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作品名:チャンドラ 中華街の星たち 作者:hanaco

第2回   第一章 ケンと三ばかトリオ
「 ケンと三ばかトリオ 」     


 穏やかな日差しが教室の窓側に優しく降り注いでいた。

 どうやら中央部の窓が微かに開いているらしく、束ねられたクリーム色のカーテンが緩

やかに揺れている。そんな穏やか光景を授業には耳もくれずになんとなく眺めていた。

 退屈である・・・・・

 この退屈さの根源は山手の仙人山を縄張りとする西洋人のグループが、中華街狩りを決

行した頃から始まった。

 中国系、朝鮮系、東南アジア系、それぞれのハーフ系のグループが次々に襲われて、次

は日本人のグループかとわくわくして待ってはいるのだが、今のところその気配はなく、

それどころか仙人山に襲われたコンジンやヨンホウのグループまでもが僕たちの前に姿を

現さなくなってしまった。

 コンジンやヨンホウがやられたままでいる訳がなく、報復の作戦に忙しくて僕たちなど

相手にしている暇はないといったところだろうが、まったくをもって静かである。そのお

かげで僕の周りには勉強以外の問題が何も起こらず、相変わらず穏やかでのんびりとした

日々が続いていたのだ。しかし、中華街に住んでいる僕の場合、穏やかな日々というのは

授業の退屈さを上回るほど退屈で身体によろしくないのだ。

 今日は土曜日で授業は午前中で終わりだ。有難いことに次のチャイムが鳴れば帰れる

し、明日は待ちに待った日曜日だ。誰もが一番わくわくする時間帯なのだが、出るのはあ

くびばかりである。

 と、その時、たいへんな事を思い出してしまった。僕はあくびをしながらにやりとし

た。土曜の午後とくれば、一時からでんすけ劇場がテレビで放映される。今日の帰りは道

草をくってる暇はなくなってしまった。もたもたしてるとでんすけ劇場が終わってしま

う。大変だ。早く帰らねば。

 放課後、相棒のケンが「でんすけ、でんすけ」と、呟きながら僕のクラスにやってき

た。どうやらケンも僕と同じことを考えていたようだ。同類である。

 しかし、やっかいな事が一つあった。ケンもその事は気になっていたようで僕の前に来

るなり頭を掻きながら言った。

「エフよお、今日でんすけじゃ、すっかり忘れてたよ。けどよお、あのばかたちどうす

る?・・・」

 僕は即座に答えた。

「あんなばかたち構ってる暇ねじゃ、しかとじゃ、しかと」

「それもそうだな、あのばかたちと帰るとろくなことねぇからな、しかとしてとんづらす

るかあ」

「その通り、ケンちゃんいいこと言うじゃ、とんづら、とんづら・・・・」

 僕とケンはある連中との約束を聞かなかったことで同意し、逃げるように学校を後にし

た。 



 ケンとは家の前で別れ、早々に昼食をすませた後は、事務所のソファーに座ってテレビ

にかぶりつき、でんすけのトレードマークであるはげ頭、口の回りを黒く塗ったすっとぼ

けた顔、腰にかけたタオルに全神経を集中してばか笑いをしていた。すると、二階から職人のささちゃんが降りてきた。

「なあんだ、でんすけ、もう始まってたのかあ・・・」 

 そう言いながら、ささちゃんはテーブル越しのソファーに腰をおろしタバコに火をつけ

た。

 しばらくすると玄関の格子戸にちらつく人影が気になり始めた。目をやると曇りガラス

に怪しげな姿が三つ張り付いたり離れたり、時には姿を消したりを繰り返していた。

 ちぇっ! と僕が舌打ちをすると、ささちゃんが反応した。

「エフ坊、どうかしたのかい?」

 ささちゃんは中腰になると玄関先を覗きこんだ。

「あららららら・・・最近、静かだと思ったら、やっと来たねぇ、これは興味ぶかい

