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作品名:マイティーリリー 作者:zamazama

第11回   11
               11


 リリーは暮れ行く西の空に向かって、激しく上昇して行った。
 数刻前までいたルナチク市の姿は靄の彼方に消え、沈みかけた太陽が、巨大な円盤となって残光を投げている。
 リリーは高度を保ち、一定の速度で飛行を続けた。三十分もすれば、州境の現場まで到着できる。周囲には、リリー自身も正体を知らない、青いベールがフィールドを形成し、リリーの肉体が、空気との摩擦やマッハの壁で、燃えたり傷ついたり、ぶち壊れたりするのを防いでいた。
 シカゴ一のっぽの、シアーズ・タワーの偉容が見えてくると、リリーは手前で進路を変え、雲のかたまりをいくつもかいくぐって、インターステート・ハイウェイ九十四号線が見えるまで飛び続けた。
 それから今度は北上し、州の街道の一本と交わるところまで来る。
 眼下に、白バイとマツダの赤いピックアップ・トラックが停車し、銃を抜いた警官が、地元の農家らしいアジア人の夫婦づれを地面に横たわらせ、職務質問しているのが見えた。トラックの荷台には檻が積まれ、十数匹のハンプシャー種の豚が、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている。リリーは高度を下げると、まっすぐにトラックの真上に降りた。
「ちょっと、ごめんなさい。訊きたいことがあるの」
 警官と夫婦と三ダースあまりの豚の目が、地上十数フィートのところに浮かんでいる、白いケープをまとった女の子の姿に見開かれた。
「あのう、テレビでやっていた、女の子の沈没現場はどこ?」
 夫婦づれが顔を見合わせ、警官が正気を取り戻したように、銃口をリリーに向けた。
「事故って、何のだ?」
 あきれたことに、警官は事故のことを知らなかったらしい。かわって地面に這いつくばっていたアジア系の夫の方が、
「あれならこの先を、二十マイルばかり北に行ったところだ」
「あの子はまだ無事? レスキュー隊か、胸にSの字の縫い取りのある、自己顕示欲の固まりのケープの男に、助けられちゃったあとかしら?」
「いいえ、まだのはずよ。あたしたちラジオで、そのニュースを聞いていたところだから」
 アジア系の女が地面に下あごをめり込ませて叫んだ。脱色した髪をポニーテールに結い、鼈甲縁の眼鏡をかけ、ジーンズにヴィンテージ物のスニーカーを履いている。
「ありがとう。あなたたち、どうしてこんなところに寝ているの? 線路の枕木にしちゃ、サイズが不揃いのようだけどさ」
「そこにいるアホに聞いてみなさい」アジア人の女が憎々しげに吐き捨てた。
 リリーが警官に目を移すと、インテリ風の白人警官がうんざりした調子で、
「法定速度違反の現行犯だよ。一台のピックアップトラックに積むにしちゃ、生きたハム・ソーセージの素を積み込みすぎてるし」
「嘘ばっかり。違反キップを一枚でも多く切って、点数稼ぎをしたいだけ。せこいおまわりなんだから」
 警官は肩をすくめた。
「とにかく、わたしは行くわ。ここは放っておいても大丈夫よね?」リリーが言うと、
「あんた。なんだって空なんか飛んでるんだ? 許可は取ってるのか?」警官が訊いた。
「許可って、何の許可よ? ヒバリは鳴くのに許可がいるの? ツバメは飛ぶのに、誰かにことわるの? 困ってる人を助けるのに、許可なんていらないでしょう? 《善良な市民の義務》ってものがあるのを、知らないのね」
「あんたが《市民》かどうかは、わからないけどな。ああ、わかった、わかった。行っていいぞ。どこへなりと、飛んで行くがいいさ」警官は面倒臭そうに手を振った。
