クラビストは渋面を留めながら、さすがに息を切らした。盗賊ギルドのダミー商館は商業地区のほぼ中央にある。それに対して武器屋は、鍛冶工房の建ち並ぶ町の西、つまり商業地区の正反対に位置していた。この町は準都市と言えるほどに大きい。文字通り風を切るようにして全力疾走で駆けつけた時には、クラビストも息を整える必要があった。 通りに面した商館の周りには、何人かの人間が何気なく立っており、走り込んできたクラビストを鋭く一瞥し、互いに視線を交わした。無論、クラビストの方もそうした動きを見逃してはいなかった。 表玄関には、二人の傭兵らしき男が立ちはだかるようにして、油断の無い視線を通りに巡らせている。そして、微かな緊張を漂わせ、再びクラビストを注視した。 濃紺の短衣にベージュの薄手コートを羽織り、下は火蜥蜴の皮製パンツを穿いている。よく馴染んだ風のブーツは所々金属で補強してある。コートの左脇から見えるのは、間違いようのない剣の柄だ。しかも、かなり使い込まれていることは一目瞭然である。一般的な市民には決して見えないだろう。 そんなことは構わず、注目されている当の本人は無遠慮にも二人に声を掛けた。 「バロクにつないでくれ」 向かって左に立つ傭兵風の一人が、左掌を突き出して、脅すような口調で警告した。 「止まれ。何の用か知らんが、今日は誰も入れるなという指示が出ている。悪いが、帰ってもらおう」 クラビストは奥の扉とカーテンの閉められた窓に視線を移した。気配がある。その内のいくつかはこちらを窺っていることは間違いない。 苛つく奴らだ。 「つべこべ言わずにバロクに通せ、田舎者っ」 バロクの名を呼び捨てにしているの聞いた時点で、気を利かせよ馬鹿が。 確かに二人の元の出身は、各々町を少し離れた村だが、クラビストはもっと遠く街道から脇にそれて、奥まった山の麓にある小村からだ。心外な話であろう。もちろん、今はそういう問題ではないのだが。いずれにせよ、その言い様に扉前の二人は顔を朱に染めた。そして、目に危険な色を注ぎ始めた。 もう一人の方が、目を半眼にして右足を前に出して、半身状態になる――つまり警告だ。 「脳ミソの薄い奴だな。それともお前が田舎者だろう。命のある内に失せろと言ってるんだ」 後半は低く恫喝するような口調に変わる。一般人にはそれで十分効果ある。しかし、クラビストには逆効果だった。 「馬鹿か、てめえ。俺は命令されんのは一番嫌いなんだよ。ふざけるのは顔だけにしとけよ」 顔の整った相手なら、それも冗談半分になるが、目の前の男にその言葉は少し酷と言うものだった。当然、その侮辱に対する反応も滑稽なほど殺伐としたものを孕んだ。 衝動的に手を短剣の柄にかけた男は通りを見回した。しかし、どう考えてもここは人通りが多過ぎた。商業地区の中心地では、朝から晩まで人の流れが絶えることの方が珍しいのだ。 男は唸りを洩らして手を下ろした。しかし、視線は待機している路上の男達を撫でて、合図を送っていた。 無論、クラビストもそれに気付いている。 「めんどくせーなあ」 次の瞬間、商館の関係者全員が凍りついた。誰一人として反応できないほどの速度と手際で、傭兵の鼻先にソード=アルパンが突きつけられていた。たったそのワンアクションで、その場にいた全員が、この男にとても敵わないことを自覚した。 アルパンを突きつけられた男の片割れが手を上げた。 「分かった。こちらも手は出さん。だが、今は本当に込み入ったことになっていて、通すことはできんのだ。第一、お前が誰かも知らんでは、こちらとしてもどうすることもできまい」 吸い込まれるようにアルパンは鞘に戻った。 「それは言えてるな。俺はクラビストってもんだ。俺の知り合いからバロクに話が行ってるはずなんだがな」 扉前の二人は同時に溜息をついた。 「そういうことなら先に言ったらどうた。こちらもいらぬ誤解をせんで済むだろう、まったく」 「ああ、そんなことよく言われるが、悪気はない。性格なんだ、あんまり気にせんでくれ。ってことで、バロクは?」 傭兵の一人にクラビストは今度こそ中へと迎え入れられた。 受付の部屋でしばらく待つと二階の応接室へ案内された。そこにはすでに三人が各々ソファに腰を降ろしており、二人がクラビストを確認して招じ入れた。フードを目深に被る残る一人は無反応だ。 「君がクラビストか。アルベインの手の者から話は聞いている。その男が例の闇殺士だ」 バロクはローブ姿の人物を指し示した。無反応だった人物だ。 フードに隠れた顔が、クラビストの方を向いた。 「“眠り目”です。お見知りおきを」 下ろされたフードのせいで鼻先と口元しか見えなかったために、紹介されるまでは、一見して女と見間違っていた。しかし、やはり声は清涼な青年のものだ。 闇殺士の話では、この商館に着いたのは、襲撃された後で一歩違いのようだった、と言うことだ。しばらく、それらしい者を探し回ったが、結局何も見つからなかった。その他、言えることは、現場から襲撃者の戦闘力を分析することくらいだった。もちろん、実際に闘っているのだから詳細かつ断定的に論じれたが、状況を踏まえての見解程度に止め置いた。敵は一人だけだったという点に、ギルドの人間達は半信半疑の態だったが、クラビストはそうしたことのできる人間がいることを十分知っていたので、興味を抱いただけであった。 暗黙の了解であったのか、両者ともその場では本題に一切触れなかった。現時点で、ギルドに知られることは避けなければならなかった。依頼者がそう望んでいたし、ナーメラムの方でも自分のペースに支障が出るのを嫌っていたからだ。 二人は一先ず、外へ出た。
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