ぞ!」

 ささちゃんはにこにこしながらソファーに腰を下ろした。

 どうやら久しぶりの殴り込みらしい、僕は戦闘基地と化してるソファーの下に手を伸ば

してまさぐり、指先に触れたバットを引っ張りだして握っていた。この瞬間、退屈病は吹

き飛び身体中の血が逆流し始めた。

「また始まるのかい、今日はどうするんだい? 楽しみだねぇ・・・」

 ささちゃんは立ち上がるとまた玄関先を覗きこんだ。

「今日は二、三人しかいなそうだねぇ、早く行かないといなくなっちゃうよ」

「いいんだよほっとけば、俺はでんすけ見てんだから」

「それじゃ、何でバットを握ってるんだよ。早く行きなよお」

「うるせぇんだよお・・・・」

 ささちゃんの気持ちも判らないではないが、今はそれどころではないのだ。でんすけを

最優先しなければ早く帰ってきた意味がなくなるではないか、一週間ぶりの楽しみをあん

な連中に壊されたくない。目線をすぐにテレビへ戻した。

「エフゥゥ〜〜〜エフゥゥ〜〜〜」

 しばらくすると、今度は僕の可愛い名前を勝手に呼びはじめた。どうやら今日は声色作

戦のようである。仲間を装っておびき出そうという気だ。そんな子供だましの乗る僕では

ない。いつものことだが間抜けでしつこいやつらである。しかし、でんすけ劇場がクライ

マックスを迎えている。僕は周りのいっさいを断ち切り努めてしかとを決め込んでいた。

 すると、玄関の引き戸が音もなくスーっと十cmほど動いた。僕の左目はその瞬間をと

らえていた。どうやら声色作戦は失敗したと思ったのか、開けられた戸の隙間にむりやり

頭を突っ込んでいるばかがいた。

「まったく、しつけぇやつらだな、ぶっ叩いてやる」

 そう呟きながら僕はバットを握るとソファーから立ち上がった。

「そうそう、そうこなくちゃ!」

 背中からささちゃんの声援を受けながら裸足のまま玄関におりて、戸の隙間から出てい

る黒くてでかい頭めがけてバットを振り上げたとたん、にょきっと顔を上げたのはコンジ

ンでもヨンホウでもなくコングであった。コングはバットを見上げると不思議そうな顔を

して言った。

「まったくよお、いねぇのかと思ったらいんじゃんかよお、何で先に帰っちゃうのよお、

なんだよそのバット? まさか俺を殴るきぃ、これ以上殴られたら死んじゃうじゃ・・」

 コングの第一声にはいつもの威勢のよさは感じられず、顔は薄汚れて所々が血がにじん

でいた。

「なぁんだよ、コンジンかと思ったらコングかあ・・・凄い顔してますけど、どうかしま

したか?」

 コングの血にまみれた顔など見慣れているのだが、どうもいつもと様子が違う。普段で

あれば入るなと言っても黙って家の中に飛び込んで来るコングなのだが、今日に限っては

遠慮ぎみである。しかも、先ほどから格子戸に見え隠れしていた二人も動かないままだ。

コングがいる以上残りの二人はバッハとパンチョであろう。どうやら、穏やかな日々も今

日までのようだ。

「どうしたんだよお、まったくよお・・・」

 玄関におりて引き戸を全開にした。目の前にはまさしく服が泥だらけでよれよれのコン

グ、バッハ、パンチョの姿があった。

「すいませんけどお、うちは病院じゃないので・・・さようなら・・・」

 僕は戸を閉めると何事もなかったようにソファーに戻っていった。

「うわっ!」テレビの画面にはしゃぼん玉石鹸のコマーシャルが流れていた。でんすけは

既に終わっていた。

「エフ坊、残念だけど殴り込みではないみたいだね、誰がいるの?」

「あのばかたちだったよ、まったくよお、あのばかたちのお陰ででんすけが終わっちまっ

たよ」

 既に三ばかは玄関の中に立っていた。

「だいたいお前らは何で玄関の前でうろうろしてんだよ。このばぁか!」

