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作品名:生徒会鬼譚 作者:

第13回   13
引き戸に手をかけてふり返る乾に、全員がうなずく。乾は勢いよく開けて一歩踏み込んだ。しかしすぐ立ち止まり、背中に緊張と動揺を走らせる。
「おい、どうしたんだよ」
 遠藤が乾を押しのけていき、私も間から顔を入れて、眉間にしわが寄った。
 むせかえるほど、血臭がたちこめている。
 廊下では月明かりが射していたのに、教室は暗幕でも張っているかのように暗い。整然と並べられている机は普通の教室と変わらないが、踏み出すと、にちゃ、とねっとりした物を踏んだ。嫌な予感のとおり、それは血だった。それも床いっぱいに広がっている。
 廊下から先生が声を上げた。
「血の床か。放っておけ、害はない。鬼というのはとにかく血をすするのも見るのも好きなんだ。悲鳴が上がればなお上げさせようとする。吉備、いけるか」
「……いけます」
 会長が顔を歪ませながら入ってくる。
「六道。いないぜ」
 遠藤が教壇から言ったのを確認するため、私も遠藤の隣から室内を見渡した。遠藤の言うとおり、鬼らしいものはどこにも見あたらない。
「本当だ、いない」
「じゃあそういう術だ。よく目を凝ら」
 突然、引き戸が勢いよく閉まった。私たちは教室内に、先生は廊下に取り残される形となった。
 あわてて乾が向かおうとしたのを会長が声をかけた。彼は引き戸に目もくれない。
「行かなくていい。どうせ開かない。保健室でもそうだった」
 会長は室内を見渡した。
「目を凝らして探すんだ。鬼はここにいる」
 凛とした声は私を奮い立たせた。そうだ、ここにいるなら見つかるはずだ。
 教室内をじっくり見ていくと、左奥の闇に陽炎のようなものがあった。
「いた」
 ゆらぐ陽炎にねらいをつける。
「いけ」
 会長の言葉を合図に、引き金を引いた。発射音にわずかに遅れて、壁に当たる音があがる。外したのだ。
 とたんに体中を冷や汗が包む。陽炎が自分めがけて流れてくるのがはっきり見えているのに、足が動かない。会長が叫んだ。
「逃げろ!」
 遠藤が私をタックルして、教壇から床に倒された。背中が血にひたり、顔にもはねた。教壇の一部は何かに叩き下ろされて、おおきくへこんだ。
「くそっ」
 遠藤はすばやく身を起こし、棍を横に持ってかまえる。私もなんとか身体を起こしたが、腰から下に力が入らず床に手をついた。
 びちゃり、と冷たく、すこしねっとりとした血がてのひらを染める。嫌な感触だ。両腕もスカートもすべて血にまみれている。さらに前髪を伝って、ほほに血が流れた。
 いやだ。
 悲鳴をあげるが声にならず、喉が絞められたようにうわずる。私このまま死ぬんだ。床に広がる血がそう言っている。いやだ。いやだいやだいやだどうしようみんな死んじゃう。
「取井!」
 遠藤が肩越しに怒鳴った。
「なにしてんだよ! 撃てってば! 見えてるなら撃てよ! 早く!」
「え」
 撃つといってもなにを撃つのだろう。どうせ死ぬならなにもしないほうがいいじゃない。
「ビビったのかよ! おい、吉備がどうなってもいいのか!?」
 吉備と言われて、うつろになっていた記憶が津波のようにせり上がる。
 生徒会。倉庫。鬼。ナイフ。吉備たずな。一緒に。
 頭の中がクリアになるほど、目の前の光景もクリアになっていった。陽炎の輪郭がはっきり見て取れる。
 会長は黒板横の壁を背に立ち、乾がかばっていた。しかし鬼は乾の脇をすり抜けようと腕を伸ばしていた。
 やらなきゃ。
 ふがいない自分がくやしくて下唇を噛むと、血の床から立ちあがる。血だらけだけど、さいわいグリップを握ったままだ。こわばって動かない指に左手を添えてねらいをつける。立ちふさがる遠藤がちょうど鬼の頭を隠していた。
「取井! まだか!?」
「遠藤、どいて!」
 邪魔な頭がひょいとよけた瞬間、両手でトリガーを引く。紅い数珠はちいさな音を立てて鬼の後頭部に命中した。
 霧が晴れるように陽炎から鬼があらわれた。
 そこにいたのは天井につきそうなほどの巨大な鬼だった。頭には一本の角があり、赤黒い肌に屈強な身体、剛毛に覆われた太い腕は熊を彷彿させる。
