女の上に注がれています。わたしたちも幼い生命が救われるよう、ここから祈りましょう」
 突然、男性キャスターがネクタイの位置を直し、はっきりした口調で言った。「ルナチク市に現われた〈天使〉が見ていたら、聞いて下さい。あなたの助けを必要としている幼い生命があそこにいて、彼女は危機に瀕しています。わたしの声が聞こえていたら、すぐに助けに来て下さい。彼女に神のご加護を。それでは次のニュース」
 メルトヌイフ少佐がコンソール盤のスイッチを押す。六人のキャスターが静止する。
 一同は声にならない呻きを漏らした。
「まるで、今、本当に彼がわれわれを見たように思えたが」誰かが言った。
 奇妙なことだが、統合参謀本部議長もまったく同じ感想を持った。
 メルトヌイフ少佐の声が、
「この四十二分後、現場に〈鳥〉が到着します。このキャスターと〈鳥〉との関係は、まだ判明していません」
「それについては目下、陸軍情報部とFBI (連邦捜査局) が別個に調査中ですわ」マイクロホンで増幅された、国家情報長官のハスキーな声が割って入ったので、一同は椅子の中でたじろいだ。
 メルトヌイフ少佐が、統合参謀本部議長には仕組の飲み込めないコンソール盤のスイッチを押した。モニター画面にはつまらない田舎町のハプニングが映っている。手持ちのカメラで撮影されたせいか、ぶれる画面には、救出活動に当たって右往左往するレスキュー隊の隊員たちが映っている。
 突然、映像が揺れ、皆が走り出し、上下する風景が映った。
 白いふわふわする物体が、空から近づいて、地面に降り立つのが見えた。
「なんてこった。まるでハロウィンの仮装じゃないか」
 やせて血色のいい、小柄なハワイ人男性が舌打ちした。対外活動本部長フレッド・アブダルだった。
「今のをもっとはっきり見たい。見られるかね、少佐?」マイクロホンを通じて大統領が言った。
「はい、閣下。でも、もっといい映像が出るであります」
 六つのスクリーンで群衆が嬌声を発し、何者かの声が怒号で答えている。
 群衆をかきわけて、白い服の子供が現われた。白いケープをまとい、白いブーツをはき、手には夜会につけて行くような、肘まである、真っ白い手袋をはめている。ブーツも手袋も、エナメルでできているように、艶を帯びている。
 髪は金髪で波打ち、肩まで伸びていた。頭にはリボンか、サテンのボンボンのような、可愛らしい空色のアクセサリーをつけている。
「これが、〈鳥〉であります。ここで目標は、レスキュー隊の隊長と話をします。彼女にはノーマルな、標準アメリカ英語での会話能力があるようです」
 メルトヌイフ少佐がブリーフィングを続けた。
 女の子は群衆を引き連れて歩いていたが、レスキュー隊の隊長に近づき、何か話し始めた。
「あのレスキュー隊の隊長とは、誰か接触しているのかね?」
 大統領の質問に、シチュエーション・ルームに沈黙が流れ、咳払いのあと、国家情報長官が、
「まだです、閣下。しかし所在と住居は、こちらで確認ずみですわ。ご用命があれば、一時間以内に接触可能ですわ」
 大統領が満足したようにうなずいた。
 女の子が赤ん坊を救出する場面を、全員が巻き戻して、二度見た。
「うーん、どうにも信じられんね。誰かの《やらせ》か、エイプリル・フールじゃないのかね」安全保障担当補佐官が、その場の当惑を代表して言った。
 国務長官ルシー・マクモリスが、眼鏡越しに補佐官をじろりと眺めた。「あなた、今が何月か知っているの?」
 カルゲロプロスは肩をすくめた。「わたしはカレンダーが読めるから、ここにいるわけではありませんよ」
「これは決して《やらせ》でも《仕込み》でもありません。今、証拠をお見せします」
 メルトヌイフ少佐がコンソール盤を操作する。時間がわずかに飛んだ、現場の映像が出た。
 救出が終わり、くだんの子供が赤ん坊を抱えて、レスキュー隊の隊長に近づいた。《子供》は隊長と話をすると、群衆の方、すなわちカメラマンの方に向かって歩き始めた。
 報道陣が押し寄せ、愚にもつかないインタビューが始まる。
 あなたは何者なの?
 どこから来たの?
 食べ物の好みは?
 好きなポップスターは?
