梶尾との戦いは運良く勝ちを拾ったようなものでした。
しかし『勝利』の二文字が頭の片隅に根深く住みつき、『勝利の快感』は確実に私の心の奥底で何かを形作り、蠢(うごめ)き出しました。
梶尾との一件から数ヵ月後、私の、会社での業績が他社でも評価され始め、いわゆるヘッドハンティングを受けるようになりました。
私の勤める会社は、田舎の大地主が土地を処分して得た大金を投じ、息子二人に経営をやらせている同族会社でした。
兄の社長は商業高校出身で、とてもやり手とはいい難いけれど、ちょっと抜けたところがあり人が好く、私は好きでした。
弟の専務は、進学校と言われる私の高校の大先輩で、実質、会社を動かしている実力者ですがその腹黒さ、理不尽な言動に私は嫌悪していました。
その大嫌いな専務の直属の部下に配置され、日々、いつもの非常識極まりない業務命令に辟易(へきえき)していた私は、転職を真剣に検討し始めました。
その後、両親が病気で相次いで他界し、若くして嫁いだ姉だけが近しい親族と言うこともあり、二つ三つ県を挟む遠くへの転職でしたが、やってみたい仕事でもあり申し出を受けることにしました。
彼女に一緒に来てほしいと伝えましたが返事は予想通りでした。
それで地所を売り払い、転職先を第二の故郷とすべく、こじんまりした家を新築し見知らぬ土地で一人暮らしをスタートさせました。
転居直後は慣れぬ環境と仕事に忙殺されていましたが、暫くすると再び例の「戦い」への渇望(かつぼう)に苛(さいな)まれ始めました。 基礎訓練はばっちりやってきましたが系列だって武術を学んではきませんでした。
それで何かの道場に通うことに決め、近隣の道場を片っ端から電話帳でリストアップし情報収集し始めました。
場所、時間帯、月謝の3点で候補を絞り、車で10分ほどの少林寺拳法の道場に見学に行きました。
公共の集合施設で図書館あり、体育館あり、会議室ありと言ったかなり大きな規模で、駐車場もたっぷりあります。
練習が行われている体育館は立派な建築物で、柔剣道館はかなりの広さでした。
スーツ姿のまま、平日の夜7時から始まる練習を体育館の片隅で正座をして見学していると、知っている顔がありました。
彼は教職希望で浪人中であり、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら勉強を続けていました。
小柄ですがキビキビ動き、端正な顔立ちで言葉少なく非常に好青年で、給油に行くたびに会話を交わしていました。
練習が始まり彼、小林悟(こばやしさとる)君も私に気づき、「是非一緒にやりましょう」といつものはにかんだ様な口調で誘ってくれました。
彼がいる事で即決し、ここに練習に来る手続きを済ませ、再び練習を見学しました。
小林君はすでに黒帯3段で、ここの指導員の一人であり、日ごろの機敏な動きの通り突き蹴りは恐ろしいほどの速さで、他を圧倒していました。
特に後ろ回し蹴りは彼の十八番(おはこ)と見え、何時(いつ)一回転したのかも分からないうちに脇腹に蹴りを入れられてしまいます。
誰もこの後ろ回し蹴りを防げません。
いつもの大人しそうな物腰からは想像もつかない強者(つわもの)振りに、能ある鷹は爪を隠すとはこういう事を云うんだろうと、彼の人物に改めて惚れ直しました。
この道場での格闘技人生に夢膨らませていましたが・・・・好事魔多し・・・
ここでもいろんな出来事に遭遇していくことになります。
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