部屋の中に入ったクェイバは、闇殺士の姿を見るなり獰猛な唸り声を洩らし、攻撃的な眼光を湛えた目で睨み付けた。 闇殺士はそれを涼やかに受け流す。 「くどい真似は止めておけ、クェイバ。見苦しいぞ」 二人の無言のやり取りにシャルクが釘を刺した。 初回、ナーメラムが魔術師の城塞に赴く途中、侵入者と間違われてクェイバの部下に襲われたのである。腕も立ち、クェイバが最も信頼するリザードマンの一人であったが、逆に闇殺士を斃すどころか返り討ちに合ってしまい、そのまま闘死した。クェイバはそれを根にもっているのである。 「フン、目障りに思っただけだ。元々、ひょろけた闇殺士というものが嫌いなんでな」 ゴロゴロと轟くような胴間声で返した。 と言いつつも、闇殺士を見るその黄色い目は抑え切れぬ憎悪をたぎらせている。 それを無視してシャルクは問い質した。どうも機嫌が悪いのは、闇殺士のことだけではない気がする。 「で、首尾はどうであった?」 「部外者をはずしてくれ」 魔術師は露骨に眉をひそめた。 良くない兆候だ。 瑣末を嫌う豪放磊落なクェイバの性格からすれば、嫌悪する者は無視するのみで事足りる。そもそも任務に支障がなければ、問題ないとだけ答えるだろう。それ以前にいつもは、シャルクから仕事の結果を聞くような真似はしない。 「では、客室に控えております」 言われるまでもなく、闇殺士は飄として部屋を出た。 他人事に関心はない。どうすれば、白い影とやらに行き着けるかだ。 闇殺士は去ったが、少しの間、主従両者とも口を開かない。クェイバは目を瞑ったまま、闇殺士が遠のくのを待っていた。 リザードマンの態度は、魔術師と主従関係にあると見えぬほど、ぞんざいなものである。一方のシャルクもそういったことを全く気にしていない。まるで僚友のようでもあった。 実際、シャルクとクェイバの付き合いは長い。もう、三十年は過ぎていよう。 シャルクの師であった魔術師フィは、三百年前、複数のドラゴン群を支配下に置いたほどの竜魔道士バリューカ・ウネベイの血を引く魔術名門の末裔であった。しかし、フィは先達ほどの力を持ち合わせておらず、生涯修練を積んだもののドラゴンを呼び寄せることすら叶わなかった。が、竜の末端眷属に当たるリザードマンについては、ほぼどの種族にも忠誠を誓わせる秘儀を修めた。 シャルクが、本来人間と交わるはずのないリザードマンを掌握しているのは、フィ師より受け継いだ秘儀によるものであった。ただ、フィと違うところは、リザードマンを完全に支配するのではなく、意思疎通を優先させるために対等な部分を残しておいた点にある。クェイバとのやり取りはそれを如実に現していた。基本的に他のリザードマンをまとめる役はクェイバに一任している。経験上、それが最も効率的だと知ったからだ。無論、その気になれば、メンバー全員に圧倒的な強制力を発揮することはできる。そして、リザードマンたちもそれを承知していた。 クェイバが口を開いた。 「予想以上の被害だ」 「たかが、知れたレジスタンスの始末にか?」 「そうだ! だが、知れたものではなかった。魔術師がらみだ。それに人間でないものも混じっていやがった。最初の情報とは明らかに違ったぞ」 その口調には無遠慮な非難が込められている。 シャルクはそこから配下のリザードマンが何頭か死んだことを悟った。 彼が配下に置くリザードマンは百頭弱である。フィ師が率いた三千頭を超す軍団に比べると圧倒的に寡兵だが、一頭一頭が各種族から選りすぐった精鋭であり、文字通り一騎当千の猛者ばかりである。それを記すエピソードは枚挙に暇がない。端的に言うならば、危険な仕事に従事しているに関わらず、リザードマンの死傷者が数年に一度あるかないかという点から知れよう。 シャルクは陰鬱な声音で訊いた。 「その被害とやらは?」 「五頭死んだ。負傷者はその三倍だ」 シャルクは苦々しく口を歪めた。これはナンセンスに過ぎる。たかがレジスタンスの掃討に考えられぬ損害だ。クェイバが憤るも無理はあるまい。 「話してくれ」 リザードマンは語り始めた。 