 子供が何か答えて、統合参謀本部議長ははっとなった。
「今、何と言ったんだね?」
 議長は自分の声が震えながら、マイクロホンに語りかけているのに気がついた。
 大統領とメルトヌイフ少佐が、怪訝そうに眺めている。
「リリーです」コンソール盤の女性士官は答えた。「〈鳥〉は報道関係者に名前を訊かれて、『リリー』と答えたのです」
「そうだったのか、ありがとう」
 六つのスクリーンの中で、六人のリリーが同時に飛び上がった。カメラがあわててピントを合わせたが、白い物体はまたたく間に消えた。
「この物体――空軍が〈鳥〉と呼称している未確認飛行物体の出現を受けて、ラングレー空軍基地では、待機していた偵察機二機が、スクランブル発進し、〈鳥〉との接触を試みます。というのも、〈鳥〉に関する目撃報告が、関係各方面から無視できないほど多数寄せられていたからです。
 作戦機二機は攻撃が目標ではなく、主たる任務は〈鳥〉を肉眼および計器により捕捉することと、飛行時の各種データを収集することでありました。発進した二機のRFファントム・スカイスクラッチャー機には、あらかじめデータ収集用の探知装置と、ギミック類が装備されておりましたが、装備の概要はあらためて報告書を作成しますので、ここでは触れません。これが二機の偵察用カメラがとらえた、物体の飛行時の映像であります」
 メルトヌイフ少佐が言い終わらないうちに、モニタースクリーンの映像が切り替わった。
 白い物体がケープをひらめかせて、茜色の大空をものすごい速度で飛んでいるのが映し出された。一同の口から、おおという、喘ぎともため息ともつかない声が漏れる。CCDカメラに特有の鮮明な映像だったが、まぎれもない物体――《リリー》という名前の、物理的にはありえない現象を目のあたりにして、安全保障会議の面々は息を呑んだ。
 映像は機体の底部に突き出た監視カメラから撮られているため、画面上方にファントム機の翼端が定位置で映っていた。レンズに干渉する太陽光線のいたずらか、リリー物体の周囲を青霞が覆い、後ろには細長い糸のような航跡がたなびいている。
 誰かがその事実を指摘した。
「見ろ。遮蔽幕のような光が見えるじゃないか」
「まるでシールドのようね」ルシー・マクモリスもうわずった声を上げた。
 大統領科学顧問のロバート・ショウナウアー博士が、「この映像を見る限りでは、おそらく物体の放つ、電磁気学的な《力場》(フォース・フィールド)ではないかと思われます」
「ありがとう、ドク。では、続けてくれたまえ、シン」大統領が言った。
「はい、閣下。スクリーンの上の三枚は、作戦機α (アルファ) の、下は作戦支援機 β (ベータ)の撮影した映像です。両機の映像は、宇宙軍の地球監視用衛星の専用デジタル回線を通じ、リアルタイムで、ラングレー空軍基地の作戦司令センターのモニター機器に中継、そこで録画されたものです。コックピット内のパイロットの音声は、目下解析中の交信記録が別に保存されているほかは、ここでは記録されておりません」
 上三枚と下三枚には、それぞれ別の映像が映されていた。別と言っても同じ夕刻の空、矢のように一直線に飛んでいる物体を、違う角度から撮影した物だった。綿のような雲のかたまりが眼下にかすむ大空を、真一文字に飛び続ける物体の姿は、不思議と痛快な眺めだった。一同は固唾を飲んで見守った。気がつくと、統合参謀本部議長は、手のひらに汗をかいていた。
 物体は機影に気がついたらしい。スクリーンの中で速度を上げて、急上昇した。音速を超えると生じる白い水蒸気の煙幕が、物体の真後ろに、開いて消えた。
 突然、戦闘機がきりもみ飛行を開始したのか、スクリーンの中で〈鳥〉が姿を消した。
 と同時に機体が急上昇したらしい。遠方に去った物体がみるみる大きくなるや、カメラは目標をふたたびとらえ直した。上下のそれぞれの画面は、作戦開始からコンマ〇秒の単位で同調していたので、二機の偵察機によるリリー捕獲の二元中継は、筆舌に尽くし難いドラマチックな効果を上げていた。
 二機がぴたりと高度をそろえて、リリー物体をはさみ込む。リリー物体がスピードを上げて、進路を変えて飛び去ろうとする。二機が追い続ける。双子のブラッドハウンド犬のように息が合っている。
 突然、前方に巨大な積乱雲が現われると、雲の巨大な城砦は、引き寄せられるように近づいてきた。機が雲に向かって突き進んでいるためだが、統合参謀本部議長は喉を鳴らした。
 だしぬけに雲のすそ野が現われ、白いリリー物体は、雲にまぎれて姿を消した。両機はまっすぐに、雲の内部に飛び込んだ!
