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作品名:ブラマリール・コウン 〜異国の闇殺士〜 作者:榊 星燿

第14回   真紅に染まる蒼月
「夜は人外のものだ」
 深く暗い森に出没していた魔物を討伐した、とある騎士隊長が周りにそう洩らした話がある。が、それは一概に正しいとは言えない。確かに魔物に夜を好むものは多いが、人間ほどいかなる領域をも征服し、順応してしまう生物も珍しい。恐ろしいことに自らの精神世界にすら夜を造り上げることができるのだから。ある作家に言わせれば、人ほど恐ろしいものはないと言う。死して肉体を失ってすら、欲望や執念で完全な滅びを退け、夜の世界を徘徊する例は人が最も多いではないかと。
 夜こそ我が故郷、と言ったは誰か?
 それは初期の闇殺士であった。決して、魔物などでない。ただ、闇殺士を人外そのものと見なす者がいるのも事実。
 それに一般の人でも、夜の美しさを愛でるではないか。
 今宵は建物の合間から見える月が殊に美しかった。
 馬車の窓から差し込む月光は、彼の膝頭を青く照らし出している。
 イストークの男を客人として迎えているペトス(官僚貴族)――ミハイル卿であった。彼もまた、夜の世界へとその半身を投じてしまっている。夜の底のもっと暗い所から禍々しい手が忍び寄って来ていることを、彼はまだ自覚していない。
 だが、ガベリの予言した警告を無視した訳ではなかった。いや、できなかったと言うべきか。不安と脅えの種が芽を吹き、見る間に黒々と生い茂って、その心に看過し得ぬほどの重々しい影を落としていたのである。
 今夜は同じ秘密を共有する者たちとの会合を持った。ガベリの警告を話さずにはいられなかったのだ。その時、こんな話が出た。自分達の抱える秘密が自分達だけでなく、過去に殺されたペトスたちとも独自につながっており、その関係故にペトスが次々と暗殺されているとすれば、我々もいずれは襲われかねない。その可能性は大だ。恐ろしい考えだった。
 普段は目立つことを避けるため、護衛は外に二人連れるだけだが、今はガベリの言を容れて馬車内に三人とそれを囲むように騎乗の者を四人配している。全て腕に自信のある者ばかりだったが、先日の貴族邸襲撃が一人で行われた可能性が高いと聞いていたので、決して安穏とした気分ではいられなかった。
 彼は、ガベリに秘密にしていた内情を打ち明けるべきであった。ペトス間での立場は不味くなるかも知れないが、この場にガベリが同席していれば、少なくとも命を拾われていたのだから。
 帰途をひた走る馬車の後方300レイル、それは暗い常世からの使者として、人ならざる妖気を尾のように後背へと引きながら、猛烈な勢いで迫っていた。影の塊は月光を避けて建物の側面を、まるで平地の如く滑るように駆けていく。
 音は立てない。
 狩りの時間なのだ。
 遠く前方を行く馬車を囲む馬が、不意に嘶いた。得体の知れぬ気配を感じてのことだろうか。
 風を切る音が、壁面を駆けるそれの両耳に暴風さながらに唸りを上げる。
 それの目に映る目標が見る見る内に大きくなった
 そしてそれは、三階辺りの建物の壁から一気に跳躍する。
 馬車に乗っている者たちからしてみれば、それは突然やって来た。
 馬車の天井に何か衝突したような音が、車内に大きく響いて全体を揺るがせる。分厚いアーチ型の天板がメリメリと嫌な悲鳴を上げながら凹むように裂けた。が、穴までは空かない。
 と、同時に獣とも思えぬ、身の毛がよだつ奇声が鼓膜に突き刺ささる。
 外で怒号と掛け声が入り乱れ、武器の発する金属音がそれに重なった。絶叫が前方から迸る。御者のものだ。そして、湿ったものが、凄い力で叩き付けられる音。
 奇声が再び沸き起こり、馬が怯えて抑制が利かない。
 馬車の窓から何かを振り回すのが見えた。それが、護衛の顔を薙ぐ。通り過ぎた後、その顔は原形を留めていなかった。顔を潰された護衛はそのまま落馬し、二度と起き上がらなかった。
 ブゥンと風を切る音と肉・骨を断つ音、それら凄まじい音色が車内にいる人間たちの恐怖を煽り立て、戦慄が全身を駆け回る。その時、その狭い空間は安全に隔離された仮想現実ではなかった。正しく文字通り地獄とを隔てる薄皮一枚の箱に過ぎなかった。
 車内に同乗していた護衛たちは、一斉に剣を突き上げていたが、全く手応えがない。
 不意にその内の一つが天板から抜けなくなった。それどころか、持ち上げられそうな力でぐいぐい引っ張られる。もぎ取られそうだと思った瞬間、鈍い音と共に刃が見事に折られた。
 その場にいる全員が、襲来者を化け物だと悟った。
 もはや、馬車も止まり、回りの音もすでに途絶えている。外の者は全て殺られたのだ。
 たまらず護衛の一人が、頭上で剣を振り回しながら外へ飛び出た。
 同時に彼の頭部を何かが通り過ぎた。
 剣が弾き飛んだ瞬間、赤霧が舞って頭はザクロのようにバクリと複数裂けていた。護衛はそのまま突っ伏し、呆気なく絶命する。
 ペトスは恐怖の余り、動くどころか声も出せずに震え上がっていた。
 残り二人の護衛も真っ青な顔をして、どうすることもできずに相手の出方を待つだけだ。姿を現した時に狙うしかない。
 唐突に10サンチ(cm)以上もある鋭い鉤爪が天板を突き破った。そして、そのまま造作なく馬車の天井は引き剥がされた。
 刹那、青みを帯びた例え様も無いほどに美しい月が顔を見せる。が、白いものがはためき、禍々しい影が圧し掛かるようにして月光を遮った。
 異臭と共に緑色に燃える双眸、それがゆっくりと近付いてきた。
 狂ったような絶叫と悲鳴が轟いた。
 大量の血飛沫が吹き荒び、蒼い月光を真紅に染め上げた。


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