豪華な造りと質の高い装飾品から貴族の部屋と知れる。商家のように金に飽かした派手さは無い代わり、どことなし退廃の気配が漂う。 部屋には二人の男がいた。 一人はその風体から明らかにここの主だ。歳は五十前後であろうか。 もう一人は三十そこそこで服装も簡素なものに関わらず、眼前の貴族を凌ぐ品位と高雅な雰囲気を立ち上らせていた。 「斯様なことに、お力添えしていただくことになりまして、誠に申し訳ないですな」 貴族が酒の入ったグラスを玩びながら青年に言葉を向けた。 「いえ、運悪しく私の居らぬ時にバルナイト卿が暗殺されてしまったことは、誠に残念です。己が無力さを痛感しました」 「これも運命の気紛れ、致し方なかったことなのでしょう。確かに貴方がいらっしゃれば、バルナイトも無事であったでしょうが、こればかりはどうしようもありますまい。人は万能ではありませぬ故」 貴族の心遣いに相手の男は深く謝した。 「私が求めている人物に関する情報が引っかかったかと思われる話を耳にしたので、急遽あの屋敷を離れざるを得なかったのですが、結果は無収穫でした」 「その点については、我々もお手伝いできれば良いのですが、心苦しい限りです」 貴族のその言葉に対し、凛としたものを舞わせながら男は首を横に振る。 「閣下にはすでに、色々と便宜を図って頂いております。それに先にも申しましたように、私が捜している人物は極めて危険な者です。近付けば、必ず凶禍を招くでしょう。国許からもその点は重々注意を受けております。捜索は自らの手のみで行えと」 「そうでしたな、イストークのお方。貴方がたの事情に踏み込むつもりは全くございません。しかし貴方は、我々の厄介事に手助けしようと仰って下さる。ただの厄介事でなく、もう、何人もの死人が出ているリスクの大きな事件ですぞ」 イストークの方、と呼ばれた男はその言葉に軽く頷いた。 黒髪と淡褐色の肌に透き通るような琥珀色の瞳が映える。近隣諸国では見かけぬ、遠い異国の人間であった。その相貌は類を見ぬまでに均整が取れ、造形もしっかりしている。余分な造りは一切無く、神意がかったほどの完成度を誇っていた。儚さを孕むナーメラムの絶世的美貌とはまた違った、目にする者に清冽な印象を植え付け、強烈に惹き付ける魅力を秘めている。 そんな彼の愁いを帯びた瞳は、厳然さと優しさを兼ね備えた一種独特な光を宿していた。 イストーク――大陸の背骨、クラード山脈に囲まれた秘境に存在する人口七万人の小国である。別称、魔人の国とも呼ばれている。 “魔人の国” なぜ、そう呼ばれるようになったか? 歴史が命名したのである。しかし、イストークに限って、魔人という語を冠しても、決して負の響きを伴わない。ただ、羨望と畏敬のみがある。 イストークは数多くの才人を輩出している。その数たるや世の尋常な統計を眼中から消し去っている。それこそゴロゴロいるのだ。世間一般に十年に一人と言われるほどの逸材が、毎年のように何人も各分野でその名を上げられる。基本的にイストークの人間は皆、あらゆる能力に秀でていた。いかなるジャンルにおいてもだ。 なぜ、斯様な秘境の地に隔絶状態にある小国で、そういった現象が起こっているのか、全くの謎である。神の気紛れか、悪魔に魅入られたか、いずれにせよ国全土が傑出した人材を擁する方舟であった。 風土や国の成り立ちが影響しているのか、その国民性は極めて閉鎖的で他国との交流はほんのわずかに限定されている。商取引や文化交流専用の町が一つ設けられており、そこでのみ許可を得た外国人は交流・取引が可能だ。 そして、それ以上奥へ進むことを許された人間は、当時数えるほどだったと言われている。 そうした鎖国政策が、他国の邪推を生む結果となったは皮肉なことである。ただ、静かで安逸な国情を維持し、固有文化を守っていくことを目的とした鎖国であったからである。 秘匿はしていたものの長き年月が、イストークは人材の宝庫であるという情報を徐々に漏らしていた。 逸材を多く輩出し得るのは、何らかの秘術が存在するのではないか、そのための鎖国なのだと、いくつかの国は推論した。