 得体の知れない惑星の大気圏に突入した、ロケットの船外映像を見ているような迫力と興奮で、一同は固まったままスクリーンにみとれていた。右下の時計のカウンター表示だけが、白々しい勤勉さで時を刻んでいる。
「間もなく雲の外に出るはずです」メルトヌイフ少佐は、自分の責任ででもあるかのように言った。「この瞬間の機内のスピード・メーターは、マッハ〇コンマ七まで上がっています」
「よく、お互いにぶつからないものだわ」野太い声を聞くまでもなく、国務長官ルシー・マクモリスの声と知れた。
 スクリーンに靄が映り続けた。予告もなく雲がとぎれた。画面の上部に映り込んだ翼端が、スムーズに移動して姿を消した。
「見て!」テーブルの向こうでルシーが叫んだ。
 画面の中央、機体のやや左下に――下の三枚のスクリーンでは右側に――飛行しているリリーの姿が、これまでとは比較にならない大きさで映し出された。はためくケープの襞までが、はっきりと見える。物体のまわりを靄のような光が覆っている。CCDカメラの解像度をもってしても、ようやくリリーが時折り頭上を、ちらちらと見上げているのが確認できる程度だ。
 機体がローリングかピッチングしたらしく、六枚のスクリーンでリリーが同時に揺れた。飛行機が反転したらしく、急角度で空が回転すると、たちまちリリーは姿を消した。
「ここからは映像を、作戦機の監視カメラから、コックピット内の主モニターの映像に切り替えます」
 メルトヌイフ少佐が口をはさんだので、リラックスしかけた会議メンバーの背中が硬直した。
「映像は、作戦機にあらかじめ搭載された、改造型サイドワインダー攻撃ミサイル、および改造型スパロー特殊誘導ミサイルの頭部に設置されたCCDカメラが、無線でコックピ
ット内のモニターに送ってきたものです。普通はパイロットがこの映像を見ながら、ヘルメットに装備された自動照準システムと連動した手元のスイッチで、レーザーによる誘導で、目標を追撃・爆破します」
 メルトヌイフ少佐の説明と同時に、映像が切り替わった。六枚のパネル・スクリーンのうち、左の二枚をのぞいた残り四枚のパネルに、攻撃ミサイルの先端部分に仕込まれたカメラの、ビデオ録画映像が映し出された。
 映っているのは、斜めに傾いている戦闘機の機体と、横に並んでいるスパローミサイルの先端部分、そして何もない空中だった。
 ターゲットに照準を合わせるための四角い照準スコープの枠があり、中央部に十字が切られていた。映像はサイドワインダー・ミサイルの先端から撮影されているため、戦闘機の翼面が、すれすれから見上げるように、すぐ真上にあった。突如、視野の中央部分に、帽子から飛び出したウサギのように、白い物体が現われた。四個の映像が同時に振動し、躍動を始めた。ミサイルが主翼下に位置するパイロンから飛び出したのだ。予想していたとは言え、見ていた一同は椅子の中でたじろいだ。ミサイルは、目標にロックオンされた状態で飛んで行き、ターゲットであるリリー物体の真後ろに回り込んだ。リリー物体がスピードを上げると、ミサイルも速度を上げていく。ターゲットはロックオンされたままだ。
 物体が向きを変え、こちらに回り込んで来たかなと思った瞬間、どこかへかき消えた。統合参謀本部議長はあっと声を上げた。
「今のところをもう一度巻き戻してくれ」大統領が震えながら命令した。
 メルトヌイフ少佐がボタンを操作する。たちまち四つの映像が巻き戻っていく。
「すごい映像だ。のどが乾くな」文官の誰かが言った。
「そこからだ。今度はスローモーションで頼む」
 大統領は親しみやすい指導者の仮面を、すっかりはいでいる。
 メルトヌイフ少佐が一連の操作を打ち込んでいくと、モニタースクリーンの四つの映像が、今度はコマ送りで送られた。
「反転してミサイルに突っ込んでいる。しかも巧みにかわして」
 国家安全保障担当補佐官が、うわごとのようにつぶやいた。
 ミサイルとすれ違いざま、リリー物体の顔が一瞬、お化けのように拡大された。
「彼女、舌を出しているみたいね」ルシー・マクモリスが言った。
 まばらな笑い声が起きたが、すぐにやんだ。
「もう一度、見てみよう」
 大統領がおそろしく低い声で言った。
 全員、もう一度映像を見た。
