今、考えれば、倒れての入院は、必然だったのかもしれない。9月に入り、仕事が忙しくなった。期の途中だったが、組織を全面的に見直すとともに、営業戦略会議を各部門のトップをメンバーとして新たに立ち上げた。ちょっと専門的話になるが、建設業は「談合」という悪しき慣習から脱却出来ないでいた。それまでは官庁のOBを受け入れ、だまって口を開けて待っていると、仕事はやってきた。しかし、小泉財政改革以来、仕事はぐっと減ってきた。その現状を打開するためには、談合をやめ、競争に勝って受注しなければ、これからの建設業は生き残れないと思った。そこで、社員全員で営業出来る体制を取ること、そして競争に打ち勝つ営業体制を確立することが必要だった。この体制を僕が専務という立場で引っ張って行かなければならなかった。9月中だけで、7回の出張を予定していた。 彼女は、僕のうちと自分のうちの片付けに入った。まだ時間はあったので、仕事にかまけて、僕は何も手を着けていなかったが、その分、桂が頑張った。出張から帰って、その夜は接待、次の日からまた出張などと、かなり強行軍だったので、少し体が疲れやすくなっていた。中旬の日曜日、彼女が作ってくれた食事をした後、体が重くて、動けなくなった。いつもなら,二人で食器洗いをするが、その日は8時ころ早々と寝た。ベットまで、這って行った。朝起きたら、寝る前より、少しいいが、体は重かった。重要な会議と社長との同行で、どうしても会社に行かなければならなかったので、タクシーで会社に向った。会社に行っても、体の重いのは変わらなかった。予定の会議は主なメンバーの緊急な用事で中止となり、社長との同行は午後だったので、午前中、病院へ行く事にした。なぜその病院に行ったのか、どこをどう通って行ったのか意識も朦朧として解らなかったが、待合室で動けなくなっていた。看護師が気遣って診察の順番を先にしてくれたが、そのまま意識がなくなった。目が覚めると、医者と看護士が盛んに話をしていた。意識を取り戻した僕に医者は「もう今日は病院から帰れないよ。」「入院ですか?」「早くとも、2・3週間はかかるよ。」「え〜!!」「仕事もあるんだろうけど、医者として、患者をこのまま帰すわけには行かない。」突然だったので、一瞬、頭の中がごちゃごちゃになったが、取り敢えず、桂に電話した。「入院だって・・・。」「え〜!!すぐに行く!」その後、少し落ち着いてから、会社にも電話して仕事の手はずを整えた。まもなく、桂が、やってきた。「何にも用意してないから、お願いしても言い?。」「解った。今日帰ってから準備するよ。」24時間点滴が始まった。先生の話だと急性ではあるが、血糖値が通常100くらいのところ、600くらいまで上がっていたらしい。後から、聞いたのだが、そのまま死ぬこともあるらしかった。仕事も出来る体制が必要だったので、個室を取ってもらった。次の日、桂が手に一杯荷物を持ってやってきた。「とりあえず、かつらのうちにあるもの持ってきたよ。」「あははっ!昨日、やっぱり、かつらに一番最初に電話しちゃった。ありがと。」「欲しいものある、今日はちゃんと買いに行くから。」血糖値も300を切るところまで来ていた。桂の持って来てくれたバスタオルで、さっとシャワーを浴びた。「引越し、どうしよう?もう、時間ないね。」「時間見て、少しずつ私がやるね。大丈夫!」頼もしかった。 それから毎日、朝10時くらいまでに、彼女は来てくれた。仕事があるんで、夕方には帰るのだが、病院一階の出口の横で二人で、イップクしながらおしゃべりするのが日課となった。僅か30分足らずなのだが、その30分の間に、まるで時間が急に早回しなったように、夕暮れが夕闇となって行く。段々暗くなって一つずつ付いていく周辺のビルの灯りを二人で病院の壁に凭れ横にならんで見ていた。「かつら、仕事、止めてくれない?」かつらは黙っていた。「これから、食事療法が始まる。今までみたいに、適当に自分で作るのできないと思う。」やっぱり、黙っていた。「こんなことになって、悪いんだけど、考えてくれない?」二人の予定では、二部屋をそれぞれ自分の部屋にして、それぞれの時間を尊重することになっていた。夜は彼女が帰るのを待たずに僕は寝る事、朝は彼女を起こさず僕が出勤する事、そうしようと決めていた。今まで、自分の事は自分で何でもして来たので、彼女に負担をかけるようなことはしないようにしようと思っていた。一緒にいられるだけでいい。それでいて、仕事に専念出来る、自分なりの最善の結論だった。彼女が黙っているのは、考えている時。きっと、かなり悩んだと思う。彼女も生活基盤がなくなれば、従属的関係になる。彼女の性格は、あなたに着いて行きます、従いますではなく、自分の考えをちゃんと主張し、言いたいことは言うであった。働いてこその対等な関係。きっと、一緒に暮らして気まずくなったときのことまで考えたんだろう。2・3日同じ事を言ったが、答えはなかった。 月曜に入院したのだが、金曜には薬の力とは言え、血糖値も正常値近くまで下がった。外出許可が下りたので、先ずは会社に行って少し仕事をこなした。つい数日前の死に損ないが机に座って仕事をしている。