 そう怒鳴りながら三人の顔を次々に睨みつけてやった。

「そんなこと言ったって、汚ねぇまま家に上がると、エフのお母ちゃんが怒んじゃんかよ

お」

 コングは僕の母に気でも使っているのか、心にもないことを言うと頭を垂れた。  

「あらららら、喧嘩かい? こりゃあ話の内容によってはライスチョコ三個、いや、五個

になりそうだねえ」

「えっ、本当?・・・」と三ばか口を揃えて言うと笑顔になった。

 だが、どうもいつもと様子が違う、気合が入りすぎである。確かにだぼだぼのズボンを

腰ではき、ぺったんこのランドセルを肩に掛けている姿はいつもと変わらないのだが、傷

だらけの顔に血を擦った跡がこびりつき、乾かない血は今だに滲んで光っているのだ。そ

れでも笑っている僕を照れくさそう見ながらはにかんでいるのは、喧嘩慣れした彼らの凄

いところで、その姿からして上級の格闘のあとだということは今までの経験上すぐに理解

できる。しかも、彼らが真っ先に僕の家にきた理由も想像がついていた。

 彼らは幼少の頃から僕とつるんでいて、今まで様々な人種のグループと戦ってきた幼な

じみだ。いわば子分のような存在であろう。

 歳は一つ下なのだがこの三人は身体がでかい、角刈りのパンチョとくせ毛でくるくる頭

のバッハは僕やケンとひけをとらないし、コングなどは小太りのうえ僕らよりでかいの

だ。この三ばかは絶対にどこかでダブっているのではないかと疑いたくなるほどだ。そん

な彼らは気にくわない相手がいると、それが年上であろうと容赦しないのだ。だから彼ら

が手を組むと年上でも手が出せなくなり、今まで何人もの年上が犠牲になっている。その

たびに僕やケンが話しをつけて仲を取り持って来たことを思うと涙が出るのだが、僕には

周辺の同学年の連中よりも頼りになる面白い三ばかトリオなのだ。

「エフちゃゃゃん、どうしたの?」

 奥の台所から母の声が飛んできた。僕は三ばかを気にしながら怒鳴り返した。

「お母ちゃん。こいつらの前でエフちゃんって呼ぶなっていってんだろ!」 

 母は誰の前でも何処でも僕をちゃん付けで呼ぶ。近頃それが照れくさく感じるようにな

っていた。

「いいじゃないのお別に・・・そんなことよりどうかしたの? エフちゃん」

 と、言いながら僕の気持ちなど理解しない母が、前が前掛けで手を拭きながら近づいて

きた。

「だからあ、エフちゃんって・・・まぁいいや、お母ちゃんちょっとこいつら見てみぃ」

 僕は笑いながら手招きした。しかし、彼らを目の当たりにした母は意外と冷静でそれほ

ど驚いた様子はなく、血だらけの彼らを見て驚愕する母を想像していた僕にしてみれば期

待はずれそのものであった。

「あなたたちまた喧嘩したの? そんなところにつっ立ってないで中に入りなさい」

 と、母は彼らの顔を見て言ったが、服装に目をやりながら。

「ち、ちょっとそのまま待ってなさい。いいまだ上がらないでよ・・・・・」

 そういい残して小走りで台所へ戻って行った。

 三ばかは肩からランドセルを降ろすとほっとした表情でぼーっとたたずんでいた。

 僕はそんな彼らの哀れな姿をソファーに座ったままにたにたしながら眺めていた。

「なぁんだ、また、治療しに来ただけか、近いうちに喧嘩の話し聞かせてね・・・」
 
 ささちゃんは三ばかに向かって手を上げると残念そうに仕事場へ戻って行った。

 母はいつものように濡れタオルを三本と救急箱をかかえて戻って来るなり、彼らの顔か

ら腕、そして足にいたるまでを無言のまま拭き始めた。そして彼らを事務所にあげるなり

「ここに並びなさい」と指示して救急箱の中から消毒の粉と赤ちんを取り出して傷口に赤

ちんを塗り始め、傷が酷い部分には消毒粉を吹きかけた。