「よし、続けたまえ、シン。それにしても、すごい映像だな、将軍?」大統領が突然ふり返ったので、統合参謀本部議長は、ぎこちなくうなずいて、唾を飲み込んだ。
 リリー物体が消えてからの、ミサイルの中継映像が映った。
 ミサイルはふらふらと飛び続けたのち、画面が乱れて何も映らなくなった。
「ここでミサイルはターゲットを見失い、作戦機αのパイロットの自主的判断により、爆破されました。続いて、作戦機βが接近して、別のサイドワインダー・ミサイルを放ちます」
 中央と右上の二枚のスクリーンに、別のあらたなサイドワインダー・ミサイルの映像が映った。
 二回目は最初ほど目新らしさも薄れて、ふたたび照準枠にロックオンされたリリー物体が、ミサイルに追われるところが繰り返された。
 突然、中央と右下の二枚に、別の機体の底部が映し出された。
「作戦機βのスパロー・ミサイルからの映像です。スパローの先端および尾部には、特殊な放射性物質を含む充填剤が仕込まれた、小型噴霧装置が装備されております」
 スパローの映像が出走する競争馬のように揺れ、突然、映像が走り始めた。
 上二枚のサイドワインダー・ミサイルの映像と、すぐ下のスパロー・ミサイルの二つの映像を同時に見せられて、統合参謀本部議長は頭がくらくらしてきた。
 上のサイドワインダー・ミサイルがとらえた映像に、スパロー・ミサイルが現われ、現われたと同時にリリー物体の上を横切って行った。
 同時に、スパローからの映像には、真下すれすれをミサイルに飛び越されて、飛び過ぎて行くリリーが映し出された。
「この瞬間、スパローの中に仕込まれた霧が、目標に向けて噴射されました。ノズルから発射されたガスにまぎれたため、〈鳥〉は気づかなかった模様です」
 メルトヌイフ少佐がその部分を巻き戻して、コマ送りで見せた。
「この霧には、一時的に強度の放射能を放つ、特殊な放射性同位元素を含む微小物質が大量に含まれ、人工衛星による高高度のスキャンで目標の位置が特定できます。現在、宇宙軍の核爆発監視衛星とスパイ衛星が、〈鳥〉の潜伏位置をつきとめることに成功しております」
 一同のあいだから、ため息とも感嘆ともつかない声が漏れた。
「場所はどこなんだね? すぐそこに警察か軍隊を派遣させよう」
 メルトヌイフ少佐が、コンマ一秒にも満たない視線を大統領に走らせた。
「時間がもったいない。続けたまえ、少佐」大統領が命令した。
 尋ねた補佐官は自制心を発揮して、何も言わなかった。
 メルトヌイフ少佐がコンソール盤をいじくって、映像を戻した。スパローがどこかの空の高みに飛んで行き、間もなく画面が乱れて真っ黒になった。
「スパロー、自爆」と、メルトヌイフ少佐。
 中央と右上のスクリーンでは、飛んでいるリリーをしつこく追って、震えているCCD映像が比較的長く――十五秒ほども続いたろうか、突然、リリー物体がターゲットの照準スコープからはずれると、数秒待ってから画面が暗転した。
「サイドワインダー、自爆」と、メルトヌイフ少佐。
 画面はついに左の上下、二枚だけになった。そちらのスクリーンでは、リリー物体が目の醒めるようなきりもみ飛行を見せ、国際航空ショーのエキシビジョンでもおがめないような、ドッグファイトもどきのアクロバットが、迫力満点の映像で展開した。戦闘機も〈ハイ・ヨーヨー〉や〈見越し追跡〉、〈ローリング・シザース機動〉と呼ばれる戦術飛行のテクニックを繰り出している。
「作戦機はしばらく追跡を続行したのち、作戦飛行を断念。基地に帰投します」メルトヌイフ少佐が締めくくった。
 残る二枚の映像の中で、合図したようにリリー物体が消え――戦闘機が機首を翻したのだが――何もない空中の映像が続いて、スクリーンが暗転した。
 メルトヌイフ少佐がコンソール盤を操作し、六枚のスクリーンが、いっせいにペンタゴンのシンボルマークの鷲に切り替わった。
「続いて作戦機が消息を絶った状況に移ります」
 メルトヌイフ少佐の声に、統合参謀本部議長はまたはっとなった。
「一九○七時、作戦飛行を終えた両機が、所属するラングレー空軍基地へと帰投します。最後の交信から六十二秒後、両機からの信号が跡絶え、レーダーからも機影が消失。これはその直前の、機内からの中継映像の録画であります」
