白い影との接点を見出すには現場に戻るしか術はない。そこで、か細い糸の先端を見つけて、途切れぬ間に辿っていく。 シャルクの城塞から駿馬に跨って、夜通し駆けた。ボルコーズから二年前に与えられた騎馬は手綱と蹄に魔法をエンチャントされているため、操作性と速力、持久力において格段に常馬を凌いでいる。そのため、昼前には町に着くことができた。 さすがのナーメラムも正直、昼間に表立って出歩くのは望むところではない。そうした場合は変装するのが常である。夜の生き物である闇殺士が陽光下で活動するための最低限の措置と言えた。狂面は、そうした職業条件を満たさなかったがために災禍を自ら招いたのだ。 賑わいを見せる街の大通りを類稀な美女が一頭の馬を曳いて歩を進めている。 男どもの視線をチラホラと集めはするが、強力に引き付けるというものでもない。これほどに美しくとも、何か女性的な魅力に欠けていたのだろう。その美貌はあまりにも冷たく、硬質に過ぎた。まるで水晶を彫って作られた人形のように。 その物腰も穏やかな柔らかさが無く、颯爽とした風のようで無駄が少ない。声を掛けようか迷っているうちに、もう過ぎ去っているのだ。 薄手のローブから見るにかなり華奢な姿態で、快活な足取りに比してアンバランスなほど力なく見える。 アイスブルーの瞳は異様に透き通っている。ガラス細工のそれを思わせ、そこからは何も読み取れそうにない。ただ、底冷えのする光を留めており、見る者を意味なく不安にさせた。 フードの両脇から垂れるブロンドの長髪が風にたなびく。陽を受けて煌くその流麗な動きが急に落ち着いた。 その美貌の持ち主が歩みを止めたのだ。 すっと鋭角的に細めた眼差しは、とある商館に向けられていた。 この町の盗賊ギルドの本館である。 馬は隣の厩につなぎ、商館の裏口へと回った。 ドアの前に立ち、3・3・1の決められたノックをする。 が、反応は無い。 取っ手を下げて、そのまま押した。鍵の掛かっているはずのドアが、何の抵抗も無く開いた。その途端、嗅ぎ慣れた臭気が鼻腔を満たした。 血の臭いだ。 この受付の部屋から奥へ続く扉の前に、骸となった男が一人、無惨な姿で転がっている。 後ろ手に素早く静かに扉を閉めた。 傷を見分する。 左肩から袈裟懸けに斬られて右脇腹まで達していた。ほとんど背中の皮だけでつながっている状態だ。切り口は凄まじく鋭利! 争う物音と共に、上階で怒号と悲鳴が渦巻いた。 無論、敷居を跨ぐ前から複数の気配には気付いている。 美女の姿をしていた男は、かつらとローブをソファーに投げやり、存在潜行を開始した。猫駆けで一気に目的地へと向かう。 一瞬、先日の再現を脳裏に思った。 一体、何なのだ、これは。白昼堂々、盗賊ギルドを襲うなど、あまり聞いたことが無い。どこかのギルドとの争いなら夜陰に乗じるのが、暗黙のルール。闇殺士ですらそれに縛られている。それとも逆を衝いたか? ないとも言い切れないが、この気配の乱れから識るに敵は一人だ。まるで、一昨日の貴族暗殺時のように。 駆け上がった二階廊下の先で、緩急変幻に身を翻す白い影を見た。 ! やはり。 この物語に参加するか否かは、ナーメラム自身の手にある。だが、この白い影が襲来しているこの場で、図らずとも邂逅したことは、さすがに因縁を感じた。絡み合った運が互いを引き寄せたのであろうか。 眼前では、盗賊たちがなす術も無く血煙を上げながらバタバタと斃れていく。 二日月のような鋭い孤を描く銀光が、血霧の中を恐るべき速度で自在に泳ぎまわる。その度に赤い色はその臭気と共に濃さを増した。 闇殺士はその光景を、ただ黙して眺めた。 惚れ惚れとするほどの腕前だ。やはり異国遠征は極めて有益なものだ。立て続けにこのような良質な獲物に出会えるとは。 そして、この者を通じて、ブレッスナとの距離を一気に縮めることができるかも知れない。 最後に残った盗賊の一人も相当に使えたが、白い影に触れることすらできずに自らの血海に沈んだ。 立っているのは、不思議なことにブレッスナ同様、一滴の返り血も止めていない白い法衣姿の男だけだ。 手にしている武器は、ブレスッナが振るっていたイマックスのように破壊力のあるものではない。ほぼ九十度の孤を描いた細身の曲剣シャリフーであった。マルキュア時代の剣闘士達が防具なしの試合に使った武器である。各所の動脈静脈を正確に狙って出血死させる方式の試合があった。当時、飽くなき刺激を求める欲望は、様々な試合を考案させた。残酷であればあるほど、喜ばれた時代であった。切れ味は抜群だが、強力な武器ではない。シャリフーは元来表層の裂傷をもたらす武器であり、即効性の致命傷を狙うなら首に限定される。しかも扱いが難しく、下手な者が扱えば、すぐ刃が曲がったり、大きな刃毀れを起こしたりする。