そして、その推論を元に秘術を探るため、何人もの隠密が放たれたが、誰一人として帰ってこなかった。その結果、行き着いたところが、武力行使による全面国交と秘術提供の一方的要求であった。 踏み切ったのは、スールという尚武の国である。 イストークはさすがに騒然とした。 巨大な武力が自国に向けて発進されたことを知ったからである。スールは精強な武力国家としてだけでなく、その力を背景にかなりの傲慢な外交政策を執ることで悪名高かった。 しかし、理不尽な武力威圧に対する結末は驚くべきものであった。 イストークから練兵長テラソフ率いる三千の迎撃兵が放たれる。まさに矢のようにスール二万八千の軍勢に突き刺さり、これをいとも簡単に一蹴した。決してスール軍が貧弱であった訳ではない。尚武精神に富み、戦意・戦力ともに高かったはずである。やはり、イストークは尋常ではなかった。そしてあろうことか、そのままスールを落とし、和睦までさせたのである。 三千で城を守ることはできても、誰もが逆は不可能と考えよう。三千足らずで、強国スールの王城を落とすなど、天才的な知略の持ち主が様々な工作を駆使すると言った話ならまだ分かる。が、その時、イストークの軍は元よりそうした軍師や参謀的な存在を擁していなかった。練兵長を将軍とし、その他は全て兵卒である。正直、戦争の経験がないイストーク軍は、軍事的集団としての質は極めて低い。初戦の野戦でも軍単位の集団的機動や陣形は単純で、敵の陣容に応じることすらなく、ほとんど意味をなさなかったと言っても過言でない。ただ、個々人の戦闘力が図抜けていたのである。幼児の集団に大人がかかって行く様で、スール軍はもはや手が付けられず、潰走するしかなかった。 王城を前に城壁を登ろうとするイストーク兵を討とうとする者は、矢を番えたイストークの名手にことごとく射落とされた。そして、勿論城壁を越えたイストーク人に近付いた者もことごとく剣の錆びと化した。時をおかず百人が城内に入り、事は決した。 和睦条件として、スール軍軍幹部にイストークの者を据えさせ、その軍勢を以ってイストークへ不用意に近付く国に対する牽制役を担わせた。 スールの威信は失墜したが、イストークからの要求はそれのみで、領土割譲や賠償金など実質的に不利益な要求はなく、選択の余地も無いことからスールはその条件を呑んだ。呑まざるを得なかったと言った方が、正確であろうが。 その一事のみならず、後のスール内でのイストーク人活動が一気にイストークを畏れさせることになる。 人材を受け入れるに従って、スールは隆盛止まぬ超大国へと成長し、国内意識は覇道を唱え始めた。迫られたイストークの軍幹部は徹底して反対したが、毒殺され、スールは大規模な侵略戦争を開始した。しかし、結局は連合した国々の物量に対抗し切れず、滅びの道を辿った。 イストークは慄然とした。 自分達がその戦争の種を蒔いたも同じであり、その結果斯様な大惨事をもたらしてしまったのだと悟ったからだ。 それから人材派遣の類は禁忌となった。 その後、イストークに矛を向ける国はいない。 魔人の国と呼ばれるようになったのもその頃からである。 鎖国は永続するかに思われたが、イストークは重大な問題を孕んでいた。そして、それが深刻化してきたのである。 昔から言われてきたことなのだが、元々低い出生率が、ここ数十年で急激に低下してきているのである。男女ともに生殖機能が正常でなく、子を成すことができない。血が濃くなり過ぎた。それが原因であろうと、そんな噂まで立った。 無論、小国とは言え近親交配とまでは行かない。ただ、例を見ない特殊な遺伝子を持つ濃厚な血族たちが代々婚姻を繰り返してきたために、種族として歪みが出てきたのかも知れない。外の血を入れる必要があると声が上がった。そのため、再びイストークの人間を各国に放出させ、落ち着いた先の国で、慎重に選び娶った女との間に子を作らせた。そして、その子をイストークへ送って子供のいない夫婦に育てさせて、イストーク全体の血を新しくさせるという異質な計画が開始されたのである。 