依頼は例によって盗賊ギルドからのものであった。とある領主が、森に潜むレジスタンスに手を焼いており、即刻殲滅してほしいという内々の依頼であった。当初、多数の暗殺者を送ることも考えられたが、隠れ家のあるおおよその場所と戦力的情報が収集されてくる内に傭兵ギルドに振った方が実効的ではないかという結論に至り、そのことを領主に図ったが、領主は外部の力を借りることを極力内密にしたかった。傭兵ギルドを介入させるとその点が難しい。と言うことで、打って付けだったのが、シャルクの率いるリザードマン部隊だったのである。 打診内容を聞いたシャルクはその依頼をすんなり受けた。楽な仕事に思えたのである。 自分は徹底してサポートに回り、戦力の選択から作戦指揮まで全てをクェイバに一任した。 獲物の情報を整理したクェイバは、彼我個々の戦力から見て部隊から二十出せば事は足りると考えた。暗殺者たちには手に余るであろうが、自分たちにとってはやり易い仕事であった。 クェイバを含めて、二十四頭のリザードマンが森深くにある廃墟へと向かった。盗賊たちの探索能力がなければ、先ず見つけられない場所だ。 獣道からかなり離れた奥深い位置、鬱蒼と立ち並ぶ木々にカモフラージュされながらひっそりと佇んでいる、古びた廃墟――相当な年代ものだ。 月は傾き、森の中はほとんど光が入らない。夜陰に乗じて奇襲をかけ、即時殲滅する。特に高い攻撃力と防御力を誇るクェイバたちには、小細工を労するより効果的な戦法だ。敵の体制が整う前に叩ければ、相手の戦力を最小限に抑えたまま戦うことができる。過去の戦例を見ても、ほとんどが総崩れでクェイバたちの軍門に下っている。 リザードマン部隊は全てが大柄な割に恐ろしく隠密に長けていた。忍び寄るにほとんど音を立てない。まるで獲物を狩る野生動物のように。 正面と裏の二手に分かれたリザードマンたちは、一気に中へと雪崩れ込んだ。 驚愕しながらも立ち向かおうとするレジスタンスは、ことごとく血煙の中に没した。 鎧も着けていないリザードマンが、人間の振る剣を避けようともしない。種族にもよるが、シャルクが集めたリザードマンは格別にレベルが高く、鱗自体が非常に堅いため、人の力ではほとんどダメージを与えられないのである。 挟み撃ちで包囲網を狭めて行き、強引なまでの突撃を繰り返してレジスタンスを袋の鼠状態に追い込んだ。クェイバが用意したシナリオ通りだ。後は完全に逃げ道を塞いで、袋叩きにするだけであった。毎度の如くそれで全てが終わる。 が、クェイバの目の前で事態は急変する。 魔法が炸裂したのだ。 敵に魔術師がいるという情報は全く聞いてない。 リザードマンの一頭が吹き飛ばされ、重傷を負った。おそらくはマジックミサイルの類であろう。鱗は砕け割れ、白い肉が飛び爆ぜている。唯一鎧を着けていたクェイバが、仲間を押しのけて明らかに魔術師と思われる人物に対峙した。鎧にはシャルクがアンチ・マジックシェルをエンチャントさせている。今魔法に対抗できるのは、彼だけだ。 周りの取り巻きなど意に介さず、大剣を振りかざしながら魔術師に飛び掛った。 しかし、クェイバの剣は別の剣によって弾かれた。力で弾き返されるなど考えられない。そう戸惑った瞬間、すかさず別の影が彼に突進し、大きく撥ね飛ばした。信じられない思いで、相手を見定めながら息を整えようとする。肺から空気が一気に出て、身体が言うことを聞かない。だが、相手が間合いに入ってくれば、必殺の一撃を喰らわせる用意はあった。 別のリザードマンたちが再度猛攻を掛ける。乱戦となってしまえば、逆に魔法は使い難い。 敵味方入り乱れて武器を叩き付け合う、戦況はすかさずリザードマン圧倒有利へと移行した。当然、個々の戦闘能力の差があり過ぎるのだ。 しかしその中、最強クェイバを退けた二人の人間が武器を捨て、素手で群がるリザードマンに向かい始めた。 二人には何か異様な雰囲気があった。 無気味な笑いを浮かべていた。 そして、驚異が始まる。 「全く、ありえねえ事だったな」 「素手でか?」 