 その度に三ばかは「痛ってぇ、しみるぅ、かんべんしてくれぇ」と叫びながらも嬉しそ

うであった。

 母の手当ては手馴れたものだ。僕は一人っ子だったのだが、仲間だけは大勢いた。不思

議と僕の周りに集まってきた。けして仲間をつくる才があったわけではないだろうが面倒

見だけはよかったらしい。仲間が怪我をすると必ず家へ連れていき母に手当てをさせてい

た。かすり傷程度ならいいが酷い状態で母の手にはおえず、そのまま病院へ直行すること

も度々あった。しかも仲間の耳くそが溜まってるから取ってくれと連れてきたこともあっ

た。その度に母は目を丸くしていたのだが、慣れるということは恐ろしいことだ。傷口も

まともに見れなかった母が最近では状況判断も素早く、手馴れた看護士の如く変身してい

た。これも全て僕のお陰である。

 母は手当てを済ませると、フーッとため息をついて三ばかを見渡しながら言った。
 
「三人ともけっこうやられちゃったみたいね、どう、まだ痛い?」

 母は三人の目を順番に覗きこんだ。それが照れくさかったのか。

「痛かねぇよ、ちきしょう、あいつら覚えておけよお!」

 この三人の中でも一番気の強いバッハがテンパーを振り乱しながら強がって見せた。

「だいたいよお、お前ぇら誰とやってきたんだぁ、ヨンホウたちかぁ、それともコンジン

たちかぁ」
 
 そう言って僕が三ばかを見渡すと、母が振り返って言った。

「そんなことどうでもいいでしょ、あなたは余計なこと聞かないの」

「どっちでもねぇよ」

「あいつらは最近、俺たちの前に姿見せねぇし・・・」

 コングとパンチョがそう言って僕の顔を恨めしそうに見ると、バッハが意味ありげに赤

く充血した片目でじろりと目線を送ってきた。その瞬間、僕の脳裏は仙人山のグループを

捕らえていた。

「お前ら仙人山へ行ったのか?・・・」

「きまってんじゃ」
 
 バッハが力強く答えた。
 
「そうなのか?」と、コングとパンチョに確認すると、二人は黙って頷いた。
 
「あいつら、とうとう来たかあ・・・だから、俺とケンがいない時は仙人山は通るなって

言ってたろ、今はとくに危ねぇから、そのうち狩られるって言ったじゃねぇか」

「そんなこと言ったって、今日の朝エフに言ったじゃんかよお、今日は土曜だから一緒に

帰ろうって」

「そうだよ、エフだって返事したじゃ、それによぉ、俺たちはあんなやつらに狩られやし

ねぇよ、今日だって負けて逃げてきたわけじゃねぇし」

 確かにコングとパンチョの言う通りである。僕はしっかりと約束をしていた。しかしで

んすけ劇場の誘惑に負けて何が悪い。どう考えたってこんな時にこんな喧嘩早い連中とい

るよりでんすけの方が面白いに決まっているのだ。

「そんな返事したっけぇ、ぇ、ぇ、ぇ」

 おもいっきりすっとぼけてやった。

「したじゃ、だからエフの教室に行ったらいねぇじゃ、だからしょうがねぇから・・・そ

したらのんきにでんすけ見てんじゃ・・・・・」

 コングの演説はだんだん尻つぼみになっていった。僕はすかさず話を切り替えようと喧

嘩になった経緯を彼らに振った。すると単細胞のコングがボソボソと話し始めた。

「エフもケンもいねぇし、しょうがねぇから三人で仙人山歩いてたらさあ、外人ハウスの

庭の奥から俺たちと同じ歳の連中が三人現れて、俺たちに向かって卑怯もの、卑怯ものっ

て訳わかんねぇこと言いやがったから、俺たちも負けずに言い返していたんだけど、バッ

ハが走りだして一人に飛び掛って行ったから、俺とパンチョも残りの二人をランドセルで

ぶったたいて、ぶん殴って引きずり倒してさあ・・・・・」

 彼らはちょっとのことでも大げさに驚く母の反応を楽しむように話している。バッハが

母の顔を見ながら得意げで続けた。

「そしたらよお、あいつらも抵抗してきたからぼこぼこしてやったよお!」