忌避する国もあったが、他方喜んでイストークを迎え入れる国々もあり、それらは帰化したイストーク人の活躍によって大なり小なり様々な恩恵を得た。 宰相にイストーク人を抜擢したとある国は、十年で国力が六倍に跳ね上がった。それも戦争などで領土を増やしたためではなく、富国政策によって国内生産を高めた健全な成長であった。 魔人の国という異称は変わらなかったが、そうした正の事績が効を奏し、イストークの評価は一変していった。 合理性に富んだ国々では、腰を低くしてイストーク人を求めるようになった。 だが、イストークの方では一度たりともそうした要請に応じたことはない。現在、毎年何十人かが国を離れているものの、落ち着く先はその個々人の意思によっている。イストークと名乗る者もいれば、終生その素性を隠し通す者もいる。イストークであるが故の摩擦がどうしても出る可能性があった。それを避けるため、極力イストークの名は出さないという認識が彼らの中にある。 今回、ある人物を捜索しているイストークの男も秘密裡に行動する必要があった。しかし、危急な状況であるが故に自身の身が動きやすいよういくらかの便宜を図ってくれるコネが求められた。止むを得ず、知人を通じて官僚貴族ペトスの一人であるミハイル卿を紹介してもらったという訳だ。 素性を明かしたイストーク人と接することは稀である。貴族としては、一つの吉祥であり、客人の身分でも迎え入れ得ることになれば、僥倖とされた。一つの栄誉であり、他貴族から羨望の眼差しを受けるも間違いない。 当然、イストーク人に対する貴族の態度も礼節を尽くし、極力止め置こうと躍起になる。 一介の旅人を前にして、貴賓に対する口調と態度をもって応対しているこの貴族も、そうした感情は当然持っている。ただ、イストーク人の考え方や行動が、貴族には少し理解できないのが正直なところであろう。 「臭いがするのですよ」 軽い笑みを浮かべ、イストークの男――ガベリはそう言った。 「はて、臭い、ですか?」 「ええ。直接的でないにせよ、微かにどこかで捜し求めている者につながっているのではないか、という特別な臭いです」 ミハイル卿は驚きを隠さなかった。 「そう言う情報があったのですか?」 「いえ、私が言う臭いは、勘に似たものの喩えです。ですので今は、あまり気に留めないで下さい」 「しかし、もしそうなら、その者が犯人と言うことですか」 「・・・今のところは違う。そうした感じは見受けられない」視線を遠くに向け、独語するような口調の後、「まだ、遠いものです。核心からは離れています。ただ、下手に動けば、思わぬところから手を伸ばされ、足を掬われる。そんな危険性を確かに含んでおります」 そう言って、再度釘を刺した。助力の申し出をしそうな顔をしたからだ。 「そうですか・・・・」 ミハイルは不承不承な重い声で受け入れた。 本当は違う、そう遠くはない。ガベリは感じていた。だが、それを口にすることはできない。言葉の綻びがいかなる不要な要素を生み出すか、心配だったからだ。 「ええ。ですので、貴族の方がたの手助けをさせていただくのも捜索も私個人のペースで行いたいのです」 「分かりました。お任せします、イストークのお方。入用なものがありましたら仰って下さい。全てご用意しますぞ」 ガベリは頷いた。 「一つあります。貴方がたの交流関係をもう少し詳しく聞かせていただけませんか」 「? はあ、一応前回のお話で全て挙げたつもりでしたが」 ガベリは穏やかな笑みを添え、応える。 「そうですね。ただ、それは表の関係だけでした」 ミハイルの顔色がゆっくりと変わっていった。 「イストークのお方の眼は、時に恐ろしくも感じますな。確かに・・・、大抵の貴族は表と裏の顔を持っております。しかし、そこまではお話することは叶いませぬ。我々が貴方がたの事情に踏み入ることができないのと同様に、貴方も我々のそうした面に関わることはできない」 ミハイルは断言的な言葉をわざと使った。意志の強さをそのまま伝えるためだ。 「ミハイル卿、私の嗅覚が告げているのです。貴方が持つ裏の人脈の一つに、今回の事件と関わりがあるか否かは分かりかねますが、確かにきな臭いものがとぐろを巻いている」 その言い様に貴族は嫌な顔をした。 