 さらに四発撃ちこんだ。鬼は当たるたびにびくりと身体をゆらした。やがて教室内を覆っていた闇は薄れ月明かりが射し、血の海の中に並んだ机を照らす。
 鬼がゆっくりと振り向いた。
 ガチガチと牙を剥き鳴らし、鼻の頭にシワをよせ、見開く眼は金色でぎらぎらと光らせている。怒りそのものの、お面。
「ウガアアアアア!」
 窓が割れるんじゃないかと思うほど大きく咆吼し、こちらに右腕を伸ばしてくる。太い指に鷲のようなするどい爪が生えそろっていて、大人の頭でも片手で握りつぶせそうだ。
  「どりゃあ!」
 巨大な手のひらに遠藤が棍を突き入れ、鬼はすこし手を引いた。棍をつかもうと手が泳いだところを、さらに振りかぶって甲を打つ。鬼は眉をひそめて遠藤を叩きつぶそうとした。遠藤は棍を構えて受け止めたが、あっけなく床につぶされてしまった。
「遠藤!」
 私は鬼の顔めがけて数珠を撃ち、ひとつが片目をつぶした。恐ろしい雄叫びが教室中に響きわたる。ひるんだところで遠藤が横に転がって立ちあがり、にかっと笑う。
「やるじゃん」
「あんたもね」
 遠藤は顔にはねた血のりを手首でぬぐう。頭から学ランから上靴まで血だらけだになったが、それをまったく気にしていないようだ。六道先生がやったように棍を一振りすると、教室の右後ろに下がっている乾と会長の元へ向かった。

 私は教卓に乗った。教室を一望できる場所なら、どこにでもエアガンが撃てる。
 鬼は狭い教室内で背中を丸めつつ膝下に並んだ机を蹴りながら、常に会長を見つめ腕を伸ばして進む。狭い子供部屋であばれる大きなプロレスラーといった感じで、小物のせいでいまいち自由がきかないようだ。
 乾が会長になにかを言った。すぐ会長が離れ、乾は落ちていたペンケースを鬼の顔に投げつけた。鬼はいらついたように片腕一振りで机をなぎ倒すと乾に襲いかかる。私は声を上げた。
「乾!」
 乾は、鬼の指先を寸前でよけてファイティングポーズを取った。胸元に引き寄せている拳を打つかと思いきや、拳の位置はそのままに右肘を突きあげる。肘先は鬼のみぞおちに命中し、鬼は少しよろけた。
「遠藤!」
「うらあ!」
 乾が半歩引き、同時に遠藤が机上から棍を振りあげて飛びかかった。鬼の首の後ろめがけて一気に振り下ろす。
 鬼はとうとう膝をつき、四つんばいになった。
 その頭を乾が捕らえ、右肘と右膝ではさむように打ちつける。骨の砕けるような音に、私は顔をしかめた。後頭部と鼻の頭だ、かなりの衝撃なのだろう。鬼はさらに姿勢を落とした。
 しかし。
 遠藤が背筋に棍を突き立てようと机から飛び降りたとき、鬼がわきによけた。そのまま床におりて背中から薙ぎはらわれ、近くに控えていた乾もまとめて机の山に飛ばされる。
 私がたまらず立ちあがって悲鳴をあげると、会長が諫めるように叫んだ。
「取井はそこにいるんだ! 撃てそうな時は撃って!」
「はい!」
 頼もしい声に動揺はすぐ落ち着いたが、声に反応したのは私だけじゃなかった。鬼が今までのダメージがなかったかのように立ちあがると獲物を認め、にたりと笑みを浮かべた。
 エアガンを構えて何度もトリガーを引いた。しかし撃っても鬼に効かないのは、珠にかまいもせず会長に向かっていく。
 会長は教室後ろの壁を背に、ナイフを引き抜いて待ちかまえた。
「会長!」
 一騎打ちに私は腰を浮かせたが、彼がちらりとこちらを見たので、立つのをやめた。
 来るな。そう言っていた。
 鬼は会長をつかまんと腕を伸ばす。会長がナイフを振ったので、鬼の手は一瞬止まる。次は別方向から手を伸ばしたが、今度は血が飛んだ。
 鬼はじれったそうにうなって身を退いた。会長はナイフを握り直して、壁からゆっくり離れて間合いを取る。
 にらみあいのあと、鬼が先に動いた。
 遠藤にしたように手をおおきく振りおろすのを、会長はすばやく机の上に飛び上がってかわす。
「ガアウ!」
「うわわっ」
 鬼は周囲の机をはらい倒し、会長の乗った机も巻き添えになった。彼はそのまま崩れた机の中に落ちる。
「会長!?」
 エアガンを構えた時、鬼はこちらに向かって椅子を投げつけた。とっさに教卓から飛び降りてかわしたので、椅子は黒板に突き刺さった。私は血で足をすべらせて転び、そのはずみでエアガンを放してしまった。カラカラと音を立てて遠のいていく。
「吉備!!」
 机の山の奥から拾い上げた時、遠藤が悲鳴まじりの声を上げた。何が起こったのかを確認して、私は戦慄した。