シャルクが再度問い質した。 「ああ、ただの人間に思えるか? 体格も中肉中背でこれといった特徴もない」 「魔法か、薬のどちらかだろうな」 その二人はまるで枯れ枝のようにリザードマンの腕をへし折り、鱗ごと肉を引き裂き、首を捻じ切った。同じレジスタンスの人間達は、突如変容した二人を化物でも見るような目で呆然と眺めた。 回復したクェイバは、リザードマンの顎を上下に引き裂こうとしていた非人間に死角から襲い掛かった。クェイバの凄まじい剣圧にそいつの右腕が吹き飛んだ。 不気味なことに奇声を洩らして後退りながらも、その男は貼り付けたような笑いを崩さなかった。 その時、敵の魔術師から腕を失った男ともう一人の化物じみた男に声がかかった。 「思わぬ邪魔が入ったな。秘儀を行った後故、少々疲れた。他のサンプル惜しい気もするが、お前達二人だけで、ここはもう終わりにする」 そう言うと無傷の方の男が拳で壁に穴を開け、三人はそのまま戦場を離脱した。 そして、残されたレジスタンスは絶望の中、予想外の被害で怒り狂ったリザードマンの猛攻を受けて呆気なく全滅した。 リザードマンの報告を聞き終えたシャルクは、少し考え込んでから言った。 「なるほど、その魔術師の言葉が気になる。やはり魔法がらみか? しかし、これだけの話ではいかなる力が働いていたのか、断定しかねる。今さら言うても詮なきことだか、レジスタンスの幹部は生かしておくべきだったな」 「殲滅と言ったはずだ」 クェイバは不機嫌に応じる。 魔術師は軽い笑みと共に頷いた。 いかに知能が高いと言っても、所詮はリザードマン。逃げた者が何者か、生き残らせたレジスタンスから聞き出すという至って単純な機転も働かない。人間と同じレベルを求めるのは酷であろう。ここら辺が限界なのだ。妄執に似た戦闘本能が彼ら最大の長所であり、それに伴うマイナスはある程度甘受せねばなるまい。 その二人の戦闘力から、闇殺士との話で出てきた白い影の存在が一瞬脳裏を過ぎったが、シャルクは切り離した。少なくとも白い影そのものではない。 しかし、何かが引っかかる。 近年、闇伝いに囁かれている恐ろしい噂がある。その噂自体、作り話であろうと片付けられている程度のものだが、一部では根強く危惧する声もあった。失われたバザスの禁呪復活についてである。 バザスの秘儀を施せば、いかな脆弱な者であっても人の限界を超えた力を手にすることができると言う。 だが、シャルクもバザス系黒魔術の詳細は知らない。なぜ、それが禁呪なのか。なぜ、それほどに危惧すべきなのか。いかに人を超えた力を得ようとも、兵理にもあるよう数の力には負けるだろうし、魔法で生み出したものは魔法で処分すればいい。 シャルク自身、人間より忠実で遥かに高い戦闘力を誇るリザードマンを配下にしている。敢えて、人間を強化する必要もなかった。自分に無いものは他に求めればよい。そして、その力を支配すれば目的は達成できるのだ。 無論、リザードマンたちを素手で斃した二人とバザスとを短絡的に結び付けることはできない。人を人でないものにするには、様々な方法があるからだ。傍らに魔術師がいたとしても、バザス系とは限らない。だが、もしそれがバザスによるものだとしたら・・・。 バザスの噂と白い影を重ね得る唯一の点――両方がほぼ同じ時期に始まっており、そして今なお、共に謎の渦中だ。解き明かすことができれば、二つの点が線でつながるような気がした。 シャルクは思考の焦点を眼前のリザードマンに戻した。 「いずれにせよ、ご苦労であった、クェイバ。レジスタンスは壊滅した。逃げた三人に対しては別途調査し、カタを付ける」 一先ずの結果を労い、そして情報における不手際を謝した。
(次回予告) 客室に退いたナーメラムは自問自答していた。自らの思惑に対し、時間的な制約が余りに大きい。そんな中、リザードマンの報告を聞き終えたシャルクが部屋に入ってきた。
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