 六つのスクリーンの左端二枚に、作戦機α、βのコックピット内の映像が映った。計器類の並んだ操縦席の窓の外に、雲のつらなりが広がっている。
 突然、二枚のスクリーンの両端に白い閃光が映り込み、画面いっぱいに広がった。機内の映像が乱れて、スクリーンが暗転する。
「この瞬間、両機からの無線とあらゆる信号が跡絶え、基地からの呼びかけにも応答がなくなります。
 一九二○時、最寄りの州兵航空基地からF・4Uファントム二機がスクランブル発進。同一九五六時、二機のファントム機は、作戦機が消失した地点に到着、肉眼と計器による両機体の捜索に着手します」
 スクリーンには、二機のF・4ファントム機から撮影した雲の映像が、延々と映し出された。統合参謀本部議長も、他のメンバー同様、息をころして見つめている。
「同二一四○時、二機のファントム機が捜索を断念、所属の州兵航空基地へと帰投します。結論から申し上げますと、作戦機二機の行方不明の手がかりにつながる物理的痕跡、または目撃報告は、いまだ発見されるに至っておりません。交信記録の分析や、フライトシミュレーターによる作戦機の飛行状況の再現によっても、事故につながる直接的、間接的な障害はまだ見つかっておりません。作戦機がレーダー・スクリーンから消失した地点を中心に、半径二百マイル域を捜索しておりますが、事故機の残骸らしき物、または破片の一部でも、まだ見つかった物はありません。以上、報告終わり」
 メルトヌイフ少佐がコンソール盤に一連の指示を打ち込んだ。六枚のパネルスクリーンに、さいぜんのニュース映像と、二機の作戦機の偵察用カメラの映像、二機の作戦機が発射したサイドワインダー・ミサイルとスパロー・ミサイルのCCDカメラ映像が、無限ル
ープで映し出された。
「ありがとう、シン」大統領がスピーチ台の女性士官をふり返った。「短い時間で、よくここまでまとめてくれたね。この物体に関する空軍の総括を聞こうか」
「航空技術情報センターでは、作戦機の持ち帰った映像を解析した結果――」
 解析した結果、リリー物体は最高速度マッハ二コンマ七の飛行能力を有し、飛行の原理は不明、二種の空対空ミサイルをかわし、その手段は見当もつかないという結果が、《仰角》や《上昇角》《加速度》《伴流》《物体の慣性モーメンタム》など、専門用語を交えて語られたが、少佐の話は半分も、議長には理解できなかった。
「詳しい報告書は一両日中に、空軍長官あてに提出できます」
 メルトヌイフ少佐はブリーフィングを締めくくった。
「ありがとう、少佐。いの一番に知らせてくれ、アイブン。頼むよ」
 大統領は空軍長官アイブン・マクファーソンに、言わずもがなの念押しをした。センターフォワード・タイプの長官はうなずいた。
「少佐もありがとう。きみの説明も、とてもわかりやすかったよ」
 大統領のねぎらいの言葉に、女性士官は顔を輝かせた。
 メルトヌイフ少佐が敬礼して出て行くと、大統領が言った。「諸君たちに見てもらった映像――ニュースによると、〈天使〉だとか〈幽霊戦士〉と呼ばれているそうだが、ここではあえて〈鳥〉と呼ぼう、それに依存はないね?――《一同はうなずいた》――あの〈鳥〉について、きたんのない意見を聞きたい。まずは君からだ」
 統合参謀本部議長が、大統領じきじきに指名され、それから時計まわりに、あたり触りのない感想、とまどいの表明、率直な疑念などが噴出した。
 国防動員本部長ディライア・クックが言った。「大統領閣下。わたしどもが入手した情報では、数日前ある地方都市で、これと似た物体が目撃されております」
「それはわれわれも報告を受けておりますわ」と、国家情報長官もうなずいた。「遊園地かどこかで事故が起きたのだとか」
「正確にはあるショッピング・モールです」ディライア・クックが訂正する。「ルナチク市の西地区にある、ショッピングモールに隣接した遊園地です。この会議が召集されるに当たって、ここに報告書のコピーを持参しております」
「見せてくれないか」
 大統領が手を差し出した。
 クックが書類ホルダーをかざすと、テーブルに座っていた一同の手が、順繰りに回していき、大統領に届くところへ送った。
 大統領は真剣なまなざしで目を通したが、「よろしい、討議に戻ろう。ディー、貴重な情報をどうもありがとう」