回りはビックリ。自分ではなんともないと思って、会社へ来たのだが、4時になって体が思うように動かなくなった。慌てて病院へ戻った。それでも、土・日は引越し準備で自宅へ二人で向った。でも、やっぱり決まって4時には体がだるくなった。「ごめん。かつら、少し横になってていい?」その場に、うつ伏せになった。看護師にはなんともない風を装っていたが、かなり体がきつかった。外出は午後からだったので、結局、2時間くらいで病院へ逆戻り。一向に片付かなかった。それでも、かつらが、その間、キッチン回りを片付けてくれたので、そっちの方は結構進んだ。次の月曜日、回診があったので、退院を申し出た。「そんな無理、言わないで下さい。これから、注射の打つ練習や食事指導が始まるんですから。」「え〜!一週間経ったら、考えるって言ったじゃないですか。」「様子を見るって言っただけで、退院させるって言ってないです。少なくとも2週間はかかります。」「その注射を自分で打てるようになればいいんですね。食事療法はちゃんと覚えれば退院出来るんですね。そうですね。」医者は何も答えなかったが、早速、その昼の注射から自分で打つようにした。一回で覚えた。午後からかつらと外出し、糖尿病の食事の本を買いに行った。早速、猛勉強して、その日の夜には、殆ど、暗記していた。次の日、栄養士が来た。「栄養士さん!暗記したんで、質問して下さい。」「えー!食事別のカロリー覚えたんですか?だったら、ラーメンは?」「700から1000キロカロリーです。」「お蕎麦は?」「「それは笊ですね?250から300キロカロリーです。」次々と質問されるのに、すべて正確に答えた。栄養士さんより先に、一緒に話を聞くと言って同席した桂が本を見ていて、「全部あってる!」自慢げに僕は、「食品別の単位も覚えました。聞いてください!ご飯が150グラムで1単位。卵は黄身半分で一単位。魚は、さんまが・・。」そのままずっと続けようとしたが、栄養士が止めた。「じゃ、栄養士さんに質問!お酒はカロリーがあって栄養素が殆どない。この場合、糖尿病患者はどう考えたらいいんですか?」「お酒はあんまり良くないから。」的外れの答え。次々に質問したが答えられなかった。僕は、「もう少し、勉強した方がいいんじゃないですか?」厭味ないいようをした。栄養士に恨みはなかったが、退院作戦の一つだった。「また来ます。すみません。」と言って帰っていった。「酷いね。栄養士さんに対する言い方。」「だって退院作戦だから。」「解ってる。けど酷い。」少し、怒っていた。 11日目の朝、回診があった。「先生!注射も食事も覚えました。退院していいですか?」少し間があって、「まだ、検査が残ってますが、それは外来でいいでしょう。これから、尿検査や血液検査をして、良かったら、退院してもいいです。」前日、桂は、仕事を辞める事をお店のママに話していた。実は、体の不調で、8月からかつらは病院通いをしていた。お酒もあんまり飲めなくなっていたようで、それを理由に辞めることにしたそうだ。職業意識から一生懸命、働いていたが、本来、夜の仕事は好きではなかった。自分のテンションを最大限上げて、本来の自分じゃない自分を作って、酔客を相手にするのは、体の不調も相俟って、辞めたかったと後から言っていた。午後になって、検査結果が出た。医者が来て、「退院してもいいですよ。食事も彼女も一緒に指導を受けてくれたんですってね。彼女がちゃんとしてくれるんなら、その方がいいでしょう!」1時間後にはさっさと病院を出た。そして、一旦、彼女の部屋に居候する事にした。 それからの数日間は、会社から、危険な4時前に彼女の部屋に帰る。彼女は6時頃仕事に行くのだが、出掛けた後、冷蔵庫には、小さなタッパーがぎっしり詰まっていて、テーブルには小さな字で、食べ物の名前とカロリーがびっしり書いてあった。メモは三枚もあった。最後に、「このうちから、500キロカロリー以下になるように、3品を選んで、食べて下さい。ご飯は、150グラムを量って食べて下さい。よく噛んで食べるように!」と書いてあった。ちょっとうるっとした。かつらは出掛ける前は決まって機嫌が悪い。テンションを高め臨戦態勢に入っていることは解っていたので、「はい。はい。」と言って従う。「軽すぎる!はいはいって、解ってない。」と叱られもしたが、居候の身。おとなしくしていた。だから、桂の出掛けたこの時間が好きだった。桂のやさしさを一番感じられる時間でもあった。 そして、遂に、引っ越し前の最後の日曜日となった。やっぱり、退院して1週間経っているのに、4時になるとやっぱり体が重くなるので、片付けは急がなければならなかった。二人で朝から、始めた。「後から捨てなきゃ良かったって思うかも知れないけど、取り合えず捨てよう!」「そうだね。これは?」「捨てる!」「じゃ、これは?」「捨てる!」夕方にはやっと二階に手を着ける事が出来た。うちの横には、ごみの山が出来た。4時過ぎても、桂は、やっていたが、やっと次の日からの改装の準備が出来た。
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