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チャンドラ 中華街の星たち
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第5回
第四章 特別家庭訪問
第 四 章 「 特別家庭訪問 」
明治六年に創立されたこの小学校からどれくらいの数の生徒が卒業して行ったのだろう。
正門から校舎まで心臓破りの上り坂が二十mほど続き、左側には公園のような下庭が広
がっている。この上り坂は坂の多い山手を象徴した学校の顔とも言えるのだ。
坂を上りきると左側には、この学校のもう一つの顔と言える長いすべり台が、校舎と下
庭をつなぐように二列で設置されていた。このすべり台は十五mほどの長さがあり、中間
地点が三十cmほど平になっていたため、上から一気にすべり降りて行くと体がバウンド
して、時にはコースから外れて下までころげ落ちたり、すべり台の板版がはがれているこ
とに気づかずに半ズボンの又を引っ掛けてスカートに変身させて帰ったこともあった。当
時にしてみれば画期的なすべり台だったのではないだろうか。しかし、このすべり台も姿
を消し、下庭の奥に設置されていたプールは校舎側に移され、プール跡はきれいに整備さ
れた。そして、校庭の横にあったプレハブ校舎は昭和四十六年に取り壊され、クリーム色
で覆われた鉄筋コンクリートの校舎は昭和五十九年に建て直され、校舎の中にあったスロ
ープと共に思い出の中へ消えて行った。
しかし、当時この学校には、暴れん坊だった僕のクッション的な存在が何人かはいたよ
うで、その中でも三、四年の担任だった近藤先生が一番のクッション的存在だった。
五月も半ばになった頃であった。昼休みに職員室までどうぞ、という近藤先生からのお
誘いがあった。僕のような問題児には足が進まない場所である。しかし、出頭命令が出て
はしょうがない、行ってやろうじゃねぇか・・・職員室のドアーを開けた。
「うわっ!」
な、なんなんだ? 僕に突き刺さりそうな先生たちの視線、先生全員が今にも飛び掛っ
てきそうな空気、しかも、担任の机がドアー近くであればいいが、僕の担任のように奥だ
ったりするとたまったもんじゃないのだ。
近藤先生の前に立つと先生は僕の顔を見て笑顔を見せた。しかし、先生の奥側の隣には
宿敵鉄人28号が座っている。この男の先生は鼻のトンガリ具合と中途半端な二重目が鉄
人28号に似ていたためそう命名されたのだが、やたらと僕たちのクラスに顔を出し、悪
さをした生徒のケツを竹刀でたたくのだ。こないだもこの鉄人28号は僕とクラスの悪友
であるタカとアツの可愛いお尻を三発もやりやがった。
僕の推測では、近藤先生はやんちゃな連中が多いこのクラスに一生懸命取り組んでいた
先生であったから、悩むことも多かったはずだ。そんな女心の隙間に入りこんで美しく独
身であった近藤先生に気に入られようと「近藤先生、すべて僕にお任せください」とかな
んとか調子よくたぶらかして余計なことばかりする大変迷惑なやつなのだ。
僕はアツとタカの思いも込めて下唇を出したまま鉄人28号を睨みつけていた。
「島津くん・・・どこ見てんの?・・・」
「あっ、いや、あいつをいつか返り討ちに・・・」
「島津くん・・・返り討ちって、誰かを返り討ちにする予定でもあるの? いいかげんに
そういう下品なことはやめましょうね」
「そうはいかねぇんだからしょうがねぇじゃ、俺だけの問題じゃねぇんだから・・・」
僕は鉄人28号の背中を睨みつけた。
「そうそう、返り討ちっていえば、最近、小耳に挟んだんだけど、島津くんたち、アメリ
カンスクールの生徒と仲が悪いそうね、顔がきれいだから喧嘩はしてないようだけど・・・」
「先生さあ・・・顔がきれいなのは俺たちのほうが強いって証拠じゃ、それより、誰がそ
んなこと言ったんだよ・・・どうせ・・・あいつか、お母ちゃんだろうけど・・・」
