20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:ブラマリール・コウン 〜異国の闇殺士〜 作者:榊 星燿

第2回  
 しんと静まり返った森の中を一騎の旅馬がゆっくりと脚を進めている。
 その乾いた蹄の音だけが、眠れる森の静寂に不協和音となって不吉に響いていた。自然が有する音無き調べをかき乱すように。
 鬱蒼と茂る木々は、謎掛けをする人頭の魔獣の如く旅人の歩みを妨げはしなかった。ただ、圧し掛かるように張り巡らした枝が、彼の頭上を幾重にも取り巻き、まるで獲物を探しつつ闇夜を翔ける怪梟の翼影を思わせる。それら生存競争の果てに勝ち残った大木の群が陽光のほとんどを遮り、夜気の如く生彩なき冷ややかな空気は積もった塵さながらに滞るまま。深い森の中を流れる時間に等しく、静止しているかのようだった。
 その澄んでいながらも暗く重い雰囲気に身を任せながら、嘱目の闇殺士は昨日のことを黙然と思い返していた。
「何かが始まっている」
 ふと、心したことを口に出す。改めて自分自身で確認しようとしたのだろうか、それとも森を彷徨う精霊達に問い掛けたのだろうか。自らのわだかまりを独りごちていた。
 東方の王国クシャリトアの言語学者マヌス・アジューラが記した格言に“この世は全て幾つもの物語によって創られている。その造り手は神だと思うか? 否、その手を見てみよ。”とある。
 そして、昨日の出来事は闇殺士にとって、間違いなく一つの物語を構成する起承転結の起と捉えないこともない。遠く離れた全く関わりのないはずの糸を、自分の持つ運命が強引にも手繰り寄せてしまったのではないか。
 空想癖があった訳ではない、それは彼の勘だった。
 勘と言っても、一般的に第六感と表現される特殊な能力ではなく、彼の経験が蓄積してきた脳の記憶が、過去の事例に沿ってその可能性を示唆するのだ。元来、勘とはそう言ったものであり、大なり小なり誰もが持ち合わせている。そして、彼は二十歳そこそこでありながら数え切れぬほどの死地を切り抜けてきた。逆に、そうした者にしか導き出せない“答え”が、確かに存在する。
 名はナーメラム。しかし、その名は一部の者しか知らない。一般的に“眠り目”という影名で通じている。由来は単純だが、彼がよく目を閉じているからである。視覚によらぬ感覚を常時鍛錬するためなのは言うまでもない。才人であり、その技能は若年ながら闇殺士の上位ランクに上げられるほどで、ダナキ暗殺部の次代を担う存在として密かに嘱目されているのである。特にダナキのマスターたるボルコーズは彼を自ら見出しただけあり、色々と目をかけ、その傑出した成長に一役買っている。
 姿容は繊細なガラス細工を思わせるが、その実、驚くほどしなやかで強靭な肉体に作り上げられている。
 モノトーンの影に彩られた裏社会は、かつて不死の王として世を席巻し、終には大陸のどこかに封じられた古の邪神官レブエトスの地下迷宮に似て、複雑に入り組み、かつ途方もなく広大だ。一大闇組織のダナキに身を置く闇殺士と言えど、やはり知り得る情報に限度がある。
 昨夜目にし、刃を交えた修武僧については全くの未知であった。一つはっきりしていることは、彼もしくは彼らが決して表の者ではなく裏の者だということである。しかも極めて危険な部類に入る。修武僧として一級の戦闘力を有しつつ、さらに魔法とも超常力ともつかぬ厄介な技を自在に振るうのだから。
 思い起こせば、ブレッスナとやらが最後に放とうとした技に先んじて、こちらの逆撃が成功していたかどうかも分からないのだ。相討ちは敗北に同じ。また、相手が先にその技を発動させていたなら、間違いなく殺られていただろう。プロとして、その冥い確信はあった。  
 この後、再戦することになったとしても、ブレッスナ一人だけならまだいい。しかし、一度関わってしまえばそれだけで済まないと、自身の勘がまた、そう告げている。
 そんな物語に敢えて足を踏み入れる必要があるのか、自問させる微小な迷いが心底に沈殿しているのを、彼は払拭できないでいた。自らの技に絶大な信を置くこの男には珍しいことだった。それだけ心中のレッドシグナルが強く明滅している証拠と言えよう。
 だが今はまだ、その物語の登場人物になるか否かの選択権は、彼自身の手にあった。
 騎馬はそんな主の思いを余所に苔むした石の舗装路を従容と進んで行く。
 ここはロハーン国第二の森林地帯、ブラッツバルクの外縁部の比較的浅い森の中である。
 そんな森の中に石の舗装路があるのは、少しおかしい。都市や大きな町を結ぶ街道であれば、石舗装も頷ける。しかし今、闇殺士が辿る道は、外縁とは言え有数の森林地帯であり、通常、この森に入るのは狩人や木こりなどかドルイドくらいであろう。言うまでもなく、物騒な魔物も少なくないのだから。
 実際、犬ほどもある土蜘蛛に闇殺士の馬が襲われかけた。常人では反応し難い蜘蛛の速度であったが、闇殺士はそれ以上に迅かった。無造作に振った闇殺士の手と蜘蛛の眼が一瞬銀の筋でつながる。手裏剣を受けた蜘蛛は跳び上がって地の中へと逃げ帰った。
 この舗装路は一つの小さな城塞へと続いている。誰もが使えるものではない。許可された者の前にだけその姿を見せる。城塞の主が必要と認めないときは、痕跡すら見つけられない魔法の道なのである。
