並んで歩くクラビストは隣の闇殺士にふと感じた疑問を口にした。 「鼻面までフードを下ろして、どうやって道を歩くんだ」 闇殺士の横顔に優美な笑みが翳んだ。 「この街の大体は頭のメンタルマップに入っています。それと人の気配も合わせれば、この条件下でも十分です。ただ、置かれている物の位置などは、一定ではないので完璧に対応し得るという訳にも行きませんが。知っての通り、闇殺士は極力人前にその存在をさらすべきではないのです。本当はこうやって日中、並んで歩くことも禁じるべきことなのですが、私のように現実的で、闇殺士としての過剰なポリシーに執着しない者は、三割くらいでしょうが、このように顔を隠したり、変装でカバーするなどで巧くやります。人生の基本は妥協だそうですから」 クラビストは意外そうに片眉を上げて、闇殺士の秀麗な顔を見遣った。 その能力が本当なら凄いもんだ。この町に来て十年になるが、自分にそんな真似は到底できない。闇殺士の噂は色々聞いてきたが、ありゃデマじゃなかったらしい。 「闇殺士ってもんは、もっと無愛想かと思っていたが、案外しゃべるもんだな」 「場合・相手によりけりです。お互い協力関係を組むのなら、ある程度のコミュニケーションも必要でしょう。他の闇殺士のように無骨者じゃありませんから」 「はは、そいつぁいい。こっちもやりやすいってもんだ」 二人はそのまま十分ほど歩いて、路地裏の安アパートに入っていった。最上階である四階の一番端の部屋が彼の使う隠れ家の一つだ。 外見の割に中はこざっぱりとして清潔な感じだ。クラビストの隠れた性格の一端がそこに垣間見える。不必要なものはことごとく省かれており、家具や日用品もきちっと整理されている。塵一つ無いのは異様な感じだ。ずっとこの部屋に入っていないように見えるが、クラビストがここをよく使っていることを僅かな痕跡から、闇殺士は見抜いていた。 「ま、気楽にそこら辺へ座ってくれ。ただ、窓辺には近付くなよ。芳しくないことになるぜ」 ナーメラムは簡素な木の椅子に軽く腰掛けた。一応、くつろいだふりをして、知覚を研ぎ澄ました。しかし、何も懸念するものは感じられなかった。 変化が無いか部屋の各ポイントを確認してから、ベッドに寝転がったクラビストはそのまま片肘をついて、その手の上に頭を載せた。ミネラルウォーターとおつまみを揃えた小さなサイドテーブルを引き寄せて、思いっきりくつろぎ始めた。 ナーメラムは相手の観察も怠っていなかった。当然、相当な使い手だが、こちらが慌てるレベルではない。殺ろうと思えば、まずムスラクほどに苦労しないだろうか。ただ、それだけではない何かある。一癖あるのは、性格のみにあらずというところか。 それを見透かしたかのように、 「おいおい、今何か剣呑なこと考えてなかったか? 止めろよ、俺は頼まれて付き合ってるだけだからな。ま、面白ければ、自然と顔を突っ込みたくなる性分だがよ」 ナーメラムは苦笑した。曲者であるだけに、やはり油断はできない。この男こそ腹に何を抱えているか読みにくい。一つ言えることは、この男を信じるのは三割程度に留めておくということだ。 「闇殺士の考えることなど、全て剣呑なことばかりですよ。気にするだけ無駄です。捨て置いて下さい。 それよりも話を進めましょう。時間的に余裕ある身ではないのです」 「いいだろう」 クラビストは、アルベインを通じてシャルクから伝えられた情報を闇殺士に教えた。 白い影が現れ始めたのは状況から判断して一年半くらい前だ。ペトスの一人が路上で惨殺された。当初は、物取りの仕業として容疑者が何人か捕らえられ、ほとんどが拷問死し、その内の一人が耐えきれずに死ぬ間際、自供した。無論苦痛から逃れるための嘘であったが、その時はそれで事件が解決したものとされた。 しかし、その二ヶ月後、立て続けにペトスが屋敷内で殺害された。何も盗まれた形跡もなく、部屋も荒らされていなかった。つまり、その二人のペトス自体が狙いだったと言う訳だ。そこに至って、ようやく貴族社会に緊張が走った。貴族社会は表の華美な部分に反し、裏側は陰惨な駆引きや謀略が色濃く影を落としている。勝ち組みはのし上がり、負け組みは哀れなほど没落していく。