 パンチョも鼻をすすりながら胸を張って言った。

「俺なんかさぁ、笛で頭をひっぱだいてやったよ」
 
 まったく恐ろしい連中である。どうやら一緒に帰らなかったのは正解であった。

「そんでよお、何が卑怯ものだって聞いたらさあ・・・・・」

 そう言ってバッハがにやりと僕を見ながら黙りこんだ。すると、今までふんふんと穏や

かに話しを聞いていた母の顔色がみるみるうちに変わりだしてしまった。

「あなたたち、ぶん殴って引きずりたおしてぼこぼこってどういうことなの? 笛やラン

ドセルは人を殴る道具じゃないのよ、どうしてそんな恐ろしいことばかりするの、だめで

しょ!」

「そんなこと言ったって、エフなんかもっと怖ぇことすんじゃ!」

「ばぁか、余計なこと言うんじゃねぇよ!」

 僕はまずいとばかりに、ソファーから飛びあがると、コングの頭をおもいっきりはたい

た。

 母は大きくため息をついたあと「何が卑怯者なの?」と、三人の顔をゆっくりと覗きこ

んだ。三ばかは気まずそうに合図のような目線を僕に送った。彼らにしてみれば母にその

理由を話す前に、僕に気づいてもらいたかったのだろう。僕が気づけば話しをごまかすこ

とができると気を使ってくれたのだ。だが、そんなことは気にもとめずに彼らに追い討ち

をかけてしまった。

「黙ってねぇで、何が卑怯者なのかさっさか言えよ。このばぁか!」

 すると、パンチョが鼻の穴をピクピクさせながら「エフゥーほんとに言っていいのかよ

ぉ」と、下目使いでズルズルズルっと鼻水を飲み込みやがった。

「汚ったねぇなぁ、いいにきまってんじゃ、早く言えよ」
 
 そんなものを見せられてはそう答えるしかなかった。

「ずいぶん前のことで、俺たちはそこにいなかったから、よくわかんないけど・・・」

 コングはモジモジしながらそこまで言うと黙りこんだ。すると、バッハが母の目を気に

しながら呟くように言った。

「そん時にさあ、雪の中にでかい石を入れて・・・ぶつけたとかなんとか、言ってたっ

け・・・」

「雪ぃ? 石ぃ? 何じゃそれ?」

 僕はすっとんきょうな声を出しながらもしっかりと思い出していた。

「雪の中に石を入れてぶつけたって、誰がそんなことしたの?」

 母の叫びにも似た声につられてバッハがとんでもないことを言った。

「エフが・・・」

「エフちゃんがやったの?」

 母は面食らってバッハの肩を揺すった。

「あ、いや、ケンだっけ?」

 と、バッハはとぼけたが後のまつりだった。母は顔だけを僕に向け心外なことを言っ

た。

「やっぱり、あなたが絡んでいたのね」

「ちがう、ちがう、俺がやったんじゃねぇよ」

 僕はそう言いながらあわてて手の平を左右に振ったが、母は疑い深そうなまなざしを僕

に向けたまま「じゃあ、誰がやったの? 言いなさい!」と叫んだ。当然、正直に答える

僕ではない。知らないやつがやったと言い張ったが、母のしつこい追及に交換条件をだす

べく、この話しはライスチョコ五個分に相当する。と、口まで出かかったがその気持ちを

ぐっと抑えながら話しを始めた。



 何ヶ月も前にさかのぼるが、横浜には珍しく雪が降り積もった日があった。

 その雪は夜半から明け方まで降り続いたのだが、翌日の下校時になると空はすっかり晴

れわたり、どうも期待にはそえない雪であった。

 しかし、雪合戦ができる程度の雪は残っていたこともあり、僕は同学年の仲間たち数人

と、晴れわたった空を残念な気持ちで見つめながら校門をあとにした。

 その日は校門の目の前に口を開けている代官坂トンネルは抜けずに、右側の坂道を山手

通りに向かって登り始めた。

 山手通りを渡って代官坂を下り、クリフサイド側になるトンネル出口付近上の広場にさ