故に、当然実戦的な武器とは言い難い。 しかし、眼前の白装束の戦いは圧倒的だった。その細身のシャリフーで盗賊たちの腕や脚を易々と切り落とす。胴に残された一撃もどれもが即死をもたらす斬り口だ。凄まじいと言うより、異常な使い手と表現した方がいい。とは言え、決して不可能なことでもない。技術がパワーを凌いだ一例なのだ。鎧われていない部分を狙えば、理論的には可能である。 ブレを許さぬ精緻な剣筋を保ちつつ、刃を高速で走らせる。と同時に剣圧の微妙な力加減を最適に融合させる。究められたテクニックの加工・合成。 白装束は、それを実践させたのだ。 そしてその男が、不意に背後で湧き出た気配に反応して振り返った。 ナーメラムの存在を認めて、錐のように細い目を見開く。 思いっきり押し潰したようなのっぺりとした顔であった。無表情である分、変に怖い。 「背後を取られるとはな。・・・闇殺士か?!」 「いかにも」 ナーメラムは殊更ゆっくりと答えた。 「むう、俺の仲間から聞いた容貌に似ているが、一昨日俺と同じ法衣の男と闘り合ったのはお前か」 「ブレッスナとやらのことを仰っているなら、その通りですが」 「はっ、手間が省けた。こ奴ら知らぬの一点張りでな、また別のアジトでも探さねばならぬかと諦めていたとこよ」 「そうですか、それは殺生なことをしましたね。いずれこちらが出向きましたものを」 「ブレッスナもそうは言っていたが、確証もない。仮にお前の言う通りであったとしても、受身に回るは我々の性に合わんのでな」 知れてはいるが、闇殺士は演技めいて頭をめぐらせた。 「当人の姿が見えません。まさか、代理人を寄越したと言うのですか?」 白法衣の男は淡く渋めの表情を浮かべ、肩をすくめた。 「奴にはやらねばならぬことが多い。個人的な私情にかまけてばかりはいられんのだよ」 「そちらの事情など関知しませんが、つくづく舐められたものです。私にとっては、代役など無用の長物に過ぎません。ブレッスナと闘ることに意味があるのです」 「なるほど。その点、お前も奴と同類と言うことか。しかし、ここまでよ。死に往く者に意味もクソもあるまい。我々を知った者は全て消えてもらおう」 その言葉に闇殺士は悪魔的な笑みを浮かべた。その点はこちらも同じ考え――闘らずに帰す気はない。 そして、別人のような低く錆びた口調で独りごちた。 「前菜として、腹の足しにするも悪くは無いか」 法衣の男の目に怒気と殺気が漲った。 その瞬間、両者の周りの空間に無数の針が飛び交うような鬼気が逆巻く。 もはや言葉は必要ない。 互いの一挙手一投足に神経が集中する。 闇殺士の手にはいつの間にかシミターを小型化した短剣が握られている。 白い法衣の男――ムスラクが先にじりじりと動き始めた。その動きに合わせて、気配が濃淡を繰り返す。 ナーメラムはそれに応じて身を引いた。 相手は独特のリズムを持っている。 そのリズムをつかむまでは、下手に手を出せない。思わぬ攻撃で不意打ちを衝かれるような形になる可能性が高いからだ。 気配の刻みがかなりはっきりしている。 ナーメラムの気配も振幅はあるが、もっと流れるように滑らかで、澱みが無い。 ムスラクの気が爆発してすぐに凪が来る。しかし、その平穏の合間に変則的な攻撃がまるで死角を衝くように、闇殺士を襲った。 辛くもシャリフーの銀弧を短剣で弾く。 澄んだ音が鋭く耳朶を打った。 これは確信犯だ。 標的が闇殺士故に、この男をよこしたのだ。 闇殺士は自然と相手の気配を読んでしまう。そうなるよう日常的な修練を怠らないからだ。そして、当然それに行動が影響されてしまうのである。 それに比べると違う危険はあったが、ブレッスナとの戦いは短絡的で、ある意味楽だ。 しかし反面、独特のリズムと言うものは、致命的な弱点がある。そのリズムが読まれてしまえば、逆撃を喰らう格好の的に変化する。ただ、リズムを完全に己がものにし、自在に操れるならその限りでない。 事実、視覚を制限される場合に自らの気配操作を武器にする闇殺士もいる。 気配の操作分析において、ウォル・ストーカーを除き、闇殺士に比肩し得るものは皆無である。 この闘いでも、それが実証されることになるのであろうか? 白い影が先手先手に回ろうと機敏に動く。その脚運びにも波がある。 それに応じて黒衣纏う闇殺士の姿が、寸分違わぬタイミングで引き満ちを繰り返す。 そして、複雑な波が鎮まろうとした次の瞬間、ダイナミックな変化と共にその白は稲妻のように黒へと迸った。
(次回予告) 両者の闘いは、本格的に熾烈さを増す。獲物を味わおうとするナーメラム、苛烈な連撃で追い込む法衣の男。ブレッスナ戦とは、一味違った戦闘シーンが繰り広げられる。
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