「誰でもいいでしょ・・・それよりその、じゃ、じゃ、じゃ、俺よぉ、俺よぉって言葉づ
かいどうにかならないの? 横浜の言葉だろうけど、自分のことは僕とか、せめて女の子
のように、なんとかじゃーんとか、そうじゃーんとかならないの・・・」
「ぼくぅーってなんだよ、そんな女みてぇにできる訳ねぇじゃ・・・」
「・・・・・・・・とにかく、もう少し上品な言葉を使うこと、それと、アメリカンスク
ールの生徒には近づかないこと、いいわね・・・」
「先生さぁ、それだけ? そんなことで俺を呼んだのかよ・・・」
「もちろんそんなことで来てもらったわけじゃないわよ。でも、島津くんと話してると気
になることばかりで・・・・・そしたら本題にうつるわね。明日の土曜日の午後なんだけ
ど、もし、お母さんの都合がよかったら、お家におじゃましてお母さんにお話したいこと
があるのね・・・」
「えっ? 先生また来んのかよ? こないだも来たじゃ」
「あの時は家庭訪問でしょ、今回は特別・・・」
「じゃあ、今度はなんで来んのよ、こないだことをお母ちゃんに言いに行くのかよ?」
僕はそう言いながら鉄人28号を睨みつけた。
「えっ? こないだのことって?」
近藤先生は驚いた顔を僕に向けた。
「なにって、竹刀でやられたことだよ」
僕は鉄人28号に向かって顎を振った。すると、鉄人28号が目線を送って来た。負け
じと下唇を出して睨み返すと、鉄人28号はにやりとして不気味な笑みを返してくるでは
ないか、僕は身震いがした。
「そうじゃないわよ。そんなこと話したらお母さん心配して学校まで来ちゃうわよ」
先生はそう言って笑うと、僕の疑い深い顔を覗き込んできた。
「まったくだよ。なんでああやって何かあると学校にくるのかなぁ、俺、まいっちゃうよ」
「いいお母さんじゃないのぉ、それだけ島津くんのこと心配してんだから・・・そうそう、
お母さんねぇ、島津くんが三年生の時、島津くんを文学青年にしたいって、いや、したか
ったかな? そう言ってたことがあったのよ」
近藤先生がそう言ったとたん「プッ」っと吹き出し、口を押さえながら笑うのをこらえ
ていた。というより完全に目は笑っている。僕には文学青年というものがどのような人種
なのか理解できなかったが、鉄人28号が失礼なやつだということは理解できた。
「なに、笑ってんだよお・・・・・」
僕がそう呟くように言って鉄人28号を睨みつけると、鉄人28号は近藤先生に気づか
れないように静かに両手を合わせて謝るような仕種をしたが顔は笑っている。そんなこと
より文学青年という人種のことが気になり先生に尋ねてみた。
「先生・・・文学青年ってどんなやつよ」
「そうねぇ・・・文学青年ねぇ・・・たとえば本をたくさん読んだり・・・あっ、そうそ
う、ここに居るじゃない、文学青年だった先生が・・・」
近藤先生は何を血迷ったか僕に向けていた椅子から振り返ると鉄人28号を指で差した。
冗談じゃない! 僕は鉄人28号を下目使いで睨んでやった。すると、鉄人28号は人
指し指で自分の顔をつっつくように差しながら嬉しそうに頷いている。まったくどうしよ
うもないやつである。僕は鉄人28号を睨みながら言った。
「冗談じゃねぇよ、俺はいやだねぇ、そんなのになるのは・・・でも俺だって本ぐらい読ん
でるよ」
近藤先生はびっくりした顔をして。
「へぇ、そうだったんだぁ、それで島津くんはどんな本をよんでるのぉ?」
僕は自慢げに答えた。
「少年マガジンにサンデーってとこかな、キングもあったな」
すると、鉄人28号は音を立てずに大きな動作でゆっくりと手を叩き、僕を横目で見な
がら声を出さずに笑っていた。
「笑ってんじゃ、ねぇよ、まったくよお・・・」
僕は声のトーンを上げ鉄人28号を睨みつけた。すると、近藤先生は周りを気にしなが
ら言った。
「島津くん・・・さっきから落ち着かないようだけど、何か気になるのぉ?」
そう言いながら近藤先生は鉄人28号の方に頭だけ振り返った。近藤先生と目が合って
しまった鉄人28号は、目を見開くとあわてて自分の顔の前で手の平を大きく振った。