「ありがとう。バイバイ」
 リリーも手を振って、飛び上がった。市民と警官を乗せた地面が遠ざかる。
 見下ろすと、白バイのわきに立った警官が、リリーを目で追いながら、無線に何かを話していた。
 やれやれ。 


 排水ポンプとヒーターの駆動音を聞きながら、レスキュー隊の隊長ジャック・コンウェイは、部下と群がった群衆に目を向け、進入禁止のテープの内側を、大股で歩きまわっていた。
 頭にくるのは、時間が経つにつれて増え続ける、野次馬たちだった。テレビのニュースで現場が近いのを知った連中が、恥も外聞もなく乗りつけているらしい。
 ちぇっ、テレビか。クソったれ。
 コンウェイの物思いは部下の声で中断された。
「隊長。コンウェイ隊長」
「とうとう図面が来たか。どこなんだ?」
「図面じゃありません。ハイウェイ・パトロールの連絡です」
「ハイウェイ・パトロール? 俺が三つの頃に行方不明になった、ジャーマン・シェパードの子犬が、とうとう見つかったのか?」
「あいにくと、違うようですよ」
 コンウェイがパトカーに近づくと、待ち受けていた警官たちが気づいて、中の一人の警官に目配せした。
 くだんの年配の警官は肩ごしにふり返ると、
「やあ、すまんね。ご足労をかけて」
「どういうことなんです? どういう事態か、わかっているんでしょうね」
「〈天使〉が現われたんだと」
「何ですって?」
「知らんのか。〈天使〉だよ。ハイウェイ・パトロールの警官が発見した。今、こっちに向かってるそうだ」
 聞いたことがあるような、とコンウェイが答えようとした時、あたりに叫び声と悲鳴が起こった。
 東の方、すでに暮れかけた地平線には、星も瞬き始めていた一角に、ジャック・コンウェイが、生涯を通じて二度と忘れることのできない光景が繰り広げられた。
 午後遅くの陽光を反射して、ケープをはためかせた小柄な物体が、事故現場を目がけてふわふわと舞い降りて来ると、音もなく地面に着地した。野次馬とカメラ・クルーとリポーターと、コンウェイが忌み嫌う全ての者が殺到して、視界からいっとき物体の姿を遮った。人垣が崩れ、くだんの物体が自分の方を目がけて、早足に駆けて来るのに気がついた。何人かが自分を指差して、口々に叫んでいる。「あそこにいるのがそうだ! かれに訊いてくれ!」
「あなたが救出活動の責任者?」
 物体の声に、コンウェイが我に返る。
 相手は四フィートに届かないくらいの、小さな女の子だった。
 頭には風変わりなキノコのかさのような髪飾りをつけ、肩まで伸びたブロンドは、巻き毛のカーリー・トップだった。
「あなたがレスキュー隊の責任者?」
 女の子はコンウェイが即答しないのを、不審に感じているみたいだった。
 コンウェイは唾を飲み込むと、
「ああ、そうだ。いや、そうです」
「救出活動は進んでるの? 女の子はもう助かったのかしら? どうしたの? 子猫に舌を噛られちゃったの?」
「おお、いいえ、まだです。女の子はまだ《縦穴》(ピット) の中です。いいえ、排水溝です。泣き声が二十分ほど前から、ぱったりと聞こえなくなってしまって」
「まずいじゃないの。ご両親はさぞ心配しているでしょうに」
「いいえ。両親ではなく、片親です」
 自分は何をとんちんかんなことをしゃべっているのだろうと、コンウェイは心の中で舌打ちした。
「わかったわ。わたしが潜って女の子を救出します。女の子が落ちた正確な場所まで、わたしを案内してちょうだい」
「イエス・サー。わかりました。ついて来てください」
 コンウェイと並んで歩きながら、リリーは、なんておかしな話し方をする人だろうといぶかった。一方、コンウェイは、こんなことになるなら、日曜学校できちんと神のしもべと接近遭遇した際の、言葉遣いやマナーを学んでおくべきだったと後悔した。
