少林寺拳法は、初代宗道臣(そうどうしん)を開祖とする中国生まれ日本育ちの拳法です。
初代宗道臣師家は、戦時中の中国で日本のスパイとして活躍し、少林拳で有名な嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ)の流れを汲む老師に師事しました。
そして修行中、学んだ技や独自に閃いた技をノートに記し、帰国後、整理体系化したものです。
帰国すると、敗戦直後の極限状況下で、人間の赤裸々な行動を目の当たりにし、すべては「人の質」にあることを確信したそうです。
そこで、仏教をベースにした“教え”と格闘技の“技法”を中心とした、教育システムを考案して、拳禅一如の「少林寺拳法」を創始しました。
少林寺拳法は、道場とは言わず道院と呼び、練習のはじめに道院長から「人とは」の法話があります。
私は中国拳法を修行してきたため、突き蹴りの剛法、関節技の柔法共に馴染みやすく、かなり熱心に取り組みました。
下地があったせいかメキメキ腕を上げ、白帯ながら、小林君と互角の戦いができるほどになりました。
また、道場破りを気取ったチンピラ二人組みが、たまたま順番が来た私の突き蹴りを見て、顔を見合わせそのまま帰ってしまった、という出来事がありました。
そんなこんなで、私は一躍有名人になり、格闘技上級者として一目置かれるようになりました。
おかげで色々な人と親しくなり、楽しい練習の日々を送ることとなりました。
しかし友人が増え、知名度が上がるにつれ不穏な空気がそこはかとなく流れ始め、鈍感な私も気づかずにはいられませんでした。
ここの道院長の長谷部は中学の体育教師で、熱狂的な格闘技狂い、しかも戦いの実践が三度の飯より好き。
格闘実践の腕を上げるためにと海外に何度も足を運んでいる程です。
また、少林寺拳法の道院にしては自由組手の時間がやたらと長く、彼は練習生をぶちのめしては強さを誇示していました。
強さの誇示は道院内に止(とど)まらず、飲みに出かけると、決まって酔客を相手に拳法の技を仕掛けるそうです。
そして、「どうだ、俺は強いだろう」と嘯(うそぶ)き、客にも飲み屋のマスターにも敬遠されているとのこと。
こんな話を、親しくしているスナックのオーナーが苦虫を噛み潰したような顔で私に愚痴ったことがありました。
また、ある練習生の奥さんが経営しているスナックに顔を出すようになり、主人が世話になっている道院の先生だからと原価並みで料金を請求したそうです。
そしたら、「こんなコ汚いところでボッタクルつもりか」と恫喝(どうかつ)したと、高名な書道家である当の練習生が激怒して話してくれました。
かように大人の間では悪名高い人物だと、だんだん分かってきました。
が、中、高校生の間では男気を装い、彼らを色々な遊園施設に引き連れ食事をご馳走したりしているため評判がいいのです。
あまり関わりにならないほうが善いと思い、あえて親しく付き合うことはしませんでした。
小林君も自分の所属する道院の長であるため明言は避けてはおりましたが、評判の好くない事は承知していました。
長谷部は、まだ白帯の私に新しい練習生の指導をさせたり、他にも私の置かれた立場以上の要求をするようになりました。
当初は評価をしていてくれていると解釈していましたが、段々、そうじゃなさそうだと感づき始めました。
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