僕は鉄人28号を睨みながら考えていた。どうして僕の周りにはこういった大人どもが
多いのだろうかと・・・
結局、先生は母に話したいという内容をはっきりとは口にせず、楽しみにしててねぇ、
という気になる言葉を残すだけだった。だか、先生の様子からしてそれほど悪い話しでは
なさそうである。そんなことよりも昼休みの残り時間が気になっていた。
学校から家に帰ると珍しいことに人影がなく、唯一、おかえり、と僕を迎えてくれたの
は猫の軍団だけだった。
事務所を抜けて台所の右側の階段を勢いよく駆け上がっていくと「おう、おかえり!」と、洋服職人の横山さんと佐々木さんの声が威勢よく返ってきた。
誰もいないうえにやっかいな二人が、しかも二人きりでいる。このおじさんたちは僕の
顔を見るとろくなことを言わない、しかも父が加わったりしたらその場から逃げ出したく
なる。まあ、我が家の三ばかトリオといったところだ。母から言わせれば僕も含めて四ば
かトリオらしいが。
横山さんの通称は横さん、四十歳台で奥さんもこの職場で手伝いをしている。佐々木さ
んは二十歳台の独身で通称はささちゃんである。そのほかにも三、四人の職人さんが出入
りしていたのだ。
この職場で縫われている洋服は男性用のスーツがおもで、室内の真ん中には縦3m、横
1・5mほどの裁断用の台がテーブルの如く置かれ、鉄のかたまりのようなアイロンが幾
つも並べられ、天井からはスチーム用のボンプが何箇所かにぶる下がっていた。そして、
壁際には黒い大砲のようなミシン台が五台ほど並び、所々に頭と足のないマネキンが型紙
に包まれて立っていた。
僕は階段横の畳部屋にランドセルをほっぽり投げながら「おかあちゃんは?」と二人に
声をかけた。すると、顔中を覆っている無精ひげをなでながら横さんがにやつきながら言
った。
「エフ坊・・・明日、担任の先生が来るんだってなあ・・・」 僕は横さんが知っていることにびっくりしたが、それをすっかり忘れていた自分にもび
っくりしていた。
「そんなこと、なぁんで知ってんだよお?」
恐る恐る横さんの顔を見ると、横さんは仕事台の上に広げた生地にハサミを入れながら
言った。
「さっきよお、先生から電話があったらしくてな、おかみさん、また、エフちゃんがなに
かしでかしたみたい、って言ってな、怒って家を出て行っちまってよ、あの様子だともう
帰ってこないかもな」
「おかみさん、家出しちゃったりしてね」
そう言ってささちゃんはミシンを踏みながら笑っている。
「ええ、家出? お母ちゃんがいなくなったら、お父ちゃんが怒るじゃ」
「そうかなあ、社長はもてるからなあ、心配しなくてもすぐに新しいお母さんが来たりし
てね」
ささちゃんは顔だけ僕に向けながらにやりとした。
「・・・・・・・」
僕は黙って爪を噛みながらささちゃんのとんがった顔を見ていると。
「それよりさあ、エフ坊は退学になちゃったりしてね、ねぇ横さん・・・」
「ささちゃん、退学ってなによ?」
僕が聞き返すと、ささちゃんはこう言った。
「退学ってね、学校側からもう学校に来なくていいよって言われることだよ。でもね、自
分からもう学校へは行きませんって言える自主退学っていうのもあるんだよ」
それを聞いた僕は意味もわからずうれしくなった。
「ささちゃん、そうなれば勉強しなくていいんだ?」
「ん、まあ、そういうことになるのかな」
「じゃあ、それのほうがいいじゃ」
「けどよお、エフ坊、残念だが義務教育の小学生じゃそれはねぇかもな」
横さんは握っていたでかいハサミを向けながらがっかりすることを言った。
「なぁんでぇ、退学にはなんねぇのか、ささちゃん、嘘ばっか言うんじゃねぇよ、期待し
てそんしたじゃ」
僕は退学の意味もわからないまま階段を駆け下りて行った。そして、事務所のソファー
にどかっと腰をおろし横山、佐々木両氏が言っていたことを考えていた。
おじさんたちがいつも僕のことをからかうのはよくわかってるつもりだ。だが、どこま