しかかろうとしていたその時、広場の奥から雪玉が数個飛んできて、僕たちの足元でバサ

ッバサッと砕け散った。

 んっ?・・・僕たちは一斉に雪が飛んできた岐路場の奥に目をやった。どうやら広場の

奥でアメリカンスクールの連中が雪合戦をしているようであった。

 しかし、僕たちに飛んできた雪玉は単なる流れ玉ではなく、その中に混じっていた仙人

山のグループの二、三人が僕たちに向かって投げていたようであった。

「ちっきしょう・・・エフ、ブースカじゃねぇか、やっちまうか?」

 ケンが声を荒げた。

「あったりめぇじゃ、やっちまおうぜ」

 僕たちは積もっている雪をつかむと、固めながら彼らに近づき一気に投げつけた。その

うちお互いの人数も増えだし、攻防戦はエスカレートしていった。

 しかし、不思議なことに気づいた。いつもであればごく一部の仙人山の連中と喧嘩にな

っているはずなのに、この日ばかりは珍しい雪に興奮していたのか、お互いが雪合戦に集

中し純粋に楽しんでいるようであった。しかし、それもここまでであった。

「エフ!・・・」と、呼ぶ声に僕は振り返った。そこに立っていたのは一学年上のリョウ

たちであった。 
 
「エフ、面白そうなことやってんじゃ、俺たちもやってやるよ」

「いえ、結構です」とも言えず、むりやりリョウたちも参戦することになった。

 僕の脳裏には、安心感と嫌な予感が複雑に絡み合っていた。そして、五分もたたないう

ちにそれは起こった。

「エフ、お前ぇこれ入れてんのか?」

 リョウは手の平に乗っている二cm大の石を見せつけた。

 そんな恐ろしいもの僕が入れるわけないじゃないですか、と言いたかったが「入れてね

ぇよ」と言葉を止め握った雪を眺めていた。するとリョウは傷つくことを平気で言った。

「何で入れねぇんだよ、いつもだったらレンガでも入れかねないお前が珍しいじゃ」

 確かにリョウの言う通りである。頭にくると握った雪の中にでかい石を入れてぶつけて

やることぐらい当たり前のことなのだが、どうもこの日は相手に対する感情が違っていた

ようだ。しかし、リョウにそんなあまちゃんなことは言えない。

「あいつらも入れてこねぇからなあ」と、呟くように言った。

「ばぁか、お前ぇらしくもないこと言ってんじゃねぇよ。やられる前にやんだよ、めんど

くせぇからよお、これでとどめ刺してやろうぜ」

 リョウはそう言って、石の入った雪玉を投げ続けた。しかし、妙なことを感じた。

 リョウは一人だけに集中攻撃をしているように見えた。そのうちリョウが狙っていた少

年は首を押さえながら崩れ落ちていった。

「やっと、命中しやがった、ざまぁみろ。エフ、逃げんぞ!」

 リョウはにやっと笑うと、一目散に走り出した。僕にはその時のリョウの行動がよく理

解できなかった。どうして僕たちよりも二、三歳下であろうおとなしそうな少年を狙った

のであろうか、どうであれこのような場合は一緒にとんずらするに限る。僕たちもあわて

てその広場から逃げ出し、代官坂を滑るように逃げ降りていった。




母に話した内容は実際とは違っていた。あくまで主犯格で知名度の高いリョウの名前を

出すことは、母の精神衛生上好ましくないし、小言が長くなる可能性があるため知らない

やつで通しておいた。とにかくこの場をしのぐにはこれが万全の策だと考えたのだ。

 話し終わるのを見計らって母が言った。

「どうして、あなたたちは外人の子供たちを目の仇にするの? 少しは仲良くできない

の?」

「できねぇよ。あいつら生意気だから・・・」

 そう言ってコングは足の傷を撫でながらジロっと母を見た。

「・・・・・・・それでちゃんと謝ったの?」

 僕は聞こえないふりをしていた。都合が悪いときはこれに限る。