 国防動員本部長は、逆コースで戻ってきたホルダーを受け取り、口の中で、「いいえ、どういたしまして」とつぶやいた。
「〈鳥〉をどう評価するね? 科学的、軍事的、ならびに政治的な位置づけは? ボブ、きみの考えは?」
 五十代半ばの、脱色した顎髭をたくわえ、油断のない目つきをした、大統領科学顧問ボブ・ショウナウアー博士は、両手のひらをあわせて肩をすぼめた。「目下のところ、判断するに足る材料があるとは思えませんので、それについては何とも申し上げかねます。独断的な推測が許されるならば、われわれが見た物体は恐らく―― 」
 高名な天体物理学者は口をつぐんだ。「いや、軽率な判断は差し控えるとしましょう」
「わかった、自由討議に移ろう」
「彼女は」と、対外活動本部長フレッド・アブダルが、
「あれがテレビや新聞、インターネットで取り沙汰されている、〈天使〉もしくは〈幽霊戦士〉だとすると――その正体が何であれ、われわれ人類に対して、敵対する意思はなさそうだ。現に――」と、かたわらの国防動員本部長にうなずき、「――遊園地で子供を助けたこともあるそうじゃないか。われわれも、あの子供が、赤ん坊を救ったところを見たばかりだ」
「もしも彼女――いえ、あの〈鳥〉――がわたしたちに友好的だとしてよ」国務長官ルシー・マクモリスが考えこみながら、「わたしたちとこれからも、その関係を続けていきたいと望んでいるのなら、わざわざこちらから邪魔することはないんじゃないの? 現にあの子供の能力は、われわれの予想をはるかに超えた、すごいものだし」
「説明して下さい。あなたの言い分を聞いていると、敵に回してもかないそうもないから、味方に取り込んだ方がいいと聞こえますが。そうなんですか?」
「あら、いけないの? 戦争は外交の一手段で、“戦わずして勝つ”のが最良の外交でしょ、国防長官?」
「またぞろ、おありがたいクラウゼヴィッツですか」
「まあ、待て。あの〈鳥〉が敵か味方かを、ここで議論しても無意味じゃないか。われわれは誰も彼女と会って話をしたことはないんだから。いや、《物体》とだ」大統領補佐官ボール・カルゲロプロスが、如才なく言いかえた。
「さっきのニュースに出ていたレスキュー隊の隊長がいるわ。あの男は物体と会話を交わしています。あの男と接触しての、インタビューが必要です、大統領閣下」
「では、NSB (連邦捜査局国家保安部) の方でコンタクトをとらせたまえ」
「はい、わかりましたわ、閣下」と国家情報長官が答える。
 空軍長官が挙手した。
「どうぞ」
 アイブン・マクファーソンは、空軍長官に就任して以来、初めて参加する国家安全保障会議に、とまどいと緊張を感じながら、
「さきほど国務長官は、あの物体を『友好的』と言われたが、にわかには信じられません。現にあの物体は、わが空軍の戦闘機を、二機とも撃墜し――」
「まだ撃墜されたと決まったわけではないわ。ここでの発言は、慎重に願いたいものですね」ルシー・マクモリスが、ぴしゃりと決めつけた。
「――わかりました。とにかく、あの二機が行方不明になる直前、物体があの二機と交戦状態にあったのは、明白であります。また、先ほどの映像を見る限り、あれはわが方の戦闘機を楽々と回避し、あまつさえ攻撃しようとしていた」
「それは、あなたがた空軍の戦闘機が、予告もなしに彼女に接近し――」
「〈鳥〉もしくは物体とだ、《彼女》ではない」
「名前などはこの際、どうでもいいわよ。予告もなしにあの子供に襲いかかり、ミサイルを発射したのは、空軍の方が先よ。追いかけたのもね。あなたも道で犬にお尻を噛まれたら、立ち止まって、そいつの頭を撫でてやったりはしないでしょう?」
 文官たちから笑いが起こった。
「そのかわり、犬はマッハ二コンマ七で飛んだりもしない」
 日頃は無口な空軍参謀総長アレン・ナカムラ中将が、細い目をさらに細めて、にこりともせずに言った。
「確かに、国務省の書類作成能力と同程度には素早いですな」
 中央情報局長官が差し出口をはさみ、ルシー・マクモリスに、テーブル越しに睨まれた。
「どうだろう、彼女が人類以外の知性体だったとして――」
 安全保障担当補佐官が言いかけると、