下級貴族である成り上がりのペトスにおいて、特にそうした陰の戦争が横行している。下手に小才の利く者や分不相応な野心を持つ者が少なくないのだ。だが、もちろんそうしたペトスの中でも優れた人材は大貴族などに重用され、それなりの権力を持つに至る者も実際いる。その社会構造に組み込まれれば、当然派閥というものに縛られることにもなろう。そこが問題なのだ。暗殺ともなるとペトス間だけの話ではなく、そのバックに控える大貴族の威信や対立関係が絡んでくる。 表で調査が進められると同時に貴族たちは裏社会の人間達とも接触し、目星を付けた貴族の動向変化を探らせ、確証を見出そうとした。実際、怪しく思われる箇所は多々あったが、決定的なものは無く、捜査は表裏共に膠着した。しかもその間、犠牲者はさらに三人を加えた。 ペトスたちは戦々恐々とした。殺しの動機も判然とせず、――対立関係にある貴族に関係なく犠牲者が出ている――いつ自分が殺られるかも知れないのだ。 そして、六人目の犠牲者が出た時、依頼を受けて見回っていた盗賊が、その姿を目にしたのである。報告を受けた貴族は、情報を封鎖したまま確証を得るべく、今も調査を続けている。 しかし、情報は少なく、白装束で統一した暗殺集団か何かではないかという推論しか出ない。が、最近この町だけでなく暗躍の場が各地に波及している。そして、ターゲットはペトスだけと限らないらしいのだ。 その戦闘力も侮れず、ペトスの護衛に付いていたこの国の闇殺士が一人殺られている。ダナキ擁する闇殺士に比べると質的にかなり劣るとは言うものの、その称は決して伊達ではない。 それら限られた情報から、ナーメラムはある程度の結論を導き出した。 先ずこれは、無差別殺人などではない。何らかの目的をもって計画的に実行された暗殺だ。 かと言って、貴族間の鬩ぎ合いという線は弱い。おそらく殺された貴族に重大な共通点があり、それが白い影と呼ばれる集団を刺激し、貴族殺害という大胆な行動に走らせたのだ。 ナーメラムがムスラクに指摘した通り、彼らのような集団は何らかの強い使命や信念を有し、しばしば全ての行動がそれに拘束される。その目的が達成されるまでは、極力正体が知られるのを避ける。なぜなら、貴族を主にターゲットとしている以上、尻尾をつかまれれば、さすがに窮地に陥りかねない。質は量を凌ぐが、限界はある。さすがにブレッスナと言えど、独りで百人の兵を相手することはできないだろう。白い影は間違いなくかなりの小集団だ。大きければ、いかに尽力しても裏社会の者たちをいつまでもやり過ごせない。どこかボロが出る。 そこから考えるに、彼らは多くとも二・三十人程度か? 後、共通点が何か。 殺された者同士、交流もあれば全く接点のない者たちもいる。ここでも派閥の諍いは無視だ。犠牲者を総計すれば、派閥に属している者より、無派閥のペトスが中心なのである。ペトス自体気付いていないつながりがあるのかも知れない。そうなってくると、さらに複雑だ。その裏側にある別の存在を示唆することになる。 ナーメラムは軽い絶望を覚えた。 実際問題、シャルクの言うように一週間で核心を突くのは無理だと認めるべきか。 貴族間や裏社会の中でも一部の者にしか知られていない“白い影”。探り出すのは至難。クラビスト曰く「魔法の追跡すら阻害する」のだから当然か。 とにかく、何よりも時間が無いのだ。それが焦慮を煽る。 来るか否か分からぬブレッスナを商館で待つか? ナーメラムは、内心首を振って自ら否定した。 これも難しい。可能性が低過ぎるだろう。 最も怪しく思われるペトスを数人に絞って、張り込みに徹するのが上策か。それとも直にペトスを襲って、彼らだけが知る内情を白状させるか。 今度はそうした自分の考えと共に、ブレッスナと闘ったことも、クラビストに詳しく聞かせてやった。 「ははあ、あのイマックスを軽々と扱うとはねえ。しかも神聖魔法まで・・・・」 「神聖魔法かどうか分かりかねますが、そのようなものです。一応、修武僧と見るのが一番妥当でしょう」 「しっかし、修武僧の割にゃ、凄い戦闘力だな。ダナキ御自慢の闇殺士とタメを張るか!」 そちらに関心が行ってしまっている。