「まさか、謝らないで逃げて来たんじゃないでしょうね?」

 母は硬直した顔で僕を見ている。聞こえないふり作戦は失敗のようだ。しょうがないの

でとくいげに答えておいた。

「そんなの、あったりめぇじゃ!」

「な、なにがあたりまえなのお、謝るのがあたりまえでしょ。だいたいあなたたちは毎日

なにをしているのお、そんなことばかりしていないで、少しは勉強もしなさい! ああ恐

ろしい・・・」

 母は僕の頭に続き三ばかの頭もはたいた。だが、パンチョが鼻くそをほじりながら懲り

ずに言い返した。

「そんなこと言ったって、恐ろしかったのは俺たちじゃ、そのあとにさあ・・・」

「そのあとって、まだ何かあるのお?」

 母は嫌そうな顔をしてパンチョを見つめた。

「実はさあ・・・そのあとさあ、エフと同じ歳のサンダーバードが三人来やがってさあ、

今度はそいつと喧嘩になってさあ、そのうち人数がどんどん増えてきたから、さすがの俺

たちもやべぇと思って、逃げてきたんだけど。おばちゃんさあ、俺たちもいろいろと大変

なんだよ」

 ・・・・・・・・・・・・母、目を丸くして沈黙。

 あとから現れた連中の察しはついていたが、念のため三ばかに問いかけてみた。

「あとから現れた三人ってどんなやつだあ?」

 コングが判りきっていること聞くな、そんな顔で答えた。

「やっぱりな、ってことはブースカもいたってことだよなあ・・・・」

 ブースカとトッポジージョは当時人気のあった子供向け番組のキャラクターである。ト

ッポジージョはねづみで、ブースカは間抜けな弱い怪獣だ。なかなか可愛いキャラクター

なのだが、仙人山の二人は可愛くない。どっちにしてもこの二人も中華街狩りに参加して

いたに違いないのだ。僕は少しの間、仙人山をどう料理してやろうかと考えていた。

 三ばかは今日の報復にうずうずして、逆に狩ってやりたくてしょうがないのだ。僕の出

方をそっと伺っている。彼らにしてみたら母のてまえ僕に仕返しを委ねることはできな

い。ここはなるべく早く意思を示してやらなければならない。

「よし、これだけやられたんじゃ、黙っちゃいられねぇからな。俺がやってやるよ」

「待ってました。さすがエフじゃ!」

 三ばかは目を輝かせた。それと同時に目を曇らせた母は、びっくりした様子で僕に振り

返った。

「あなたはなんてこと言うの、あいた口が塞がらないでしょ。そんなことは絶対にやめて

よ、あなたたちも判った?」

 母は三ばかに目線を移すと、タオルと救急箱を抱えて台所に戻って行った。その隙をつ

いて僕と三ばかは外へ飛び出して行った。

「お前らよお、俺はケンの家へ行ってくるから、めし喰ったらあの路地裏に集まれよ」

 三ばかに言うと三人は嬉しそうに頷き三本の路地へ散って行った。

 仙人山の連中が日本のグループに手を出した以上このままにしておくわけにはいかない

のだ。仕返しを速やかに遂行するには、今まで中華街の路地裏を一緒に戦い続け、日本人

のグループを引っ張ってきたケンの力が重要になってくるのだ。

 ケンは、短気と冷静を持ち合わせた静かな少年である。しかし、僕といる時は違ってい

た。確かに僕よりは冷静なのだが、怒らすと目には目、歯には歯、いや、棒には鉄パイ

プ、レンガにはブロックといったお茶目なところもあり、相手が年上であろうが平気で向

かっていくし、仲間がやられたりすると直ぐにやり返しに行ったりする頼もしいやつだ。

さっそくケンの家に行くとケンはニヤニヤしながら店の奥にある畳部屋に立っていた。僕

はケンに目配せをして顎を振ると、台南小路の路地裏へ向かった。


     *              *              *                                 