「そこまで分かるのですか? それもイストークの特質なのでしょうか?」 「私の能力です」 「そうですか・・・・・。貴方の言葉、信じぬ訳ではない。しかし、こればかりは言えませぬなあ。私だけのことではないのですよ」 その顔を見るガベリの感覚は急激に異物感を肌に漂わせた。眼前の貴族が見る間に影に覆われ、生気の失せた虚ろな木人形と化す。そして、いきなりノイズが走るようにその像は乱れた。 幻影であって、幻影でない。 彼が国許の元老院から任務を命じられた理由の一つは、そうした因果のつながりに感応する能力に起因している。 現実に戻ったガベリは、はっとした。 「今確信しました。やはり、閣下の身に危険が近付いております。間違いありませぬ」 それを聞いて、動揺を隠すようにミハイルは立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。 しばらくの間、沈黙が続く。 ガベリは次の言葉を、ただ待った。 窓は黄昏に傾きつつある街を映していた。 たなびく雲はわずかに朱を含み始めている。 山手の方に、町から少し離れて立つこの屋敷には、喧騒はほとんど届かない。その静 けさは逆にミハイルの答えを急かすようで苛立ちの元となった。 ガベリの視線は動いていない。貴族が空にした椅子の向こうにある飾り棚に据えられたままだ。 その沈黙が貴族の逡巡をさらに深めた。 本当に危険と言うなら、なぜもっと説得してくれぬのか。と、ミハイルは我がままなことを考えていた。 しかし、確かにそんな重大なことをいきなり突きつけられても、誰でも戸惑い、考え込むであろう。どうすべきか、ことがことだけに一人ではなかなか決められない。 貴族のそんな懊悩を余所に、ガベリは彫像の如く微動だにせず座したままだ。 「その・・・間違いないと言う危険はいかほどのものなのですか?」 その問いにガベリの言葉は婉曲を使わなかった。 「詳しいことは分かりません。しかし、経験が申すには、最悪は命に係わります。良くても大きな怪我を負うと言った所でしょう」 力が抜けそうになる。本当にこの男の言葉を信じてよいのか? 自問した。 いかにイストークの者とは言え、まだ顔を合わせてから一週間と経っていない。どこまで信用できるかと言うことだ。危険・命に係わるという言葉に反応はしたが、現実味はない。不思議な才があると聞いただけで、その実績は知らない。彼は予言者ではなし、もし、仮に政敵の回し者だとしたらどうする? この世の中、ありえぬと断言はできない。それこそ身の破滅だ。 やはり言えぬ。 イストーク人、所詮は部外者に過ぎぬのだ。 「礼を言います。しかし、その気持ちだけをお受けさせていただくことに致しましょう。御教えいただいた件については、こちらで対処します」 ガベリはようやく視線を翻し、貴族のそれと合わせた。 「分かりました。では、万事くれぐれもお気を付け下さい。殊に護衛の数を増やすこともお勧めします」 それはつまり、直接的に命を狙われることを示唆する言葉であった。 それからしばらく、いくつかの打ち合わせを終えてから、ガベリは貴族の応接室を後にした。 この屋敷内に最上の客室をあてがわれている。調度品から家具に至るまで、全て一級品だ。イストークの人間は皆質素な気質であるため、あまりこういった華美な環境は好むところではない。しかし、それは相手の厚意の印でもあるし、それは社交辞令上受け入れる必要がある。社会常識を無視するほど精神的田舎者ではない。 外部要素より内部要素、つまり本質。イストーク人はそれを重要視できるのである。何事においても。 ミハイル卿はすでに容易ならざる環境に片足を突っ込んでいる。ガベリはそれを見抜いていた。そうした貴族は他にも何人かいる。考えている以上の何かが刻々と進んでいるのではないか。 イストークの男は、背筋に不吉な悪寒がそっと這うのを感じていた。
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