 二人は野次馬たちを引き連れながら、コンウェイを先頭に、住宅の立ち並んだ狭い道路を横切った。一軒の建て売り住宅の庭先にある、排水溝の取り入れ口に到着する。
「ここなの?」
「はい」
「ここから下に通っている排水溝に落ちたのね。運が悪いわ。このパイプで水を汲み出しているのね?」
「はい。少しでも水の量を減らさなければなりませんので。それから、こちらが温かい空気を送り込む管です。華氏七十五度 (摂氏約二十四度) を保っております」
「最後に泣き声を確認した位置はどこ? だいたいでいいの」
「それは――」コンウェイは蓋が開いたままの取り入れ口から、大股で十五、六歩移動した地点で立ち止まった。「このあたりだと思われます」
「ありがとう。皆を遠ざけて」
「は?」
「聞こえなかったの? 皆を遠ざけてよ」
「わかりました」
 コンウェイは女の子が、神のしもべからパイナップル型の爆弾に変わったみたいに、リリーを見た。
「ねえ、賭けをしない?」リリーが訊いた。
「賭けですと?」
「あなた、子供はいるの?」
「はい、二人ほど。妻の連れ子たちですが」
「じゃあ、三人目がマーカーね。わたしがこの赤ちゃんを助けたら、今度生まれてくる三人目の子に、わたしの名前をつけるのよ。もしも助けられなかったら――その時は、アフリカ大陸を裸で一周するわ。逆立ちのままでね。どう?」
 コンウェイは不謹慎な気もしたが、うなずいた。
「決まり! 荒くれ馬に引き裂かれても、この賭けはもらったわ。じゃあ連中を遠ざけてよ」
 コンウェイは大声を張り上げ、両手を振って見物人を下がらせた。意図を誤解したテレビクルーと、地元の新聞やラジオ局連中が、抗議したり文句を言ったが、保安官と警官とが団結して、メースン・ディクスン・ライン (南北戦争時代のアメリカの北部諸州と南部諸州の境界線。奴隷州と自由州の境界) より外へ、かれらを撤退させた。レスキュー隊の隊員たちは、手持ち無沙汰でなりゆきを見守っていた。コンウェイは横目で睨みながら、これがすんだら全員ブートキャンプに放り込んで、性根を叩き直してやるからなと、心の中で誓った。
 突如、群衆の一角から叫び声が上がった。
 コンウェイは目をやり、続いて人々の視線の方――〈天使〉がいる方をふり返った。
 最初目に入ったのは、地面から噴き出す黒い土煙だった。
 (水道管が破裂したのか!? )
 コンウェイは縮み上がるような恐怖を感じたが、そうではなかった。
 〈天使〉が――あのふわふわしたケープをまとった女の子が、宙に浮かんだまま回転して、ブーツの踵で地面を――手抜きであちこち陥没したり、ひび割れているとはいえ、アスファルトで固めた路面を――掘り返しているのだった。弾き飛ばされた土砂や細かい塵、アスファルトのかけらが降りかかってくるのを感じて、夢でも幻でもないことを悟らされる。女の子は目にも止まらぬスピードで地面を掘り返すと、すとんとかき消えた。
 と見る間に、道路から土くれと突風が吹き上げ、稲妻のような白い物体が飛び出して、ひと抱えもある物体を抱いて、天から降りて来た。
 幼児を抱いた女の子の姿となって、ジャック・コンウェイの目の前に降り立つと、
「賭けはわたしの勝ちね」
 女の子は泥だらけの顔をほころばせた。
「見なさいよ。この子は元気よ。排水溝のわきの、土のかたまりの上で寝ていたの。疲れてるみたい。でも元気よ。眠ってるわ」
 女の子は「元気」と「眠ってる」を繰り返した。
 なるほど赤ん坊はぐったりとしていたが、ときおり閉じた瞼が、小刻みに痙攣するのが見てとれる。