「それには異論があります。彼女が何者で、どこから来たか不明の以上、仮定を前提にした議論は、無意味かと思われますが」
「国防長官、きみは頭が固いな。どこの世界にマッハ二コンマ七で空を飛ぶ、地球人の子供がいる? 彼女は別の惑星から来たと仮定するのが、この際、すこぶる合理的だよ。そうではありませんか、ショウナウアー博士?」
 補佐官は大統領科学顧問の同意を求めたが、如才のない科学者は、哲学的とさえいえる微笑を浮かべただけで、何も言わなかった。
「それに関しては宇宙軍の意見を聞きたい。きみたちは、あの〈天使〉――いや、〈鳥〉だったね、あれをどこから来たと考えるかね?」
 大統領の要請で出席していた、戦略空軍内に所属する、宇宙軍総司令官フレッド・ノース中将は、大統領の質問に考え深げに言葉を選ぶと、
「われわれの大気圏外管制部が監視する限り、あの物体が大気圏外、すなわち宇宙から飛来したという証拠はありません」
 またノース中将の進言で、コロラド山中の巨大な基地の一室から、顧問として参加した、北米航空宇宙防衛司令部 (NORAD) 所属の、宇宙軍大気圏外管制部部長マイケル・アンダーソン中佐は、これは私見ですがと断わってから、
「あのエイリアン的な物体が、外国勢力の送り込んだ、偵察ないしは敵対要員だとする考え方は、発想が奇抜でアメリカ的過ぎて、少々とっぴだと思います」と答えた。
 大統領の目が統合参謀本部議長に向いた。
「将軍、さっきから黙っているね。役に立つアドバイスはないものかね」
 統合参謀本部議長はその質問を待ちわびていた。
 皆の注意が集まるのを待ってから、噛みしめるように話し始める。「前世紀の冷戦時代当初から、国防に関する議論が巻き起こるたび、軍関係者のあいだでモットーとして言われていたことは、敵に備えるにあたっては、意図ではなく相手の能力に応じてそうせよということです」
 議長は、メンバー全員に自分の言葉が浸透する頃合を見計らって、続けた。
「敵に備えるにあたっては、相手の意図ではなく、その能力に応じて備えよ。
 ひるがえって考えますに、われわれが対処しなければならない相手とは、〈鳥〉であります。〈鳥〉といっても名ばかりのそれは、いずこから来た者か、正体は不明。その飛来目的も能力も、皆目見当もつかない現状です。先ほど対外活動本部長が言われた通り、〈鳥〉がわが国の名もない市民に対して、何度か友好的な態度で接したのは事実であります。しかし、われわれはいかなる敵といえども、最初はその爪と牙を隠し、犠牲者に微笑みを浮かべて近づくことができるのを忘れてはなりません。国家の安全と秩序とを保つ義務を、国民よりゆだねられた、われわれ全員がことにあたって忘れてはならないことは、
 『敵の意図ではなく、能力に応じて備える』
 ことであります。今世紀初頭、われわれを見舞った九・一一同時多発テロを思い起こして下さい。今も世界各地で続く、在外米軍への度重なる攻撃、武装テロリストによる破壊活動を思い起こして下さい。
 われわれは、自分の命の危険は、これをかえりみるものではありません。しかしながら、祖国は――われわれのかけがえのない同胞の命は、まったく別であります。われわれは不確かな状況と、予測不可能の事態に対処するにあたって、あらゆる可能性を考慮に入れて、不確定の要素を可能な限り、排除してかからねばなりません。
 あの物体――〈鳥〉は、わが軍が誇る精鋭四名のパイロットが乗り組んだ、空軍機二機をきりきり舞いさせたばかりか、二種の戦術ミサイルをやすやすとかわし、悠々いずこかへ飛び去ったのであります。すなわち、あれが何者であるにせよ、すでに現在、わが合衆国の防空監視体制を無効にする能力を、完全に有していると見なければならない。肝心なのはここであります。
 しかもそのパイロットたちは、この瞬間、所在も生死も不明なのであります。
 わが国を強大な敵から守り抜いた先人の教えにしたがって、『敵に備えるに、意図ではなくその能力に応じて備えよ』を胆に命じて対処するならば、この場合やるべきことは、一つしかありません。たった一つです」
「ありがとう、ジェレマイア将軍」大統領が感銘を受けたように言った。
 反論しようと身構えていた国務長官ルシー・マクモリスですら、押し黙った。
「よろしい。あの《物体》を、当面はわが国の敵とみなそう」