 その城塞こそ盗賊ギルド等の仲介や他のギルドの手に余る依頼を処理してきた“鱗”のアジトである。長はリザードマン使いの魔術師シャルク。
 変人と言えよう。業界内でも彼の顔を見た者は少なく、アジトからほとんど外へ出ないと言われている。極限られたコネでしか接触を許さない。孤絶を好み、人との交わりを極力避ける嫌いがある。人間というものを信用しないからか、はたまた彼自身、人に非ざる故に姿を見せぬとも噂されているが、その真相を知る者は誰一人としていない。とかく謎に覆われた魔術師である。しかし、魔術師と言うものは個々に陰性陽性あるものの、概して、似たり寄ったりであることは否定できまい。魔術師に“謎”は付きものだ。なぜなら彼らは秘密をこよなく愛す生き物ゆえに。
 ほどなく、石造りの古びたキープが木々の合間から姿を見せ始めた。馬から降りた闇殺士はそこに向け、幽舞のような歩みを滑らせて行く。
 結果良しと言えば、ことは単純だが、闇殺士の矜持が決してそれを許容しない。今回引き受けた暗殺は、彼が手を下す前に別の刺客によってさらわれた。しかし、その汚名をそそぐチャンスもあったのだ。真っ向から勝負を挑んできた刺客を討ち洩らしたことは、闇殺士にとって二重の屈辱であった。仮にあそこでブレッスナを殺していれば、全て始末したと言えるのである。久々の良質な獲物に思えたのだ。相手がいかに強敵でも戦闘を楽しもうという自己の性情がもたらした余裕が、中途半端な結果につながったことは否定し得ない。後悔はしつつも、それを自戒するには彼もまだ若かった。
 立ち止まって陰鬱な城塞を見据え、微かに眉を曇らせる。事の次第をシャルクに報告するのは少なからず気重であった。
 風化した石造りの城壁は今にも崩れそうな趣だが、オークの集団に攻め込まれてもびくともしないことは容易に想像できた。この小さな城塞には、隅々まで城主の強力な魔力が行き渡っている。大きな長方形の石を組み合わせて入り口が形成されている。その上の一枚岩には何らかの模様らしきものが浮き彫りにされていたが、風化により判然としない。重たげな分厚い木の扉は、誘いこむように開け放たれていた。
 ここに立つのは二度目だ。
 前の依頼地で伝令を受け、初めてここに赴いた。相手が魔術師がらみであることは即座に分かった。と、同時にダナキのネットワーク力に改めて舌を巻いた。こんな遠地の極限られた者だけが知る小さな組織にまで通じるのは相当なことだ。力だけではなく、巧妙で深厚な人脈がなければ、辿り付くことはできない。
 一度目は何の感慨も持たなかったが、今回は城塞に鬱屈たる圧迫感を感じた。それはその建造物に何かが付加された訳ではなく、彼自身の内面から生じているのは自明であった。それが一層、彼を苛立たせた。
 リザードマン使いに相応しいあの爬虫類顔を見るのも二度目か。
 荒涼とした中庭から階段を上がり、方形をしたキープ(主塔)の扉に手をやった時であった。
 わずかに獣めいた荒々しい気配を後背に知覚した。
 が、それは違和感を持つほどに遠い――この距離で感じると言うことは、気配の発信源がかなり荒ぶっているからであろうか。殺気とも憤りとも取れる、抑え切れぬ感情が体内から噴出している。
 人よりも無機で未熟だ。いや、単細胞的と言うべきであろうか。
 闇殺士は完全に目を閉じ、移動する震源地に意識を向けた。
 超常的とも言える彼の感覚は100レル(1レル=0.98m)以上の距離を、今自分が来た南東のルートとは別の北より迫り来るそれらを捉えたのである。一人ではなかった。二十前後はいる。
 実は、これは間違いなく、塔主の布いた魔力に闇殺士の感覚が呼応しているからだ。でなければ、いかに超人的な身体能力を有する闇殺士と言えど、100レルも離れた場所の気配など知覚できるわけがない。究極的に鍛え上げても50レルが限界と言われる。
 闇殺士は暗剣術を基本として、その他特殊な技を体得している者が多い。その中に魔具(グリア)を操る者がいる。グリアとは影者の間で扱う、魔力を付与された武器や道具の総称である。ただ、闇殺士のグリアは扱いがかなり複雑であり、コントロールするに自らの魔力を必要とする。そのため、その素質ある者専用のアイテムと言える。そして、グリアを扱う限り、人の身体能力や技能の限界を超えた戦力を手にすることができるのである。
 そうした特技は、すなわち闇殺士個人の秘技であり、その他に知れるものではない。仮に他者に知られれば、その威は殺がれる可能性が出る。どんな技にも研究されれば、弱点は必ず見つかる。そこまで行かなくとも、予備知識があるだけで対抗し易くなる。特に達人同士での戦いでは、そうしたわずかな有利不利の差で死命を制することが、事実ある。故に特技の秘匿性は極めて重要と言えよう。
 この闇殺士もまた、グリアの使い手――彼が纏う薄い魔力のオーラが、城に布かれた魔力とシンクロしたことこそ、その証なのである。
 闇殺士はふと気が付いて、あるかなしかの笑みを一瞬過ぎらせた。
 このがさつで凶暴な気配には記憶がある。
 黒衣に包まれた身をゆるりと翻して、彼はキープの中へと足を踏み入れた。



(次回予告)
ナーメラムは城主のシャルクに事の次第を報告するものの、彼の関心は修武僧の存在だ。そして、情報の引き出しを試みるが・・・。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 23