その後、私は情報管理室の室長室に足繁く通い、或いは広田さんの各支店への輪店情報を情報管理室の親しい女性からから聞き出し室長が食堂で珈琲を飲んで一休みしているのを狙い撃ちし、弟子入りのお願いをしました。
しかし、なかなか首を縦に振ることはなく、怒り出すわけでもなく相変わらずニコニコしながら「弟子はとらないんだよね」と言い続けていいる広田さんに敵もさる(猿)者引っ掻く者と妙な感心をし、でも負けるモンかとしつこく追っかけ回していました。
社員旅行からやがて半年ほどたった頃、本社の社員食堂で広田さんと二人っきりになるという偶然がありました。
当然ここは押しの一手だと、いつものように弟子入りを頼みました。
そしたら、思いもしない返事が返ってきました。
「判った。日吉町の主婦の店というスーパーマーケットは知ってるかな?よし。今日の夜9時にそこの駐車場で落ち合おう」
私は飛び上がって喜びの雄叫びを上げました。
「オイオイ、まだOKを出した訳じゃないから早とちりしないでくれよ」 と言いつつ、広田さんは食堂から出ていきました。
「どういうこと?? まいっか! そうだ中島も誘おう」
私は食堂を飛び出し、中島のいる部署にとんでいきました。・・・・
私と中島は仕事が終わると待ち合わせのスーパーマーケットにスッ飛んでいきました。
1時間も早く着いてしまい、心臓の高鳴るのを押さえ切れず、二人で興奮して寸止めのスパーリングまで始めてしまいました。
夢中になっていたために広田さんの車がすぐ近くにくるまで気づかず、ライトのパッシングで手を止め、手で光を遮りながら広田さんの到着を待ちました。
「待たせたかな?」
やはりいつもの笑顔で車から降りてきて、熱々の珈琲の缶を二人に投げてよこしました。
広田さんは我々のところに近づくと、私に向かって言いました。
「葵君は太極拳をやっていたんだよね。ちょっとここでやって見せて」
「本を見ながらの自己流ですよ」
「かまわないよ、どの程度なのか見ておきたいからさ」
「いや、恥ずかしいー、緊張するー」
ご託を並べながらも、大きく深呼吸をして陳式太極拳の套路を始めました。
一通りやり終えると、広田さんは拍手をしながら、いやたいしたもんだ、といいながら近づいてきました。
中島も、すごい、すごい、と歓声を上げました。
「でもまだ動きが堅いねー」
と言うと突然広田さんはお手本にと、陳式太極拳をやり始めました。
大きく足を広げ後ろ足を直角に曲げ前足を伸ばすポーズでは、股割に近いくらい低く腰が落ち、しかも足に根が生えているかと思うほどの安定感があり、次の動作に移るときの滑らかさといったら・・・
本物ってこういうのを言うんだろうなー、私は唖然として見ていました。
広田さんは再び私の前に立つと、
「葵君はどうしても私の弟子になりたいんだね?」
「はい!」
「じゃあ『老子(ろうし)』を勉強して、半年後にその結果を聞かせてもらおうか」
「へ?・・・ 『老子』ですか???」
「勉強が終わったら連絡してくれよ」
それだけ言うと広田さんは車に乗り込み立ち去ってしまいました。
中島と私は、お互いに顔を見合わせ小首を傾げていました。
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