「体も良くなったし、仕事も一段落したんで、旅行でもしたくなっちゃった?どっか、行かない?」 美味しいパエリアのせいか、彼女のせいか、仕事に疲れていたせいか、急に肩の力がすーっと抜けて、無意識にそんな言葉が口から出た。 彼女はちょっと驚いて、「お泊まり付き?」ちょっと間を置いて「そうだね。行く行く!行こう!」 この時は、その後、本当に、旅行に一緒に行くことになるなんて、思っても、見なかった。 二人の行動はいつも思いつき。それが後になって意味を持つ。独身だし、ここ三年、公私共に忙しかったので、少し、落ち着いた今、そんな事を考えてもいいのかなと思った。 すでに、ゴールデンウィークに入っていたので、先ずは、手っ取り早く、近間にドライブでもと思って、彼女に聞いた。 誘っている風でもなく「連休は予定があるんでしょ。」 「今のところわかんない。友達と温泉行くかも。」 「ふーん。僕は、びっしり仕事。」本当は、一緒にどこかに行きたかったのだが。 それ以上そのことについての会話はしなかった。彼女には彼氏がいると思っていたし、今まで、そんな言葉にその気になると、直前になって、なんか理由をつけて断って来るのが世の女性の常。乗りのいい娘ほど、そうだ。ましてや、20代。プライベートで、金もないこんな普通のおじさんと遊びに行くなんて、考えられなかった。 ここ一年、色々あって、ひねくれていたのかもしれない。彼女といるとなんか「うま」が合うというか落ち着く感じはあった。それが、恋愛にまでとは、全く、その時は思っていなかった。きっと彼女もそうだったろう。 次の日、旅行に一緒に行く気もないのに、乗りで、「行く行く!」なんて言う彼女に腹が立ってきた。うちに、一度来たことと、泊まっていったことで、僕に特別な気持ちが芽生えてきていたことは事実だ。でも現実味のない歳の差なのに、本気になって、自分が傷つくのは目に見えていた。惹かれる気持ちに一生懸命壁を作って、彼女を嘘つきの悪い女に仕立て上げ騙されまいとしていた。 夢には、いつも、彼女は悪女として登場する。僕を散々嘲笑う。いつも彼女が大活躍した。この悪夢から脱出するためには、彼女への芽生えた気持ちを断ち切らなければならないと思って、ゴールデンウィークは、彼女に電話もせずに、いつもの年のように仕事をした。誰もいないオフィスは、仕事が捗る。宛(さなが)らの仕事人間なのだ。 一週間して、「どうしてた?」と電話が来た。ゴールデンウィーク中、彼女は、うちで過ごしていたらしい。電話が来たら僕と一緒に出かける気だったが、来なかたのでずっと寝ていたと言った。嘘だと思った。連休にずっと寝てたなんて、そんな女の子がどこにいる!うそつき悪女め!でも、冷静なふりをしていた。いつもの明るい彼女だった。 最後に「電話しなくて御免!仕事だったんだ。また、うちに遊びに来る?」と言ったら、その夜、やって来た。 遊びのつもりなんだから、嘘をついていようが、ゴールデンウィークをどう過ごしていようが、いいはず。 ともあれ、酔ってテンションの高い彼女は魅力的だった。 ひとり暮らしは寂しいもので、彼女が来るとその穴が埋められる。それでいいと思った。 色んな話をした。大学を卒業して、転勤で、札幌に来た事。実家から離れたかった事。彼女の実家の父が厳しいこと。熊打ちが趣味な事。父とうまくいってないこと。働き者でやさしい母の事。かっこいい兄貴とそのかわいい三人の子供の事。三人とも女の子で、下が双子な事。いっぱいいっぱい話してくれた。 二人で一升瓶を空にして、ほとんどそのまま寝た。次の朝、彼女をうちに送っていった。車から下ろす時に、父の事で悩んでいるようだったので、「お父さんて(一般的に)、会えば娘に色々言いたいことはあるけど、娘はかわいいし心配なもんだよ。」僕にも娘がいる。「行かないまでも、電話したら?怒られてもいいじゃない。声を聞かせてあげたら?」 次の日、彼女は一念発起して父に電話した。お父さんは、誕生日のプレゼントを、とっても喜んでいたそうだ。怒らなかったとも言っていた。 その日から、殆ど毎日仕事が終わるとうちに来るようになった。彼氏の話も少しずつするようになった。 2年前から付き合ってる事。半年前から、関係がおかしくなって、鍵を返して!といっている事。もう付き合う気がない事。 結局、誰なのか言わなかったので、自分の知っている彼女の知り合いを頭の中に浮べて勝手に想像した。 彼氏とちゃんと別れていない状態で、彼女の部屋へ行くのは、ちょっと気が引けたが、ちょっと覗いて見たかった。 しつこく「部屋に行きたい。」って僕が言ったんで、5月も終わり頃になって招待された。 彼女の部屋は、街の中の賃貸マンションの5階。部屋は小さいんだけど、きれいにしていた。 部屋に、ベッド用のマットが敷いてある。その上には、洗濯物が干してあった。 「なんかごちゃごちゃしてるでしょ。」 「きれいにしてるね。」 「ヨッシーだって、おうち、ちゃんと(綺麗に)してるよね。」 その日は彼女の部屋に泊まることにした。二人で、歯ブラシやら下着やらをドンキホーテに買いに行った。 次の日、彼女は、一生懸命、手作りの炊き込みご飯ときんぴら牛蒡を作っていた。いつも、食べ物をくれるお客さんにお礼でお弁当を作ったらしい。僕も、お零(こぼ)れを戴いた。すごくおいしかった。 今時の娘が、料理が上手なんてありえない。きっと、男をたぶらかす定番料理なのだと思った。でも、本当に、おいしかった。 これも、後から解るのだが、母親仕込みの料理の腕は大したもんであった。思いを断ち切るどころか、手料理に思いは深まったのだった。
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