 大統領の言葉に、沈黙した一同がうなずいた。
「彼女にぶつけたマークボールだが、賞味期限はいつまでだったかな?」
「半減期は三日です、大統領」空軍長官が言い、防水式腕時計を見て、
「すでに六時間以上が経過している。あと、二日と十七時間と二十数分」
「一刻の猶予もないわけだな。ところでメディア対策だが――」
「そちらの方はすでに、連邦通信委員会とFBIで手を打っておりますわ」流れるようなプラチナ・ブロンドの髪をした、国家情報長官パメラ・マーチンスンが、ささやくようなハスキーな声で言った。
「手短に報告いたしますと、先ほどのニュース番組を放送していたローカルネット局には、すでに司直の手が入り、連邦通信法違反容疑で、録画テープと編集器材、撮影と録音に使われた装置一式を押収しておりますわ。〈鳥〉のインタビューに当たったレポーターとカメラマン、スタッフ数名はFBIで拘留し、現在事情聴取を行っておりますが、対応が早かったため、全国ネットに放送される寸前に食い止めることができました。現場からの中継映像は、トゥモロー一帯を含むかなりの範囲で放送されたあとでしたが、何万世帯に映像が流れたのか、どのくらいの人間があれを見たのかは、目下のところ不明です。そちらの方は現在、電気工事請負会社と送電ケーブル保線会社を装った、CIAの下部組織のアンダーカバー要員が、該当地域をしらみつぶしに回り、一軒一軒聞き取り調査に当たっておりますわ」
「ご苦労だね」大統領がうなずいて、「しかし、いずれにせよ、あのリリーとかいう小娘は、あのニュースを見て駆けつけて来たんだ。大勢の人間が事故の起きたことを知っているに違いない」
「でも、全員がテレビを最後まで見たとは限りませんわ。希望は捨てないでおきましょう。目下、番組を見た全員が――少なくとも、かなりの人数がそれを信じないよう、逆暴露作戦を展開する予定でいます」
「メディア対策で、あと足りないところはないかな?」
「ああ、あるわ。ネット関連よ」国務長官ルシー・マクモリスが、うんざりしたように言うと、
「各インターネット・サーバ内の、該当するブログやホームページ、ニューズ・プラットホームの類は、すべてこちらの息のかかった会社に関連項目をチェックさせ、現在問題となりそうな箇所は、見つけ次第、強制的に削除させておりますわ」国家情報長官パメラ・マーチンスンが、計り知れない精力を見せて言った。
「三大ネットワークやケーブルテレビや新聞や、その他もろもろのメディアは?」国務長官が訊いた。
「そちらの方も、連邦通信委員会とCIA、国防情報局、国家情報管理センターが、合計千四百に及ぶアンダーカバー用の各関連会社を通じ、全国規模で圧力をかけておりますわ。圧力に応じないメディア企業、各報道機関、各関連民間団体やグループには、報復として、《合衆国友愛団体》からのパーティー招待状が、近日中に届く手はずになっておりますわ」
 その招待状が何を意味するのか、統合参謀本部議長は知らなかった。
 その場の誰も、大統領すら知らないのかもしれなかった。
 パメラ・マーチンスンが言った。「なお、念のため、現場であるトゥモローには、すでに当局の下部機関の要員を相当数派遣して、全世帯の個人用通信と電話の盗聴も行わせております。人員が確保でき次第、手紙や郵便物の開封も行わせるつもりですわ。大統領ご自身が判断する必要があると思われた場合は、どうぞ、われわれにその旨をお命じ下さい」
「ありがとう。必要があれば、そうさせてもらうよ」
 大統領は眉をひそめ、長官の発言のうちから、“盗聴”や“私的郵便物の開封”に関する箇所を、議事録から削除するよう、議長席のインターカムで、議事録担当士官に口頭で指示した。
「肝心な部分を忘れていたよ。リリー討伐の作戦全体の指揮は、誰にとらせればいいだろう、将軍?」
 自分には心当たりがないと言いかけ、気がつくと統合参謀本部議長は、ある人物の名を口にしていた。
 大統領を含め、まわりにいた全員が目を丸くした。
 大統領のグレイの瞳が、真剣な光に輝いた。
「きみ、素晴しいよ。適確な人選だな」




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