でが本当で嘘なのか理解しにくいのである。
退学かあ・・・退学てぇのになれば勉強をしなくていいのかあ・・・でもなあ、義務な
んとかだからそれはむりだって言ってたよなあ・・・そんじゃ、退学ちゅうのになるには
どうしたらいいんだあ・・・・・
それはそうと、お母ちゃんは何処に行ってしまったのだろう。もしかしたらあのお母ち
ゃんのことだ、学校に出向いて行って今頃近藤先生の話を聞いているのかもしれない。そ
して、話を聞いた後にがっかりして、本当に家には帰らず新しいお母ちゃんが来てしまう
のだろうか。いや、そんなことはない、近藤先生は悪い話しではないと言っていた。いや
待てよ、あの時、鉄人28号に気を取られていた僕の心の中に疑問が渦巻いた。本当にそ
う言っていたけぇ・・・? よく判らなくなり頭をかきむしった。すると、膝に乗ってい
た猫が逃げるように膝の上から飛び降り、僕の足元で尻を向けたままじっとしていた。今
だ! 尻尾をあげ大きなたまたまを人指し指でぷるん、ぷるんと揺すった。なんだか気分
がすっきりした。
その時、玄関の引き戸がガラガラーと音をたてた。帰ってきた母の姿をみて少しほっと
していた。
「お母ちゃん、何処行ってたんだよお!」
僕は怒鳴った。
「お使いよ、ほら、近藤先生この中華菓子好きでしょう」
母は呑気な顔でそう言うと、小脇に抱えていた中華菓子の折り詰め箱を玄関から僕に見
せた。すると「あっ!」と思い出したように顔色を変え玄関から飛び込むように僕の前に
しゃがみこんだ。
「エフちゃん、先生からあなたのことで相談があるって電話があったわよ。くわしいこと
はその時にっていうから、正直にいいなさい、何をしたのお、また喧嘩、なんなのいった
い何をしたのお?」
母は不安そうな顔でまくし立て僕の両膝に手を置くと顔を覗き込んできた。
「俺はなにもしてねぇよ!」
「悪いことばかりしてると、もう学校へ来なくていいって言われちゃうのよ」
「お母ちゃん、俺知ってるよ。それ、退学ってことだろ。退学になるとさあ、もう勉強は
しなくていいらしいじゃ、だから俺は退学を一回ぐらいやってもいいかなあって思ってん
じゃ、けど、義務なんとかでむりらしいじゃ、まったく残念だよ」
僕はさきほど仕入れたネタをここぞとばかりに言い放った。
「はなたは・・・なにばかなことばかり言ってんの、意味が判って言ってんの? 誰がそ
んなこと教えたの、お父さん、それともおじさんたち?」
「そんなの誰だっていいじゃ、内緒だよ、それよりさあ、確か近藤先生は悪いことじゃな
いから楽しみにしていてねぇって言ってたんだから、心配すんなって」
僕はそう言って母の肩を叩いた。
「本当にそう言っていたのお、あなたの言うことはあてにならないんだから」
「本当だってぇ、明日になればわかるんだから、それに退学ちゅうのがやれんかもしれな
いし」
「なにが、退学ですか・・・もう・・・」
母はため息をつくと立ち上がり二階へと走りだした。
やっ、べぇ・・・僕は玄関から外へ逃げだした。
そして、翌日の午後、近藤先生は約束通りに我が家へやってきた。
先生の話しは、僕が猫のことについて書いた作文のことであった。我が家は猫屋敷で少
ない時で十匹、多い時にはのらもあわせると三十匹ぐらいいたこともあったから、猫の観
察にはもってこいの家であったのだ。
しかも先生はその作文を新聞掲載に推薦したいと言ってくれたそうだ。
この話しを聞いて天と地がひっくり返ったのは僕よりも母の方だったに違いない。先生
には申し訳ないがその頃の僕には作文がどうなろうがどうでもよかったし、興味も示さな
かったようだ。
その後、候補は何点かあったようだが、近藤先生の推薦とがんばりのおかげで作文はめ
でたく新聞に掲載されたのだ。母の脳裏には諦めかけていた文学青年の文字が再び浮き上
がってきたようだが、母の喜びと期待もみるみるうちにしぼんでいくのであった。
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