「子供って、利口な生き物なのね」
 コンウェイが物問いたげに見やると、
「だって、そうでしょう? いたずらに動き回っていたら、体力を消耗するばかりだし、下水の流れに落ち込んで、今頃は何マイルも流されて、溺れ死んでいたかも」
「早く母親に見せてやりましょう。それから一刻も早く、医者にも診せた方がいい」
 コンウェイは柄にもなく感動して、泣きそうになっていた。
「あんた、わたしの名前を赤ちゃんにつけるのを、忘れないでよね!」
 女の子は群衆の方に歩き出しかけながら、突然ふり向いた。
「なんて名前なんです、あんたは? やっぱり、チェラブ (智天使) とか何とか?」
「そんな結構な名前じゃないのよ。わたし、リリーっていうのよ!」
「リリー? 花のリリーですかね? 『谷間の百合』ですかね。やっぱり聖書にちなんでいるんでしょうかね」
 だが、コンウェイは答を聞くことはできなかった。女の子のまわりに報道陣と野次馬が詰めかけ、コンウェイの視界からその姿を隠してしまったのだ。
 その晩、ジャック・コンウェイは、二番目の妻と妻の連れ子の息子、娘たちと居間でくつろぎ、テレビを見ていた。液晶画面には事故現場の生々しい映像が、その晩、何十度目かのリピートで放送されていた。
「きっと、世界中のテレビ局から取材が押しかけるわよ。今に火星に逃げなくちゃならなくなるかも」
 妻のアンネットが二杯目のオレンジジュースをすすりながら、うんざりした調子で言った。
「ああ、かもしれないね」
 コンウェイは心にもないあいづちを打った。レスキュー隊の本部で、根堀り葉掘り上司とマスコミ取材陣からかわりばんこに質問され、コンウェイはいいかげん疲れきってしまっていた。
〈天使〉が地面から飛び出して、被写体を見失ったレンズがあちこちに向けられる、臨場感あふれるシーンがテレビに映し出される。
 やがて間もなく、空中から舞い降りて来る物体を、カメラがとらえた。コンウェイの膝の上で、幼いナンシーが手をふってはしゃぎ、ばばぶうと声を上げた。
 コンウェイは笑いながら、疑問が涌き起こるのを感じた。 
 あの〈天使〉と呼ばれる子供にも、家族はいるんだろうか。
 テレビの画面では、赤ん坊を抱いて女の子がコンウェイから歩み去り、かわりに使命感と好奇心を発揮した取材陣が、女の子に殺到して、思い思いにマイクロホンを突きつけていた。
「あなたは、どこから来たの?」
「あなたは人間なの?」
「どうして飛べるんですか?」
「一言感想をお願いします」
「あなたはインベーダーじゃないかと言ってる人がいますけど、それについてどう思われますか?」
「番組の視聴者に向けて、メッセージをお願いできますか?」
「あなたはアメリカ国民ですか?」
 いちいち返答する気になれないらしく、女の子は可愛らしい顔を歪めて、取材チームを睨みつけていたが、
「あなたは、名前はなんというの? 〈天使〉や〈幽霊戦士〉と呼ばれる気分はどう?」
 との女性リポーターの質問に、
「わたし、リリーっていうのよ」
 ついむっとしたように答えていた。
 その晩、メディアの神秘の海原のどこかで、名付け親の才を持ったアダムの末裔たちが、天賦の能力をいかんなく発揮した。
 翌日からメディアの表舞台では、〈天使〉または〈幽霊戦士〉という呼び名にかわって、女の子ジェーン・ドゥは、ちょっと気取って〈花〉(ザ・ブロッサム)、または〈マイティーリリー〉と呼び称されるようになった。だが、それらはコンウェイたち家族にとって、まだ、あずかり知らないことだった。
 そして、かれらが知らないことが、ほかにもあった。




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