もしかすると、その凄腕たちと闘うことになるかも知れないのだから当然ではあるか。ナーメラムとしては、これから対処すべきことを論点にしたかった。 「貴方の全てを知りませんが、同等かそれ以上の使い手と考えてよろしいでしょう。仮に闘うことになった場合、不用意な攻めは控えるべきです。後悔できなくなります」 つまり、死ぬと言うことだ。 「なるほど、その様に努めようじゃねえか」 クラビストは不敵な笑みを添えて言った。 「そろそろ本題に入りましょう。これからのことです。先に言っておきますが、私の関心はブレッスナという修武僧一人です。その他の獲物はそちらに譲ります」 クラビストは思わず苦笑を洩らした。態のいい話、闇殺士が余計な労力を費やす気は毛頭ないと言っているように聞こえたからだ。 「ああ、こっちもそれでいいぜ。俺の仕事はあくまで、調査とお前とのギブアンドテイクらしいからな。 それはさて置き、先ずはどうやって奴らに行き着くかだ。一応、商館のもんにイマックスの出所を辿って、買った人間を捜すよう指示はした。しかし、それを指くわえて待ってるつもりはねえよな」 「言うまでもありません。先ほども言いましたように、事件後バルナイトの別邸に出入りした者を調べるようギルドに頼んでおりました。多少なりとも、そこから何らかのつながりが見つかるやも知れません。そして、個人的には一週間でカタを付けたいと思っております」 クラビストは鼻を鳴らした。 「寝言は止せよ。今まで、この国の裏社会が必死こいて、その尻尾すらつかんでいないってのにどうして一週間で方が付けられんだ? 相手が相手だけにそんな中途半端な真似はできねえだろうよ」 「貴方の話から、先ず殺られたペトスの共通点を洗い出します。私が睨むに、ペトス側に狙われるだけの理由が必ずあります。それに気付いている者も中にはいるはず。 貴族暗殺に隠れた不穏な噂はありませんか?」 クラビストはしばらく視線を泳がせて考えていたが、眉をピクリとやって一つおかしな話があると言った。 「行方不明者が近年になって増えたって事だな。その大半は帰ってきたが、記憶がない。神隠しかと巷では囁かれている。貴族の使用人とかも含まれているらしいが、これと関係あるかは分からんな」 「その中にペトス本人はいると、噂でも聞いたことはないですか?」 「ねえな。使用人どまりだ。そこまでは行っていない。一般人ばかりだと聞くぜ」 「なるほど。興味深い話ですが、関連付ける要素は今ひとつ見えませんね。 では、やはり貴族に焦点を絞ることになりますか」 時間と言う制約がなければ・・・・・。この一週間内で白い影が現れるという保証もない。マスター・ダナキに頼み込むか。いや、難しいな。こんなややこしい状況では些事として受け入れられることもあるまい。割に合わぬ行動ととられても仕方ないだろう。 唯一望みがあるとすれば、私に二人も姿を露呈してしまった白い影が、事を早めることだ。今週中にまた、動きがあるかも知れない。望み薄だが、今はそれに寄るしかない。 自分の世界に入っていたナーメラムはふと呼び戻された。 「なあ、いつまそのフードを被ったままにしてんだ?」 クラビストに向けられた顔が、彩りの良い曲線をその口元に浮かべた。 「闇殺士の顔を見た者は悉く死ぬ、と聞いたことはありませんか?」 「ふむ。そう言やぁ、そんな話もあったか。しかし、この仕事、組む以上は顔合わせも必要だと思わねえか?」 クラビストがそう言うと、初めからそうするつもりであったかの様に両手の指先をフードに差し入れて、躊躇なく後へと払った。 クラビストは二重に驚いた。 闇殺士のポリシーに執着しないと言っていたものの、その行動の呆気なさと、その絶世の美貌とにだ。 たっぷり十秒ほどサファイアの瞳はクラビストを凝視していたが、不意に閉じられた。 「満足していただけましたか?」 「んん? まあな」 「では、もう少し細かく行動予定を立てることにしましょう。後々変更させられることは、間違いなくあるとは思いますが」 クラビストはむず痒くなってきた、お尻を掻きながら頷いた。
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