20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:マイティーリリー 作者:zamazama

第12回   12
               12


 リリーは太陽を背に飛んでいた。ミネソタ州トゥモローの町は消え、地平線すれすれに射した光線が、アメリカ合衆国全土に影を投げている。
 リリーはとてつもなく気分がよかった。
 腕に抱いた赤ん坊を差し出した時、あの母親はどんなにか悲鳴を上げて、リリーの手から赤ん坊をひったくったことだろう。リリーが遠ざかって行く時も、どんなにか気の触れた叫び声を上げて、手を振り続けたことだろう。
 空気の炸裂する怪音が聞こえ、リリーがふり返ると、化け物のような鳥が二羽、右斜め後方から接近していた。
 二機で編隊を組んでいた。
 あきらかにリリーをつけ狙っていた。
 RFファントム・スカイスクラッチャー改造タイプは、一度見たら忘れられない翼平面をしていた。チーズディッシュを伏せたような、情報収集用の小型レーダーが上部で回転し、チャコールグレイに塗装された機体は、まばゆく光ったり、逆光の中でシルエットを形作っていた。コックピットの内側は、黒い遮光フィルムで覆われている。
 RF機は高度をそろえてリリーの背後に回り込むと、一定の距離をとって追尾してきた。それから左右に別れるや、両側から回り込んで、リリーをはさみ込もうとした。
 リリーは恐怖を感じて、二万フィートまで上昇した。雲のとばりを抜け、大気の薄い圏に出ると、機影は消えていた。巻いたかなと気を許したとたん、天頂に影が射して、巨大な戦闘機の胴体が頭上すれすれに迫ってきた。
 星型のエンブレムを見るまでもなく、アメリカの空軍機と知れた。
 リリーは機体の下部に取りついて、燃料タンクをぶち壊してやろうかと思った。アフターバーナー・ダクトに手を突っ込み、ファンをかき回してやってもよかったが、そんなことをしても無駄なのはわかっていた。
 二機が翼をローリングする。
 真下にいるリリーをからかうような動きだ。
 機体が横倒しになり、両側に離れた。
 リリーはかっとなって、どちらか一方を追いかけようとした。それから罠かもしれないと考え直し、アクロバットよろしくループを作ると、進路を百八十度変えて、もと来た方へ戻り始めた。
 たちまち空気を切り裂くような飛行音がとどろき、二機の戦闘機が舞い戻ってくると、ぴたりとリリーに張りついた。
「何すんのよ、いやらしい!」
 リリーは内貼りされたコックピットにいるはずのパイロットを睨みつけた。次の瞬間、一機のRF機が翼を持ち上げ、大型ミサイルを発射した。
 リリーは高度を下げ、咄嗟にミサイルをやり過ごした。
 ミサイルはリリーに照準を合わせて、シロナガスクジラのように追って来る。リリーはマッハ一・三まで加速し、九十度反転してミサイルの進行方向に回り込むと、腕を伸ばせば届く距離をすれ違いざまに、ミサイルに向かって舌を突き出した。
 さらに反転して垂直上昇する。
 反射的にとった行動だったが、リリーがふり返ると、ミサイルは獲物を失った猟犬のようにジクザグ飛行し、そのままどこかへ飛び去った。
 突然、ミサイルが爆発した。炎を発して勢いよく飛び散ると同時に、もう一機のファントム機がリリーの背後に接近して、息つく暇もなくサイドワインダー大型ミサイルを放った。リリーはそっちのミサイルをかわすため、反射的に身を翻した。
 ミサイルはスピードを上げて、リリーに迫って来る。
 背後に金属の塊が肉薄する。
 とたんにリリーの左側に、一機目のファントム機が再襲来すると、リリーの斜め後ろに張りつき、小型のスパロー・ミサイルを発射した。
 リリーはひやりとしながらも、間一髪スパローをかわした。
 どうやら電波でコントロールする、指令誘導タイプだったらしく、スパローはリリーのすぐ頭上を走り抜け、ガスの尾を引きながら飛び去って行った。
 内臓されたレーダーでターゲットを追跡する、アクティブ・ホーミング・タイプだったら、リリーは翌年の感謝祭になっても追われ続けたろう。リリーの背後に張りついていたサイドワインダー・ミサイルの方は、なおもしつこく飛び続けていたが、突然コースをそれて飛び過ぎると、リリーのはるか向こうで大爆発した。炎と煙が尾を引き、薄い大気の層の中で、凍りついたように、ゆりの花を咲かせた。リリーは全身から冷や汗を流し、その場で嘔吐したくなった。
 そのまま一直線にスピードを上げて上昇し、後ろの機影に注意を向けると、二機のファントム機はなおも高度を上げて、リリーを追跡してきた。