 僕たちのグループと仙人山との因縁は通学路の途中で、あの危険な近道を見つけ出した

頃から始まった。
     
 通っていた小学校は元町商店街から代官坂を登り、代官坂トンネルを抜けた正面、いわ

ゆる山手の丘の上に建ち、そのコースが学校指定の通学路になっていた。しかし学校指定

の通学路なんてクソくらえの僕たちである、学校までの近道を見つけ出してからは頻繁に

利用するようになっていた。

 その近道は中華街南門から前田橋を渡って元町商店街の裏通りまで直進すると、現在は

その位置にはレストラン霧笛楼と右隣に立体駐車場が建ち並んでいるのだが、ちょうど立

体駐車場の裏側が近道の始まりだった。 

 当時、立体駐車場は資材置場的な空き地で、その奥には小高い丘が左右に連なり、正面

には高さ二十m、幅十五mほどの崖がいかつい顔を出していた。崖は傾斜がきつく危険な

崖で現在その崖は草や木に覆われて残念ながら目にすることはできないが、僕らにしてみ

れば絶好の遊び場であった。この崖を三分の二ほど上ると直系二m、奥行き三mほどの洞

窟があったのだが、この丘には防空壕の名残といえる洞窟が幾つか存在していたのだ。          

 僕らはこの洞窟の中に入ったり、入口の前に横一列に並んでは目の前に広がる横は目の

風景を眺めていた。
 
 ある日、樹木が生い茂った頂上にふと目をとめて登ってみると、目の前には狭いジャン

グルのような密林が現れ、密林を奥へ進むとそこは見慣れた外人ハウスの裏側であった。

 そして庭を囲っているフェンス沿いの十mほど先には仙人山の通りが顔を出していた。
 
 この通りを右折して山手通りを目指せば小学校は目と鼻の先であった。山手通りにでる

と右側には汐汲坂が元町商店街へと下り、下り口の横にはフェリスの中、高等部が建って

いる。そしてその正面には小学校の校門へ続く下り坂が姿を現すのだ。

 僕らは山手通りまで続くこの通りの両側一帯を仙人山と呼び、頻繁に往来を繰り返すう

ち仙人山のグループに遭遇しはじめ、もう一人変わった人物と知り合うことになるのだ。

 現在、正式名称は高田坂と呼ばれるこの通りには百段公園があり、通りの両側は住宅で

埋まっているのだが、当時は外人ハウスが主で通りをはさんだ左側一帯には三mほどのフ

ェンスが通り沿いに張られ、フェンスの向こう側には外人ハウスの庭園が広がり、二階建

てのハウスが二、三軒あるだけだった。そして右側一帯には緑鮮やかな芝生の庭が広がる

平屋造りのハウスが規則正しく並び、高さ一mほどのフェンスが庭を区切るように張られ

ていた。当然の如くこの仙人山一帯から山手通りには外人さんたちが多く住んでいたのだ

が、仙人山のグループはこの周辺を縄張りにしていたのだ。

 僕らは西洋的な顔をした人は皆アメリカ人だと思っていたが、実際はどちらのお国柄な

のかは定かではなかった。しかも仙人山のグループは仙人山に住んでいたわけではなく、

何処から集まるのかは謎であった。そして、僕らは彼らを仙人山、もしくはサンダーバー

ドと呼んでいた。サンダーバードは当時の人気番組、テレビ人形劇のタイトルだが、出で

くるキャラクターが全て西洋人だったからそう呼んでいたのであろう。彼らは日本語を流

暢にしゃべりはしたが、微妙に違う発音や語尾が僕らには燗にさわり、山手周辺で彼らと

遭遇すると必ず喧嘩になった。これといって仲が悪くなった直接的原因など見当たらず、

他のグループと同様に双方の心の奥に渦巻いていた人種的蟠りと、プライドの主張がぶつ

かりあったのだろう。どうであれ彼らと僕らの対立はこの仙人山から始まり、今もなお続

いていたのだ。


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