 まさしく今、鬼が片手で遠藤を突き飛ばし、もう片手で会長の頭をつかんで引き揚げているところだった。会長はあばれるようすもなく、手足をだらりとのばしたままだ。気絶しているのだろう。
「やめろ!!」
 乾が鬼に殴りかかったが、遠藤のように片腕で払われて床に背中を打った。
「だめ!!」
 私はその場からねらいをつけた。ここならこめかみにいける。目を凝らして、トリガーを引いた。
 がちっ。
 絶体絶命の音に、血の気が引く。替えのマガジンは無い。
 私の目の前で、会長はゆっくりと鬼の眼前に持ち上げられていく。鬼の顔は優越感と高揚感に満ち、にまあ、と恍惚とした笑みを浮かべる。
 鬼憑きが始まるのだ。
「いやああ!!」
 為す術もないまま、私は絶叫した。
 一瞬だった。
 頭をつかまれてつり下げられていた彼が、動いた。
 身体を縮ませると、足を鬼の胸あたりにかけた。そして両手で持ったサバイバルナイフでもって、正面にある喉に深々と突き刺し、刃を横に走らせたのだ。
「グガアアアアアア!」
 深く裂かれた肉の切り口から多量の血がほとばしり、鬼と彼を真っ赤に染める。引き裂くような絶叫の中で、会長は鬼の胸を蹴りつけ、ふとい指の間から抜けるなり床に落ちる。駆け寄った乾が彼を引きずるように引き離した。
「やったか」
 いつの間にか六道先生が横にいた。私は断末魔を上げる鬼を見つめたままうなずく。
 鬼は口をぱくぱくさせながら喉を押さえ膝をつき、指の間から血をあふれさせながら会長に手を伸ばす。会長は離れた位置から、鬼を静かに見据えていた。
「消える」
 先生がつぶやいたとき、鬼が前のめりに倒れた。教室が一度、重く振動する。
 そのまま鬼の全身が沸騰するように泡が起こり、この世のものではない化け物は、見る見るうちに血の中へ溶け消えていった。

 鬼が蒸発したあとに、白く輝く珠がひとつ残っていた。
 先生は珠に向かってみじかい経を唱え、私たちも背後で黙祷する。もう二度と鬼があらわれませんように。
 先生は経が終わると珠をひろって会長に渡した。渡されたほうは目を丸くする。
「お疲れさん。よく消したな。これは吉備のだ。とっておけ」
「なんですか、これ」
「元は数珠だ」
 今度は私が目をぱちくりとした。
「真っ赤なのが、こんなふうになっちゃうんだ」
「悪意をもった化け物の体に、この数珠を入れるとこうなるらしい。目に見えるお祓いみたいなものかな」
「へええ」
 会長は哀しさと安らぎの入り混じった目で珠を見つめてから、ゆっくりと握りしめた。
 急に、遠藤が先生に指を突きつけた。
「あっそうだ! 六道、てめぇ! ドア閉めたと思ったら、逃げてやがったな?!」
「そうだったのか」
 乾も怒りをもって先生をにらみつける。
「んあわけあるか!」
 先生は眉間にシワをよせる。
「入れなかったんだよ。かなりの妖術で封印されていたようだ。やっと入ったら、吉備がとどめを刺したところだったんだ。しょうがないだろ。あと、こいつだ」
 やれやれと身をかがめて足下の小さな箱を取ると、乾の前につきつけた。
 救急箱。
「仮にも責任者だからな。生徒の怪我を処置するのは当然だろう。お前らなら往復している間はもつだろうと判断して、取りに行ったんだ。そう怒るな」
「ふざけ……いてえ!」
 くってかかる遠藤の背中に先生は軽く手を当てる。
「そらみろ。どいつもこいつもぶっ飛ばされて、どうせ打ち身だ捻挫だと体中ヒビが入ってるはずだ。清めるのも今夜中にやっておかんと、染みになりかねん。ああ、なにも片づけなくていいからな。どうせ朝になったら元に戻ってる。おら、とっとと帰るぞ」
 すたすたと立ち去る六道先生に、生徒会の面々はあっけにとられた。
 引き戸を閉める前に、私はもう一度教室を見た。ちょうど物がにじんだ輪郭を象るところで、イスが突き刺さった黒板も、何事も無かったように元の姿になった。床は血の海のままだが、それは鬼の怨恨の血だろう。
 私もみんなも血にまみれていたが、今ではかえって誇らしい。
 廊下で同時に息を吐き、目を合わせる。
 そして。
「勝ったあああ!!」
 私たち生徒会は、勝ち鬨を上げた。


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