 追手を振り払うには、相当の覚悟がいるらしい。
 リリーは目をつぶって、きりもみ飛行を開始した。
 空が、世界が、宇宙が、回る。回る。回る。
 こんなに目の回る思いは初めてだ。
 追跡機がどうなったか確かめる余裕もなく、水平飛行に移り、今度はジグザグに飛び始めた。
 そのまま一分半も飛び続け、二機がどうなったかふり返ると、驚いたことにファントム機は、名前の通り幽霊みたいに、リリーの背後にぴたりと照準を合わせて、ついてきた。リリーは躍起になってお仲間をふり払おうとするように、空中で旋回し、二機の鼻先をかすめて、真中を通り抜けた。二機のRF機は、大回りのループターンを描くと、しつこくリリーを追いかけてくる。
 よほど優秀なパイロットか、優秀なオートパイロット・システムが備わっているに違いない。こうなったら、イタチごっこだ。このまま両機につきまとわれて、永遠に飛び続けるしかない。
 そのとたん、二機のRF機は機首を翻すと、南の方向へ進路を変え、飛び去って行った。リリーは恐ろしくなって、闇雲に飛び始めた。第三、第四の敵機が現われるのではと、気が気でなく、何度となくふり返りながら、飛び続けた。
 ルナチク市まで戻るまでは、かなりの冒険だった。
 《隠れ家》を嗅ぎつけられたくない気持ちから、わざと違う方角に飛んで、通常の交通手段――電車とかバスとか、ヒッチハイクとか車を乗っ取るとか――で帰る方法もあったが、知らないところで夜を過ごすのは、なおさら恐ろしい気がした。
 もぐらもつばめも、自分の巣が一番落ち着くのだ。リリーは――役に立つにせよ気休めに過ぎないにせよ――人間の居住する地域を迂回しながら低空飛行で飛び続け、五時間ほどかけてルナチク市に戻ってきた。
 途中、羽虫をあさるコウモリの大群とぶつかり、気色の悪い思いもした。
 ルナチク市の上空にさしかかった頃には、市街地はとうに闇に包まれていたが、メガロポリスのありがたさで、人工の照明がいたるところを照らし、夜を人目につかない部分へ追いやっていた。リリーは地上から見つからないよう、電光掲示板やネオンサインの死角を渡って、光の織り成す綾模様を縫うように、高層建築の一角から一角へと、影伝いに飛び移って行った。
「わたしったら、急に売れっ子になって、もてもてじゃないの!」
 リリーはルナチク市に着いたあとも、《隠れ家》に戻る気にはならなかった。目を閉じると、例の黒衣の老人が手まねきするようで、居ても立ってもいられなかったのだ。
 リリーは、自分と鳥だけしか知らない高層建築の一隅に、身を休めることにした。
 そこは前世紀の初頭に流行した、アールデコ・スタイルのスカイスクレーパーで、ビル通のあいだでは、現存するこの様式の最後の傑作とまで呼ばれる、生命保険会社の持ちビルの上層階だった。上三分の一のあたりの張り出しにある五つのガーゴイル像が、市の保存文化財に指定され、有名な建築家のウーピー・ドーレンが、自費で出版した豪華写真集の表紙に使われたほど、珍重されていた。リリーはガーゴイル像の一つがベリンスキーの横顔に似ていると思って、見つけた時から、なんとなく好きだった。
 広げた像の羽根の陰に身を横たえると、石のテラスは吹きさらしの屋外だったが、建物が風を遮断し、ガーゴイル像も真下から吹き上げるビル風を防いでいた。
 上等の繊維で編まれた (リリー自身は“ふわふわ繊維”と呼んでいた) 飛行用のケープも、体に巻けば結構な寒さしのぎにはなったし、防寒用の寝袋と毛糸のマフラーも運び込んであった。
 何より人間にわずらわされる心配が皆無だった。
 六十階にあるビルの壁面だ。やって来られるのは、カモメかカラスかスパイダーマンくらいのものだ。カモメやカラスは、追い払えばいいし、スパイダーマンには負けない自信があった。
 だって、わたし、空飛べるもんね。
 ビルの向こう、生命保険会社の本社前に建つ、見上げるばかりに巨大な新世界貿易センタービルの西側タワーの壁面に、人の背丈ほどもある真っ黒い鳥が、背中を丸めてうずくまっていた。足のかぎ爪が吸盤ででもできているのか、その鳥は硬質ガラスに垂直にへばりついていた。下から風が吹くとマントがはためいたが、びっくりするほど翼にそっくりで、実際瓜二つだった。
 街路の明りが照り映えたビルディングの一角で、ガラスの壁面にはりついた鳥は、しわだらけの顔に、この世のものとも思われぬ薄笑いを浮かべ、それ自身の考えごとに耽るかのように、じっとしていた。




← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 254